第8話 旦那は旦那で忙しい
「ヴィーナ! 無事か!?」
「旦那様、あまり大きな声を出さないで下さいませ。奥様のお身体に障ります」
「い、いえ……大した事はありませんから」
扉が勢いよく開かれたかと思えば、鎧姿の旦那様が部屋に飛び込んで来た。
その夫に対し、アルターが冷たくピシャリと言い放つ訳だが……あれ? よく考えれば旦那様がここに居るのはおかしい。
こんなにも短期間のお仕事なんて今まで無かったし、何よりまだ鎧を纏っているのだ。
もっと言うなら今は戦地に立って居る筈の夫が、私の状態を知っているのはどう言う事なのだろう。
「えぇと、旦那様。その、お仕事はもう終えられたのですか? 随分と早いお帰りですが……」
「あぁ、それなら全て副長に任せて来た。私はサボりだ」
「いや、え!? サ、サボ……いや、えぇ!? 良いんですか? そんな事をしてしまって」
「不味いな」
「やっぱり不味いんじゃないですか!」
とんでもないお返事を頂いてしまい、思わず愕然としてしまった。
だって夫は騎士団長なのだ。
そんな立場の人間が職務を放棄して、更には戦場をすっぽかしたなんて知られたら……。
「すぐに戻って下さい、このままでは不味い事になります」
「嫌だ」
「旦那様どうされてしまったのですか!? 騎士が戦場から逃げる様な真似、許される筈がありません! こんな事が知れたら、騎士の称号を剥奪されてしまうかもしれないんですよ!? それに何故此方の状況が分かったのですか!?」
「アルターから手紙を貰ったからな」
「アルター!? 何をしているんですか!」
色々と混乱してしまい、思わず大きな声を続けて出してしまった結果。
熱がまた上がって来たのか、何だかクラクラし始めてしまった。
すぐさまアルターに支えられ、再びベッドに横にされてから。
「落ち着いて下さい奥様、お身体に障ります。今回の行動は旦那様からの指示ですので、私は悪くありません。どんな些細な事でも報告せよと、しつこいくらいに従者に命令を出していましたから」
「だからって……というか何でちょっと言い訳っぽくなってるんですか」
「私もまさか、帰って来てしまう程だとは思わなかったので。どうしましょう、身分剥奪とか言われたら洒落になりませんね」
落ち着いた表情を作ってはいるが、彼女も結構慌てているらしく。
私の額に冷たいタオルを置きながら、ジトッとした眼差しを夫に向けていた。
対する旦那様はと言えば、不安そうな表情でベッドの近くまで歩いて来て。
「まだ熱があるのか? 身体に痛い所はないか? 副長に言われてな、風邪をひいた時には蜂蜜が良いらしい。帰り道で急いで買って来たから、少し落ち着いたらお茶にでも混ぜてもらおう」
此方は仕事の事で慌てているというのに、本人は私の心配ばかり。
今とんでもない事をしてしまっているという自覚がないのだろうか?
いや、そんな筈はない。
この状況を全て理解して、どういう処罰が与えられるかも予想した上での行動の筈。
そんな事さえも予想出来ない人間が、団長を任される筈がないのだから。
「旦那様は、何故……」
「ヴィーナが心配だったからだ、家に一人で残ると言っていたからな。もしもの事があったらと思い、アルターに厳命した」
「あぁ……何てことでしょう。やっぱり私の我儘のせいで……」
アルターには先程我儘で良いと言われたばかりだが、やはりこう言うのはもう止めよう。
私のせいで夫が職を失うなんて事態になれば、悔やんでも悔やみきれない。
そう思うと、ポロポロと涙が零れ始める。
我儘なんて、ろくなモノじゃない。
ここ数日、私は泣いてばかりだ。
一人では寂しくて、皆にも心配をさせて。
更には夫にも多大な迷惑を掛けてしまった。
だというのに。
「泣くなヴィーナ、私はお前の柔らかい笑みが好きだ。“我儘”を楽しんでいる時の、活き活きとした雰囲気が好きだ」
「でも、私のせいで旦那様の立場が……」
「大丈夫だ。副長も上手くやってくれるみたいだし、何より今の戦場は少々特殊でな。数日私が居なくても問題は無い」
夫が何を言っているのか良く分からないが、それでも駄目なものは駄目だ。
どうしよう、このままじゃ旦那様の名に傷がついてしまう。
身分を下げられたり、騎士の称号を剥奪されたりしたら今後に響くだろう。
従者の皆だって、これまで通り全員を雇っていられなくなってしまうかも知れない。
そんなの嫌だ。
私のせいで周りの人が苦しい思いをするくらいなら、全て私の責任にできないものか。
だって本当に、私の我儘から始まってしまった出来事なのだから。
「全部、全部私のせいにして下さいませ。そうだ、今回の事態を悪い物語にしてしまえば、罰せられるのは私だけになるかもしれません」
「ヴィーナ」
「癇癪を起した私が暴れて窓を壊し、使用人達を皆追い出した。その上で、皆は戦場に居る旦那様を頼る他無かった。そうしましょう、そしたら少しくらい言い訳が――」
「ヴィーナは、そんな事をしない。そして今回の私の行動は、私の“我儘”だ。悪役になると言っただろう? だったら仕事を放り出して、全て部下に任せるなんて朝飯前だ」
「それでは貴方の立場が不味くなるから、私のせいにして下さいと申し上げています! だって最初に決めたじゃないですか、仕事や外部に影響が出ては困るから“我儘”は身内の範囲で練習しようって! なのに、何故そんな……」
思わず両手で顔を塞ぎ、嗚咽を洩らしてしまった。
私の我儘のせいで、こんな……。
「私はどうやら、自分で思っていた以上に我儘な男だったらしい。なんたって、国王の命令より妻が大事だと思ってしまったんだ。騎士としては失格も良い所だ、位を落されても仕方あるまい」
「だから……それでは、今までの旦那様の努力が……これまでの頑張りが無駄になってしまいます……私はソレを望みません、貴方は誰よりも頑張って来たからこそ騎士団長を任免されて――」
「ヴィーナはやはり、“悪役令嬢”にはなれないのかもしれないな。君の我儘はいつだって、“誰かの為に”言葉を紡ぐ」
そう言いながら、彼は私の頭に手を置いた。
籠手を外し忘れたのか、硬い感触が広がったかと思えば。
一度離れて、慌てて籠手を外している旦那様。
そしてもう一度、今度は素手の状態で掌を乗せて来た。
「愛している、ヴィーナ。君は私の妻、ヴィヴィアナ・レーヴェンハルト。世界一愛おしいと思っている女性が、何やら一人で頑張って、怪我をしたり熱を出したと聞いて。俺は居ても立っても居られなくなった我儘貴族だ。仕事を放り出し、勝手に家に帰って来てしまった。情けない夫ですまない、ヴィーナ。例え何かしらの罰を受けようとも、稼ぎが少なくなろうとも、俺は君の傍に居たい」
今までに聞いた事も無い程、真剣に愛を囁いて来る夫が居た。
この事態を怒らなければいけないのに、彼には早く仕事に戻って貰わなければいけないのに。
それでも、顔に熱が籠って更に涙が溢れて来た。
「私も……我儘な女です。夫の為を考えれば、怒鳴りつけてでも戻れと言わないといけない事態なのに。今、物凄く嬉しいんです。旦那様からそんな事を言って貰えて、今傍に居てくれる事が凄く嬉しくて。一人が凄く寂しかったからって、今とても安心している駄目な妻です」
「駄目では無いさ、俺は嬉しい」
「ふふっ、旦那様が“俺”なんて言うの初めて聞きました」
「そうだったか?」
「そうですとも」
結局、二人して緩い笑みを浮かべてしまった。
駄目だなぁ、私達は。
周りにも迷惑をかけてしまったのに、二人揃って今は自分達だけの事を考えてしまっている。
我儘夫婦もいい所だ。
状況を引っ搔き回して、周囲の人に苦労を押し付けて。
それなのに、二人揃って幸せそうに笑えてしまうのだから。
「お帰りなさい、旦那様。いつもより早く顔が見られて、凄く嬉しいです」
「ただいま、ヴィーナ。その言葉が聞きたかった」
それだけ言って、私達は微笑み合うのであった。
秘密を共有し合ってからというもの、凄く距離が近くなった。
今までの様な“作った”雰囲気はなく、お互いに素直な感情をぶつけ合える。
コレが、夫婦というモノなのだろう。
私達は今、本当の意味で夫婦になった。
そんな気がするのだ。
「あ、そうだ。副長からも言われたんだが、ヴィーナは子供が好きか?」
「……はい?」
「いや、俺達もそろそろかと思っているんだが。やはり苦労が増える上、俺が家を空ける事も多いから不満が溜まるだろうと思ってな」
「あ、あの……旦那様?」
急におかしな事を言い出した彼を止めようと、真っ赤な顔でワタワタと手を揺らしてみたが。
「子供とはやはり良いモノだと聞いてな、何と言っても笑顔を見るだけで疲れが吹っ飛ぶと言っていた。いや、その間妻は忙しくしていたのは分かり切っているから、ヴィーナにもこれまで以上に手を回そうと思っているのだが」
止まらなかった。
お願いです、隣にはアルターも居るのですから。
そういうお話は、出来れば二人の時に。
「それならば騎士の位は返上し、普通の貴族として暮すのも悪くないかと思ってな。なのでヴィーナさえ良ければ、子供を作って――」
「病人を前にして子作りの話なんぞしないで下さいお坊ちゃま!」
流石に限界だったのか。
物凄く久し振りに聞いたお坊ちゃま呼びをしながら、アルターが旦那様の頭を引っ叩いた。
ウチの旦那様は、“我儘”というものを知ってから少しだけ変わった気がする。
というか、本当の彼を知れたという事なのかもしれないが。
なんというか、ちょっとだけ今までよりも子供っぽいというか。
何かを始めると止まらなくなる男の子みたいな所もあるのだと、最近分かった。
昔はずっと固い感じの夫しか見てこなかったから、ソレが新鮮ではあるのだが。
「あ、あの……そういうのは、また今度。二人でゆっくり出来る時にお話致しましょう……」
顔から湯気が出そうな勢いで、そう答えるのが精いっぱいなのであった。
――――
「騎士、ダッサム・レーヴェンハルト。前へ」
「はっ!」
あれから数日、私は家でヴィーナと共に時間を過ごした。
その間放っておいた戦場では、少しだけ変化があったらしい。
とはいえ戦闘が始まったなどの物騒な変化ではなく、ただ単に王家の者から視察が入ったというだけなのだが。
しかし、タイミングが悪かった。
私は戦場を離れ、副長が全ての指揮を執ってくれていた所を目撃されてしまったのだから。
「レーヴェンハルト、面を上げよ」
陛下のお言葉と共に、ゆっくりと視線を上げてみれば。
非常に呆れたような顔を浮かべた王が、私の事を見降ろしていた。
これはもう、確定だろう。
今の王は何かと頭が回る戦略家ではあるが、仲間内には非常に心の広いお方。
そこに漬け込む様な真似をしてしまったのだ、信頼を裏切ってしまったのだ。
死罪にはならないだろうが、騎士としてはもう終わりだと思われる。
そんな風に考えていたのだが。
「これより先、私が話す内容は公にしないモノとする。聞いている者達は、聞かなかった事にせよ」
急にそんな事を言い出した陛下は、大きな溜息を溢しながら此方へと歩いて来た。
一体何が起こるのかと、思わず全身に力を入れて固くなっていれば。
「ダッサム、お前は少々真面目過ぎる」
「……はい?」
何を言われているのか、良く分からなかった。
ポカンとした表情を浮かべる私に対し、陛下はもう一度ため息を溢してから。
「だから、真面目過ぎると言っておる。これまでは本当に堅物な上に、酒に誘っても“私は陛下の護衛ですから”などと言って飲みもしない。だというのに、今回は随分な我儘を言ってくれた様だ」
「はっ! この件に関しては全て私の責任であり、部下達を含め周囲の人間に一切責任は――」
「それで、お前の妻は大丈夫だったか? その為に戻ったのであろう?」
「……はい?」
良く分からないお言葉を頂いてしまい、物凄い間抜け面を晒してしまった。
陛下は機嫌良さそうにカッカッカと笑いながら、バシバシと背中を叩いて来る。
これは、どういう事態だ?
「いつもこうでは困るが、今回の戦場は退屈だろうからな。堅苦しいお前なら文句の一つも言わずにこなすものと思っていたが……なかなかどうして、面白い事になっているではないか」
「えぇと……申し訳ありません。今回の事は全て私に責任があり、処罰はこの身一つでお許しいただければと――」
「おぉい! 誰か酒を持ってこい! 駄目だ、コイツは。肩肘張ってばかりでは面白い話は聞けん! 酔え! コレは王命だ! それでお前の嫁の話を聞かせろ! 堅物のお前がこんな我儘を言ったのだ、それはもう面白い人物なのであろう?」
そんなお言葉を頂き、我々は何故か王の謁見室で酒盛りを始めてしまうのであった。
こ、コレは良いのだろうか……こんな事、前代未聞の不敬な気がするのだが……。
「ちなみに、あの戦場な。そろそろ終わりそうだ、周りの国が動き出した。なので、しばらくは休暇が取れるだろうな」
「……」
「素直に喜ばんか、馬鹿者。それからな、今回の件を持って、お前を王宮の専属騎士に任命する。何故だと思う? 面白そうだったからだ。だったらしっかりと私を楽しませろ」
「陛下……冗談が過ぎます」
少々肝の冷える冗談を頂きながら、我々はグラスをぶつけ合うのであった。
冗談、だよな?
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