第6話 トラブル


 最近の行いが悪かったせいなのか、こういう時に限って悪い事が起きる。

 お昼を食べ終わって、午後はどうしようかと悩んでいた時だった。

 急に空模様が怪しくなり、気が付いた時には雨が降り始めたのだ。

 幸い今日は私だけだったから、洗濯物の類は無かったが……。


 「ひぃぃ……」


 コレが神の怒りかという程雷が鳴り響き、土砂降りと言っておかしくない程の豪雨が襲う。

 ベッドの中で布団に包まっていてもゴロゴロズバンバズンと色々な音が聞えて来て、とてもではないが読書が出来る環境では無かった。

 何処の窓も風と雨でガタガタと揺れ動き、今にも砕けてしまいそう。

 そんな中、布団を被って激しい音に耐えていれば。

 屋敷の何処からか、バリーン! と硝子の割れる音が聞えて来た。

 思わずヒッ! と悲鳴を上げてしまったが、今は私一人なのだ。

 であれば確認も、何かが壊れたなら修繕も私が行わなければならない。

 グッと勇気を振り絞ってベッドから抜け出し、廊下に顔を出してみれば。

 やはり、暗い。

 当然だ、明かりを灯す者が居ないのだから。

 今更だけど、何の気なしに廊下に踏み出した際でもいつだって明るくて、少し声を上げれば近くの使用人が来てくれる環境は特別だったのだ。

 今では声を上げようが誰も居ないし、何か困った事があっても助けてくれる人は居ない。

 やはり私が対処しなければと気合いを入れ直し、先程音がした方向へと足を進めてみれば。


 「あぁ……これはまた、盛大に」


 この嵐によって、木の枝が飛んで来たらしく。

 廊下の窓が、盛大に割れていた。

 それはもう廊下の一部をビショビショに濡らすくらい、とんでもない被害を出している。

 えぇと、こういう場合はどうすれば良いのだろう?

 廊下の掃除と絨毯は完全に後回しとして、まずは窓。

 今でも轟々と雨水を吹き込んでいるこの場所を塞がなくては、何をした所で無駄だろう。

 とはいえ、割れた窓ってどう対処するのが正解なの?

 流石に私だって世間知らずという訳では無いので、今すぐに窓を修復できない事くらい分かる。

 とりあえず板か何かで塞いで、天候が落ち着いてから修理の依頼を……という所まで考えて。


 「そんな都合よく板なんかあるかしら……」


 あるとすれば庭師が使っている道具小屋だろうか?

 家の中ではコレと言って役に立ちそうな物は思い当らないし、やはりそういう道具があるのはソコくらいなのだが。

 道具小屋は庭先に建っているのだ、つまりこの豪雨の中を突き進まなければならない。


 「し、しかし行くしかありませんね。今は私一人なんですから」


 自分に言い聞かせる様にして、ギュッを両手の拳を握るのであった。


 ――――


 人間、焦ると失敗ばかりするもので。

 気合を入れて外に飛び出してみれば物凄い勢いの風と雨に襲われ、即扉を閉めた。

 コレが原因で窓が割れてしまったと言うのに、何故そのまま飛び出そうとしたのか。

 考え無しの自分にため息を溢してから外套を身に着け、今一度外に出てみれば今度は天候が悪すぎて暗くて見えない。

 と言う事で再度家に戻ってランタンを準備、やっとの思いで道具小屋まで辿り着いてみれば、今度は小屋の中で何かに躓いて転んでしまうという。

 建物内に入った時にランタンをすぐに置いて良かった。

 転んだ時も手に持っていたら、それこそ火事にしてしまう所だった。

 もはや泣きそうになりながら何とか木材を確保して屋敷に戻ってきたものの、道具が無い事に気が付いてもう一度小屋へ。


 「つ、疲れました……」


 何度も往復したせいで、外套を着ていても服はビショビショ。

 更には小屋の中で転んだ影響もあり、かなり汚れていると思う。

 まだ準備段階だと言うのにコレである。

 何も出来ない自分にため息を溢しつつ、窓が割れてしまった場所へと向かってみれば。


 「あぁぁ……もっと酷い事に」


 もう、大きな水たまりみたいになっている。

 絨毯なんか踏めば水が染み出して来る程だし、壁や飾られている絵などももはや見るも無残な状況に。

 コレは皆が帰って来た後、アルターにお説教を貰ってしまうヤツだ。

 というかその前に、旦那様にも謝らないと……。

 普段無駄遣いが少ないなんて言われたが、それどころじゃない損害を出してしまった。


 「と、とにかくこれ以上被害が広がらない内に……」


 慣れない道具を手に、窓に向かって板を押し付ける。

 が、風が強い影響で押し返され板を当てているのだって一苦労だ。

 ひーひー言いながら身体ごと板に押し付け、釘を金槌でガンガン叩いていれば。


 「痛っ!」


 やはり素人がこういう道具を使うのは危険だったのか、見事に指先を叩いてしまった。

 物凄く痛いし、思わず体を放して板も床に転がってしまうが。

 でもやらなくちゃ、今は私しか居ないのだから。

 グッと唇に力を入れて、もう一度板を窓に押し付けた。

 外から雨風は吹き込んで来るし、叩いてしまった指先は痛いし。

 雨水なのか涙なのか分からなくなる程顔面を濡らしながら、とにかく板を打ち付けた。

 一枚目の板がやっとの思いで壁に固定され、安堵の息を溢しながら二枚目を準備していれば。


 「え? あれ?」


 割れた窓の外に、いくつかのランタンの明かりが見えた。

 ユラユラと揺れ動きながら、段々と此方に近付いて来る。

 もしかして、誰か帰って来たのだろうか?

 だとしたらすぐに手を貸してもらって……なんて思って声を上げようとしたが。


 『最近詐欺や強盗の類も発生しているらしい、私の部屋に短剣があるから常に身に着けておきなさい』


 ふと、出かける前の旦那様の言葉を思い出した。

 私が皆に出した指示は、二日間のお休み。

 旦那様だって、こんなに早く帰って来る事は無いだろう。

 例え従者の皆が心配して帰って来てくれたのだとしても、この豪雨の中無理をしてまで出歩く事などあり得るだろうか?

 離れに数名は泊っているだろうが、此方の状況など把握出来ない筈。

 だとしたら緊急で戻る必要性など伝わる訳もなく……。


 「ご、強盗……?」


 そう考えた途端、ゾッと背筋が冷たくなった。

 だって今は私しか居ないのだ。

 外から見てソレが分かる訳はないと自分に言い聞かせようとしたが、アルターの言葉を思い出して更に背筋が冷えた。


 「ねぇアルター、廊下の明かりは夜の間落としてしまっても良いんじゃない? 寝ずの番をしている訳でも無いんですから、油が勿体ないのでは?」


 「数名はしていますよ? 寝ずの番。それに奥様、多少でも明かりを付けておく事は外から見た時の警告になるんです。我々はまだ起きていると表明する事で、空き巣にはまず狙われませんし。それに強盗の類もわざわざ騒ぎになりそうな家より、明かりの落ちた“寝静まっている”事が明らかな家を狙いますでしょう?」


 そう言っていたのだ。

 そして今、このお屋敷に明かりは灯っていない。

 もっと言うならこういう天候の悪い日の方が、そういう人達にとって都合が良いと聞いた事がある。

 多少騒いだところで周りには聞こえないし、何より周囲に人が居ない。

 もっと言うなら、私達のお屋敷は国の中心地とは離れた場所に建てられているのだ。

 旦那様が騎士として認められた時に、初めて頂いた土地だと言っていた。

 詰まる話、近隣に他の家は建っていない。


 「ま、不味い……」


 今目の前に見えている明かりは、ウチの人間ではない可能性の方が圧倒的に高いと言うことになる。

 結構な数だ、十数人は居る事だろう。

 そんな数の相手に一斉に襲われたら、私などでは成す術なく……。


 「た、短剣。そうだ、旦那様の部屋に短剣がっ!」


 手に持っていた道具を全て放り出し、慌てて旦那様の部屋へと駆けこんだ。

 ガクガクと震える身体をどうにか抑えながら、私が強盗だったのかと思う程室内を荒らして短剣を探し回った。

 服もビショビショだし、泥だらけなのだ。

 普通貴族の家でこんな真似をすれば、翌日には追い出されてしまうかも知れない。

 離婚だなんて言われれば実家に帰る他なく、帰った所で私に居場所なんて無いだろう。

 二十代になり、コレと言って特技も無い様な私に次の貰い手などある訳がない。

 それどころか、騎士団長様のお家から追い出されたとなれば恥晒しも良い所だ。

 でも、それでも。

 目の前に迫った命の危機の方が、何倍も怖かったのだ。


 「どこ、どこにあるの!?」


 旦那様の私物をひっくり返しながら、お目当ての短剣を探し出した頃には建物内からガタガタと物音が響いて来る程。

 もう既に家の中に侵入されてしまっているみたいだ。

 そう言えば、庭から帰って来た時に玄関の鍵を閉めた記憶がない。

 例えしっかりと施錠してあっても、すぐ近くの窓が割れているのだ。

 侵入は大いに楽だった事だろう。

 未だ収まらぬ震えをどうにか押さえ付けながら、慣れない剣の柄を握りって入り口へと視線を向けていれば。

 すぐ目の前の廊下からドタバタと足音が聞えて来る。


 「こ、来ないで……」


 未だ鞘から刃を抜く事すら出来ぬまま、部屋の隅に蹲って。

 情けなく震えて、夫の短剣を胸に抱いた状態で扉を見つめる事しか出来なかった。

 それでもやはり、何か行動を起こそうとは思えず。


 「お願いですから……私に気付かないで……」


 恐怖なのか、先程雨に濡れた影響なのか。

 室内だと言うのに妙に冷たい息を吐き出し、ガチガチと歯を鳴らしながら扉を見つめていると。

 無情にも、ガチャッと部屋のドアノブが動いた。

 あぁ駄目だ、もう終わりだ。

 そんな思いと共に、全てを諦めて瞼を降ろそうとした瞬間。


 「奥様! こちらですか!?」


 室内に飛び込んで来たアルターが、悲鳴の様な声を上げるのであった。


 「アルター……良かった、強盗の類じゃなかったのね……」


 「奥様! 大丈夫ですか!? お怪我は!? 皆こちらです! 奥様を見つけましたよ! 大至急救護班を此方に寄越しなさい! 早く!」


 力強いその声に、思わず全身の力を抜いてしまうのであった。


 ――――


 「結局、私には何も出来ませんでした」


 「何を仰いますか。普通のご令嬢であれば、使用人が居なければ数時間として満足に生活出来ないでしょう。しかし奥様は自分で屋敷の修理まで行おうとした。とても立派な事です、でも今度からは私達に任せて下さいね? 適材適所、私達は奥様と旦那様の私生活を支え、窓の修理は大工の息子の庭師が専門です。私達だって、庭から枝が飛んで来て窓が割れたらびっくりしますよ」


 結局家に向かって来ていたのはアルター達だったようで、全て私の勘違いという事態に終わってしまった。

 転んだり指先を金槌で打ち付けたり、窓を塞ぐのに邪魔だからと硝子の破片を退かした際に切ってしまった掌等など。

 現状お風呂場に連れて来られ、周囲には数名の使用人達が居る。

 治療を受けた私は裸に引ん剝かれ、お風呂に入れられている最中という。


 「良く頑張りましたね、奥様。実は監視を交代で付けて、皆待機していたのです。何か困った事があればすぐ駆け付けられる様に」


 「あはは……それじゃぁ、やっぱり皆のお仕事を増やしただけですね。すみませんでした」


 体を洗われながら項垂れてみれば、アルターは溜息を溢しながら私の顔を上げた。

 更には目の前に座り込み。


 「今回私達が突入したのは、庭先で怪しげに動くランタンを確認したからです。奥様だとは知らずに、突撃してしまいました。まさか奥様が窓の修理をしようとしているなんて思いませんから。そしてその件に関して、奥様は何も悪くありません。これだけの嵐なのです、そんな事だって起こります。でもそれを、奥様は自分で解決しようとした。違いますか?」


 「よく……分かりません。私しか居ないのだから、どうにかしなきゃって必死で。でも結局、皆みたいにテキパキ動けなくて、それで……何度も何度も自分が嫌になって……」


 喋っている内に、涙が滲んだ。

 愚行、愚策。

 そんな言葉ばかりが頭に浮かぶほど、滑稽だっただろう。

 これじゃまるで子供の様だ、何も出来なくて全て周りに頼っている様な。

 そんな自分が情けなくて、そんな自分が我儘を言ったのが恥ずかしくて。

 思わず、目に涙を浮かべてみれば。


 「良いんですよ、奥様。“貴族令嬢と言えばそんなもの”、そう言ってしまえば簡単ですが、奥様は努力していらっしゃいます。知らない事に貪欲で、我々にさえ友人の様に話しかけてくれる。尊称してくれる、優遇してくれる。それだけで、他とは違うのです。奥様を悪く言う使用人は居ません。何故だか分かりますか?」


 「わかっ、りません……だって私は、何も出来なくて。我儘ばかり言うのに、結果こんな事態になってしまって……旦那様にも、皆にも。なんて謝れば良いのか分からないんです……」


 もはや我慢の限界を突破し、その場で泣き出してしまった。

 泣くな、馬鹿。

 私は失敗して、周りに迷惑を掛けているんだから。

 泣いた所で、誰の助けにもならない。

 そう思うからこそ、涙を拭おうとしてみれば。


 「奥様、手は動かさない様に。硝子の欠片でも残っていないか、調べている所なので」


 「す、すみません奥様! 少しジッとしていて下さい、包帯がズレてしまいます。御風呂上りには、また替えましょう。とっても頑張ったんですね」


 両サイドのメイドから、そんな声を頂いてしまった。

 慌てて謝罪の言葉を呟いてから、両腕を彼女たちに預ける形で固定してみれば。


 「まぁ、こう言う事です。皆揃って、貴女様の心配をするくらい好かれていると言うことです。最近我儘を覚えられた様で、それからは皆乗り気も乗り気――」


 「あはは……良かった。一応私は、皆と親しくなれていたんですね……」


 今更、とは自分でも思うが。

 緊張の糸が切れたのかフッと意識が遠くなった。

 あぁ、本当に駄目だな。

 結局皆の手を煩わせるばかりか、大いに心配させてしまったというのに。

 “悪役令嬢”までの道のりは、とんでもなく高く険しい。


 「救護班! 今すぐ来なさい! 奥様ちょっと失礼しますね……いやいやいや、コレはちょっと。嵐だろうと関係ない! 医者の元へ人をやって! 馬車でも何でも使って、医者を連れて来なさい! 凄い熱よ!」


 アルターの険しい声を聴きながら、ゆっくりと意識を手放すのであった。

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