第12話 ここが私達の『死に場所』でよろしいですかな?
ピピピピピピ。
暗闇の中、ある部屋に電子音が鳴り響いていた。
「……ん、んぅ。……ふあぁぁぁぁ……んにゃむにゃむ」
部屋の主、アルマ・カーマインはベッドからムクっと上半身を起こし、電子音の元を止めると猫のように背伸びをし、目元をこする。
そしてもう一度ゴロンとベッドに寝転ぶと足や手を曲げ伸ばして軽くストレッチを開始した。
細い手足には女性らしい丸みがあり、屋内や騎体の中で過ごすことが多いのでその肌は白い。
目鼻のパーツに対して小さな顔の輪郭は、周りから見れば少し幼い印象を抱かせる事が多いが、彼女は今年二十三歳の立派な大人の女性であった。
そうして、少しの間ストレッチをすると完全に起き上がり、脇のハンガーにかけていた軍服を着る。
亜麻色の髪の毛を手ぐしで整えているとデスクの上に置いてある携帯端末に目が向く。
「……あ、点けっぱなしだ」
それは眠る前に送ったメッセージ。
宛先の名前を見て、アルマは少し笑顔を浮かべる。
ウィリアム・ロックウェル。
学校時代、アルマのライバルだった男性の名前だった。
艶のある黒髪に目鼻が驚くほど整った綺麗な男性。
出会った頃は眉間にシワを寄せて怖い印象だったが、『あの日』以降は穏やかな顔つきになり、いつもアルマの傍にいてくれていた優しい人だった。
士官学校を卒業して五年になるが、ついぞ彼と再び出会う事が無いままに今日を迎えていた。
士官学校を卒業してからもお互いに連絡を取っていたが、徐々に連絡が少なくなっていき一年前からは全く連絡を取っていなかった。
恐らくウィルは今頃どこかの小艦隊で指揮官でもしているのだろうな、と思う。
学生時代から優秀な成績だったから昇進も早いだろう、と。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一時間後
「アルマ・カーマイン少佐、出頭致しました」
そこは駆逐艦ヨークとは違った戦闘艦の一室だった。
この第二〇八辺境パトロール艦隊の旗艦を務める巡洋艦“オーベイ”
駆逐艦よりも大型の八四〇mを誇る巨艦に、連絡艇で訪れていたアルマがいた。
「アルマさん。ご苦労様ですな。ささ、どうぞ座りなさい」
部屋の中には老人が一人。デスクから立ち上がりアルマを出迎えていた。
エドマン・アンダーソン大佐
今年で六十一歳となるこの巡洋艦の長にして、艦隊の指揮官を兼ねる人物であった。
温和そうな顔には年相応の深いシワが刻まれ、ロマンスグレーの頭髪は、この男性の生きた時間の長さを物語っていた。
デスクの真向かいに設置された椅子に腰を下ろすと、アルマは早速持ってきたタブレット端末を起動し、デスクに置く。
「失礼しますよ」
その時アルマの背後、部屋の出入口から女性の声が聞こえる。
入ってきたすみれ色の髪をした女性はエドマンと同年代に見える女性だった。
オリビア・カーター中佐。
エドマンと同じようなニコニコと温和そうな笑顔を、女性らしい丸いアンダーリムの眼鏡の奥に浮かべた女性がトレーを持って部屋に入ってくる。
エドマンの副長を務めるオリビアは、エドマンが艦隊指揮を執る際に彼の補佐をするだけでなく、この巡洋艦“オーベイ”自体の指揮をする。
実質的なこの巡洋艦の主であった。
デスクまで来たオリビアはトレーに乗っていた紅茶をアルマと自分の席に置き、グリーンティーが入ったアリタティーカップをエドマンの前に置く。
そして、自分はアルマの隣の席に座ってニコニコとアルマの方を見ていた。
「早速ですが、今回の作戦は
「アルマちゃん。今日のクッキーはね、ドライフルーツを入れてみたの」
「はっはっは。オリビアのクッキーは美味しいですからな、ところで私のせんべいは――」
「いえ、あの、少しまとめてみたのでこちらのタブレットを見て――」
「はい、アルマちゃん、あ~ん。ドライフルーツが甘くて美味しいわよ?」
「はっはっは。オリビア、私のせんべいはどこですかな?」
「あ、あの、あぅぅ……あ、あ~ん……ぱく。もぐもぐ――――んんん~! オリビアさん、このクッキーすっごく美味しい!!」
「まぁ、いい食べっぷり。ほらほら、まだまだあるわよ。はい、あ~ん」
「はっはっは。私も一枚貰いますかな、って痛っ! オリビア! 私にも一枚くらいいいでしょ!」
「あ~ん、ぱく。もぐもぐ……。~~!! 今度は干しぶどうだ!」
がさがさ(デスクからせんべいを出す音) 。
ばりばり。ずずぅ~。
「ふぅ」
「次はイチジクよ。はい、あ~ん」
「あ~ん、ぱく……もぐもぐ。……ん~、イチジクも美味しい!!」
サッ(隙を見てクッキー取ろうとするエドマンの手)
パシッ(それを叩き落とすオリビアの手)
「さぁさぁ、つ・ぎ・は……アルマちゃんの大好きなアプリコットよ!」
「アプリコット! オリビアさん! 早く、早く! あ~ん! あ~ん!」
しくしく。ずずぅ~
「今日のせんべいは妙にしょっぱいですな……」
まるでひなが親鳥に餌を求めるように口を開けたアルマに、オリビアは次々とクッキーを放り込んでいく。
頬をパンパンに膨らませたアルマがモグモグと幸せそうに
オリビアのクッキーを堪能したアルマがハッとした表情で我に返ったのはそれから五分ほどかかった後で、恥ずかしそうに顔を赤くする。
その様子にニコニコと笑みを浮かべるオリビアはポケットから可愛くラッピングしたクッキーを取りだし、アルマへと渡す。
その後、席を立つとエドマンの横まで歩いていき、その横の簡易椅子にそっと腰を下ろした。
「……コホン。も、申し訳ありません。改めて、作戦概要を――」
少し顔を赤くしながら何とか取り繕うとしたアルマは、しかし残念なことに口の端に
それから
「以上です」
説明は短い時間で終わった。
今回の迎撃戦ではアモスの物量に対して味方の数は極めて少数であり、そもそも採れる作戦はあまり多くない。
「まぁ、妥当なところですな。というか、その行動以外は出来ませんでしょうし」
その意図はもちろんエドマンも理解している。
「艦隊の方も
苦笑を浮かべつつ、そうこぼすエドマン。
横でも、えぇそうね。とオリビアが相槌を打っている。
「ところで――」
お互いに現状のすり合わせを終えた後、両手を顔の前で組んだエドマンが優しくアルマへ聞いてきた。
「ここが私達の『死に場所』でよろしいかな?」
エドマンの一言にアルマの表情が強ばる。
「アルマさんが
その問いかけにアルマは何も答えられなかった。
泣きそうな顔になり、ギュッとその小さな拳を膝の上で握り込む。
「……アルマさん。別に私はあなたを非難しているのではないのです。特に今回は不慮の事故のようなものですし」
エドマンの顔には相変わらず笑みが張り付いていたが、どこか陰のある表情だった。
「
そうですね?オリビア。とエドマンに顔を向けられたオリビアもゆっくりと首を縦に振り、それに同意する。
「私達の後方には二千万人の一般市民が暮らす惑星があります。今回はそれを守る為の戦いなのです」
「そう、ね。
エドマンとオリビアはお互い自嘲気味に笑うと、目の前で縮こまっている小さな女性をしっかりと見据える。
「『汝、民を守る盾となれ』――軍人としての本懐を遂げられるのです。これ以上望むのはワガママというものですわ」
ポロポロとその目から涙を流し始めるアルマを、『あぁ、この泣き顔を見るのも二度目だな』と感慨深く見つめたエドマンは椅子から立ち上がって身を乗り出す。
「人生も、腹の具合も八分目がちょうどいいんですよ? アルマさん」
そう言ってアルマの頬に、年輪が刻まれたようなゴツゴツした手を添えて、彼女の涙を指で拭う。
その際に口に付いていたクッキーの欠片を取ると、自分の前に持ってきてイタズラ小僧のようにニコッと笑った。
「ふふっ。“突撃卿エドマン”、“頭のネジを母親の中に置き忘れた男”と呼ばれていたあなたの最期にしては消極的な事が心残りの癖に。年下の女の子の前で格好つけちゃって、この人は」
「これは一本取られました! まぁ、今は落ち着いていますぞ? あまり若気の至りを蒸し返さないで欲しいですな、オリビア。はっはっは」
アルマがこの第二〇八辺境パトロール艦隊に配属されて二年。
自分の祖父母のように暖かい二人には、まだ自分が知らない事の方が多い。
さっきオリビアが言ったエドマンのあだ名も初めて知った事だった。
アルマの本心で言えば、この二人や艦隊の皆には撤退して欲しい。
目の前の二人はもちろん、整備士長のニルスや他の搭乗員達にも決して死んで欲しくはない。
しかし、心を決めたこの老軍人達にはこれ以上の説得は、むしろ失礼に当たると思った。
「
椅子から立ち上がったアルマが綺麗な帝国軍式の敬礼をする。
それに対して、全く違和感の無い、普段の所作に組み込まれているような自然な答礼を返した二人を確認したアルマはそのまま後ろを振り返り部屋を出ていった。
部屋から出て行ったアルマを見ていたエドマンは一つため息をつく。
「……私はアルマさん達の方こそ、撤退して欲しいんですがね」
ポツリと呟いた一言に、オリビアが応える。
「……状況が許せば若者達だけでも、と思いましたがそれすら許してくれないんですもの」
オリビアの顔は酷く歪み、後悔の表情がありありと見て取れる。
アルマがエドマン達に死んで欲しくないように、エドマン達もアルマ達若い軍人には死んで欲しくなかった。
その為のシミュレーションを艦の量子コンピューターを使って何度も試行したが、結論は変わらなかった。
「せめてレゾナンス粒子を積んでいれば……」
迫りくる鈍足なアモス達に対して、
この宙域にレゾナンス粒子が全く存在していなかったからだ。
通常の任務でも緊急時の為にレゾナンス粒子を入れたタンクを装備しているが、それは通信用の極少量だ。
もし、この第二〇八辺境パトロール艦隊全部を
そのような大型艦よりも小型の巡洋艦が旗艦となっているこの艦隊には、出港時に弾薬や食料品を犠牲にしてまでレゾナンス粒子を積む、という選択肢などある訳がなかった。
「まぁ、今更無いものねだりをしても仕方ないでしょう。あなたらしくないですぞ、オリビア」
「……えぇ、そうね。全くその通りだわ」
そう言って少し落ち着いた自分の副官の様子を見ていたエドマンがポツリと呟く。
「それに先程あなたが言っていた心残りですが、私は今は不思議と何もありませんよ。私が生きた『意味』を残せるんです。無駄死にじゃありませんから」
彼の目には本当に後悔も不満の色が浮かんでいなかった。
エドマンは四十年ほど軍人として生きてきて、長い間敵国との争いの最前線を駆け抜けてきた。
この歳になって名誉職として戦争から最も遠い辺境に押し込められて、ただただ歳を重ねていただけの自分に訪れた、恐らく人生の最後の戦い。
それが帝国臣民を守る為のものであった事に彼は自身の人生の意味を見いだしていた。
先程オリビアが言っていた「汝、民を守る盾となれ」という軍人の本懐を果たせる現状に満足すら覚えていた。
そこまで考えてオリビアを、自分の人生の大半の期間を横で付き添ってくれていた女性を見て口の端を少し上げる。
「……まぁ、もし心残りがあるとすれば『宇宙一のいい女性にプロポーズをしなかった』事くらい、ですかな!」
はっはっは、と照れている事を隠すように笑ったエドマンに対して、オリビアは呆れたように笑う。
「そうね。まぁ、誰とは言いませんが、私も『宇宙一の朴念仁さんにプロポーズをしてもらえなかった』事が、生涯で一番の心残りですわ」
参りましたな、と頭をかくエドマンとオリビアが視線を結ぶ。
若い頃から変わらない目線にお互い安堵感を覚える。
それは三十年以上前に軍人として将来を嘱望された、新進気鋭の二人がコンビを組んだ頃と変わらないモノだった。
それは
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