第30話 有熱器破損

 大男は強かった。わかり切っていたが、今までの人生で比べようのないほどに強い。一対一なのに黒服三人より遥かに脅威だ。

 だが、所詮は鍛えただけの常人。どれだけ深くても皮膚から数センチも抉られれば、簡単に致命傷になり得る。当然私は殺すような傷は負わせないが、急所じゃなくたって関節や腱は壊せるものだ。尤も、致命傷を負わせる方が簡単に感じるが。


「ハァ、ハァ……ぅ、私の勝ちだ」

「みごと」


 大男は全身滅多切りの上、四肢では左腕以外の腱を切断されている。右腕には私のナイフが一本、深々と突き立っていた。血を流しすぎないように右肩近くを押さえて止血し、大男は何の感情も見せずに寝転がっている。

 私もただでは勝てなかった。骨には異常ないようだが、打撲が酷い。特に何度も拳を受けた左腕は、服を引き裂き確認すれば紫色に変色していた。雑に切り取った布でぐるぐる圧迫すると、あまりの痛みに皮膚が剥がれているのかと錯覚するほどである。


「どうした、私は弱っているぞ。見逃していいのか?」


 応急処置を終えるまでヤクザ達は、何故か襲いかかってこなかった。

 畏怖、憐憫、覚悟……敬意。そんな感情が、見渡した瞳に見えた気がする。

 そんな人間らしい反応に、反吐が出る。特に、私みたいなのに共感して敬意を持つなんて侮蔑さえ覚えた。


「……おまえはどうして」

「そんなもん聞いてどうする。私達に必要ないだろうが」


 ヤクザの言葉を、私はザンッと叩き切った。

 こうやって相手に寄り添おうとするのも、軽蔑の対象だ。

 私達が今どういう状況だと思っているんだ。自分達の大切な者の為に、相手の望みを踏み躙る。エゴだらけの自己主張大会、ここにいる人間にはそれで十分だろ。

 敬意を持っても、それを見せる必要も義務も存在しない。

 なあ、だから私は、お前らを突き放すことしかできないんだ。


「私は界理が大切だ。お前らはぼん様ってのが大切なんだろ。必要のない情を抱くな、無駄な憐憫は捨てろ、大切な言葉を浪費するな」


 それは私に向けるべきものじゃないだろう。大切なやつに向けるべきだろうが。

 こんな関係になって、わかり合うなんて不可能なんだぞ。


「最後に立っていたやつの勝ちだ。守りたいなら、殺しにこいよ」

「…………じゃあなんで殺さないんだ」


 吐息のように小さい呟きは、私の耳にしっかり届いた。

 

(殺さないのも傷つけるのも、私が狂った化け物だから。何でそれで納得しないんだよ)


 納得しろよ。お前らは私とは違うだろ。

 “熱”を得て初めて、『共感』を覚えた。

 相手の思考さえ敵だった、今でさえそれは変わらない。でも、今は少しお前らの気持ちが理解できる。

 誰かの為という免罪符を振るってまで誰かを救おうとする、自分以外に向ける親愛が痛いほど身に刻まれるんだ。

 それでもやっぱり、私は人間じゃいられない。生命の“熱”とぶつかり合う、自己以外を否定する“寒さ”という異常。

 界理といると人間になれた気がしたけど、やっぱり違う。ムゲンの言う通り、私はとっくの昔から壊れ果てている。間違っても人と交わるなんて考えてはいけないくらい、私は誰も彼も殺しかねない冷えた刃だ。

 人間が、化け物に共感するんじゃない。


「…………全員構えろ。一斉にかかれ。暴れるようなら殺しても……」

「ふざけるな。界理を傷つけるお前ら相手に、大人しくするわけないだろ」

「……お前、ヤクザ向きだよ。ハァ……っぶっ殺せッ!!!」


 鼓舞するように、振り払うように、ヤクザ達が雄叫びを上げる。

 私はにいっと笑って、左右の手にナイフを収める。


(ヤクザ向きってお前、褒めてんのかよ)


 褒めてるだろうさ。だからこんなに嬉しいんだ。

 人間扱いしてくれたことに、心の中で感謝を零す。


(界理は、見えない……。まあ、とりあえず全員叩きのめすか)


 ぐつぐつと、ジュワジュワと、私の身体を“熱”が突き動かす。

 私の“熱”に負けない激情を、周りを囲む奴らから感じ取れる。

 “熱”が建物内に流れを作り、私の肌を撫でていく。とても心地よく、気を抜けば全身の力が抜けてしまいそうだ。

 めぐめぐめぐる。

 “寒さ”のように冷たく刺々しいものではない。

 想い、決意、覚悟、悲しみ、他者愛とエゴ……人が人として持つべき生命の“熱”そのもの。

 なんて綺麗なんだ、なんて輝いているんだ、なんて美しいんだ。

 最後の最後に、いいものが知れたよ。


もう一度界理に触れたいなぁ界理の未来の為に死んでみるか


 そこからはもう、取り繕うこともできない我が儘の癇癪エゴの押し付けだ。

 私は殴り、蹴り、腱を断って、関節を外す。殺さなければ何でもやった。相手の今後の生活を脅かす傷でさえ、躊躇いなく与えた。

 ヤクザも遠慮なく私を殺そうとする。殴られ、蹴られ、叩かれ、切られ、私の白い肌は染められていった。

 時間が経てば、もう自分が何をしているのかもわからなくなってくる。頭は白に侵食され、全身が上手く答えてくれない。頭が心臓になったみたいに脈動し、身体の末端と内臓の感覚が薄れていった。

 だけど、私は身体を動かす。“熱”をニトロとして心身に叩き込み、“私”という存在をぶん回す。

 叫んだかもしれない、頭を打たれ倒れたかもしれない。

 私は立ち向かう。“熱”に浮かされた狂人として、狂うままに傷つけ続ける。

 だって、はっきりしない感覚の中でもわかる。目の前にいるこいつらも、“熱”を以て私に応えてくれているんだ。私という破綻者に、真正面から向き合ってくれている。そんなやつ、界理以外にいなかっただろうが。


(界理……! 逃げたな……! 逃げてなかったら泣いてやるぞ!)


 確認する余裕なんてずっとない。

 大男にこめかみを殴られたときから、視界はずっとぼやけている。唯一、曖昧な顔とはっきりした瞳だけが見えた。

 肌は出血と炎症で、外界の知覚を上手く行えていない。ただ、“熱”と“寒さ”だけは染み込んでくる。

 他の感覚も大体似たようなものだ。

 私が動けているのは、“寒さ”が周囲の状況を詳細に教えてくれるから。視覚と聴覚と嗅覚と触覚と未知の感覚が混ざったような、合理的な情報処理が私を生かしている。

 それでさえ、界理の存在は詳細にわからなかった。

 私にできるのは敵を全員無力化するか、自分が死ぬかの二択しかない。

 だから湧き上がる“熱”のままに猛り、“寒さ”示すままに身体を振るう。

 全身が痛い、灼熱感と倦怠感で死にそうだ。ああだけど、私は倒れない。界理の為であり、私の為でもある。

 極限の中で、私は『私の本質』を掴んだ。

 ずっとずっと、寒さが恐ろしかった。死ぬことに何よりも恐怖した。

 でも本当は、私が本当に恐れていたのは……死の気配さむさではなかったんだ。


(私が恐れていたのは、何も成せず何も残せず、冬の“寒さ”の如き無力感の中で死ぬことだったんだ。自分がひとりぼっちで、何の痕跡も残せないのは、寂しい……)


 だから私は、今なら死ねる。

 生まれて初めて『ここで死んでも良い』と思った。界理さえ生きていてくれたならば、私の生き様にも意味があったのだから。

 私の全ては、界理が覚えていてくれるから。


(だから界理……生きて、幸せになってくれ……)


 それだけを胸に掴んで、殴り飛ばして、蹴り壊して、切り捨てて、傷つけて傷つけて傷つけて————突如、私の体は崩れ落ちた。


「ぁ……っ……ふぅ……」

 

 呼吸が上手くいかない。ナイフは折れ、心の“熱”とは反対に体は冷えていく。大っ嫌いな“寒さ”が地面へと体を縫い付ける。

 もう、目を開けていることすら限りなく苦しい。

 周囲からは混ざり切ったうめき声。何人分かはわからないが、私が殺されないところを見るに全員か?

 私は……生き残ったのだろうか。


(まあ……どうせ……死ぬけど……)


 動けない。ここから動ける自分がいない。

 “熱”はあっても、が壊れている。


(もう……寝る————)


 コツン、足音がやけにはっきり聞こえた。

 それは建物内を迷いなく進み、私へと近づいてくる。

 見えない視界に人影が浮かび上がり、徐々に大きく……


「お前……」


 人影の口元に笑みが浮かんだのを、私は知覚する。

 だから、私はその人影に声を掛けた。


……」


 にやり、人影の笑みが裂けた。

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