第7話 皆の我儘
睨み合いの戦場、そう言えば聞こえは良いが。
お互い兵を並べるだけで一向に戦闘が始まらない。
そんな全くの無駄である戦場が、目の前には広がっていた。
皆綺麗に陣形を組んではいるものの、誰しも暇そうに欠伸をかみ殺している程。
ここの統括を任された訳だが……要は言い訳作りと監視、それだけが今回の私の仕事だった。
「こんな姿、ヴィーナには見せられないな」
「団長の奥さんでしたっけ、綺麗な方ですよね。どうです? 夫婦仲は。こんなにも連勤ばっかりじゃ、帰った時に不満の嵐でしょう?」
同じ騎士団に勤める副団長から、そんなお言葉を貰ってしまった。
この戦場は、所謂口実作り。
ここに兵を置いていない他の国まで巻き込む事態に発展しているからこそ、相手国と協議した結果。
戦地にある程度の兵を送り、我々が滞在する事で“本腰を入れて戦争している”と他国へとアピールするのが目的。
つまり、両国とも戦うつもりが無いのだ。
だからこそ、皆気の抜けた表情で並んでいるだけ。
兵を送ったと言う事実、騎士団さえも向かわせたという記録。
それさえあれば、俺達の仕事は完了すると言う訳だ。
こうしている間にも両国以外の国が動き、何かしらの尻尾を見せる。
そう言ったモノを調べるのが目的らしいが……何とも、これで良いのかという気持ちになって来る。
「普通の夫婦は、どういう感じになるんだ?」
「夫婦仲ですか? そりゃもう酷いモノですよ。帰れば罵詈雑言、俺が稼いだ給料は皆嫁の装飾品に変わるくらいです。それでも相手は満足してなくて、給料は上がらないのか休みは取れないのかと喧嘩ばかり。結婚ってのも悪い事ばかりじゃぁありませんが、良い事ばかりでもない」
「そういう、ものなのか……」
ふむ、と首を傾げて考えてしまった。
今までの我慢していたヴィーナであれば、まさに良妻という雰囲気の言葉を紡ぎ、私を迎え入れてくれた。
そう言えば、喧嘩というモノを一度もした事が無い。
私が言った事に対して反論してこないので、何となく此方も申し訳なくなってしまい、なるべく自由に過ごさせた。
無駄遣いの類と呼べる金銭の消費も無く、自ら野菜やハーブを育てる様な勉強家。
給料や休みの事を言われた事もないし、大きな金を使うのはパーティーに参列する際のみ。
装飾の類の好みを聞いてみれば、“旦那様の隣に居ても恥ずかしくない物を選んでいただければ、喜んで身に付けさせて頂きます”とのお返事を頂いてしまった程。
つまり、彼の言う“普通”が当てはまらないのだ。
「その、なんだ。喧嘩もしないし無駄遣いもしない、仕事にも給料にも、そして休みにも文句を言わない奥さんというのは……凄いのだろうか?」
「そりゃ凄いでしょうよ、でもそんなご婦人は居ませんって。貴婦人の仕事と言えば着飾る事、どこに行くにしても人の目があるんですから、どうしても必要経費です。ま、大概は必要以上の出費になるんですけどね」
そういう、ものなのか。
うーむと首を傾げつつ、彼の話を聞いていれば。
「団長の所はお子さんがまだでしたっけ? 子供が出来ると、女は怖くなりますよぉ? 私はこんなに苦労しているのにって、耳にタコが出来る程聞かされますから。こっちは仕事に出てるんだから子供の面倒が見られないってのに、帰る度に怒鳴られる程ですから」
そういう、ものだそうだ。
子供、子供か。
確かにそろそろ作っておかないと不味い年齢だろう。
跡継ぎとしても、世間体としても。
しかしヴィーナはソレを望んでいるのだろうか?
今の生活に満足しているというのなら、彼女の苦労を増やしたくないというのが本音だ。
そして子育てが大変だからと彼女がイライラするのであれば……私は騎士の位を返上して、普通の男として生きるのも悪くないと思っている。
生きていく分だけ稼げれば、そう考えるのは流石に甘えなのだろうが。
それでも、例え裕福でなかったとしても。
私は今、ヴィーナに怖い顔をして欲しくない。
前回の休日に見せたあの緩い笑みを、いつまでも見ていたいと思ってしまった。
「その……なんだ。子供とは面倒が増える上に、金が掛かると聞く。実際の所、どうなんだ? それでもやはり、可愛いものか?」
「ハハッ、そうですね。問題ばっかりですし、金も手も掛かります。でも、やっぱり可愛いモンですよ。給料のほとんどを使われようとも、嫁さんどころか使用人にまでネチネチ言われようとも。子供に“おかえりなさい”って笑顔で迎えられるだけで、疲れなんか吹っ飛びますね。こうも働いてばかりじゃ中々顔も見られないんで、いつも土産を買って帰る程です」
彼はそんな言葉を溢しながら柔らかく笑い、手荷物から一枚の写真を取り出した。
写真なんて、一枚でも高価であろうに。
彼は常日頃から持ち歩いている様だ。
「これです、コイツが俺の息子。どうです? 結構良い面してるでしょう? 男の子なら剣術、女の子なら勉学って言ってたんですけど。結局両方教える事になりまして、本人は忙しい毎日でしょうなぁ」
カッカッカと笑いながら、彼は幸せそうに口元を緩めていた。
そうか、コレが子供を持つ親というものか。
今まで俺は、こういう彼等の日常を見ようとしてこなかった。
仕事は仕事と割り切って、効率ばかりを優先してきたが。
それでもやはり、こういう話を聞くのは良いモノだ。
見せられた写真を眺めながら、思わず此方も頬が緩んでしまった。
「私から何か言える事は無さそうだ。幸せそうで、何より。それくらいかな」
「ま、嫁さんの浪費癖には困ったものですけどね。まぁどこもそんな感じでしょうから、覚悟はしてましたが」
なんて台詞を吐きながら、彼はカラカラと笑って写真を大事そうに手荷物に戻していく。
あぁ、良いな。
俺もいずれ、こういう事をする様になるんだろうか?
子供が生まれ、ヴィーナと共に笑いながら……。
「団長! 緊急のお手紙です!」
緩やかな雰囲気を打ち砕く様な鋭い声が、俺達の元へと届いた。
そして渡される一通の手紙。
差出人はウチのメイド長のアルターであり、彼女は本当の緊急時でない限り戦場に手紙など送ろうとはしない筈。
であれば何かあったのかと慌ててしまったが、よく考えてみれば今回は彼女に指示を出しておいたのだった。
何かあったらすぐに連絡しろと、たとえ些細な事でも必ず手紙を送る様にと口が酸っぱくなる程言い伝えた。
ソレを思い出し、一度落ち着いてから手紙を開いてみれば。
「……副長、しばらく戦線を離れても良いか? 責任は私が取る」
「えーと……あ、どうも、俺にも見せてくれるんですね。何々? あぁ~はいはい。ちょっと大げさすぎる気もしますが……良いですよ、俺が代わります。どーせ何にも起こらない戦場ですからね」
そのお言葉を頂いた瞬間、私は走り出した。
今は一刻も早く、ヴィーナの元へ向かいたい。
「団長ー! 風邪ひいた時は蜂蜜が良いですよー!? あと、随分と我儘になりましたねぇ! 上には報告しないで置きますんで、ゆっくりと奥さんの面倒見て来て下さーい!」
有難いお言葉を背中で受けながら、私は馬車へと乗り込んだ。
そして。
「悪いが、大至急俺の家に向かってくれ。妻の一大事だ」
「は、はいっ! しかしこの馬車は一般兵の物でして、乗り心地など……騎士団長様にはとても――」
「どうでも良い! 早く出してくれ!」
「はいっ!」
そんな訳で、私は前線を離れる事にしたのであった。
命令無視、職務放棄。
色々と不味い事態ではあるのだが、それでも。
この戦場が“本格的なモノ”ではないという理由を含め、今の私には彼女以上に大事な事柄など思いつかなかったのだ。
だったら。
「すぐに、すぐに帰るからなヴィーナ!」
いっぱい喧嘩をしよう、それは意見のぶつかり合いなのだから。
彼女の本音を聞き出すには丁度良い。
沢山無駄遣いをしてもらおう、それが本来の貴族令嬢というモノらしいから。
むしろ金を使わな過ぎなのだ、もう少し贅沢をしても良いのに。
帰って来た私に、何故こんなに休みが少ないのかと怒鳴ってくれ。
もっと給料が上がらないのかと、小言を言ってくれても良い。
そしたら、お前の要望に応えられる様頑張るから。
それでもやはり、今の私に想像出来る彼女の姿は。
『お帰りなさいませ、旦那様』
そう言って、柔らかく笑う彼女の微笑みだった。
その彼女が苦しんでいるのだ、辛い思いをしているのだ。
だったら、夫はすぐさま駆け付けるのが仕事というモノだ。
例え陛下から何かを言われた所で、知るかと言ってやろう。
今の俺は、国より妻が大事だ。
人生で最大の我儘を尽き通しながら、ただひたすらに我が家へと突き進むのであった。
――――
「落ち着きましたか? 奥様」
「あはは、ごめんなさいアルター、もう大丈夫です。なんて、何日も寝込んだ人間が言う台詞じゃないですけど」
激しい雨風に晒され、その後極度の緊張状態に陥った私は高熱を出して倒れた。
それはもう大混乱を招いてしまったらしく、お医者様に診てもらった後には使用人達が代わる代わるお見舞いに来てくれる程。
「ホント、駄目ですね……」
「すぐそうやって自分を否定する癖、良く無いですよ。以前にも言いましたが、奥様は頑張っておられます」
「そう、なんでしょうか……結局皆に迷惑を掛ける事しか出来ませんでした」
喋り終えてからお医者様に頂いたお薬を飲みこみ、ふぅと息を溢してみれば。
「良いですか? 普通のご令嬢は本当に何も出来ません。しかし奥様はどうですか? 私達を気遣い、庭師の仕事だって理解していらっしゃいます。そうでなければ、あの場で道具だって揃えられなかった筈です」
「でも、結局出来ませんでしたよ。釘を打つって、結構難しいのですね。指を叩いてしまったお陰で、一時あんなに腫れちゃいました。話ばかり聞いて、理解が足りなかった証拠です。あ、それから。窓が割れた個所はどうなりました? あれだけ汚してしまえば、予想は出来ますけど……」
ハハッと自虐的に笑いながら、視線を下げてみれば。
アルターは大きなため息を吐いてから、私の頬を抓り上げて来た。
「い、いはいれふ」
「普通、こんなことをした従者は即追い出されます。奥様は私をクビにしますか?」
「嫌です! アルターが居ないなんて考えられません!」
彼女の掌を掴み取り、必死で否定してみれば。
アルターは柔らかい微笑みを浮かべながら。
「そんな奥様だから、皆慕っているのです。皆の仕事を理解してくれて、無理をするなと声をかけてくれる。だからこそ、皆貴女に仕えたいと思うのです。奥様は立派な貴族令嬢であり、正しく人が使える婦人でもあります。コレは凄い事です、周囲の信頼を得られ、誰しも奥様の為にと自主的に動くのですから」
「で、でも……私は……」
「確かに、壁紙や飾ってあった絵などは駄目になってしまいましたね。でもそれは奥様の責任ではありません。壁紙諸々は流石に新品と交換しますが、絨毯に関しては今干していますので」
「再利用出来そうなんですか!?」
「普通なら無理です、即新品に代えろと旦那様から怒られてしまう事態です」
「あう……」
やはり、駄目だったのかと項垂れてみたが。
彼女はクスクスと楽しそうに笑い。
「確かに質は落ちてしまうかも知れません、ですが再利用する気満々ですよ? 旦那様の許可を頂いてからにはなりますが、“奥様が頑張った場所”を残そうと皆必死です。職人気質な者達が今修繕に当たっていますから」
「そ、それは何だか恥ずかしいと言うか……」
何だかちょっと意地悪になり始めたアルターにジトッとした眼差しを送ってみれば。
彼女は今まで以上に満足気に笑い始め、柔らかく口元を緩める。
普段はもっとキリッとした表情を浮かべている筈なのに。
「それだけ、奥様の頑張りをなかった事にしたくないという事です。それに、ちゃんと“我儘”を言える様になった奥様は、今まで以上に魅力的ですよ? 今までが我慢し過ぎだったのです。全て正しく、役者を演じる様に動くのに。私達に対して優しさを見せる、その姿にどこか危うさを覚えておりました」
その言葉を聞いた瞬間、ストンッと腑に落ちた。
やはり気づかれていた。
それはそうだろう、急におかしな事ばかり言い始めたのだから。
肯定的な意見を貰っている訳だが、それでもやはり……間違っていたのだろう。
「私の“我儘”は、これで終わりにしようかと思います」
ポツリと呟いてみれば、彼女は表情を硬くしてしまった。
今までの柔らかさが嘘の様に、「は?」と低い声を上げて来る。
でも、そうじゃないといけないんだ。
私が我満を言えば、皆の仕事が増えてしまう。
休んでくれとお願いしたのに、結局心配させて余計な業務を増やしてしまった。
更には、この結果だ。
だからこそ、私は余計な事をしない方が良いのだろう。
騎士団長の妻として、良妻を演じていた方が周囲に迷惑が掛からない。
そう、決心したのだが。
「もう一度言いますね、我々は奥様を慕っております。だからこそ、貴方の決定には従います。ですが、今だけは反論させて頂きます。なぜそう言う結論に至ったのでしょうか?」
とても冷たい雰囲気のアルターが、言葉を紡いでくるが。
私にはもう、言い訳しか出来ないのだ。
「だって、“我儘”を言った結果がコレじゃないですか。だから、駄目かなって。皆にも、旦那様にも申し訳ないです。だから、今まで通りに戻るだけ。本当にそれだけです、私だけが幸せになろうとか、好き勝手やってやろうなんて間違っているんです。だから、これまで通り。私は私で“やるべき事”をこなしていれば、誰にも迷惑は――」
「ヴィーナ! ヴィーナ無事か!? 何処にいるヴィーナ! 戻って来たぞ! 大丈夫か!?」
言葉の途中で、玄関の方からとんでもない大声が屋敷中に響き渡った。
間違いなく、旦那様の声。
しかも今までに聞いた事の無い程大きく、焦った様な声。
「この声を聴いても、奥様の“我儘”は悪だと言いますか? 私達も、旦那様さえも認めたその“自由”を悪い物だと判断致しますか? 現状を考えれば、私は否とさせて頂きます。奥様の我儘は、あの堅物の旦那様さえ柔らかくしてしまった。だったら良いじゃないですか、これからも我儘を言いましょう? 貴方の我儘は、皆を幸せにしてくれるんです」
「良いんでしょうか……私は結局、皆に迷惑を掛けてばかりで……」
彼女の言葉が嬉しかったのか、それとも旦那様が帰って来てくれた事に安心したのか。
またしても零れそうになる涙を我慢して、プルプルと震えていれば。
アルターはソッと私の事を抱きしめてくれた。
「迷惑だなんて、思っていません。そして私達は家族です、手を取り合って生きていく存在です。なら、我慢するより活き活きと生活する奥様を……私は見たいです。本来従う事しか出来ない私達が、皆揃って奥様の我儘が聞きたいと言っているんです。たまには、私達の“我儘”に付き合ってくれても良いではないですか」
その言葉を聞いて、我慢していた涙がポロポロと零れて来た。
アルターは旦那様の幼い頃から一緒に居たメイドで、嫁入りの私にも良くしてくれた。
でも余所者である私を良く思っていないだろうという予想から、家の中でも失敗しない様にと日々気を張っていたのだ。
だというのに。
「奥様は、大変良く頑張っていらっしゃいます。偉いですよ、凄いです。我々従者が総出で奥様を応援するくらい、好かれています。貴女は、凄い人です」
アルターの言葉に涙が止まらなくなってしまった。
今までずっと、環境に相応しい人物になろうと努力してきた。
自らの事は度外視して、人形になるつもりで環境に合わせて来た。
だというのに、アルターは私を見てくれた。
旦那様だって、“私”を見せた途端に一気に距離が近くなった。
私の“我儘”を、皆が受け入れてくれた。
「そう言うのはズルいですよ、アルター……だったら私は、“我儘”を止められなくなってしまうではないですか」
「えぇ、奥様。今回の様な“あまりにも”な事態にならない程度に、我儘を続けて下さいませ」
徐々に近づいて来る旦那様の足音がこの部屋にたどり着くまで、彼女は私の事を抱きしめてくれるのであった。
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