第23話 酒店寒密談

「あっははは! それで遥が女性服持ってきたのぉ? おっもしろーい!」


 さくらんぼのように赤らんだ顔を楽しげに歪め、アリアがお腹を抱えて笑っている。

 お淑やか、優しげという言葉が似合う女性はもういない。そこにいるのはただひたすらにめんどくさい、感情のままに動く平静とは程遠い状態の人間。

 つまりは、酔っ払いだ。


「おい、ウザ絡みするな。界理に悪い影響が出たらどうする」


 私の言葉に、アリアは様相を一変させた。

 肘をつき、頭を支える。口元にゆるりと浮かぶのは、小さな唇が弧を描いた妖艶な笑み。細めた目には、見た者の意識を惹きつける怪しさがあった。あらりと流れる髪の一本さえも、魔力が宿っているかのようだ。モノクルに反射した光など、どこか背筋を伸ばさせるものがある。

 愉快な酔っ払いなどいない。

 気高き貴族と、心を見せぬ遊女。

 ミステリアスな妖艶さが、アリアを取り巻いていた。


「なぁに? 嫉妬かしらぁ。私は界理くんを腕の中に捕まえたりしないから、遥が心配することはないと思うけどぉ? ふふふっ」

「急に性格を変えるな。どうなってんだよお前の頭ん中」


 私の言ったことの何が楽しかったのか、アリアはころころと笑いだした。

 めんどくさいし怖い。酔っ払いってここまでアレな存在だったのか。

 おい待て、ビンを離せ。それ以上飲むんじゃない。


「まだ大丈夫よぉ。これくらいへっちゃらだもんねー?」


 抗議を込めた私の視線も、アリアに何の影響も及ぼせなかった。

 最後の方はいつの間にか随分離れた場所に丸まるトレミーに言っていたが、トレミーはアリアに視線さえ向けなかった。慣れてやがるし、トレミーも苦労してんだな。

 ワインボトルを傾けるアリアに、ちょっと遠慮気味の声が掛かる。


「あ、アリアさん。これ以上飲むのはダメだと思います」


 ピタリと動きを止めた酔っ払いの目に、瞬時に理性の光が灯った。


「んん〜……まあ、界理くんの言う通りかしらね。ちょっと羽目を外し過ぎちゃったし、今日はこのあたりでやめておきましょうか。ふふ、ありがとうね」


 なんだこいつ。

 界理にだけウィンクするな。胸のあたりになんかわだかまって、私がイライラしてしまう。

 私はちょっと癪だったので、界理を抱き寄せる。


「……!? は、はるか……!」

「界理は私と一緒にいるんだよ。界理の気持ちも考えずに色目なんか使うな」


 腕の中で界理がモニョモニョする気配がある。ちょっと強く抱き過ぎたか。

 アリアを鋭く睨めば、何故か微笑ましそうな表情でこちらを見ている。


「そこで『私の界理』って言えるように、精進することね」

「誰目線だよお前」

「界理くんも手を抜いちゃダメよ。こういう自覚なしタイプは、待ってたら永遠に動かないわ」

「はい! アリア師匠!」


 なんだお前ら。

 私一人置いてきぼりにされているようで、なんかモヤモヤする。

 

「ねえ、遥」


 僅かに低く、普通の人間ならば気にしない程度ゆっくりな、アリアの言葉。

 ただそれだけの声が、私の中の温度を少しだけ変えた。

 返事をせずに視線だけを向ければ、アリアが含みを持たせた笑みを浮かべていた。


「何か食べない?」


 もう十分食べた。そんなことはアリアもわかっているだろう。

 だからこれは、別のメッセージを隠す為のもの。

 僅かに傾げた首と、ちらりと一瞬だけ界理に向けた視線。

 ああ、なるほど……。


了解ローガーの刺身」


 ローガーなんて魚、私は知らない。

 適当な暗号と、一センチほどの頷き。どうせ形だけの会話だ。意味が伝わればどうだっていい。


「ええ、わかったわ」


 アリアの雰囲気が元に戻る。だがそれもどうせ、界理のいる間だけ。

 私はつまらなそうな顔をしていることだろう。


「そういえば界理くん」

「はい?」


 アリアがにっこりと笑う。


「遥との裸の付き合い、どこまで進んだのかしら?」

「はっ!?!?」


 こいつぶっ込みやがった。


「何言ってるのっ!? 遥もいるのにっ!?」

「あらあら、遥なんていないわよ?」

「え!?」


 界理がバッと私に振り向く。

 適当に答えとくか。


「いないぞー」

「ええっ!?」


 呆然とする界理に、アリアが顔を近づける。


「ほらほら、遥はいないのよ。どこまで行ったの? もしかして……押し倒しちゃったり?」

「え、あ、う……」


 界理が顔を真っ赤にする。

 もじもじとスカートをいじる姿が、その、可愛い。


「へえ〜、押し倒したのね? どうだったかしら。遥の肌、遥の熱、遥の匂い」

「あ、あうぅ〜……」


 頭からぷすぷすと煙が上がりそうな、熱と赤みが凝縮された界理の顔。

 界理もやられっぱなしではない。上目遣いでアリアを睨んでいる。

 だが、今回はそれが仇となった。

 アリアはずいッと身を乗り出し……


「そのとき、貴方何をしたいって思ったのかしら」

「うにゅ〜〜〜……!」

「ほらほら〜、言っちゃえ〜」


 うざいな。わざとだとわかっていてもうざいな。


「ほーら……遥に、何をしたかったの?」

「うにゅにゅっ……! うにゃ〜〜〜〜〜ッ!!」


 界理がガバッと立ち上がり、ピューンと走っていく。


「お手洗い行ってきまーーーすッ!!!!」


 界理の去っていった方向に手を振ったアリアは、「さて」と私に向き直る。


「はい、うさぎの唐揚げ」

「わざわざありがとう……で、なんだ」


 鋭く睨んでも、アリアは怯まない。


「貴方、界理くんを守れると思う?」

「守る」


 何を当たり前のことを聞いているんだ。


「そうよね。うん、なら教えておこうかしら」


 うんうん頷くアリアいた、じっと私を見つめる。


「少し前から、浪川市に拳銃の持ち込みが制限されたわ」

「法治国家なら当たり前だろ」

「警察の弾丸すら制限されたのよ」


 なんでこいつがそんな情報を持っているのかは、私は聞かない。どうせ話さない。


「それがどうした」

「界理くんを守るなら、やりやすくなったってことよ。火器の類は使えない。刃物鈍器が主な武器となる。貴方のがあれば、圧倒することも不可能ではなくなるわ」


 唐揚げをつまんで、口に運ぶ。油の少ない、パサパサとした肉だ。


「そんなことが言いたかったのか?」

「時間がないから言うけど、界理くんを狙っているのはヤクザでもマフィアでもないわ。狙ってても本命じゃない」

「じゃあ、何が狙ってんだ」


 お互いに顔を近づけ、囁き合うように声を交わす。


「もっと大きなもの。世界を動かすぐらい、深いもの。……そもそも、狙いは界理くんじゃないかもしれないわ」

「そいつはクソッタレだな。ああでも、私は守るぞ。金ならある」

「お金で解決できるかしら?」

「できなきゃ、世界を殺す」

「ふふっ、いいわねそれ」

「巻き込んでやるからな」


 アリアが顔を離し、曖昧な笑みを浮かべる。


「応援させてもらうわ。私これでも、戦争に関わったこともあるの」

「……お前も所詮は——」


 私の声を遮るように、アリアがパンっと手を鳴らした。

 そこで気が付く。壁から、温かな気配を感じる。


「お帰りなさい界理くん」

「早かったな。何してたんだ?」


 界理はうぅ〜と唸って、下を向いたまま席に戻った。


「よーし! 宴を再開しましょうか!」


 アリアが宣言する。

 お前はまず、界理に謝れ。


「さあさあ、お話を再開しましょう?」


 私は視界の端に収めていた。

 アリアが、意味ありげに流し目を使ってきたことを。


「……才……不滅……証明……」


 モノクルの奥の光と、小さな囁きは、私の認識に完全に入ってこなかった。

 それにしても……


(……クソ寒いな。いきなり過ぎんだろ)


 こうも急激に寒さを感じるのは、一人に対しては初めてだ。 

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