トロピカルほのぼの無職

 


 暑い夏だ。日の出による強制照射と、じっくりコトコト焼かれた熱風が僕の部屋を襲う。おかげで1時間分早く起きる羽目になった。


 なんて暑さだ。素晴らしき日本と言えど、この日光だけはどうにも好きになれない。


 眠気にもがきつつもベッドから起き上がり、深呼吸をする。


 その瞬間、こむら返りが起きた。鈍痛のそれを大事にさするも節々から激しい筋肉痛も迎えられる。


 ……全くこの体はうんざりする。

 繋がりが全く感じられん。



 ここ数日、剣や槍に真似た棒を公園で振り回し続けている。衰えた身体を戻すのは使うに限る。


 警察のお世話になり、身元の聞き込みを何度も食らったが……まぁ、それはそれとしてだ。


 人間の身体は使い勝手が悪すぎる。腹が減れば食わねばならぬし、疲れれば休まなければならない。


 アテにならないデジタル時計から察するに今日でちょうど一週間経った頃だ。




 今日も予定がねえな…。ここまで暇な日はそうそうない。

 生まれ故郷に来たからといってもやること本当にないし、暇だ。



 というか熱い。首から滴る汗も、とてもねばつく口も、全てが不快だ。魔法があれば、いっぺんに解決できたけど、ないものねだりしても仕方ない。




 最初に感動していたことも積み重ねてしまえば有難味を全く覚えなくなってしまうのは悲しさの極みだ。





 とりあえず、シャワーから先に浴びよう。

 それから、冷蔵庫から冷えた混合茶を飲み干そうではないか。



 乾いた喉を潤してくれるお茶はとても美味しい。この一杯はあっちでも馬鹿にはできるものか。




 「あれ。あ、そっか」




 不覚にも脱衣室で指輪を付け直すいつもの動作をしてしまった。ないものに触れるなんてことはできやしない。目の前の鏡にも確認は取れない。


 なんでことごとく僕はうんざりせねばならんのだ!!


 パンツをさっさと脱ごう。本当に悪い癖だ。




 脱皮した物体は洗濯籠に積み上がり雪崩を起こしたが、乾き上げた口に焦げ香ばしい麦茶は至福でしかない。


 誰もいない部屋なのだ。


 僕が何をしようと誰にも迷惑をかけないし、咎められることもない。これは僕のものだ。幾らだって飲んでやるさ。一人暮らしの特権って奴だ。




 だけども、電気がつかないこの部屋はとても窮屈に感じた。太陽の光に照らされた埃は主の許可を差し置いて自由に舞い上がってやがる。




 ゴミの分際でなんか気に入らないな。ここから出てやろう。僕こそが自由なんだ。




 マンションの一室を出て、使い込まれた手摺を掴んで、一階へ降りる。


 申し訳程度な灯りだけつけたエントランスを抜けて、外界に足を出せば、むわっとした空気に包まれた。蝉の声がうるさいくらいに響いている。




 僕が住んでる藤沢は、やっぱり蒸し暑く感じてしまう。鎌倉にだいぶ近いエリアと相まって人が多く集まってくる。




 なんとか麻衣っていう人気女優が済んでいるらしくて、目撃情報が出てるらしいんだけど、異世界にいた僕には昔のこと過ぎて分からないことの方が多い。

 ちょっと街中を行けば、不気味にも人々が首を項垂れて歩いてる。

 その一人に何をもってるのか聞いたら、スマホだとか言ってた。所謂、携帯だとか。

 



 ちなみに僕も持ってる。携板型じゃなくてパカパカ開く方だ。

 世に言う、ガラケーで、流行から随分と遅れて化石とも称されてる代物だ。

 だからといって、困ることの方が少ない日本が誇れる文化であることに違いない。

 素晴らしきかな日本。





 いや…全て訂正しよう。

 お金が払えないせいで誰一人として連絡できない。これじゃ単なる物体だ。

 ここまで自分が落ちぶれまくった奴だと思いたくないほどの交友関係の少なさ。

 圧倒的孤独感……!!




 ここへ来て何度目の憂いか。今更そんなこと言っても何も変わらないし。




 住宅を颯爽と走り抜けると、新林公園があって青緑の紅葉が顔を覗かせて来る。

 木陰のベンチに座っていると心が落ち着く。今日も例外じゃない。むしろ、毎日ずっとここへ来てしまってる気がするけど。

 別にいいだろう。警察の方はまだいないんだから。





 ハイキングコースを何周ほどか周回し、流れる雲を見つめながらぼーっとしていた。


 青茂った緑は、風に揺れればシャカシャカと優しく囁いてる。気付けば、あたりの空は暗くなり始めていた。もうすぐ夜が来る。

 何度も見たはずなのに沈んでいく太陽の揺らめきは涼しく感じる。とっても不思議だ。



 さて、帰ろうか。




 夕方。高架下から電車が通り過ぎる線路の軋む音。その音を聞く度に、都会に行きたい衝動に駆られるも、生憎と電車代はない。


 財布の中には五百円玉が寂しく一枚あるだけ。ここから行ける範囲はせいぜい戸塚ぐらいしか行けないと駅員に言われてしまう。


 当分は、我慢するしかないか。

 異世界にいたときは、金に困ることは殆どなかった。城も山を所有していたぐらいだ。当然ここにそんなものは持ってこれるわけもなく…身体も普通の人間に戻ってしまった以上、ただの高校生に過ぎない。


 僕には、これですら新鮮に感じてしまう。




 バイトを始めないとな。

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