第2話 我儘、難しい
「予定通りに行くぞ、ヴィーナ」
「分かっております、旦那様」
朝食の時間、小声で会話してからそれぞれの席に着いて頷き合った。
私達にはまだ子供が居ない。
更に言うなら夫があまり帰って来ない仕事に就いている事もあり、私一人の時はテラスで食べたりする事も多い。
だがしかし、今は夫が帰って来て居るのだ。
我が家の大きな食堂へと導かれ、お互い遠い席に腰を下ろす訳だが。
「お待たせいたしました、本日は――」
「おい、コレはどう言う事だ?」
使用人が料理を並べ始めた頃、旦那様は鋭い声を上げた。
よし、ここまでは予定通り。
私達は我儘になると決めたのだ。
夫は腹黒騎士に、私は悪役令嬢に。
物語の中では、彼等彼女等は使用人にさえ冷たい態度を取っていたのだ。
だからこそ、まずは身近な所で練習。
あまり最初から派手にやり過ぎて、仕事に影響が出ると不味いと言うことで、少しずつ動き始めた訳だが。
「その、アレだ! えぇと、アレだな。遠い、凄く遠い! 俺はもっとヴィーナの近くで食べたい……ぞ? だからその、アレだ。二人しかいないのに大食堂へ通すのは、な? 不手際だ、と思う。分かるだろ?」
ウチの旦那様、嘘つくのが下手くそ過ぎる!
もはや顔真っ赤にしてモゴモゴ喋っておられる!
下らない事で使用人を叱る悪役を演じたかった筈なのに、思春期の少年みたいになっておられる!
「そ、そうですね! せっかく我が夫が帰って来ているのに、これではあまりにも……その、アレですから! こういうのは言わなくても分かって頂かなくては……アレですわよね!」
そして私も大概でした、と。
二人して理不尽な文句を言い放った結果、周囲に控えている使用人たちはクスクスと笑い始め。
「では、如何致しましょう?」
メイド長である“アルター”が、無表情のまま此方に問いかけて来た。
アルターは結構高齢なんだが、とにかく仕事が完璧。
ここで下手な事を言えばボロが出る上に、周囲にも私達の策略がバレてしまうかも……。
「あ、アレだ! 俺は戦場から帰って来たばかりだ! だからもっと肉が喰いたい!」
「そ、そうですよね! 殿方と言えば、やはりお肉を食べて力を付けて頂かないと!」
「私はお席のお話をしております」
「「あ、はい」」
二人揃って、ピシャリと怒られてしまった。
まさかこんなにも切れ味の鋭い返しが来るとは思っていなかったので、お互いに目を合わせてしまった。
『どうする?』
『どうしましょう?』
言葉にしなくとも伝わってくる相手の声と会話しながら、キョロキョロと周囲を見渡していれば。
「では、本日の朝食はテラスで食べる事に致しましょう。花壇の花も綺麗に咲き誇っていますので、些かテーブルは小さいですが旦那様のご要望にはお答えできるかと」
アルターがパンパンっと手を叩くと、周囲に居た使用人達が料理をすぐ近くのテラスへと運び始める。
こ、これは何とかなった感じなのだろうか?
「ほら、お二人も。テラス席へ移動してくださいませ」
「え、えぇと……ふ、ふん! この俺にわざわざ動けと言うのか!」
旦那様、言っている事は滅茶苦茶だが凄く頑張っておられる。
理不尽かつ細かい所でも我儘を言って周囲を困らせるのも、悪役には必要な要素だと私も思ったのだが……。
残念な事に、アルターが物凄く冷静に旦那様をジトッと見つめていた為、大人しく席を立ちあがってしまった。
「そのままお座り頂ければ、席ごとお運びいたしますよ?」
「いや、すまん。平気だ、歩く」
腹黒騎士、撃沈。
ということで私もそそくさと立ち上がり、二人揃ってテラスへと移動してみれば。
「あ、見て下さい。このカモミール、私が育てているんですよ? これでお茶を作ると、安眠効果もあるみたいです。戦場から帰って来ると、やはりうなされていると聞きましたので」
「おぉ、そういうのも勉強しているのか。ヴィーナは凄いな、だがあまり心配するなよ? 私は大丈夫だ」
二人揃って、緩い会話を繰り広げてしまった。
普段だったら、食事の間の会話に。
お茶の席での多少の話題にでも、程度に考えていたのだが。
今日だけは、ポロッとそんな会話が出来てしまった。
やはり先日、何も気を遣わずに語り合った影響なのだろうか?
「やはり大変ですか? お怪我などは……」
「あぁいや、あまりその心配はするな。最近の争いなど牽制か形式に過ぎない、俺みたいなのは特にお飾りだ。あまり格好はつかないがな?」
「アハハ、でも少しだけ安心しました。良くない発言かもしれないですけど、危なくない事は良い事です。これでまた、次の休みにも本が読めますね」
「確かに、俺の給料であれば本を買うくらいなんでも無いからな。ヴィーナ、補充は怠るなよ?」
「お許しいただけるのなら、それはもう」
などと会話をしている内に、朝食の準備が整ったらしく。
アルターを始めとする使用人の皆様に呼ばれてしまった。
もう少し彼が居ない間の事も話したかったけど、まぁこればかりは仕方がない。
そんな事を思いながら案内された席に腰を下ろしてみると。
「ち、近く無いか? コレは流石に、近くないか?」
「お二人は既に結婚されております、夫婦ですから。なので隣同士でも問題ないでしょう」
夫の反論は、アルターによって却下されてしまった。
そう、今私達は真隣に並んでいるのだ。
花を見ながら、食事が出来る飲食店かという程に。
夫と肌を合わせた事もあった。
しかしながら、その当時は両者とも“演じていた”のだ。
だからこそお互いに秘密を曝け出し、本性を知った後だと……妙に恥ずかしい。
「あ、あの……ですね」
「お二人は夫婦です」
「あ、はい……」
そう言われてしまえば返す言葉も無く、黙ったままシルバーを手に取った。
が、事態はそれだけに留まらず。
「そして此方が、旦那様ご所望の……“お肉”です」
ズドンと、目の前に大きな肉塊が出て来た。
いや、え?
流石に多くないですか? まだ朝食ですよ?
「ア、アルター。流石に朝からこの量はどうかと思うのだが……」
「ご所望の、お肉です」
「……そうか、ありがとう。頂くよ」
旦那様もそれ以上反抗できず、大人しく目の前の肉塊を斬り分け口に運び始めてしまうのであった。
お、重いぞぉ今日の朝食は。
という訳で、私も肉塊をちょびちょび削りながら口に運んでいれば。
「あ、あまり無理をするな? 今日は俺も休みだ、二人で出かけよう……そうすれば昼飯は軽い物で済む。そこで作戦会議だ」
「はい、そうしましょう……」
二人して、少々重い朝食を減らしていくのであった。
せっかく作って貰ったのだから、残したら勿体ないし。
やはりこの歳まで言われた事だけをこなして来た影響なのか……我儘って、思っていたよりも凄く難しい。
――――
「ア、アルターさん……良くアレを我慢出来ましたね……俺ニヤニヤしちゃいましたよ」
若いメイドや執事からそんなお言葉を頂いてしまったが、全員の頭を引っ叩いた。
「お前達は何も分かっていない……分かっていない! あの二人には“何か”があった。そして旦那様は無理して我儘を言っている上、奥様もソレに合わせて悪ぶって見せようとしている。コレは絶対“禁書”の影響でしょう、間違いなく二人揃って遅めの反抗期。しかも協力しながら反抗期とか、必死過ぎてニヤニヤしてしまうのも分かります。でも押さえなさい、知らないフリをしなさい。お二人は大人です、不味い事があればすぐさまいつも通りに戻ってしまう事でしょう。無論私達が微笑ましい何て感想を抱いていると知っても、すぐさま元通りになってしまうと思われます」
「そ、そんな! 嫌ですメイド長! 私もっと奥様の可愛い姿が見ていたいです! さっきの見ました!? 物凄く無理しながら強い言葉を放つのに、こっちが動き始めると反省してる小動物みたいにシュ~ンってするんですよ!? アレ絶対心の中で謝ってますよ!」
「ソレをもっと見たいなら、全員心を鬼にしなさい! 我々は、心を鬼にしてでもお二人の我儘を聞き出す! ソレが出来なかったからこそ、今までお二人は仮面を被っておられたのですからね! お二人の反抗期に全力で答えますよ!」
指示を出してみれば、皆揃って敬礼を返して来るでは無いか。
これは、非常に面白い事になって来た。
感情を表に出さない奥様と、帰って来る度にアプローチ出来ない旦那様。
そのお二人が、いよいよ動き出したのだから。
人の恋愛程、面白い事は無い。
既に夫婦だと言うのに、隣に並んだだけであれだけ甘酸っぱい雰囲気を出すお二人だ。
だったら、もうこの先は。
「監視しますよ。全ての光景を目に焼き付け、本にする勢いで! お二人の間で何かしらの“距離が詰まる”事柄があったのは確か! しかしそれは本来の男女のソレではない! あの二人なら絶対それは無いと断言します! だからこそ、もっともっと二人をくっ付けますよ皆さん!」
「「「うおぉぉぉ!」」」
ウチの従者達は、結構仲が良いのだ。
――――
「こうして二人で出かけるのは……いつ以来だろうか?」
「まだ私が学生の頃だったかと思います……何というか、懐かしいですね」
二人のみで徒歩で出かけた結果、えらい事になっていた。
乗合馬車にお邪魔して、降りる際に夫に手を貸して貰ってからというもの。
何となく、手を離せずにいた。
つまり、年甲斐にもなく手を繋いだまま街中を歩いているのだ。
私が二十と少しで、夫はそろそろ三十に届くというくらい。
だというのに。
「あ、あぁ~えっと。腹は……減ってないよな?」
「え、えぇ……朝沢山食べましたから」
手汗が、凄い。
いやいや、手を繋ぐってこんなに恥ずかしかっただろうか?
私達は夫婦だし、これくらい当たり前に出来ないとおかしい筈なのだが。
何だか、妙に胸が高鳴っているのだ。
とてもじゃないが相手の顔なんか見られないし、胸の奥が煩くて相手の言葉を聞き逃してしまいそうな程。
おかしい、これはおかしい。
だってもう結婚何年目?
相手が家に帰って来る時は完璧な対応と思われる動きをして、静かに自室に戻る。
そんな事を繰り返して来たと言うのに。
今では、ゴツゴツとした彼の手が私の掌を掴んでいる熱を感じるだけで、心臓が早鐘を打っていた。
なんだろう、この感じは。
恋とか愛とかとも違っていて、もっともっと手前というか。
あぁそうか、私は今……ただ恥ずかしいんだ。
男性に手を握って貰っているというこの環境が、ただただ恥ずかしい。
今までのヴィヴィアナ・レーヴェンハルトであれば、この程度シレッとやり過ごしただろう。
でもそれは演じていたから、自分ではない何かに成り切っていたから。
しかし今は。
「ヴィーナ、大丈夫か? 少し飲み物でも買っていくか?」
ウチの夫が、今まで以上に近い距離に感じる。
まるで初めて殿方の手に触れた時の様に緊張しているし、彼の言葉に胸が高鳴った。
これまでに無い経験をしているのだ、興奮しても仕方ない。
そうは思うのだが。
「旦那様は、実は表情豊かなのですね?」
「今までは結構無理していたんだ……言わないでくれ。本来の俺なんて、こんなものだよ」
なんて事を言いながら、恥ずかしそうに手で顔を隠してしまった。
むしろそっちの方が馴染みやすい上に、ものっ凄く初々しいです。
私も似た様に状態なのだろうが、緊張しているのが自身だけはないと気が付けば気も楽になるもので。
失礼を承知で、珍しい反応の彼の顔をジロジロと見上げていれば。
「ヴィーナ、どうやらお遊びはココまでの様だ」
夫が、非常に険しい顔を浮かべながら裏路地を睨んだ。
その先に見えるのは、私がいつもお世話になっている本屋。
本日は夫も一緒なので、堂々と足を踏みこめる。
そう、メイド達に頼らなくても良いのだ。
「決戦の時ですわ。私達が、より“悪役”になる為に必要な情報。それが……この先に」
「あぁ、俺から離れるなよ?」
やけに頼もしい旦那様に連れられ、私達は“裏”とも呼べる本屋を睨んだ。
本日のお出掛け、久しぶりに帰って来た夫との二人の時間。
ソレをどう使うか、迷うことなく答えが出た。
私達は本屋へ行く。
いくら高かろうが、いくら危険であろうが。
私達は“禁書”が読みたい。
だからこそ、二人で踏み込む決意を固めたのだ。
これもまた、お互いに高みを目指す為に。
私は“悪役令嬢”を目指し、夫は“腹黒貴族”を目指す。
この気高く遠い道のりを攻略する為に、本日我々は危険地帯に足を踏み入れたのだ。
ここで手に入れられる違法書物を糧に、私達夫婦はもっと“悪”になれる。
朝にはちょっと失敗してしまったが、使用人達からはきっと不満を買った筈だ。
こんな我儘な主人達の下では働けないと、明日にでも言って来る者が居るかもしれない。
出来ればそこまでの事態になって欲しくは無いが、もしもと言う事もある。
だからこそ雇用解除した後の就職先も用意したし、退職金も用意した。
何時でも来い、ドンとこい。
本当に退職願を出されてしまったら、必死で説得してしまいそうな気はするが。
それでも私達は今、これまで我慢して来た“我儘”を体験しようとしているのだから。
「良いのですか? ここから先は無法地帯。騎士団長が進む道とは外れてしまいます。もう、戻れないかもしれませんよ?」
「何を言っている、俺も男だ。妻が欲する何かがあるなら、俺が用意してやれなくてどうする。そして何より……俺もソレを、望んでいる」
「では、共に」
「あぁ、そうだな。ヴィーナを妻に貰って、本当に良かった。では、ゆくぞ!」
二人揃って頷き合い、記念すべき一歩を同時に踏み出した。
「「いざっ!」」
その言葉と共に、私達は路地裏の古本屋へと入店するのであった。
そして、入店直後に二人してビタッと足を止めてしまった。
あぁぁもう、何だ? そこら中に気になるタイトルがいっぱいあるんですけど?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます