第4話 幼男嗜好

「「…………」」


 ソファのあるリビングで、わざわざ床に正座して向かい合う二人。

 説明するまでもなく、わたしと界理である。


「やっちまったな」

「やっちゃったね」


 外出早々蜻蛉返りした私達は、それはもう落ち込んでいた。

 私は当然申し訳ない気持ちでいっぱいだし、それは界理も同じだろう。


「まさか警察に呼び止められるなんて。しかも僕のせいで」

「いや、冷静に外聞を考えなかった私が悪い」


 少し考えればわかることだ。

 目つき最悪なそこそこ背のある中性的イケメンの私と、低身長栄養失調気味ほっそい一見少女のショタ。

 私はそこそこキマった服装なのに、界理はブカブカのTシャツ。

 一般人でさえ厳しい目を向けてきたのだ。この組み合わせを異様に思わない警察がいたら、そいつは全く仕事に向いていない。

 よって警察は悪くない。悪いのは全面的に私である。


「遥が出る前にナイフ持ってたからヒヤヒヤしたよ」

「ドロップポイントナイフで大きめだったから尚更だな」


 ただでさえ怪しい組み合わせなのに、ナイフまで見つかったら速攻逮捕。私の豚箱エンドが確定してしまうところだった。

 だったらナイフなんて持ち歩くな、なんて意見は聞かない。いつ背後から鉄パイプで殴り掛かられるのかわからないのに、丸腰なんてふざけた真似ができるわけないだろ。


「すっごい目だったよ遥。いつ警察官を刺し殺すのか測ってる目だった」

「お前は私を何だと思っているんだ」


 と言いつつ図星を突かれたことは、表に出さない。

 仕方ないだろ。警察は警棒や手錠は勿論、拳銃でさえ持っているのだ。しかも公的権力も持っているときた。私を“寒さ”に突き落とすオンパレード。その気になれば私を何回殺せるものかわかったものじゃない。

 繰り返した警察を殺すシミュレーションも、別に好きでやっていたわけではない。単なる癖だ。

 疑念の目で見られた瞬間ナイフに手が伸びたのも、条件反射なので私は悪くないはず。


「でも絶対に逃げられないと思ったのに、カード見せたら疑われなくなった。あのカード何?」

「ああ、これだろ」


 ピンクのカードを指で弄ぶ——指が切断されるイメージが見えたので止める。

 持っているのも怖くなったので、界理に手渡した。


「世界子ども支援機関シェール・アミ?」

「子供の保護から支援まで手広くやっている組織だな。私も一応職員ってことになってるから、後で届け出ますって見逃してもらったわけだ」

「ほえー」


 それなりの規模を誇るシェール・アミは、その実績と不祥事の少なさから割と大きな発言力を持つ。子供が怯えるので今は見逃してください、というのが警察に通用するくらいには。


「そんなところで働いてたんだ」

「働いてないぞ」

「でも職員なんでしょ?」

「名義はあるが活動したことはないな。勝手に配られるもんじゃなかったら、私も好き好んでそんなもの持っていない」


 私は決して慈善活動家なんかじゃない。そんなことするぐらいなら家のセキュリティに金を使う人間だ。

 確かにシェール・アミはそこそこ稼げる環境だろう。しかし死の原因になり得る人間と積極的に関わるなんて、私は考えたくもない。そもそも安全地帯から出たくない。

 界理との関係が特殊なだけで、基本私は現実不信の社会不適合者なのだ。

 私の発言がよく理解できなかったのだろう。界理が頭を捻っている。


「働いてもないのに、職員になれるものかなぁ」

「株主はシェール・アミの名誉職員に登録されるんだよ。一応書類審査はあるし断れるが、私は勝手に出されて勝手に職員にされて勝手にカードを押し付けられた」

「か、株主?」


 おっと、そこに食い付くか。


「見ての通り私は社会不適合者だからな。株や仮想通貨なんかでちまちま稼いでいるんだが、シェール・アミの株も手元に持っているんだ」

「な、なるほど?」


 絶対に理解できていない顔で、界理はうんうん頷いている。

 なんだこの生き物。可愛い過ぎるんだが。


「まあ、このあたりの話は別に知らなくても困らない。それより界理が買いたいものをどうするかだな」

「ああそうだ、どうしよう……」


 小さな手で頭を抱える界理。兎のような小動物感を感じる。

 表情には出さないが、転げ回りたい気分だ。私がしても気色悪いだけだろうからやりたくはないが。

 どうしたものか、界理と会ってから私のキャラが崩壊しつつある。忌諱感がないから構わないと言えば構わないのだが、自分でも未知の領域に躊躇いがあるのも事実。


「遥に頼んでも良いけど、絶対碌なことにならない。うう……美味しいご飯作ってあげたかったのにぃ……」


 やっぱり躊躇いなんてないです。あってもナイフで滅多刺しにします。

 若干私への信用がないのが複雑だが、そんなものはこの可愛いの権化に比べれば塵に等しい。

 うるうるした瞳、正座が崩れたぺたん座り、白くてほっそい体がプルプルと震える様子。

 “美形合法ショタ生活管理希望”に加え“健気”まで完備とあっては、もはや死角は何処にもない。むしろ死角さえも魅力に変わる。異論は認める、ただし肯定に限る。

 表情には死んでも出さないが、奇声を上げて転げ回りたい気分だ。引かれるだろうからやりたくないが。

 なにキャラが変わるのを恐れてたんだ私は。過去の私なんてクソッタレそのものなのだから、キャラ変したってプラスにしかならないだろ。

 こんにちわアブショタノーマル。お前は案外近くにいたよ。


「なあ、直接買いに行かなくたって、ネットで注文すれば解決するんじゃないか?」


 もう少し鑑賞したい気持ちもあったが、流石に困らせ続けるのは趣味が悪い。

 そんなわけで解決案を提示する。


「ネットで、注文……それだ!」


 手段が見つかった途端に、界理の目は輝きに満ちた。

 ぴょこぴょこ興奮を抑える界理に、私は胸が軽くなるような感覚を覚える。

 ああやっぱり、こっちの方が好きだな。悩んでいるよりよっぽど良い。

 純粋で、何か起こる度に目をキラキラとさせる、世界に美しいものがあると知っている目だ。

 私にはなかった、世界を信じている目だ。

 昨日まで忌諱し嘲り、でも何処かで私が嫉妬していた目だ。

 界理の目は温かい。

 ほんと神様はなんで、この目にもっと早く出会わせてくれなかったのか。界理の目を知っていれば、私は周囲の歓声を雑音とは断じなかったかもしれないのに。


「ほわ……」

「ん、どうした」


 気付けば界理は顔を赤くして、私の顔を凝視していた。

 熱でも出たのか? まだ体調は万全ではないからな、外に出た影響があるのかもしれない。

 確か、こういうときは額に手を当てるんだったか。


「大丈夫か?」

「あっうん! 大丈夫熱もないから手を当てなくていいよ……!」


 界理の額に伸ばした手が、サッと避けられた。

 死とは関係なく冷たくなっていく身体。

 目に見える光景が色を失っていく感覚。

 吹雪に放り出されたかのような心細さ。

 胸が引き裂かれたのかと錯覚する衝撃が、脊髄を縦断するように貫いた。


「……すまない。余計なことをしたな」

「あ……」


 胸が痛い。だが納得もある。

 社会不適合者を極めたみたいな人間のくせして、人の温もりへ簡単に触れられるはずないだろう。

 私の汚れた手が避けられるなど、当然の事。


「え、あ、あの……違うから……!」

「いや、何も言わなくて良い」


 顔を赤くして慌てる界理。熱が悪化したかもしれない。

 私はなんて罪深いんだ。

 深夜に刃物持って徘徊している狂人。常に死を感じては怯える破綻者。危険を感じたら殺害方法が頭に浮かぶ異端者。そんな社会不適合者が私。

 拒絶ぐらいで落ち込むなよ私。そんな資格お前にはないだろうが。


「え、うぅ……。本当に違うから!」


 今度は界理の顔色が悪くなっていく。体調が悪化したかもしれない。おまえほんと何様だ?

 界理も何かを堪える表情をしているし、私は嫌われていたか?

 死ぬのは怖い、死にたくない。だがそれでも、自分を殺したい。自分への苛立ちが抑えきれない。

 ああこれは、【自孤倦悪じこけんお】って感じだな。

 自分が孤独である事を自覚し、倦んで悪い方にしか行けない。

 そんな自分を私は殺したいほどに嫌いなんだ。今更変われないがな。クソッタレ。

 気のせいか覚悟の顔をしている界理も呆れて——


「遥が優しく笑ってたのが綺麗だったから! 見惚れちゃってたのっ!」


 ——……は?

 何を言われたのか、瞬時に理解できなかった。


「遥、かっこいいのに……その……可愛かったから……うぅ」


 真っ赤な顔で恥ずかしそうに視線を下げる界理からは、嘘の気配が感じられなかった。

 ポカンとした間抜け顔を晒していたであろう私は、じわじわと実感を得ていく。

 何だよそれ。ほんと何だよそれ。

 綺麗だって? 昔よく言われたさ。でも界理の言う『綺麗』はそういう綺麗じゃないんだろうさ。挙げ句の果てに『可愛い』かよ。そんな顔して言われたのは初めてだよ。

 ほんと、ほんとによ……何でこんなに嬉しいんだよ。嬉しいってこんなに、胸があったかいのかよ。

 気付けば私は笑っていた。

 口から自然と飛び出る息吹のままに、記憶にある限り初めて高笑していた。

 呼吸が苦しいし、何故か涙が滲む。表情筋も攣りそうだ。

 愉快だ。呼吸困難から死の“寒さ”を感じても、笑いが収まらない。

 おいおい界理、恥ずかしがるなよ。

 私が恥ずかしいからできないが、お前を抱きしめて頬擦りしたいくらい高揚してるんだぞ。


「うぅぅ……そんなに笑わなくたって……」


 笑みは消せないが、何とか笑い声を抑え込む。流石に界理が可哀想だ。

 机の上にあった端末を起動させ、通販アプリを開く。


「はふふふ……っ、悪いって。ほら、これで良いやつ探そうぜ」

「うー……! 覚悟してよね、本物の料理を教えてあげるから!」

「楽しみにしてるよ」

「そう? なら張り切っちゃうよ僕」


 自然と出る笑みと言葉。なんかこれ、話に聞く家族みたいだな。

 そんな笑い合う私達の耳に、インターフォンの呼び出し音が飛び込んだ。

 私の気分は急激に落ち込んでいく。

 このタイミングってことは、十中八九アイツらか。というか、私に会いに来るような奴らが限られている。


「はぁー……早すぎんだろ」

「は、遥?」


 心配そうな表情の界理に、私は安心させようと未だに痩せた頬に指を滑らした。


「ちょっと待っててくれ。要件済んだらすぐ戻る」


 界理に背を向けた私の顔は、きっと相当に不機嫌そうだったことだろう。

 リビングから離れポケットからスマホを取り出せば、インターフォンに繋がった画面が出ていた。


「なんの用だ。部屋には入れないぞ」


 予想通り、胡散臭い声がスマホから響く。


「いつも通りだ。そっちで勝手に処理してくれ」


 私が協力しなければ処理できない、という点を実にうざったらしいペラ回しで説明してくる。


「……クソ、わかった入れてやる。ただし余計な真似をしたら、お前を殺して高跳びしてやるからな」


 私は苛立ちを押し込めながら通信を切る。

 強くタップしたり地面に投げつけたりはしない。その結果起こる寒さの方が、苛立ちの発散を上回ってしまうからだ。

 リビングの前で深呼吸。界理を心配させたくない。


「あ、遥」

「すまない。今阿呆が来やがって部屋に入れるが、お前には被害がないから安心してくれ」


 ダメだな。かなり冷たく重い刺々しい声が出てしまっている。

 アイツも空気読め。明日来れば今よりは歓迎してやったものを。私がナイフで切りつけても文句言うなよな。

 抑えられないな、思考が熱い黒に呑まれそうになる。


「誰が来たの?」


 界理の声を清涼剤に、神経の苛立ちを宥める。

 心の底から不満だが、アイツには大きな借りがあるからな。最低限の義理は通さなくちゃならない。


「私の、保護者兼代理人だよ」

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