第15話 日常的幸福

 界理が勝手に書庫へ行き、私が勝手に奔走した夜は過ぎた。日の昇った今は、もう平和な日常に戻っている。

 界理の過去、界理を狙う奴ら。心配事は多くあるが、それを考え過ぎて寒さに凍えるのも馬鹿らしい。後ろで寝ている界理を心配させない為にも、私は日常を平気な顔で過ごすだけだ。

 それに、最近手をつけていなかったこともこなしておきたい。

 ちょうど界理が寝ていることだし、起きるまでに終わらせる。

 私は界理との時間を、無駄なことで減らしたくない。私にとっては、界理との時間が最優先だ。


(相変わらず世界的に大陸有利か。これは投資も安定しそうだ。早く終わらせられる)


 流れてくるデータを精査しながら、私は必要な情報をファイルに入れていく。

 三つあるディスプレイの一つには、表と数字が規則性を持って踊る。もう一つにはわざわざ業者で買った、各企業の経営情報や方針、内部情報までが流れている。残り一つは、私の作業用だ。


(中国企業と提携しての廉価品一掃。これは計画より抑えられるな。それで途上国に流される。買いだ)


 私の主な収入。それは株や仮想通貨などであり、こうやってディスプレイに張り付くのは私の日常である。


(タイムルはショットガンとマシンガンでトライアル。どちらも制式採用非公式内定。アメリカが盛り上がる)


 最近は界理が来て少し放置していたが、金の為にもきっちりやっておくに限る。

 この世は金だ。私の寒さは癒せないが、多少の安全は金で買えるのだ。

 このクソ寒い世界で死を遠ざけられるなら、アホらしい時間の消費も許容する。


(近々クラッキングの計画あり。これは全部変えとくか。仮想通貨交換は3:4:2)


 私は視線と瞬きで捕捉ロック切り替えチェンジを行い、有機ELキーボードで文字を打ち込む。

 なかなかに珍しいタイプだが、慣れれば普通に打ち込むより断然早い。とはいえ使いこなせる人間が少ないらしいので、技術に人間がついていけない粗悪品扱いらしいが。

 これら全て龍善の伝手と思うとぶち壊したくあるが、便利なので許してやる。

 龍善が私にコンピューターを与えたのは、確か6歳の頃。6歳児の私にこんなもの与えるのも、相当にイカれていると思うんだがな。しかも説明書もなしでプレゼント気取りだった。あいつが常識人とか、なんかの間違いだろ。

 金儲けの思考の裏で、私はつらつらそんなことを考える。

 龍善のことを考えるだけで、神経が苛立ってきた。やっぱあいつ死の化身ばけものに違いない。

 精神衛生上大変な危機感を覚えたので、ここは最近見つけた特効薬を使おう。

 頭の中で、昨夜見た界理の拗ね顔を思い出す。

 ああ、可愛い。苛立った神経が慰められる。心なしか私の心臓が強く跳ねて——


(あっ)


 今日初めてのタイピングミス。日数にして8日ぶりだろうか。

 たった二文字消せばいいだけなのに、今日は何故か私の機嫌を悪くした。


「…………」 

 

 とりあえず龍善を殺す。

 そう誓いを立てて、修正した情報をファイルに入れた。

 完成した二百個ほどのファイルを一斉送信すれば、全世界の担当者に的確に送られることだろう。後は待っていれば、私の口座に金が入ってくる——龍善経由で。


「…………ぎりっ」


 私にとって、龍善はただの保護者ではない。

 兼保護者だ。

 金稼ぎに関する繋がりの全てを、私は龍善を通して行なっている。ほんっとうに遺憾なことではあるが。

 私は死にたくない。死に繋がるから情報を与えたくない。なら、胡散臭くとも優秀な龍善に頼るしかなかった。

 当然不満はある。むしろ不満ばかりだ。強めの“寒さ”さえ感じている。

 だがリスクを計算したとき、龍善を使うのが最も私を守ることに繋がる。私の冷静な理性が、それを弾き出した。


(まあ寒さがある以上、私を死に近づけるのは間違いないが。ついでに感情で納得いかない)


 気分が沈む。

 いけないな。ここは界理の顔を思い出して……


「いや界理なら後ろにいるか」


 ここは私の自室。当然寝たベッドも同じ部屋にある。

 今なら界理の寝顔を拝めるはずだし、この荒んだ心を癒してもらおう。

 椅子をくるりと回転させて、ベッドに目を向ける。


「あっ」


 小さな声が、ベッドで上がる。

 寝転んだままの界理は、ぱっちりと開いた目で私を見つめていた。

 絡み合う私達の視線。

 3秒ほど見つめ合う静寂が続く。


「お、おはよう? 遥……」


 控えめに小さく手を振る界理の姿は、昨夜私を羞恥で悶えさせた人間とは思えない。

 そのギャップが面白くて、私は小さく笑う。


「ああ、早くはないがおはようだ、界理。タイピングがうるさくて起こしたか?」

「違うよ。眩しくて起きたら、遥が真剣な顔してて。だから見てた」

「私を見ててそんなに楽しいかよ」

「っ……。うん、見惚れるくらいにカッコよかったよ」


 少しだけ悪戯気な、界理の笑顔。言われた言葉も相まって、私はじわじわと首が熱くなる。

 界理のやつめ、小っ恥ずかしいことを平然と口にして……!


「そ、そうか……。腹減ってないか」


 私にできるのは、話題を逸らすことだけだった。なんだか、負けた気分だ。


「お腹かぁ……少し、減ってるかな?」

「それは空腹に慣れた頭が誤魔化してるだけだ。今は昼過ぎだぞ」

「ええっ!?」


 私の言葉に呆けた顔を晒した界理は、時間を確認して焦った表情を浮かべる。

 まあ責任感の強い界理だし、そうもなるか。

 予想通りの反応に、私は椅子から立ち上がる。


「ご、ごめん! すぐに昼食作るから……!」

「はいだめだ。お前は寝とけ」


 布団を弾き飛ばして起きようとする界理を、私はベッドに押さえつける。


「でも遥は料理しないし!」

「お前は私をなんだと思ってんだ」

「ズボラ」

「正解だよほんと」


 一息に続けられた会話が、界理が私へ抱くイメージを物語っていた。

 しかし私も甘く見られたものだ。界理は私が成長しないとでも思っているのだろうか。


「はぁ、私一人ならともかく、お前がいるなら料理の一つ二つやるさ」


 界理が私を見る目が、信じられないものを目撃した色をしている。

 釈然としない!


「そこでまってろ。疲労も抜けきってないだろ。左手震えてるぞ」


 それだけ言い残して、私は自室を出る。

 そんでキッチンで目的のものを手に取り、すぐさま自室に蜻蛉返りした。

 まだ疑いの目を向ける界理の手に、私の渾身の料理を握らせる。


「えーと、おにぎり?」

「そうだ。渾身の出来だ」


 なんとも言えない表情の界理。

 よく見ろ。完璧な対称性とバランスを兼ね備えた、綺麗なおにぎりだろうが。角もしっかり立っている。


「……これ、刃物で端を切り落としてない?」

「ああ、包丁っていうのは良い切れ味だよな。厚みがないことだけが欠点だ」

「握ってないじゃん!? 切ってるじゃん!? もう形成ご飯だよ!」

「切る前に握ったぞ」

「なんでそのまま出さないの!?」

「お前に食べさせると思うと、不格好な形が許せなかった」

「それは嬉しいけど……!」


 感謝と料理人のプライドの争ってるみたいな顔だ。界理も色々と大変らしい。

 界理はぬぐぐっと唸って、覚悟を決めたのかパクッと食いついた。

 小さな一口を咀嚼する界理の目が、私を捕まえて見開かれた。


「これ……肉そぼろ」

「簡単に作れたぞ。美味いか?」

「美味しい……で、でも! なんで端っこまで具が入ってるの!?」


 ほっそい手で二つに割られたおにぎりの中は、サンドイッチみたいに均一に具が伸びていた。

 私にはそれが珍しいのか判断がつかない。せっかくならずっと味わえる方が良いだろうと、工夫してみただけなのだが。


「指先で突きながら握ったら、普通にできるだろ」

「いや、無理だから。機械でも使ったのかと思った」


 なんでそんな機械が家にあんだよ。家電はお前が買ったんだろ。

 それと、珍獣を見るような目で私を見るな。


「遥って、怖いくらい手先が器用なんだね」

「まあ、界理が言うなら、そうなのかもな」

「うん、美味しい」


 界理は黙って、食べるのに集中した。

 ゆっくりと、おにぎりが小さな口に消えていく。パクパクというより、ハムハムって感じだ。

 おにぎりの半分がなくなったのを確認してから、私は界理に立つよう促した。

 不思議そうな顔をしながらも、界理は素直に立ってくれる。血圧も多少上がって、倒れはしない。

 そのまま界理に合わせてダイニングへ案内し、椅子に座らせる。


「ねえ遥。まだ何か出てくるの?」

「ああ、見よう見真似だが、ちょっと作ってみた」


 鍋から器に、具材の入った黄金色のスープを移す。

 スプーンと共に界理の前に置けば、今日一番の驚きの顔が現れる。

 

「遥、これって」


 数種類のハーブの香り。

 黄金色の透明なスープには、かなり細かく切られた具材が沈んでいる。カブとウィンナー、キャベツが主な固形物。ハーブはみじん切りにされてスープを泳いでいた。


「お前が昨日作ってたスープだよ。味見はしてないが、大体同じだと思うぞ」


 恐る恐るスープを掬い、口に運ぶ界理。

 次に見えた界理の表情は、輝いているんじゃないかってくらい笑顔だった。


「これ、僕のと全く同じ味だ」

「手順がわかれば、あとは再現できるからな」

「普通料理って、それが一番難しいんだよ」


 そういうものだろうか。再現の方が簡単に思えるが。


「遥は食べないの?」


 手を止めて、界理がそんなことを口にする。


「ん? 私は——」


 食べたからいらない。

 そう言おうとしたのを、界理の表情を見て止める。

 何かを望むような、僅かに眉を下げた顔。

 この状況なら、そういうことだろ。

 私といたいって。私の自惚れじゃなけりゃ、間違いないはずだ。


「——今から食べるところだ」


 なあ界理。お前今、凄いほっとした顔してるぞ。

 言葉にはしない。ただ心で呟き、満足感と喜びを噛み締める。

 私の作ったスープをよそい、界理の対面に座った。

 口に入れたスープに、私は寒さと吐き気を感じた。だから会話で時間を稼ぎ、吐き気ごと飲み込む。

 辛いはずの食事は、私にとって愛おしいものだった。

 私の前に座る界理の笑顔を見ているだけで、辛さなんて気にもならなかった。

 ああ、そうだな。

 これはきっと————幸せってやつなんだな。

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