第10話 与痛苛立
スタンドライトの明かりを頼りに、僕は文字を追う。
外からの光は遮断され、少し離れた僕の周囲には闇が広がっていた。
闇の中に空調の音が僅かに響くのは、最初は不気味で少し怖かった。暗闇からナニカが飛び出て来るのではないか、そんな不安を覚えたからだ。半年間逃げ回った僕にとって、この不安は拭いがたいトラウマである。やたら広い空間であったことも、それに拍車をかけていた。たったひとつのライトを見つけられなければ、心が折れていたかもしれない。
だが不安が続いたのも、文字列の海に没頭するまでのこと。
(そうか……そうなんだ……)
知りたいことがある。知りたいものが知れる。
遥はまだ起きない。
だからもうちょっと、もうちょっとだけ……
†††††
饐えた匂いに湿り淀んだ空気、表通りの輝きから切り離された暗がり。
裏路地を進む男の背中を、私は追っていた。
「で? 何処に子供がいるんだ?」
私の問いかけに、男はぴたりと足を止めた。
子供とは界理のこと。
名前は言わない、性別も指定しない。
特徴だけを伝えれば、男は「知っている」と答えた。だから私はのこのこついて来た。
「あー、子供か。子供ねぇ……そいつはお前さんの子供かぁ?」
ニタニタとした、不快な笑みが振り返った。
そこそこ身なりは整えているが、それが付け焼き刃でしかないことはすぐにわかる。
こんな男に頼るほどに、私は手段を選んでいられなかった。
ああ、界理に会いたい。本当に、何処にいるんだよ。
「まあいいか。もう少しこっち来いよ。子供が見えるぞ?」
言われた通り私は男に近づき、その横を通り過ぎようとする。
男は私を避けるかのような動きで、さりげなく私の死角へと移動した。
寒さが一気に高まる。
(ああ本当に……反吐が出るぞクソッタレがっ!)
後ろから襲い掛かってきた男の腕を掴み、足を払う。
受け身が取れないように肩から落とせば、ゴリッという鈍い音が鳴った。
「ガッ!? ッ——————!!!!」
「肩が砕けたか? 人を襲おうとしたんだ。反撃されたにしては、軽い代償だったな」
真っ青な顔と滲む脂汗、声にならない悲鳴。
酷い有様の男の胸を、私は踏みつけた。
またもや、男が大口を開けて空気を吐き出す。
「鎖骨にもヒビが入っているのか。どうでもいいんだよ」
男に乗せている足に力を入れる。
痛み故か、男はバタバタと暴れ出す。
「動くな」
私が懐から
「今から私が質問する。嘘偽りなく答えろ。できなければお前を切り刻む。……わかったら首を縦に振れ」
荒い呼吸と共に、男は何度も頷いた。
「私の言った特徴……ガリガリで青白くちっこい、に当てはまる子供を知っているのか?」
「こ、この辺りならいくらでも……」
「そんな答えが聞きたいわけじゃないって、わかっているはずだよな」
男を踏みつけているつま先に力を入れれば、うめき声が響いた。
神経が苛立つ。体に寒さが突き刺さる。男が関わる死のイメージが浮かぶ。
だけど、界理と会いたい気持ちの方が抑えきれない。
「身なりはそれなりに綺麗な子供だ。見覚えあるか?」
「だから……! 金持ちのクズが着飾らせてるやつだっていくらでも……!」
そんなことはわかっている。
有用な情報が出てこない。男からも、必死が薄れてきている。殺されないと悟っているからだ。
(面倒だな……もう、沈むか)
私は足を男の胸から退かし、脇腹を蹴り上げる。
うつ伏せで悶える男の襟を掴んで立たせて、壁に押し付けた。
「がぁッ!」
痛みに悶える男の目に見えるように、後ろから首筋にプギオの刃を押し付ける。
ガタガタと震える男の耳に口を近づけ、私はゆっくりと言い聞かせる。
「私の質問に答えろ。無駄な情報、偽りはいらない」
返答はいらない。私が、一方的に男の情報を奪うからだ。
「クズみたいな店をハシゴして、金がなければ裏路地でカモを待つ……お前はこれに当てはまるか?」
五感と思索。泡のような要素が、不規則な
顔、声、仕草、匂い、触感。人間は他者から得られた情報を、無意識に取捨選択する。そうして他者に対する勝手な想像を作り出し、信じたり疑ったりして、自分勝手な基準を作っていく。
だから赤の他人に親近感を覚え、親友に疑念を抱くのだ。
その根底にあるのは『計算』。自分が相手から得た膨大な情報を、無意識に処理して意識に出力している。
客観的で無意識な計算結果に、意識的な主観が混ざる。大体の人間はそうやって生きている。普段の私も同じ。
ならば、得られた情報を意識的に処理することができれば、常人より遥かに高い精度で人を分析できるとは言えないだろうか。
「あ、当てはまる……」
「お前は普段浪川市ではなく、西に行った別の県に住んでいる……当てはまるか?」
私の中のイメージは川の流れのようなもの。
無数の
そうやって処理を続ければ、相手の輪郭がはっきりしていく。
龍善は右脳のイメージやら左脳右脳の繋がりやら言っていたが、私にとっては無駄な考察だ。
理解したくもない相手を、理解できる。それだけで十分だ。
「当て、はまる……」
「じゃあ、私の言った子供に少しでも心当たりがある……当てはまるか?」
私はこれを『沈む』と表現した。
“寒さ”に怯える私が、死に背を向け“寒さ”から逃げた人間を理解する。温かさのない私が、温かさを知る人間を感じる。怯え続ける私が、怯えを酩酊で誤魔化した人間を思い描く。
知りたくない。知ってしまえば、私の異常性が際立ってしまうから。
だがくだらない好き嫌いなど今は捨て置く。
界理に会えるのならば、恐怖であっても握り潰す。
会いたいから、見たいから、聞きたいから、感じたいから。
界理が、界理さえいてくれるのならば、死に値しない行為など、どれだけでも受け入れられる。
「…………」
「早く」
答えあぐねている男の肌に、刃を僅かに食い込ませる。
粘っこい汗の匂い、僅かに混じる血の香り、酒気を帯びた息。
恐怖の匂いだ。
真っ青な肌、瞳孔が開き見開かれた目、擦りむけた肌のピンク。
恐怖の色だ。
恐怖に呑まれた男は、嘘を吐けない。
「あて、はま、ら……ない」
脈拍、呼吸、震え……
嘘は、言っていない。
手を離せば、男はずるりと地面に崩れ落ちた。立っている気力も、とうに削られていたのだ。気を失わないだけでも大したものだろう。
「はぁ……クソッタレめ……。見逃してやる。さっさと病院なり何なりに行けばいい」
わかっていた。男が界理のことを知らないなんてこと、理解していたはずだった。
なのに縋ってしまった。ないに等しい可能性を追いかけ、案の定時間を無駄にしてしまった。
「クソッ……! これで二人目だ……ッ!」
何処にいるんだよ界理。
金を持っていない界理が移動するならば、細く頼りない足を使った徒歩。ヒッチハイクするにしても、車が通る場所でなくてはならない。ならば必然的に、界理が向かうのは私のマンションの南。浪川市中心部近くの可能性が高い。
界理が通りそうな経路を回ってみたが、目撃情報ひとつまともになかった。
すでに車などで移動したならば、もう私に探し出す手段は——
「そこの人。貴女ですよ」
裏路地から抜け表通りに出たところで、私に向けて声を掛ける人間がいた。
まるで計ったかのようなタイミング。偶然目についた、というわけではなさそうだ。
「なんのようだ、部下で包囲までして。……くだらないことなら他を当たれ。私は今、急いでいる」
声を掛けてきた奴は、余裕の態度で右手を挙げた。隠れていた奴らがぞろぞろと出てくる。
「これは失礼。気分を外したのならば謝罪いたしましょう。ただ……貴女の求めている情報、少しは提供できると思いますが?」
無視して去ろうとした私は足を止め、相手に視線を向ける。
よく見れば、なんとも胡散臭そうな顔をしたインテリメガネだ。
「子供を探しているとか。何処で知ったか聞いても?」
メガネは、笑みですら寒さが強い奴だった。自分を徹底的に隠す人間の特徴だ。
「……大金が貰えると聞いた」
「なるほど、実に端的な理由だ。その様子では詳しいことは知らない様子」
私のズレた答えも意に介さず、メガネは一歩歩み寄ってきた。
「これから少し時間をいただいても? 知りたいでしょう。貴女の探す子供に何故、大金が懸けられているのか、どう逃げてきたのか。……お互い有意義な時間を過ごせるはずですよ」
どう見てもカタギじゃない。自分を偽っている。こちらを殺せる算段がある。
普段の私ならば、絶対に近づかない人種。
「……いいだろう、話を聞いてやる」
でも私は界理に会いたい。痛いほどに苦しいほどに、界理を求めている。
それが果たせるのならば、殺せる程度の相手の話は聞いてやる。多少の危険も考慮できる範疇だ。
インテリメガネが、ニッコリと笑みを浮かべた。
「場所を移しましょうか。美味しいシードルをご馳走しますよ」
繁華街から少しばかり離れた通り、私達は言葉もなく歩を進めた。
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