第14話 燁心愛伝

 界理の顔に、安心と喜びの色を持った笑みが浮かんだ。

 じわじわと迫り上がる安心感に、私の視界が滲む。


「ああ……そうだよ馬鹿野郎。遥だよ」


 強く、繊細に、私は界理の体を抱く。

 骨が浮き出た肩へと埋めた私の口からは、情けない声が漏れそうになっていた。


「はは、遥に、捕まっちゃった」

「うう〜〜〜っ!」


 冗談を口にする界理を、抗議を込めてポフポフ叩く。

 ごめんごめんと、界理が私を抱きしめ返してくれた。

 少しの時間、私達は無言になる。

 ただ互いの熱を感じて、息遣いを合わせる。重なった身体が溶けていくように、まるで一つの生き物みたいに。

 私はその心地よさに、体の力を僅かばかり抜いた。


「遥」


 無言を破ったのは、界理だった。


「僕のこと、心配した?」

「死ぬほど心配した」


 私は即答した。本気で、思いのままに答えた。

 界理は、じゃあ、と続ける。


「今は安心してる?」

「死ぬほど安心してる」


 これもまた、私は即答する。

 界理の腕に、少しだけ力が込もる。


「ごめんね?」

「何謝ってんだよ。責めたわけじゃないぞ」

「わかってる。今回はちょっと、好奇心と性格に囚われちゃった」

「体調不良もだろ」


 そうだね、と界理が笑う。

 笑い事じゃないと、私は頭を押し付けた。


「ずっと、ずっと逃げてたからね。隠したり、一人になろうとしたり、自分で解決しようとしたり……それが正しいって考えに、囚われて、縛られて、捕まってた」


 自分を振り返る界理の言葉。スッキリした色が混ざっているように聞こえた。


「これからは、違うのか?」

「うん。だって、遥がいるもん」

「じゃあ……!」


 私は少し強く体を離し、界理に目を合わせた。


「界理が囚われないように、私は全力で捕まえる。私がいる限り、お前は何にも捕まらない。お前を捕まえられるのは私だけだ。だろ? だから私以外の誰にも捕まるなよ……っ!」


 めちゃくちゃな理論を口にしていることを自覚して、言葉の途中で顔を見られないように界理を抱きすくめる。

 界理の背中に回した腕が、震える。胸の鼓動が、早くなっている。

 私は、界理に拒絶されるんじゃないかと、怖いんだ。

 意識して言わないようにしていたことを、衝動で口にしてしまった。

 受け入れて——


「受け入れてもらえないんじゃないか、とか考えてない?」


 耳元で囁かれた言葉は、私の心を的確に表していた。

 界理はおかしそうに、鼻先で私の耳元をなぞる。

 背筋が震える感覚に、私はちょっとした混乱を起こした。


「馬鹿だなぁ。僕が遥を受け入れないわけないのに」


 耳にかかる界理の吐息に、私は首から上が熱くなるのを感じた。


「!? ッ————!?」

「いいよ、僕を捕まえてよ。僕は遥以外、誰にも捕まらないから」


 蠱惑的……と言うのだろうか。

 別の言い方があっても、私は蠱惑的以外、今の界理を表す言葉を知らない。

 とにかく恥ずかしい。目も合わせられないくらいに、羞恥心で悶えたい。悶えたいだけじゃなくて、叫び出してしまいたい。

 私の体をぐるぐる回る激情が、私の体温を上げていった。頭が茹るんじゃないかってくらい、上半身に血が上ってきやがる。

 どうしたっていうんだ私はっ!!!

 クソッ! 界理のやつも色っぽくなりやがって!

 悶々とする私の腕の中で、界理がもぞもぞと動く。


「ねえ遥……。僕はずっとこうしてたいけど、上のベッドに戻らない? 体が痛いや」

(こっちの気も知らないでぇ!!)


 私は囁きの余韻で動く余裕もないのに、界理は平気な様子で言いやがる。くっそ、いいようにやられたみたいで納得いかない。

 よし、やり返す。

 どうにか3秒で衝動を抑え、私は返事を返す。首から上は熱いままだ。

 互いの体を離し、まずは私が膝立ちになる。

 界理を起こそうを体を支えるが……界理は自分の体を起こせなかった。


「っ……。ごめん。動けないや」

「そうか」


 見たところ、関節が凝り固まっているのか。安静にすれば治る範囲のようだな。

 ならまあ、いいか。


「好都合だ」

「え?」


 私は界理の背中と膝裏に腕を入れ、そのまま立ち上がる。


「えっ?」

「さあ行こうか。お姫様?」


 お姫様抱っこ。

 初めて使うが、なかなかしっくりくる。というか界理が軽過ぎる。

 界理の耳が、ほんのり色づいた。

 うん、意趣返しとしては十分か。


「……遥……覚悟してよね」


 界理が可愛らしく睨んでくる。

 ちょっとドキッとした。

 相も変わらず界理が可愛過ぎるのだがッ!?!?

 まあ、そんな叫びたい気持ちは表に出さない。

 私は代わりに、ちょっとニヒルな笑みを貼り付けた。私の顔が赤いのは、見えていないはず。


「遥! 早くベッドに行こ!」


 思惑通り、私は界理のちょっと拗ねた声と顔を、時間の許す限り楽しんだ。

 脳内ファイルには、しっかり保存できたな。あとで模写でもするか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る