貧乏暇なし、ろくでなし



 打ち身で頭がぱっくりと割けてしまい血が額を伝い続ける。


 この前より長く魂を駆動させてしまったため、目鼻口からの出血はもちろんのこと手のつま先が軽く壊死を起こしており、内から激痛が襲い続ける。


 まぁ、仕方ない。水を吐き出させるとためにいろいろと大変だったのだ。


 短いスパンで奇跡を繰り返し起こして自分のせいなので仕方がないが。すごく悪酔いする。

 正直、今すぐにでも横になりたいが…そんな時間もない。



 雨の中、僕は妹を抱きかかえて近くの民家に助けを求めた。幸い、手当をしてもらい救急車も呼んでもらえるようだ。


 意識は戻り、脈も安定している。環の身に大事はなさそうだった。

 まぁ………顔を合わせてくれなかったけどね…血が染みる。



 低体温症だけが怖かったので、僕は必死に頼み込み妹の身体を温めさせてもらった。


 僕自身も頭をなんとかせんといかん。震える手でホチキス止めをしていく。

 保険証もお金もないのでお医者さんに頼んで道具だけ貸してもらった。ここの人たちは事情を説明すれば喜んで善意として貸してくれる。異世界じゃありえん話だ。


 水浸しの衣服を取り換えてくれたのも偏にここの文化が相互補助で成り立っているからだ。

 僕はとにかく頭を下げ続け、妹の代わりに頭も下げた。遅刻は免れない。



 痛がる様子を見せず縫っていると、環からはギョッとした目で見つめられた。 

 なんとも悲しい気分だ。べ…別にあんたのためにやったわけじゃないんだからね!と冗談の一つでも入れたいところだが。そんな空気ではない。




 …全く。そんな目で見られると困るな。




 なんだかんだ僕を気にかけているみたいで。妹は何度も行ったり来たりで視線を彷徨わせている。おかげで何にも言わずに立ち去るってことすらできやしない。

 僕もどうするべきか迷う。だから、目を瞑って思案にふけることにした。


 どうしようもないのだ。変えようがないものは受け入れるしかない。

 さて、持ち込んできた竹籠も全部流されてしまった。本当の素寒貧だ。僕、土左衛門じゃないだけで。


「ねえ!」


 また全部作り直しだ。鎌倉の山は警察がそこまで立ち入らないため竹採取はいいとして、問題は金属物だ。どうやって工面するべきか。

 まあ、だからこそ仕事に行かねばならんのだが。今日明日の食い扶持をどうしたら…。


「ねえってば!!」


 無視していたら妹の環に僕の肩は思い切り揺らされる。やめてくれ。頭が揺れる。

 包帯が取れてまうって。ちょっ…力強すぎや。


「やめいや、これから労働タイムなんだぞ。僕を病人にする気かね?環」


「なんで何もなかったような顔してんの!?アンタおかしいよ!!」


 心配半分怒り半分の環はちょっと小動物感があって可愛い。言ってることは最もなんだけどなんとも答え難い。


「なんであんなことしたんだよっ!!!なんで!!助けてなんて頼んでないんだから!!」


 凄い剣幕で急に怒り始める。何言ってもキレるなこれ。まぁ、こんなもん慣れたもんだ。


「じゃ、僕はどうすればいいのよ」


「…っ!勝手に救おうとして、勝手に自分だけが悦に浸って本当に何がしたいんだよ!!」


 思いのたけをありったけぶつけられる。対する僕は耳が痛いので、耳糞を取る。


「…私は消えたい…もう疲れたの!!いつもいつも…いつも!!」


 付き合っても仕方ねえ。かゆかったので鼻もほじくる。お、でかいのが取れた。


 「ねえ!」からずっとなじるように僕の胸を叩いてくるけど、そこまで痛くはない。所詮子供がやることだ。大したものじゃない。


 攻撃が聞かないと分かるや次は罵倒される。


「チビ!!!」


「そうだよその通り」


「馬鹿!アホ!鬼畜!クソ野郎!!」


「大正解だ」


「もやし!!!ごぼう!!」


「もやし皮膚です。すいません」


「禿タコ!!!」


「ハゲてねえよ。この亀頭キノコヘッドガール」


 ハゲだけは許さん。


「何だとお!!!」

 

 更に怒った環は僕の頭皮を掴んで髪の毛を引っ張り始める。縫ったばっかなんで痛い。なんなら噛み付いてきた。


「ちょちょちょのちょ~……髪引っ張らんといてくだちい…痛いっすぅ~」


 されるがままに僕はゲラゲラ笑う。気に食わないのか環はプイッと背を向ける。

 怒り心頭からの許してあげないんだもんモードだ。


 昨日の憎しみ籠った目から随分仲が良くなったな。


 と、思っていたら。環の肩はワナワナ震えていて水滴が落ちる。作られた握りこぶしが悔しさいっぱいに震えていた。


 どう言うべきか悩み果ててしまうと、癇癪を通り越して大泣きしてしまった。


「ヒッグ…… お゙ま゙え… わ゙だ゙じ゙の゙な゙ん゙な゙ん゙だ゙よ゙!!」


「お前は俺の妹だろ。それ以外ないでしょうに」


 おおう…ここまでワンワン泣くとは。


 困っちまったな。とりあえず頭をなでなでした。すぐさま手が払われる。悲しい。


「どうしてなでるんだよ……やめれぉろよお……」


 泣きすぎて呂律が回っていない。僕は振り払われた手でもう一度なで回した。

 いやだやめろと言っても、環は僕から離れず、襟を掴んで離そうとしないからだ。


「なんでだよぉ……なんでなんだよお……」


 環は僕の胸に顔をうずめてまた泣き出す。言葉にならない悲しみがそこに含まれていた。


 昔からしつけと称して殴ってくる父親を僕が守ってきたが。そのたび環は僕の胸で泣いていた。

 そんな遥かかなたの記憶を今しがた思い出した。

 自分が兄だってのに、我が子の愛おしさを久方ぶりに味わう。


「よしよし、嫌なことでもあったのかい?」


 環はぐりぐりと僕の胸で首を横に振る。嘘だな。嫌なことがあっても大体なんでもないと答えてくる。お転婆で困った強がりさんだ。


「そっかそっか…」


 撫でていた手を抱き寄せるように環の背中に回した。

 力なくポカポカ叩かれる。初めて妹が顔を僕に合わせてくれた。


 名前は忘れちゃったけど。母親が環をあやしていた時もこうだった。


「言いたくないなら追及はしない…僕は片時も忘れちゃいないし、お前のことをずっと思っている。それだけは本当さ」


「うるさい……そんな綺麗事聞きたくない……」


 環はうだうだ文句を垂れてくる。その悪態も可愛らしい。

 ま…仕方がないか。


 妹を施設にぶち込んだのは僕だ。

 なんたって僕が親父を半殺しにし、それから家を出ることになったのだから。

 問題を余計に拗らせて兄妹ともに総崩れってやつだ。


「もう……知らない!」


 なんというか。その…こういう直情的な感情に僕は弱い。

 どう応えるべきかは分からなかったけど、僕はそのまま優しく環を抱きしめた。


 

 着替えが台無しだ。上着が環の鼻水と涙やらでビタビタに濡れる。

 

 環は嗚咽をこらしながら泣き続けている。ギュッと背中を握り絞める手からは今までの寂しさと孤独が伝ってくる。


 僕は無言でそうし続けるしかなかった。


 それから数分後、妹はグスグス鼻を啜りながら僕の胸から離れる。

 赤目を袖で擦り、僕が近寄ろうとすれば離れろと手を出してくる。

 興奮で頬が膨れ上がった妹を愛らしいと感じるのは兄ゆえか。


 生意気っぽさもない。しおらしいな。


 …なんともあれだ。僕は捨てたってのに酷くダメな奴だ。こういう時、毅然とした態度でいられる京が羨ましい。

 多分。僕は今、すごく困り果てた顔をしているんだろう。

 頭を掻くと血の付いたフケが落ちてきた。


「そうだな…」



 また誰かを傷つけるのか?自分の問題だぞ。巻き添え被害を拡散させるのか?

 しかも目の前の相手は肉親だぞ。何も言わず立ち去れ。今なら間に合う。

 余計に環を悲しませるだけなんだぞ。

 


「ペンとメモを持ってきなさい。今住んでいるところ言うから」


 己が恐怖、我が妹を目の前にして僕はただ情けなく言ってしまった。


 すると、環は目を丸くし、また大きくした。何をやっているんだろ僕は……。


「僕の住所を教える。ま、…今はお金がないけどさ。出来る限りのことはするつもりだ」


 対する妹はどうだろう。意固地になってしまったのか、顔を俯き無視している。

 いや、無視というよりも混乱だ。自分が耐えきれないからと捨てた相手がこの手のひら返しだ。さも情けないやつだろう。


「養護施設にいて自由が中々ないのは分かる。僕はそれでも…僕が生きてる限り、お前がしたいことを全力で後押ししたい。最低限大学に行けるだけの金は用意する」


 環は未だ俯いたままだ。感情の整理をつけさせる前に僕は話を続ける。


「勿論、一緒に暮らせなんて言わないし。そんなつもりもない。環、お前は今中学生だよな。何も不安がることはない。きっちり高校で部活動を励めるようにもする。だから、だな…お前の生活を守らせてくれ」


 僕は頭を下げて頼み込む。環は掠れた声を漏らして、鼻を啜って答えた。


「…らない」


「ん?」


 聞き返したら胸にポコっと環の拳が当たる。


「…いらない!!兄さんは……兄さんはそうやって勝手に決めて…」


 環は強く僕の胸を再び叩く。突き飛ばされて距離が取られ始める。


「私のため?…ふざけないでそうやって上から押し付けて…全部…全部全部!自分のためでしょ!…」


 歯を食いしばって、頬を赤らめながら環は訴える。返す言葉すらない。

 僕は彼女の叫びを黙って聞いていた。言われなき罵倒であっても環にはそれを言う権利がある。

 ゆっくりと環は言葉を続ける。その声は震え切っていた。


「私の気持ちなんて…どうでもいいくせに!!……だったらもういいでしょ…裏切るつもりだったら期待なんかさせないでよ…」


 環の目からまた涙がこぼれ落ちる。それでも、涙をこらえて僕に叫ぶ。



「そんな優しさも独り善がりも嫌い!大嫌い!!」


 やっぱりな。自分の愚弄さに呆れてものも言えない。余命短しといえど焦っていいことはない。


 ただ、ちょっとだけ疲れたな。僕は首を回して深く息を吐いた。

 環は僕の気持ちを全く考えず綯い交ぜになった思いをぶつけて、はぁはぁと息切れしている。


 まったくよぉ。子供ってのはなんとも良い身分だ。どこか世の中の中心が自分だと思っていて、頑張ればとか、ちゃんと言い合えばなんとかなるとでも思っていやがる。そんなご都合素晴らしい世界だったらどんなに良かったんかねえ。

 

………

………………


 だからこそ俺がやんなきゃなんねえんだどな。



「そうだ。全部俺のエゴだ。何一つ気持ちに報いれないクズだ」


「だったら!……」と環は反論してくるが僕はおっ被せる。


「嫌いで憎い、関わりたくないって気持ちは尊重する。だけど……自分には責任がある。もうそれしか残っていないんだ」

 

 自分の顔が今どんなものになってるのか気を払えやしなかった。環は口を開こうとしているが空回りしている。僕の様子を見て言うのをやめたみたいだった。


「いずれ俺はいなくなる。だったらさ、その先ぐらい安心させてくれよ」


 「私は……」と環は言葉を詰まらせた。

 妹の垂れた鼻水と涙を拭く。借り物のタオルが台無しだ。後で謝っておこう。


「お前を愛している。一重にそれだけだ」


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