たびのおわり

権俵権助(ごんだわら ごんすけ)

たびのおわり

「おい、姉ちゃん。ノートルダム大聖堂行き二人、1990年代ならいつでもいい」 


 朝イチで受付にやってきたのは、全身の脂肪を派手なアクセサリーで覆い隠した中年男性。隣には、その高価な宝石を秤に乗せて、無理やり釣り合わせた若い金髪の女性を引き連れている。典型的な成金だ。


「お調べいたします」


 私は受付カウンターの裏側にあるタッチパネル式モニターをつついて、予約の空き状況を確認した。


「あいにく、1990年代のツアーはすべて埋まっております」


「なら、2000年代でもいい」


「大変申し訳ございません。ご予約がとれるのは2019年の6月以降となります」


「ああ!? それじゃ意味がないだろう!」


 言いたいことはわかる。その時代にあるのは美しい大聖堂ではなく、焼失した跡地だけだからだ。


「申し訳ございません。それ以前のツアーは既に渡航可能人数の上限に達しておりまして……。代わりに、凱旋門やエッフェル塔でしたらまだ空きがございますが……」


「んなの当たり前だろが! まだ建ってんだからよ! こっちは今、見られないものを見るためにわざわざ時間旅行するんだよ!」


 そんなことはわかってる。でも、トークスクリプト通りに案内するのが私の仕事だ。


「……ねえ、もういいよ。そんなこと受付のお姉さんに言ってもしょうがないでしょ?」


 連れの女性は、派手な身なりの割には常識をわきまえているようだった。諌められ、成金オヤジは毒づきながら帰っていった。


 今から三十年前に実現した過去へのタイムトラベルは、民間旅行業者に認可されてからすぐに厳しい渡航制限が設けられた。


 まず、渡航人数。当然だ。もし巌流島の戦いが観客一万人の満員御礼になったら決闘どころではないし、武蔵なんか小舟をUターンさせて始まる前に帰ってしまうかもしれない。許されるのは、あくまでそこにいてもおかしくない「自然な人数」だけだ。


 次に人種。これも当然だ。たとえば、鎖国中の日本に大勢の外国人がツアーコンダクターの振る旗に従ってゾロゾロと乗り込んだら、それだけで大事だ。ゆえに、その場所、その時代に合致した「自然な人種」にしか許可は下りない。


 それから、子供の頃に打ったワクチンの注射跡や虫歯の治療跡、コンタクトや眼鏡の有無、立ち振る舞いに言葉の訛りなど、制限事項を挙げれば数限りない。民間人旅行者は、それらの厳格な審査を受けた上で、政府の発行した時間旅行許可証に記載された範囲でのみ旅行を楽しめる仕組みだ。で、そうなると、結局のところみんな近代にしか行けないというのが実情だった。「大昔にいても自然な人間」……馬鹿らしい。そんな者、いるはずがない。


 ただし、一定のラインを超えた大金持ちだけは話が違う。彼らは、あらゆる時代、あらゆる場所への旅行が許された特別渡航許可証を持っている。要するにだ。この時間旅行の民間委託自体が、歴史の1ページをその目で見たいという金持ちどもが積んだ札束によって実現した事業というわけだ。歴史の保全を訴える活動家たちの署名や抗議デモを一切無視して、民間人による過去への旅行などという、普通に考えれば危険極まりない行為を政府に認めさせたのだから、よほど大金をかけたロビー活動が行われたのだろう。


 かくして私のような底辺労働者は、彼らの道楽のために日々歴史を破壊するお手伝いをしているというわけだ。


※ ※ ※

 

「君、これで頼むよ」


 次にやってきた老紳士が差し出したのは、黒い地色に金の箔押しで縁取りがなされた「いかにも」なデザインのカード。出た、特別渡航許可証だ。


「かしこまりました。行先と年代はいかがしますか?」


「ノートルダム大聖堂。2019年4月15日の正午で頼むよ」


 まるで飲み慣れた年代物のワインを注文するかのように、軽々しく希少な時代へのオーダーを告げた。その日の夕方、かの偉大な大聖堂は焼け落ちるのだ。


「はい、空きがございます。お手続きの間、そちらにかけてお待ちください」


 タッチパネルを操作して、VIP専用の予約枠を用意する。この枠は、たかだか一代で成り上がった程度の連中には決して開放されることはない。


「お待たせいたしました。こちらをどうぞ」


 私はカウンターの裏から二本のリストバンドを取り出した。腕時計の盤面にあたる箇所に、それぞれ赤と緑のボタンが付いている。いまやタイムマシンはここまで小型化される時代になった。どうやら、バンドの表面を覆うラバーの中には、私などには想像もつかないテクノロジーが凝縮されているらしい。


「行きは赤、帰りは緑のボタンを十秒間長押ししてください。それから……」


「いや、説明はいい。もう七度目の時間旅行なのでね」


 そう言って老紳士は二本のリストバンドを受け取り、帰っていった。こういう客は楽でいい。


 それにしても、歴史的な瞬間に立ち会おうという金持ち連中は本当に後を絶たない。もはや、あらゆる歴史の転換点は大勢の野次馬たちの集まる観光地と化してしまっていることだろう。


※ ※ ※


「……1500年代、神聖ローマ帝国」


 午前中最後の客は、やってくるなり特別渡航許可証を出して曖昧な行き先を告げた。三十代中頃。髪はボサボサ、猫背のせいで背丈は実際よりも低く見え、目は相当に座っている。開いた口の中には並んだ銀歯──それも最近流行りの超硬度の高級品──がギラギラと光っていた。正直、仕事でなければ会話をしようとは思わない。


「具体的には、いつ、どのあたりがよろしいでしょうか?」


「どこだっていい。適当にセットしてくれ」


 ピンときた。やはり一番面倒なタイプだ。


「かしこまりました」


 タッチパネルで行き先を設定し、男に二本のリストバンドを手渡すと、赤いボタンのバンドだけを受け取り、緑のバンドを私に突き返した。


「行きだけでいい」


 いるのだ。こういう、過去への憧れをこじらせすぎて、特定の時代へ永住しようという甘っちょろい考えの輩が。いや、永住するだけならまだしも、中には現代の知識を使って有利に生きる──いわゆる「無双」してやろうという、お子様向けノベルの熱心な読者までいる始末。そういう人間は大抵、ワクチンの無い伝染病にかかるか、国際法の無い戦争に巻き込まれて悲惨な最後を遂げるものだが、あるいは、もしかしたら、中にはうまくやった人間もいるのかもしれない。と言っても、私にはお札に描かれた人間が知らない間に別人に変わっていたとしても気付く術はないのだが。


「それから、渡航記録は削除しとけ。絶対に忘れるなよ」


 「行き」のリストバンドは、一度使用すると痕跡を残さないよう消滅する仕組みになっている。そして「帰り」のリストバンドは、「行き」が使用されてから予定日数が経過した時点で自動的に起動し、その後おなじく消滅する(手動の帰還ボタンは、あくまでも現地で危険を感じた時のための緊急手段だ)。それを片道分しか渡さず、しかも渡航記録まで消せというのは、つまり、これから彼が過去で何をしようが私たちに追いかけることはできなくなるということだ。


「かしこまりました。では、どうぞお気をつけていってらっしゃいませ」


 周囲を気にしながら出ていく男を見送ると、私はモニターの「離席」ボタンを押して昼休憩に入った。誰が何をしようと、私はここで私の仕事をするだけだ。


※ ※ ※


 窓際の席でハンバーガーを頬張る。ランチと呼ぶには貧しいが、200メートルおきに建っているのがファーストフード店の利点だ。窓の向こうに、さっき出てきたばかりの職場が見える。店との距離が近いほど、実質的に昼休みは長くなる。


「……はあ」


 無意識にため息をついた。窓ガラス一枚を隔てた向こうを歩く人々は、こんな貧民向けの店になど見向きもせず、毎日私の一ヶ月分の食費を一日で消費しているのだろう。


「……………………」


 薄いコーラを喉に通しながら、ぼんやりと窓の外を眺める。今日はいつにも増して人通りが多い。まったく、こんな街に見るものなんて無いだろうに一体なぜ……。


「…………あ、そういうことか」


 コーラを飲み干し、鞄の中から社用の電話を取り出した。


「……あ、主任ですか。すみません、ちょっと体調が悪くて……はい、発熱もあるみたいで。……はい、すみませんが午後休いただきます。……はい、よろしくお願いします。それでは失礼します」


 通話を終了すると、私はまたぼんやりと窓の外を眺めた。すると、職場の正面入口から一人の男が急ぎ足で出てくるのが見えた。


 直後──閃光が走った。


 轟音と爆風による衝撃波がハンバーガーショップの窓ガラスを激しく揺さぶり、あちこちにヒビを入れた。光が収まると、私の職場が燃えていた。さっきの男が周りに見せつけるように大きな旗を掲げている。旗には歴史保全活動家たちのうち、特に過激派の組織のマークが描かれていた。


 店を出ると、ビルの周囲は焦げ臭い熱気に包まれ、大勢の野次馬たちに囲まれていた。ところで、職業柄、私は普通の野次馬と「そうでない野次馬」の区別が付く。おそらく、ここにいるうちの半分は時間旅行者だ。連中は、今日この場で事件が起きることを知っていて観光しに来たのだ。


(それにしても……)


 たしかに時間旅行社の爆破テロは大事件だ。しかし、未来から来た連中が平然と時間旅行を楽しんでいるということは、つまり、このテロによって歴史保全運動が勝利したわけではないことを示している。それならば──うちの社長には悪いが──この事件は大枚はたいて観光するほど価値のある歴史の転換点とは言い難いのではないか。とすれば、時間旅行者たちのお目当ては……?


 背後から、軽く肩を叩かれた。


「あんた。間違いないね」


 振り返ると小太りの男が立っていた。この街には似合わないヨレヨレのスーツを着ているが、その眼光は鋭い。突きつけてきたタブレットには、私の証明写真が映っていた。辺りを見回すと、野次馬のが一斉にこちらを向いていた。


「わかってるとは思うが、警察だ」


 男がタブレットの画面を左にスワイプすると、写真が切り替わった。……土? いや、古い地層の写真のようだ。よく見ると、土の中に光るものがいくつも埋まっている。なんだろう?


「それな、被害者の銀歯だよ」


 ……ああ、さっきの。


「まさか、歴史保全過激派のリーダーが時間旅行社で受付やってるなんてな。盲点にも程があるだろ」


 男が呆れたように言った。うーん、そこは呆れるより感心してほしいところなんだけど。


「それにしたって、白亜紀送りは酷い」


 過去への片道切符、渡航記録も削除。だったら、大昔へ送れば誰にも見つからないと思ったんだけどなぁ。よっぽど頑丈なんだな、あの銀歯。


「ある程度の人数を送ったら、仲間に命じて支店を爆破。自分は別の支店へ異動し、また地獄行き旅行の受付を繰り返す。被害届も出なけりゃ痕跡も残らない。探し出すのに随分苦労したぞ。……で、何人やったんだ?」


「今日でピッタリ五十人」


 どうせそのうちバレることだ。別に構わない。


「なるほどな。歴史に残る連続殺人だ」


 大勢の視線を感じる。野次馬たちの本当の目当ては私だったわけだ。


「逮捕の前に、もう一度その写真見せてもらえますか?」


「なんだ。別に構わんが」


 タブレットに映る、土に埋まった銀歯の残骸たち。


「……ふふっ」


 笑みがこぼれた。お札の人物が本当は誰なのかは知らないけれど、少なくともこの歯は本物だ。それを見て、私は初めて実感できた。


 私は歴史を守ったのだ。

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