第11話 界理秘事
いろんな人生がある。文字として刻まれた中に、幾人もの物語がある。
知りたくもない結末があれば、理想的な終わりもあった。
「……ぐす」
僕がいた。正確には僕じゃないけど、僕みたいな人生があった。
狙われて、逃げて、絶望して。痩せ細って路地に座り込む。
でも、僕は知っている。
助けてくれる人がいるんだってこと。温かい手で、頬を包んでくれる人がいるんだってこと。
「……ふふ」
ほら、やっぱり来た。僕の時とはちょっと違うけど、手を握ってくれる人が。
「…………」
文字を追って、ひとつのストーリーが終わった。
僕がここに来てから、時間はまだそれほど経っていないはず。
だからもうちょっとだけ。
ここで知りたいことが、僕にはまだ沢山あるんだ。
†††††
防音の施された個室。
私とインテリメガネは、向かい合って座っていた。護衛の類もいない。部屋の中には私達二人だけだ。
「さて、まずは自己紹介を。私はプトレです。ああ、プトレは当然偽名ですよ」
細身のダークスーツに黒縁メガネ、髪は耳に掛からない程度に切り揃えられている。
映画に出ても違和感のない、知識を売りにするインテリ。
そんな男だ。
「……テラー」
私はテラーと名乗った。
目の前にいるのはどう考えてもカタギじゃない。見せる隙は少ないに限る。
「それで、私の追っている子供の詳細は。容姿はなんとなく知っている。何故追われてるのか、誰に追われてるのか、あと名前も知りたい」
早く界理について聞きたい心を抑え、私の状況で聞きそうな質問を並べる。
知っていることと知らないことを混ぜることで、私の無知さをアピールすることも忘れてはいけない。
プトレはひとつ頷くと、笑みを崩さずに口を開いた。
「名前は冬馬界理。性別は男。身長は154前後。最後に確認された時は酷く痩せていたとか。貴女のように髪が肩まで伸びているので、少女に見えるかもしれませんね。尤も、髪は切っている可能性もありますが」
私の知っている界理の特徴と一致する。
「あとこれは言いふらさないでもらいたいのですが、彼は半年間私達から逃げている」
わかるでしょ? とプトレは肩をすくめる。メンツを守る為に、言いふらすなということだろう。
こいつらはどう考えても裏社会の人間。それが界理みたいな奴に半年間も辿り着けないなど、組織としての弱みを宣伝するようなものだ。
私にそれを教える意味が読み取れないが、とりあえずは了承しておくか。
首を縦に振る私に、プトレは感謝を述べた。
「それで、その冬馬界理は何故追われてるんだ?」
私の求める二つの情報。その一つ目を投げ掛ける。
プトレは少しだけ身を乗り出して、テーブルに肘をつけた。
「
呟くように口にされたその単語は、やけに耳奥へと響いた。
「黄金の血。そう呼ばれる血液が、冬馬界理には流れています。ああいえ、ファンタジーではありませんよ? 科学……いえ、医学的に存在し得るものです」
黄金の血液とは、なんとも聞き馴染みのない単語だ。
「わかりやすく言えば、誰にでも輸血できる奇跡の血液。それを求めていらっしゃる方がいるのですよ」
「誰だそいつは」
ようやくわかる。界理を追い傷つけたクソ野郎の名前が、ようやく。
テーブルから体を離し、プトレは背もたれに体重を掛けた。その笑みだけは変わらない。
「
個人名は、流石に教えてもらえるわけもなかった。
多迫会は知っている。西日本を中心とするヤクザだったはずだ。その重役がブラジリアンギャングの重鎮だと?
いつから日本の犯罪組織は、そこまで国際色豊かになったんだよ。
「その重鎮か、それとも親しい人間が輸血したいってことか? 売り捌く量の血液は取れないだろう」
「さあ、私からはなんとも」
当然、私に詳しい事情を話すつもりはないか。それにしては親切に対応されたが。
プトレは本心の見えない笑みを続けている。しかし、その唇はしっかりと閉じられていた。この話題はもう話さないという、意思表示みたいだな。
なら、私に渡すことがプトレの利になる、そんな情報を求めよう。
「冬馬界理が、現在いると思わしき場所は?」
プトレは喜びを示すかのように、口元を緩めた。
「ああよかった。テラー様は実に意欲溢れる協力者です」
「世辞はいらない。さっさと言え」
「これは失礼を。……最後に確認されたのが浪川市の西方。我々がここにいることから察しているでしょうが、浪川市付近、あるいは東に抜けた可能性もあります。最後の目撃証言では軽トラに乗っていたとか」
「軽トラは見つかったのか?」
プトレは首を振って否定を示す。
「いいえ。故に、我々はもう浪川市にはいないと考えています」
「嘘だな」
私にはわかる。私は今この瞬間も、沈んでいる。
プトレの輪郭が、発言の嘘を教えてくれた。
「浪川市にいないと思うのなら、何故お前はぞろぞろと部下を連れてここにいる? 確信がないからだ。軽トラも見つかっているな。だが何処で降ろしたかがわからなかった。軽トラが見つかったのが浪川市の東。だから捜索範囲を広げて、人手不足。私みたいな奴らを雇おうとしている。……違うか?」
笑みを強張らせたプトレは、じわじわと口角を上げていく。
「ふ、ふふ……ははは! これは参った!」
偽りの笑みの中から、初めてプトレが持つ本心からの愉快が飛び出した。
笑って、
プトレ本人でさえ抑えきれない、心からの笑い声。
「本部長! 何か!?」
個室の扉が勢いよく開けられ、プトレの部下が入ってくる。
私は動かない。動く必要がないからだ。
プトレのような人間は、敬意を払うべき相手を貶めることはしない。まあ、それと死の危険性は、また別問題なのだが。
「ああ、貴方達は下がっていなさい。こちらのテラーさんが予想以上の傑物で、嬉しくなってしまっただけです」
「……はっ!」
部下が下がったのを確認して、プトレが謝罪を口にする。
「すいませんね。従順なことだけが取り柄の部下ですから」
「普段は家族と言っているのにか?」
メガネを押さえた手で、目元は見えない。だが、プトレ口元に浮かんだ三日月は隠せていない。
「全く、テラーさんは素晴らしいお人だ。これはこちらも相応の態度で接しなければ。ふふふ」
相手が笑っていても、私になんの利もない。むしろ寒さが加速するだけだ。
それでも私は、プトレの笑いがおさまるのを待つ。
界理に会うためには、こいつの情報が必ず役に立つからだ。
笑うな。界理に会うのが遅れる。さっさとしなければ殺す。
そう言いたくなるのを、私はぐっと飲み込む。
「ふぅ……すいませんね。概ね、貴女の言った通りです。ですが付け加えるべきことがありますね。我々は軽トラと運転手を見つけましたが、そこに冬馬界理はいなかった……ここまではその通りです」
スカした笑みを戻したプトレ。
ああほんと、寒さを感じる表情だ。
「その運転手が言うにはですね。咳を出し始めた冬馬界理を、東へ向かう別の乗用車に預けたと言うのです。相応の手段で聞いても同じ答えだったので、まあ間違いない証言でしょうね」
「じゃあなんでお前がここにいる」
プトレはメガネを押さえながら、にこやかに言った。
「どうにも、自分の目で見たものしか信じられない
笑みと瞳の中の、隠しきれないイカれ具合。
やっぱこいつは、真正のクソッタレだな。嘘がないところが最高にクズだ。
「まあ、テラーさんの言葉は信用できそうです。ここいらで冬馬界理の情報はありましたか?」
訳のわからない信頼を向けられ、私は顔を顰める。
「なんで初対面の奴を信頼する?」
「それはまあ、貴女がこの辺りの
ふざけた理由だが、こいつ本気で言ってやがるな。
何故かはわからないが、親近感すら私に向けている。
気色悪いだけだから遠慮したいが、好意は便利に使わせてもらおう。
「……いいや、冬馬界理なんて奴は誰も知らなかった」
「まあでしょうね。実は午後に私が来てから主要道路を見張っていたのですが……見ての通り、私も見張りも成果なしです」
「となると、東に逃げたか。時間的に県境は超えていそうだな」
「話が早い。我々の捜索範囲は東に移動させる予定です」
適当に話を合わせ、界理が東に逃げたという結論を強化する。
今の私の心を満たしているのは、安堵と嬉しさ。
こいつの情報が正しいなら、界理はまだ浪川市内に隠れている。私の手が、まだ届く場所にいるのだ。
この手でもう一度、界理に触れることができるかもしれない。
その事実が、心臓が高鳴るほどに嬉しい。
「話が聞けてよかったよ。じゃあな」
「もう行ってしまうのですか? シードルにも手をつけていませんが」
席を立った私を、プトレは視線で追う。
「私が無駄なことをしなくてもよくなった。逆に金を払いたいくらいだ」
「そうですか。金銭は遠慮しておきますが、もし冬馬界理を見つけたならばぜひ私に連絡を」
テーブルの上を滑らせるように、プトレがカードを寄越してきた。
寒さの震えを隠しながら手に取れば、『プトレ TEL 〇〇〇ー9〇〇〇ー1〇〇〇』と記されていた。
「……本当にプトレって名前なんだな」
「偽名ですよ。電話番号はしっかりと繋がるのでご安心を」
個室を出れば、廊下にはプトレの部下が並んでいた。
その中の女が一人、私に一歩近づく。
「夜中に女性一人で……は……っ……」
言葉は続かない。私の殺意を込めた一瞥に、女は出した足を戻した。
今ので誰もついて来るなという意図は伝わっただろう。
店の外に出て振り返っても、客以外の影は見えなかった。
今の時刻は午前2時35分。界理の体力から考えて、もう動いてはいないだろう。ならば後は、私が探し出すだけでいい。
「っと、その前に……」
少し歩いた場所に、酔っ払いが占拠したベンチがあった。
見たところ財布を盗まれているようだが、本人達は幸せそうに眠りこけている。
酔っ払いの一人の胸ポケットをあさり、私はライターを借りた。
そして、プトレに渡されたカードを炙る。
パチッという音を立てて、真ん中部分から小さな火花が飛んだ。おそらくは発信機の類い。
「やってくれる」
書かれた文字さえもが、熱によって変わっていく。
『【拷問師兼プランナー】 プトレマイオス TEL 〇〇〇ー7〇〇7ー8〇〇〇』
何年か前に久遠に教えて貰っていなければ、気付けなかっただろう。尤も、知らなくとも捨てた可能性は高いが。
まあ、今回は捨てずに持っておくとするか。
「早く、会いたいよ」
界理の温かさを思い出す。
硬く冷たい氷である私を溶かしてく、真冬の中の灯火。
せめて、界理の口から拒絶を聞きたかった。そうであれば、諦めもつくかもしれない。
「……まずは、追っ手を巻くか」
ネズミみたいについて来ている奴らの気配を感じながら、私は夜の街を彷徨うために歩き出した。
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