第14話 衛生兵、衛生兵!!
アルマの目の前に来た男は怒りの表情を浮かべていた。
「隊長。約束は忘れた?」
男の体は大きく、アルマの頭が彼の胸の高さにあり、見上げるように彼の表情を見たアルマはバツが悪そうに顔を背ける。
「ふぅ。……ほら、目を閉じなさい」
アルマの態度に男は大きなため息を一つ吐くと、若干表情を和らげて彼女に語りかける。
そんな彼の態度に少し安心したようなアルマは、言われるがまま素直に目を閉じた。
するとアルマの小ぶりな唇に、硬いが少し柔らかいものが押し付けられる感触が襲った。
それは舐めるように彼女の唇の端から端へと往復していく。
何度かアルマの唇を往復した後に、その硬いものはゆっくりと彼女の唇から離れていった。
「ほら、目を開けて」
彼の優しい声にアルマが目を開けると、大柄な男は中腰になって彼女と同じ目線に頭を下げて、ニッコリと笑っていた。
「ん~、やっぱりワタシの思った通り! 隊長ちゃんに似合っているわ~♪」
アルマの目線に合わせた男の顔は非常にインパクトがあるものだった。
浅黒い肌に筋骨隆々な体、たくさんの小さな三つ編みを束ねたブレイズヘアと呼ばれる髪型の大男。
彼の目の下にはピンク色のチークが塗りたくられており、その上にあるまぶたには艶のある長いまつ毛がまばたきする度にバッサバッサと大きく揺れている。
そして、ニッコリと笑った分厚い唇には真っ赤な口紅が塗られて、一見して不気味に映るが、よく見ると不思議と彼の肌色に非常にマッチしていた。
「もう! 隊長ちゃん! お化粧は女の子の最強の武器よ! 大切な戦いの前にはきちんとお化粧しなさいな」
プンプン!と怒ったような様子を見せながらも、男は胸ポケットから可愛らしいピンク色のコンパクトを取り出すとアルマに向けて開く。
開いたコンパクトにはめられた鏡にはいつも見慣れた自分の顔が写っていた。
しかし、小ぶりではあるが、プックリとした柔らかそうな唇はいつもは薄いピンク色をしていたが、鏡に写っていた唇は赤色に若干のオレンジ色が混ざった明るい色に変わっていた。
しかも、みずみずしい光沢を湛えた彼女の唇はいつもより柔らかそうで、彼女の幼い外見を年齢に相応しい大人の女性に変化していた。
「わぁぁ。綺麗……」
「うふ♪ 帝国堂の春の新色よ」
そう言いながら、彼はアルマの唇に塗った口紅を彼女の手に握らせた。
「え!?」
「隊長ちゃんの為に買ったのよ? ほら、受け取って、受け取って!」
目を細めてニコッと笑った彼は、コテンと首をかしげて嬉しそうにアルマを見ている。
「でもでも、こんな……」
「うふふ。ワタシにはその色は少し明るすぎるわん♪ それに――」
そう言って長いまつ毛をバッサバッサと揺らしながら、バチコンとウィンクした男は「ん~~、ちゅっ!」と真っ赤な唇をすぼめて大きな音を出した。
「――オ・ト・ナ・のワタシには深いルージュがよく似合うの♪」
彼はジョージ・マッケンジー少尉。
アルマの率いる大隊の第三小隊隊長を務める軍人である。
そして、神様のいたずらで屈強な男の体に繊細な乙女の心を植え付けられた、正真正銘のオネエ系男子であった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「隊長ちゃん座って、座って♪」
ジョージは嬉しそうにアルマの肩を押して部屋に押し戻し、椅子に座らせた。
「じゃ~~ん!」
アルマが椅子に座ると、ジョージは軍服の前を開けてそこに両手を突っ込んだ。
そして、次に彼が手を服の中から抜き出した時には指と指の間に様々なメイク道具が握られていた。
「♪♪♪~~♪♪~♪」
軽やかなメロディを口ずさむジョージが椅子に座ったアルマの前髪を大きなクリップで留めると、リキッドファンデーションを薄く彼女の顔に広げて、次いで大きめのブラシをその手に握る。
「やっぱり隊長ちゃんにはパウダーは軽めがいいわね」
柔らかそうなフェイスパウダーを大きめなブラシで顔全体にサッと塗った。
「んふ。ベースは完璧♪」
次にアイシャドウを取り出すと目を瞑ったアルマのアイホールにブラシをスッスッと往復させ、目尻の下をトントンと優しく叩く。
徐々に明るい色を乗せていくと、最後に彼はゴツイ指に直接付けてスーッとアルマのまぶたをなぞった。
「涙袋はちょっとラメ入れてキラキラさせるわね~」
次にアイライナーのペンを取り出すとアルマの上まぶたを少し上げて、サッサッと線を引いていく。
そして、目尻まで引くと少し下に向けてペンを止めた。
「童顔の隊長ちゃんはクリックリの愛されタレ目で決まりね♪」
最後に目の下に明るい色のチークを入れて、ジョージは「ふぅ~」と右腕で額を拭った。
そして、ジョージが差し出したコンパクトを見て、アルマはビクッと体を震わせる。
「……いつみてもジョージさんのいメイクすごいです!」
アルマの様子を嬉しそうに見ていたジョージは人差し指をピッと伸ばしてノンノンと左右に揺らした。
「違うわ。元々の素材がいいもの。ワタシのメイクはそれを引き出すだけ」
「べ、勉強になります、師匠」
うぅ、と小さく呻き声をあげるアルマのおでこをジョージのゴツイ指がピンッと弾いた。
「あうっ!?」
「それ何度目よ。きちんとお化粧したら隊長ちゃんはめちゃくちゃ可愛いのに勿体ないわ。……好きな男の子とデートする時に焦ってもしょうがないわよ?」
何度メイクを教えても一向に自分ではしようとしない不肖の弟子に呆れながらも、冗談めかして言った一言でアルマの顔にメイクとは違う朱が浮かぶのを、彼は見逃さなかった。
「……あら? あらあら? 隊長ちゃん、もしかして好きな人でもいるの?」
「ふえっ! ち、違う、そんな人居ません!」
その慌て具合にジョージの乙女の勘がビンビンに働く。
「え~、どんな人かしら? 年下? それとも年上? カッコイイ系かしら。それともカワイイ系?」
顔を真っ赤に否定するアルマに対して、お構い無しにグイグイ踏み込んでくるジョージ。
その顔には満面の喜色が浮かんでいた。
「うふふ。その、気になる彼とデートする時は私を呼んでね? 本気も本気、ワタシの全力メイクでその殿方もイチコロよん♪」
アルマの人生の中で出会ってきた男性は意外と多い。
軍という組織上どうしても構成する性別は男性に偏ってしまうからだ。
その中で、上官や部下、または同僚という括りの外にある男性はというと途端に少なくなる。
親やジュニアスクールの友達、幼年学校や士官学校の同級生など。
しかし、彼女の中で一人だけ扱いに困っている人物がいた。
黒髪の綺麗な顔をした、自分のライバルである男性。
その男性に抱く想いが恋心なのかと言うと、彼女は速攻で否定しただろう。
たしかに友達以上の感情を持っている事は否定しない。
しかし、それは親に向ける感情というのが一番しっくりくるものだった。
一緒にいて楽しいし、何より安心出来る。
よく恋バナで聞く恋愛のドキドキ感など皆無であった。
だから彼女はそれが異性への好意や恋であるとは認識していなかった。
しかし、精神が幼い彼女はこの時まだ気づいていなかった。
自分の戯れで放った一言に顔を真っ赤にさせたり、ブンブンと勢いよく左右に振っているアルマの様子を楽しそうに見ていたジョージは手を口の前にかざして、楽しそうに笑う。
「隊長ちゃんは本当に可愛くて、本当に綺麗ね……本当に、ふぐっ」
しかしその時、不意に彼の大きな目から涙が流れ出してくる。
「……あら、ごめん、ひぐっ、なさいね。すんっ、嫌だわ~、うぅ、ワタシったら」
慌てて、上を向くジョージ。
しかし、目から溢れてくる涙は一向に止まる気配を見せない。
「……ありがとうね、隊長ちゃん。こんな気持ち悪い男に、これまで付き合ってくれて」
泣きながら、必死に笑おうとするジョージにアルマは真っ直ぐに否定した。
「ジョージさんは気持ち悪くなんかないです!」
ジョージの肩を掴んだアルマが真っ直ぐに彼の目を見る。
「お化粧だって上手ですし、皆への気配りだって凄いですし、お料理だってとっても上手です。私が男の人だったら、きっとほっときません!」
世間の評価では、ジョージのような男性は敬遠される。
彼の人生の中でそれは何度も体験した事であったし、よく分かっていた。
しかし、目の前にいるアルマの言葉には全く嘘の気配がなかった。
この幼い見た目の少女は本心でさっきの言葉を言っている事が彼には分かったのだ。
「うふ。……そうね。ワタシも素敵な彼ピを見つけないと、ね♪」
ジョージはズボンのポケットから純白のハンカチを取り出すと、目に当てて涙を拭った。
「うふふ。命短し恋せよ乙女……簡単に死んでる場合じゃないわね♪」
マスカラで真っ黒ににじんだハンカチをしまうと、ニコッと白い歯を見せて大きく笑う。
そして、メイク道具を胸の中にしまうと、サッと崩れた敬礼をアルマへと向けた。
「それじゃあね、隊長ちゃん♪ この戦いが終わったら、もっとキチンと隊長ちゃんをメイクして、皆をビックリさせちゃうんだから♪」
気を取り直した風のジョージはヒラヒラと手を振って部屋を出ていった。
残されたアルマは椅子から立ち上がると、自分の携帯端末を取り出し、カメラモードにして自分の顔を撮った。
そして、撮った写真を表示すると「うわぁ……」と一言呟き、また顔を赤くさせる。
写真に写った自分の顔は、いつもの自分を三倍くらい盛ったように感じた。
ひとしきり嬉しい悲鳴をあげた彼女は、画面をホーム画面に戻して、電源を切ってポケットにしまい込んで部屋を出ていった。
彼女が電源を切る直前に見えたホーム画面の画像。
そこには二人の男女が映っていた。
黒髪の少年が亜麻色の少女の小脇に抱えられている画像が映っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
駆逐艦ヨーク格納庫
「三! 二! 一!……プロペラントブースター接続!」
「今のうちに電源ラインの確認しとけ!」
「バカヤロウ!! 追加装甲をすぐに持ってこい!! Cの三二だ! 急げ急げ急げ!!」
「はぁ? AIのバージョンアップ? 終わってからしてくれ、そんなもん」
「終わったら、工具のチェック!! 次行くぞ、グズグズするな!!」
そこかしこで怒号が飛びながら整備士達が走り回っている。
「テメェら、
「「「「「はい、姐さん!!!」」」」」
格納庫の中に、茶色の髪を三つ編みでまとめて黒縁のメガネをかけた大柄の女性が、タブレットを片手に歩き回っている。
整備士長であるニルス・バークレイは自身は作業をすることなく、整備士達の作業状況を確認していた。
「……よし、時間には間に合いそうだな」
黒縁メガネの片隅に表示されている時間を確認しながらニルスは、そう独り言ちる。
整備も大詰めに入り、いくつか足らないパーツを数人の整備士達が資材庫に取りに行っている。
それが届き次第、最後のチェックをして完了となる。
格納庫に鎮座している
いつもなら、いの一番に来ているはずの亜麻色の髪の少女が居ないことに若干の疑問を持ちながら、カツカツと安全靴の底を鳴らしながらニルスはキャットウォークを歩いていく。
「それにしてもアルマ隊長は遅ぇな……おい! そこは八番だ! 隣から取ってこい!!」
キョロキョロしながらも整備士に檄を飛ばすニルス。
そうして、キャットウォークの端まで歩いた時、気密扉の圧搾空気が抜けて一人のパイロットが格納庫へと入ってきた。
身長がニルスの胸までしかない小柄なパイロット。
駆逐艦ヨークにいる小柄なパイロットは一人しかおらず、それが先程からニルスが探していた人物であると瞬時に判断する。
「アルマ隊長ぉ。遅いですよ~。お待ちしてましたぁ」
ニルスの口調がいつものアルマ隊長用の猫なで声に変わる。
入ってきた人物の元へと駆け寄り、いつものスキンシップをしようとした時、彼女はある事に気づいた。
白いパイロットスーツを着たアルマは、なぜかヘルメットを被っていたのだ。
いや、ヘルメットを被っているのは別にいい。
しかし、下ろしているバイザーが光量を制限する反射モードになっていて、中の顔が見えなくなっていたのだ。
「隊長ぉ、バイザーなんか下げてぇ、どうしたんですかぁ?」
「え? え? ……なんでもないですよ~」
ニルスの問いかけに挙動不審になるアルマ。
その様子をじ~っと見つめたニルスは、おもむろにアルマのヘルメットの後ろに手を回すと、そこにあったボタンを押した。
それは緊急時にヘルメットのバイザーを上げる為のボタンで、そこを押されたアルマのヘルメットのバイザーが勢いよく上がる。
「………………………………」
「ニ、ニルス整備士長?」
現れたアルマの顔を見たニルスは、ニコニコ顔を急に無表情にさせる。
その様子にアルマは不安げにニルスの名前を呼んだ。
しかし、ニルスからの返答は無い。
そのうち、ニルスの顔に変化が現れた。
綺麗な鼻筋の先から、真っ赤なものがツーっと流れ出てきたのだ。
「………………ア、ありがとうございましたァァァァ!!!!」
意味不明な絶叫を上げたかと思う間もなく、ニルスの鼻の穴からブボッと音を立てて鼻血が吹き上がった。
そして、ゆっくりとニルスは後ろに倒れてしまうのだった。
「――ニ、ニルスさん、ニルスさん!! え、衛生兵、衛生兵!!」
突然の事態にアルマはぎょっとして、周りをキョロキョロ見渡して大声をあげる。
その様子に、周りにいた整備士達やパイロット達が何事かとアルマ達の方を見た。
そして、キョロキョロと慌てた様子で頭を振るアルマの顔を見ると全員がピタッと動きを止める。
まるでホラーのような状況に、更にアルマが困惑していると、動きを止めた男達が一斉に携帯端末を取り出してカメラモードにすると、アルマをパシャパシャと撮り始めた。
「え、え、なんで、何で私を撮ってるの~!?」
鼻血をダラダラ流しながら幸せそうに倒れているニルスを介抱しているアルマの顔を撮る無表情の男達。
地獄絵図のようなその光景は、数分後に資材庫から帰ってきた整備士のゲン爺さん(六十一才)の一喝が響くまで止まることは無かった。
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