第20話 羂慾擁希望
「え……?」
私の言葉に、界理が驚きで目を見開いている。その表情はまさに呆然。手に持った洗濯物を床に落としたことからも、界理の驚愕度合いがわかろうというもの。洗濯物は畳み直しだな。
「だから、そろそろ外に出てみないかって言ったんだよ」
最近定位置になりつつあるソファから、私は繰り返す。
「え? だって、そんな……」
界理はまだ飲み込めていないようで、立ち止まって目をぐるぐるさせていた。
なんだその顔。面白いな。
「お前がここに来て三週間だ。そろそろ歩けるくらいには回復したし、服を着れば職質されない程度には肉もついた。いつまでもネットショッピングじゃあ、つまんないだろ」
三週間。界理がこのマンションから一歩も出なかった日数。
今では書庫の構造を把握しだし、屋上にも出るようになった界理。だがそれは結局、狭い範囲を繰り返し巡っているに過ぎない。
中にはそんな生き方が好きな奴もいるだろうさ。だけど、界理はそうじゃない。最近は窓から外を眺めて、ぼーっとする時間が増えている。
本来好奇心旺盛な界理が、一つのマンションで満足できるはずがないのだ。
だから、外出を提案している。
「今のお前はストレスを溜めてる。いずれ耐えられなくなるぞ」
「……………」
界理は黙り込み、下を向いた。
私はただ待つ。界理が思考を整理するまで、何も言う必要はない。
今、界理の頭の中は混乱している。したい事とするべき事がぶつかり合い、何が正解であるかもわからないだろう。そんな思考をまとめるには、ひたすらに時間をかけるしか方法はない。
私から答えを渡すのではなく、界理自身が選ばなければ意味がないのだから。
「……………むり、だよ」
沈黙からポツリと零れたのは、そんな一言。
消えそうで、掠れて、泣きそうな、弱々しい否定。
まだ、私が何かを言う場面ではない。界理が口に出して考えをまとめるまで、私は頷く程度で良い。
「僕は、狙われてる。見つかったら、大変なことになる」
「ああ」
「遥に、迷惑かけちゃう。今も迷惑かけてるけど、もっといっぱい押し付けちゃう」
「そうか」
「屋上とか窓に近づくのも、本当は怖い。だって、半年も追いかけられてるんだよ? いつ見つかって襲われるか、わからないんだ」
「まあな」
「外に出たら、危険がそばにある。だから外は行きたくない。……でも……でも……っ」
床に落ちた洗濯物に、雫が落ちた。
「ぅ、ぁ……ほんとは……外に……出たい……! 地面の……ぅ……上を……歩きたい……っ!」
ああ、そうだろ界理。
無理させてたよな。お前はずっと抑圧されてきたから、発散したくなって当然なんだよ。
そんな泣くほど我慢して、本当に馬鹿な奴だ。
私の前で無理に笑わなくても良いんだよ。私に心配かけまいと働く必要ないんだよ。私の前で強がらなくたって良かったっていうのに。
「なら、外に行こうぜ」
「うぅっ……だって、遥に……ぁぅ……遥が……!」
そうだよ。界理を縛っていたのは、他ならぬ私なんだよ。
私は界理の安全を守る代わりに、界理の心を殺していたんだ。
なんたって私は、クソッタレだからな。
「僕はっ……!」
「ぶつけてくれよ。お前が思ったこと、全部」
立ち上がった私は、界理に近づき抱きしめる。
まだほっそい体だ。こんな体で、泣くほど溜め込んでいた。
私はそれを、見て見ぬふりをしていたんだ。準備がまだだって、心の中で言い訳しながら。
「すまないな。お前に無理させ続けた」
「ちがっ……違う……!」
「違わない。なあ、外に出よう。だって地面歩きたいんだろ? お前は、もっと我が儘になっても怒られないよ」
私の服に掴まり、界理は必死に声を押し殺す。
「でも……危険がぁ……」
「その危険が消えたんだよ。ずっと調べて、安全になるのを待ってたんだ」
情報を売る奴らに金を渡し、私は今日までずっと確認していた。
プトレは早々に浪川市を出て行ったが、界理を探すクソは少しの間街中に蔓延っていた。
県外にいるという情報を流しゴロツキを排除したら、まだ監視カメラにクラッキングして探している奴もいるときた。
そんな探索が途切れたのが、四日前。
安全を期して情報を集め、昨日やっと界理を外に出せる安全を確認できたのだ。
「この街なら、多少着飾ってればお前は見つけられない。金を払えば安全を売ってくれる奴らだっている。……私はな、お前が辛い顔してる方が、何百倍も苦しいんだよ」
ここ一週間、界理は本当に辛そうだった。涙は見せなかったが、表情に出さなかったが、かなり追い詰められていた。
そんな界理を見る私は、胸がキュッと冷たくなっていたんだよ。
「だからさ、一緒に外歩こう。お前が怖がるものは、私が全部切り払ってやる」
守るさ。
やっと界理が泣いてくれたんだ。心を曝け出して、それでも私を守ろうとしてくれた。
私の為にって無理してた界理が、しがみついて涙を流している。
悲しみじゃない。ここで界理が流しているのは、温かい涙だ。
頼られるって、こんなにも嬉しい。
「もっと頼ってくれ。お前が泣かないで良いように、私は全力で追いかけるから。覚えてるだろ——」
界理を抱く腕に、力を込める。
「——お前を捕まえられるのは、私しかいないんだよ」
界理が泣き止むまで、私は腕を解かなかった。
(涙は、弱さじゃないんだな)
こうして界理といることで初めて知った事実を、私は噛み締める。
†††††
泣きやんだ界理に、私は着替えを渡す。
流石にTシャツとスウェットパンツで歩かせるわけにはいかない。
そんなわけで、事前に用意していた服を渡す。
「待って待って何これ!?」
「お前の外出用の服だ」
「僕男の子だよ!?」
「知らないよ。さっさと着替えろ」
私が言い放てば、界理が愕然とした顔を作る。
すまん。でもどうしても見たいんだ。
「う〜〜〜〜っ! わかった! 着ればいいんでしょ!」
「ああ、見てるから着替えてくれ」
そう言った私を、界理はキッと睨む。
「出ていってぇっ!!」
むう、着替え見たかったのに。
まあそうだな、後々の楽しみにしておくか。
小物の用意もしないとだしな。
ふふっ、界理の反応はどうなるだろうな。
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