異世界転移帰還者 帰ってきてもチートは使えません
アンゴル200帯
ただいま日本
久々の眠りと覚醒。
その後に思ったことは、長い夢を見終えた。そんな感覚だった。
見慣れない天井に向かって手をかざす。
真っ暗な部屋に微かに動く拳。ちゃんと動くようで良かった。
埃だらけの部屋。最後にいたところとは違う。確かにちゃんと来れたみたいだ。
結果はどうであれ僕の長い長い異世界での旅は終わった。自分で決めたはずなのに悔しさが心を満たす。
不意に目から溢れる雫が垂れていた。帰ってきたはずなのに、どこにも喜びなんてない。
僕は泣き止むのをただひたすら待つことにした。
一時間ぐらい経って、ぐしゃぐしゃになった顔のことを気にし始めるようになった。
そういえば、ここはかつて自分が住んでいた一室だ。
どういうことだ。
疑念が頭の中に湧き上がる中、居ても立っても居られない気持ちが沸き上がる。自分の手や顔の造形がすこし柔らかいのもそうだが、各所にあったはずの傷跡がない。
僕は急いで洗面所に向かう。鏡に映ったのは紛れもなく自分自身の姿だ。
しかし、顔つきは幼い。ひょろっとした腰、苦労知らずは肌、ボサボサの髭に長い髪の毛。
剣を持てば身体が耐えきれないほど衰えている。いや、戻ったと言った方が良いんだろう。異世界に行く前の姿がこんなに汚らしいとは思いもしなかった。
あそこでは身体の成長を二十三歳の時に止めて活動してたからすごいフォルムチェンジだ。
...とてもじゃないが落ち着けない。
鏡の前で手を動かし続けても違和感が残る。
ここはちょっと水を飲んだ方が良い。必要がない儀式的動作としても人間である証拠は捨ててはならない。
洗面所にあったマグカップに向かって僕は魔法を唱えた。
「出ろ。」
何も起こらない。あれ?魔法が使えないぞ?どうしてだ。これは一体どうなってる。
すぐそばにいるはずの精霊の声も聞こえやしない。
まずい、これは大変なことになった。悠人、このピンチ。お前なら切り抜けられる。
「そっか。ここじゃ魔法使えないんだ。」
事実の再認識をして急に力が抜けて床に座り込んでしまう。あぁ...そっか。科学技術を中心としてるこの世のじゃ蛇口を捻らないと水は出ないし、ガスを使って火をつけて料理をしている。電子レンジという電気製品を使って食べ物を温めている。そもそも、この世界には魔法という現象が介在しないから、人は自然法則を発見し技術として活用しているんだった。
だったというのは、もう本当に忘れてしまっていたからだ。
立ち上がると発狂寸前の顔が鏡の前にあった。驚愕して頬を両手で押さえているのは僕自身だ。でも、妙にふらつくし違和感はある。
科学技術ってすげえんだな。僕は、黙々と蛇口を捻りマグカップに水を入れていく。
暗い中でも透き通った色だ。
飲んでみて....久々に水が美味いと思った。こんな感じだったか?
たったコップ一杯の水。それだけで僕は自分の価値観を揺らがせていた。
もしかしてだが味覚が戻ってるのでは?
石鹸を嗅ぐと淡い匂いを感じ取れた。うん?
ん? あれは? もしや。
「え、2014年?確か....。」
部屋に飾ってあったカレンダーを見て僕は首を傾げる。
そうだ、異世界で冒険を始めた年の前だ。ということは、僕のこの身体といい、言えることはただ一つ。
「僕高校生じゃん。まじか。」
一人でに呟いてしまうほど、僕はパニックに陥っていた。本当にそうなのか?
疑問を確かねばなるまい。机を見ればそれを確かめられるだろう。
しかし、どうしても暗いと見にくい。
ジメジメしたカーテンをどかし、戸窓を開けると、日光のシャワーが出迎えてくれた。
な、なんて眩しさだ!!!
そういえば、僕は今の状況に少しだけ違和感がある。いや、少しどころじゃない。
無機質なモノトーンの景色がどこにもない方がおかしい。
目の中には次々神々しい光が移り込んでくれる。暴力的とも言える情報量と彩色溢れた光景に頭が痛み、立ち眩みに耐えきれなくなった僕は急いで自室へと避難した。
目をパチパチさせて眉間を抑えることでやっと自分の目が正常に動作しているのだと分かった。半神半人の身であった僕には、久々過ぎる感覚として刺激が強い。
幾十年失ってしまったものが完全に戻せているのであれば、嗅覚味覚も戻っているに違いない。
僕の足取りは自然と退散した場所にもう一度向かっていた。すると、よく焼けた温かい日の風が僕の鼻に重厚感ある匂いを届けてくれる。
あぁ.....これだ。
その香りを嗅いだ瞬間、忘れかけていたものが噴出した。
僕の肌、唾の味、舌触り。手の香り、汗の塩辛さ、全て鮮明に伝う。
この世界ではどこでもあるであろう景色の一角を見て、心を震わせる。
本当に僕は戻って来れた。
神でも勇者ですらもなくなった。
やり残しは嫌う性格なのだけれども、それでももういい。人の道を外れるのが怖くて僕はずっと我慢してきた。
しかし、ここにきてようやく解放されたのだ。強烈な経験は幾重にも積み重ねてきた。
こうして戻った事実は存外呆気なさすぎて、悲しさを薄れさせる。いや、どこかにまだあるんだろうけど。
ふぅーっと大きくため息をついて、それから深呼吸をする。さて、これから何を始めればいいのだろう。まだ、頭の中に残っている記憶の欠片。それをゆっくりと拾い集めて自分の手の中に握り締めた。
懐かしさはきっとある。外と比較すれば真っ暗と等しい我が家の中。そこにある部屋は近代機器で溢れかえっていて少しだけ切なく感じる。
色彩が戻ったことはとても嬉しいことだし、人間として完全に戻れたことは本当に良かったと思う。ただ、どうしても慣れないものがあって、それが今の僕を苦しめていた。
一歩を踏み出して外に出ようとは全く思えない。身体と心が追い付かないでいるのが現状だ。
だけど、なんと思っていようと体は食欲に素直。自分の足は鞭を打つように重く動いていた。記憶が正しければ行先は食料が入っているはずの冷蔵庫というやつだ。箱を開けるとそこには、それなりの食材が詰められていた。
「なんか作るか。」
誰に言うわけでもなく僕の声は木霊する。調理器具は一通り揃ってるし、調味料もまあまあある。調理器具は一通り揃ってるし、調味料もある。醤油、味醂、砂糖なんかが使えるのは嬉しい。コリアンダー、豆鼓醤、五香粉がないのは残念。
絶望的にまずいわけでもないが、決して美味いとは言えない混ぜ炒めが出来上がった。洗うのが面倒なのでフライパンを持ち上げてそのまま立ち食いすることにした。戦争中は、よくこの姿勢で食事を取っていたな。
人間腹を満たしてしまえば不思議なもので、気持ちが落ち着いてくるものだ。腹を膨らませた後、もう一度たこ寝を決め込みそのまま二度寝をしてしまった。
次に目覚めた時には、真っ赤に燃える働き者の太陽が丁度役目をお月様にバトンタッチしていた。今日最後の日差しを浴びながら僕は起き上がる。寝すぎたせいで頭がちょっと痛い。
さぁ、次こそは外に出よう。そう思った矢先、僕の体はそのまま横たわってしまった。僕の理性は露ほどにも役立たずだった。
.....何もしたくない。ただそんな駄々をこねた子供のような感情が胸の奥底から湧き上がっていて歯止めがかからない。ただ包まったほうが気持ち良い。
それからしばらく、僕は同じ生活を数日間続けることになった。
仕事を失い路上に立たされた人達と変わらない心境にとにかく陥っていた。これから先どうしたら良いのか。答えなんてとてもじゃないが出なかった。
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