第15話 さぁて、仕事仕事
「バッカモーン!!」
広い格納庫に大声が響いた。
写真を撮ることに夢中な男達はビクッと肩を震わせると恐る恐る声の方向を振り向く。
「貴様ら! 出撃までもう時間が無いんだぞ!! 何をやっとるかー!!」
声の源を見ると老人と呼んで差し支えない男性が仁王立ちで腕を組んでいた。
角張った顔に真っ白な髪は短く角刈りに揃えられており、身長は低いが、その体は岩のように分厚く鍛え抜かれている。
顔は真っ赤に怒気で染まっており、目は吊りあがってギリギリと歯を軋ませていた。
彼の名前はユルゲン・ベッカー。
他の皆から“ゲン爺”と呼ばれている、ニルスの前に整備士長を勤めていたベテランの軍人だった。
ズンズンと歩いてきたユルゲンは、直立不動で固まっている男達に次々とゲンコツを落としていく。
ゲンコツを喰らった男達は「すみませんでしたー!!」と大声で叫び、それぞれの持ち場へと戻っていった。
そして、アルマの前まで来ると床に倒れているニルスを
「ギャバッ!!…………????……っ!? ぎゃあああ、ゲ、ゲ、ゲン爺!!」
大きな叫び声を上げて飛び起きたニルスが周りを見渡すと、憤怒のゲン爺を見て、更に声を上げて直立不動でその場にビシッと立ちすくむ。
若くして技術と腕っ節で整備士長となったニルスが、この艦内で唯一頭が上がらない存在がこのゲン爺だった。
「ニルス嬢ちゃん。随分、余裕ぶってるじゃねぇか? えぇ!?」
「い、いえ、決してそのような事は――」
ニルスの言葉が終わらない内に、ニルスの頭にゲン爺の拳が下ろされた。
拳が当たった瞬間、またもやニルスの鼻からブッと鼻血が吹き出す。
「ったく、ようやく整備士長が板に付いてきたと思いきや……情けない。また、このちんまいアルマの嬢ちゃんにうつつを抜かして……抜かし、て」
そして、その時になって初めてアルマの顔を見たゲン爺がピタッと動きを止めた。
口をぽかんと開けて止まっているゲン爺が再び動き始めた時には、その手に携帯端末を掲げて、光の速度でカメラモードにすると連写を始めた。
「きゃわー! なになになに? アルマの嬢ちゃんドチャクソきゃわわなんですけどぉ!!」
先程までの憤怒の表情はいつの間にかデレッデレに溶けきっており、年に似合わない速度でその場を転げ回っては様々な角度でアルマをカメラに収めていく。
「……え、えぇぇ……」
カオスな状況がやっと終わったと安堵していたアルマは、再び訪れたカオスな状況にフリーズしてしまう。
周りに集まっていた男達はそそくさと自分の作業に戻っており、
横にいたニルスはこっそりと鼻にティッシュを詰めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「がっはっは! いやぁ、すまん。アルマの嬢ちゃんがめんこくなっておってびっくりしたわ!!」
ようやく自分の騎体にまでたどり着いたアルマがげんなりとしてゲン爺と相対していた。
「まったく、いつもめんこいめんこい思っとったのに、化粧したらほんとに別人みたいになってな」
ゲン爺はさっきからデレデレとアルマに言い寄っていた。
しかし、それは異性への恋愛や性欲といったものではなく、どちらかというと孫に対してのものであった。
「もうっ! ゲン爺さん、周りの人が見てますよ!!」
アルマの指摘にゲン爺がグルンと周りを見渡すと、チラチラとこちらを見ていた整備士達がサッと顔を逸らした。
「ん? 誰も見ておらんようじゃが?」
「ふぎぃぃぃ~~」
ニヤニヤと笑うゲン爺にアルマは地団駄を踏んで悔しがる。
「……そんなこと言ってると、ハルさんに告げ口しますよ」
しかし、次にアルマがベッカー家の最高権力者、ゲン爺の奥さんであるハル・ベッカーの名前を出すとゲン爺の表情がスンと冷めたものに変わる。
「さぁて、仕事仕事。アルマの嬢ちゃんや、今回の――」
「……その変わり身の早さは、私すごいと思います」
そそくさとタブレットを取り出したゲン爺にジト目で睨んでいたアルマは、ため息をひとつ吐くとゲン爺が持っているタブレットを覗き込んだ。
「今回の嬢ちゃんの騎体は要望通り実弾ライフルと弾薬を優先した構成にしといたぞ」
そう言って武装欄をタップすると、今回の作戦でアルマの騎体が装備する武装の一覧が表示される。
右腕にアルマが愛用している実弾系の中射程ライフルを持たせ、対中型種用のグレネードランチャーを四発ほど肩部に装備している。
それに近接戦闘用の短刀を二本、袖の部分に装着していた。
腰には閃光弾の投射装置を懸架しているが、これは武装ではなく、作戦の序盤で使用する使い捨ての道具である。
後は近接防御用の複合多層シールドを左腕に装備し、その内側に短距離ミサイルを二本装備している。
彼女の騎体にはハードポイント(武器を取りつける箇所)はまだ存在していたが、余っている箇所には全てライフル用のマガジンが取り付けられていた。
あまり多くの種類の武装は携行しておらず、シンプルな構成になっているのは彼女の戦闘スタイルと継戦時間を考えた結果であった。
「それと、今回は艦隊への帰還用の大型プロペラントブースターが背部スラスターに接続されておる。いつもと違う重心じゃからパージするまでは騎体の取り回しには注意が必要じゃぞ」
次に騎体全景が映され、背部のスラスター部分からは細長い、騎体の半分以上の長さがある円筒型の物が飛び出していた。
これは推進剤が詰められたプロペラントタンクに直接ブースターが取り付けられた代物で、作戦の第二フェイズで艦隊の周囲に戻ってくる際に使用される使い捨てのブースターユニットであった。
「まぁ、こんなもんか。いつもながらの質素な武装じゃの。ゴテゴテ付けるよりかは儂好みじゃが」
そう言ってガハハと笑うゲン爺はアルマの背中をバシバシ叩く。
アルマの戦闘スタイルは回避に重点を置いている為、普段からあまり重たい武装を彼女は好まなかった。
今回はハードポイントに弾薬を多くつけているているが、それすらも彼女は嫌っていた。
しかし、今回の相手には贅沢は言ってられなく渋々弾薬を積み込んでいる。
(機動のタイミングは修正が必要だなー)
うへー、と頭の中で愚痴を言いながら、その他の数値を確認したアルマはゲン爺のタブレットから視線を外して、自分の騎体を見上げる。
XIKU-25C
部下達が多く使用しているIKU-21の後継騎として製造された、試作騎を表すXの名を冠する彼女の愛騎。
直線的なパーツを多用された騎体は、装甲材の見直しで新型複合素材を使用した結果、IKU-21よりも軽量化に成功し、見た目も随分とスリムになっていた。
そして、本騎の最大の特徴は腰部の両側についた
従来の
しかし、本騎は背部のメインスラスターが新型ジェネレーターのおかげでIKU-21のニ割程度の出力増加に成功している上に、腰部にも可動式の大型スラスターを付けることによって大幅な機動性の向上に成功していた。
この後に開発されたIKU社製の
最近ではFE社製の
もちろんデメリットも存在しており、大きなもので推進剤の消費の多さが挙げられる。
また細かい機動自体、一般的なパイロットでは扱い切れるものではなく、稼働可能時間の短縮に扱いづらさが加わり、本騎が優秀ではあるが軍の制式採用騎に選ばれなかった理由だった。
本来であれば
初めてこの騎体に乗った日の事をアルマは今でも鮮明に思い出せる。
自分の思いどおりの機動を寸分違わずしてくれるこの騎体にアルマは乗って数分で惚れ抜いてしまった。
「うん。まぁ、
闇色のひんやりとした装甲板を手のひらで擦りながら、アルマがつぶやく。
「じゃあ、ゲン爺。そろそろ私、乗り込むね」
「おう、アルマの嬢ちゃん。頑張れよ!」
タンっ、とキャットウォークを蹴るとアルマの体がフワッと宙に浮いて、騎体のコックピットへと進んでいく。
その後、コックピットへと乗り込む直前に近づいてきたニルスとの
そして閉じるコックピット。
完全に装甲板が閉じ切るとコックピット内は真っ暗になるが、すぐにアルマの目に光が見え始める。
ヘルメットとコックピット内にある投射機が彼女の網膜に直接外の光景を投影しているのであった。
随分昔は、コックピット内にモニターを設置していた時期もあったらしいが、現在では全ての
手元を見るのに若干の慣れが必要であるが、この方式の方がコックピットを小型化できる上に、必要な機材も少なくなるなど、様々なメリットがあった。
『
アルマの騎体のマイクが外の放送を拾った。
その放送をきっかけに整備員達が蜘蛛の子を散らすように各出口から出ていく。
『格納庫内の気密解除。各
格納庫に張り巡らされていたキャットウォークが壁に折りたたまれていき、騎体をロックしていた足元の固定具が床へと消えていく。
各騎体のパネルに表示されていた気密を示すランプが緑から赤へと変わり、正面の壁がゆっくりと開いていった。
駆逐艦ヨークは元々
そのため、船体の左右に増設された縦に長い格納庫にはカタパルトなどの設備は付いておらず、
『ヨークコントロールより全
すると、発艦口に一番近い部下の騎体が数歩歩いていき、端まで来た騎体は少しだけ背中のスラスターを使用し、宇宙空間へと身を投げた。
次々に発艦していく部下の騎体。
そして、最後にアルマの騎体の番となる。
「こちら
『フェアリー1、ご武運を!!』
「ありがとう、ヨークコントロール。お互い頑張りましょう」
アルマの騎体の腰部分のスラスターから青白い炎が噴出されて、その騎体は宇宙空間へと滑るように飛び立っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
駆逐艦ヨークから飛び立ったアルマはスティック型の操縦桿を少し倒し、足元のフットペダルを軽く踏んだ。
その操作で大きく両手を広げた騎体は、広げた両手をブンと振り回しながら全てのスラスターを起動させて、横にクルッと一回転する。
「……うぅ、やっぱり少し重い」
今回の作戦の為に取り付けられたプロペラントブースター。
重量と重心の変化でいつもと違う愛騎の機動に顔をしかめたが、次の瞬間には「ま、いいか」と気持ちを切り替えて、左右に頭を振った。
騎体の頭部がアルマの頭の動きと連動して左右に動く。
頭部に備わっている二個の、人間の目のように配置されているセンサーカメラと機体各所に配置されているサブカメラからの映像がアルマの網膜へと投射された。
そして、アルマの視界には十一騎の闇色の機械の巨人が飛び込んでくる。
「
間髪入れずにアルマのヘルメットから副長であるゲイズの声が流れて来た。
「
周りに集まっていた部下のIKU-21が徐々にアルマの騎体と同調するように進路を合わせて横に広がっていく。
「フェアリー1より各小隊隊長へ。各小隊の報告をして下さい」
ゆっくりと艦隊の前方に向かっていたアルマの小隊が巡洋艦オーベイの前にたどり着くと、一旦小隊を止めて他の小隊に確認の声をかける。
「アインセル1より12まで発艦完了」
「
「ケットシー1から12までいつでもどうぞ」
「デュラハン1より12まで揃ってるぜ」
「エサソン1から12まで、全騎異常なし」
「グレムリン1から12まで皆いるよ」
「ホビット1から12まで発艦出来ました」
「ピクシー1から12まで、あーしらも全員揃ってるよ」
間髪入れずに各小隊長から返答が返ってくる。
そして、アルマの騎体のセンサーカメラに、漆黒の宇宙空間に溶け込んでいた闇色の巨人達がすぅっと浮き出るように現れてきた。
アルマの小隊を含めた九個の小隊、合計一〇八騎の
全騎が艦隊の前に出てくると、アルマの小隊の後ろで静かに止まる。
『オーベイコントロールより作戦参加の全
作戦開始時間まで三十分。
巡洋艦オーベイにいる管制オペレーターの若い女性の声が全てのパイロットの鼓膜を震わせる。
それを合図にして、アルマは大きく息を吸い込むと部下に対して叫ぶように指示を出す。
「フェアリー大隊! 全騎行動開始せよ!!」
「「「「「「「「了解!」」」」」」」」
各小隊の騎体達のスラスターから一斉に青白い炎が噴き出し、四方八方へと散っていく。
アルマ自身は、一度後ろに騎体を回すと艦隊に向かって帝国式の敬礼を自分の愛騎、XIKU-25Cに取らせた。
約五秒。
ゆっくりと敬礼を解くと、フットペダルを踏み込み始める。
その途端、背中と腰から四条の青白い光が溢れてきた。
「フェアリー小隊も移動を開始します。全騎用意!」
部下の騎体の背中からも青白い光が漏れ始めてくる。
「フェアリー小隊、行動開始!!」
「「「「「「了解!!」」」」」」
アルマがフットペダルを目一杯踏み込むと、各部のスラスターから眩い光が吹き出し、騎体の中のアルマの背中を力強く押す。
他の
こうして、アルマ率いるフェアリー小隊の十二騎も担当宙域へ向けて一斉に飛び立って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……行ってしまいましたな」
「ええ。私達も準備しないと」
その光景を巡洋艦オーベイの中で見ていたエドマンがポツリと呟いた一言に、傍にいたオリビアが応える。
「はっはっは。そうですな。久々の『お祭り』です。きちんと準備しないと」
そう言ったエドマンが被っている黒の軍帽に両手を添えると、クルッと前後反対に帽子を回して頭に被り直し、次いで軍服のボタンを全て外して前を開けた。
「……その格好をもう一度見れるなんてね」
その様子を見ていたオリビアが口の端を持ち上げて懐かしそうな視線をエドマンに向けた。
が、
「――嫌な思い出しかないわ」
すぐにウンザリしたような表情に変わり、大きくため息をついた。
エドマンが戦いの前にいつも取る軍服の着崩し方。
そして、その時にはいつも散々苦労を掛けられていたのはオリビアだったからだ。
「ま、まぁ、今回は数千隻の艦隊に百隻足らずで突撃なんてしませんとも」
慌てて取り繕おうとしたエドマンが、茶目っ気たっぷりに片目でウィンクをして誤魔化すように早口でまくし立てる。
「あなたは、全く……。あの時よりも状況は悪いでしょうが!」
それに対して、ゲンナリしたオリビアが肩を落とす。
はっはっは、これは一本取られましたなぁ。と、頭を搔く司令官を見ていた巡洋艦オーベイのクルー達は思わず苦笑いを浮かべた。
そして絶体絶命の間際とは思えない程の軽い雰囲気がブリッジを包んでいた。
この時、エドマンとオリビアは「
それは彼らが長年の経験から、『いつも通りの事をいつも通りこなす事』が一番効率が良い事を熟知しているに他ならない。
そして、人間は緊張した状態では『いつも通りの事をいつも通りこなす事』が一番難しくなる。
エドマンやオリビアとて人間だ。
彼らとて不安感や焦燥感は感じている。
しかし、この場面で上に立つ者の振る舞い方を二人はよく弁えていた。
泣き叫ぶ心に鉄の門で蓋を閉め、曇る顔に笑顔の鉄仮面を張り付けて二人は普段通りに振舞った。
作戦開始まで残り三十分。
上に立つ者の戦いは、既に始まっていた。
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