第9話 お前はこの娘とどうなりたい
「――陛下!!」
ウィリアムの秘めた恋心を「くだらない」と吐き捨てるように言ったオルフェインに対して、セシリアが抗議の声を上げる。
しかし、その声を無視するようにオルフェインはウィリアムへとゆっくりと近づき、羞恥に蹲まっているウィリアムへと声をかけた。
「立て、ウィリアム」
「…………」
「立て、と言っているだろう! このバカモノが!!」
強引に襟首を持ち、ウィリアムを立たせるとその頬を思い切り――
殴った。
「相手が一般市民だから告白ができない? 貴様の弱い心を誤魔化す為に上手い言い訳を考えたものだな、えぇ? 小僧!!」
殴られたウィリアムは少し後ろへよろけたが、すぐに体勢を立て直してオルフェインの方に唖然とした顔を向ける。
「――陛下!! 何をなさっているのです!!」
セシリアが思わず、といった様子でウィリアムへ駆け寄る。
思いもよらない突然の行動に部屋にいた全員が絶句した。
特に末の娘は見たことも無い父親の様子に恐怖し、横にいた姉のクローディアのスカートをギュッと掴む。
「この娘への想いを諦めたのならば、なぜその時に貴族としての義務を果たそうとしなかった!!」
今度はウィリアムの胸ぐらを掴むと額と額がつくぐらいの距離に詰め寄り、さらに声を荒らげた。
「この娘への想いを諦めたのなら、今、この場で婚約者を選べ! 『相応しい女性が現れたら』などとほざいていたが、貴様に話が来ている女性は家柄、器量とも世のほとんどの男性が望むべくもない者達ばかりだ!!」
それにウィリアムは答えられなかった。
「 貴族という立場を……皇族という立場を貴様の都合よく使うな!!!」
確かにオルフェインの言うことはもっともだった。
だからウィリアムは何も答えられない。
そのまま、何も言わない息子に対してオルフェインは続ける。
「ウィリアム。俺が何に対して怒っているか、お前まだ分かってねぇだろ」
そう言うと、急にウィリアムの横で彼を庇うように立っていたセシリアの肩を抱き、そして、自分の元へ強引に引き寄せた。
「へ、陛下、急になにを――」
「俺はセシリアをこの宇宙で一番愛している!」
突然の告白。
言われた当のセシリアは「へあっ!?」と間抜けな声を出すと、次第に顔を真っ赤にしていく。
「でもな、それはセシリアが公爵家令嬢だから好きになったわけじゃねぇ。惚れた女が『たまたま』公爵家令嬢だっただけだ」
コンラッドの方に顔だけ向けて言い放つ。
「コンラッド、クローディア! お前達の母親のヨンハも連合王国のお姫さんだったから好きになったわけじゃねぇ」
今度はマクシミリアンの方を見て言う。
「もちろんマクシミリアン、お前の母親のエレーナも連邦評議会のお偉いさんの娘だったから好きになったわけじゃねぇ」
ちなみに
セシリアがまだ十代の頃、在籍していた貴族学校に留学生として帝国に滞在していたヨンハとエレーナとは親しい友人関係にあった。
そして、その学校の一学年上にオルフェインがおり、彼はこの三人の女性に一目惚れをして、全員へ同じ日に告白をしたというのがこの四人の馴れ初めであった。
もちろんだが、女性三名に同時に告白するというクズ男のようなオルフェインは、女性陣に最初は
「でだ――ウィリアム。お前の母親のニーナもそうだ」
ウィリアムの母親のニーナは元伯爵家令嬢。
セシリア付きの侍女として後宮に来た際にオルフェインが一目惚れし、以後オルフェインからことあるごとに求婚を受けていた。
セシリア、ヨンハ、エレーナが花嫁として来た初日からそのような事態になった事で三人と修羅場になりかけたが、ニーナがオルフェインを拒絶した事で何とか決定的な破局は免れていた。
結局、十年に渡るオルフェインからの情熱的な愛の語らいに負け、そして十年に渡る働きぶりを見ていた三人の妃にも認められていた事もあり、後にウィリアムの母親となるニーナは四番目の妃として皇室の一員となった。
「俺は肩書きなんかどうでも良かったのさ。――だからよ。俺はもしセシリアが一般市民の子だろうが、例え犯罪奴隷の子だろうが、きっとセシリアと結婚していたはずだ。――ヨンハ、エレーナ、ニーナともそうだ」
ちなみに一時期オルフェインは相当な女好きとの噂が立ち、多くの貴族から側室に、と女性が勧められてきた。
下は十歳から上は四十五歳まで本当に様々なタイプの女性が紹介されたが、オルフェインは一度として首を縦に振らなかった。
結局、この年齢になるまで新たな側室は取っていない。
「皇族というのはな、元来、強欲な者だ。――どうしてこの帝国という国がここまで大きくなったか分かるか?」
オルフェインはウィリアムの胸ぐらを掴んでいた手をほどき、ドンっと胸を押して彼の体を離す。
「そういう風に歴代の皇帝が望んだからだ! てめぇの力で勝ち取って来たからだ!!」
貴族社会ではほぼ不可能と言われている恋愛結婚を成したオルフェインは、セシリアの肩を抱いたまま続ける。
「国を大きくしたいから、優秀な臣下を揃え、多くの民を養い、星を豊かにしてきたんだ。決してたまたま優秀な臣下が揃って、多くの民が集まって、豊かな星がそこにあったから帝国が大きくなったんじゃ無ぇよ」
フラフラとオルフェインから離れたウィリアムは、しかし目の輝きは先程よりしっかりし、真剣に父親の方を見ている。
「ウィリアム! お前にもその『強欲』な血は流れているはずだ。例え、貴族としてのタブーを犯そうとも、覚悟さえあればそれを跳ね除ける事はできるはずだ。――お前にはそれを出来る地位もあれば能力もある」
そこで、抱き続けていたセシリアの肩から自分の手を離すと、前に踏み出してガシッとウィリアムの肩を両手で掴む。
「正直に言え!! お前はこの娘とどうなりたい!?」
そして、睨むようにウィリアムに鋭い眼光を向けてくるオルフェインは、しかしそれは皇帝と言うよりは一人の父親としての物だった。
「わ、私は――私は彼女がいれば他に何も要らない! 私は彼女と共に歩きたい!!」
一瞬、迷うような表情をしたウィリアムは、次の瞬間にはオルフェインをにらむように、大声で怒鳴るように自身の心の内を吐き出した。
「……ふんっ、やっと本音を言ったか。遅すぎるわバカ息子が」
その告白を間近で聞いたオルフェインは、それまで険しい顔をフッと和らげる。
「お前の選んだ道は言うほど簡単なもんじゃねぇ。……その道を通ってきた俺が言うんだ。しかも、お前が惚れた女は一般市民だ。周りからの妨害は思っている以上だよ。だがな――」
そして手で拳を作り、ニヤッと片方の口端を上げ、ウィリアムの胸を軽く小突く。
「男だったら己の欲しい物は己の力で掴み取れ、ウィリアム」
ウィリアムは胸に感じる拳に、やはりこの目の前でニヤニヤ笑っている父親には死ぬまで敵わないな、と思った。
帝国臣民一兆人の頂点に立つ皇帝としてはもちろんだが、一人の人間としてもオルフェインは大きく偉大なる男だった。
たとえそれが、自分を含めて兄弟全員が嫌がった皇帝の座に、くじ引きのせいで選ばれてしまい逃げる事が出来なかった男だったとしても、だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ピリリリリ
オルフェインとウィリアムの話が一段落した時を見計らったように携帯端末から着信音が流れる。
そのようなものには無頓着なのだろう、ウィリアムらしい無個性な着信音にオルフェインが苦笑いを浮かべると、机に置いてあった携帯端末を手に取る。
すると、その気はなかったのだがその画面の表示が目に入ってしまった。
【新着メール一件 アルマ 件名:我が生涯のライバルへ】
ものすごいタイミングだな、とほくそ笑むと掴んだ端末をウィリアムへと放り投げた。
「ほれ、
少し意地悪そうに言ったオルフェインに対して、ウィリアムは慌てた様子で放られたものを受け取ろうとする。
父親は知らなかったが、この携帯端末にアルマから着信が入るのは一年振りであり、そもそもアドレス帳に登録されていたのもアルマただ一人であった。
その為、着信音が聞こえた時点でウィリアムには誰からの着信か分かっており、酷く狼狽してしまっていた。
そのせいだろう、父親からのパスを受け取り損ねた彼の手から携帯端末は滑り落ち、絨毯の敷き詰められた床へと落下する。
そして、その時にどこにどう当たったのか、携帯端末の
“警告 この映像は帝国軍
近くの人物の頭の位置に焦点を合わせた半透明のウィンドウが、ウィリアムの頭の高さに表示されるとその警告文が表示された。
この警告文にオルフェインやアルフレッド、コンラッド、マクシミリアンなどの男性陣はハッとした表情を見せると、ウィンドウを凝視する。
セシリアも少し動揺した表情をしているが、クローディアやソフィアはキョトンとした様子だ。
まず空中に映ったのは、上目遣いに自分の亜麻色の前髪を触る小柄な女性だった。
ショートヘアの活動的な髪型の、少女と言っても通じそうな女性は録画が始まっていることに気づいていない。
『あれ? もう撮れてる?』
やっと気づいたのか、少し気まずそうに画面に向かって右手を振る。
『やっほー、ウィル、久しぶり!』
すぐに、にぱっと笑顔を浮かべる彼女にウィリアムは目頭が熱くなるのを覚えた。
士官学校を卒業して五年。
その間、一度も会えないでいたアルマが目の前にいたからだ。
『あ、近くに彼女とかいない?急に女の子からメールが来たら疑われちゃうから、いるならすぐに閉じてね。って、ウィルには彼女なんているわけ無いか! あははは!』
その小さな口から笑い声が聞こえてくる。
失礼な、と思いながらも懐かしいアルマの声を聞いていると自然と涙が出てきそうになる。
『ウィルはきちんとしたら結構イケメンなのに、学生時代から彼女いないよねー。面食いなの? あんまり選り好みしてたらおじいちゃんになっちゃうよ?――貴方のライバルとしてはそれだけが『最期』の心残りかな』
さらに失礼な事を言うアルマは、『最期』の言葉を口にした後、一瞬「しまった」と顔を歪める。
『
この言葉の意味をこの場にいる大部分の人間が正確に理解していた。
実は冒頭のメッセージは軍から受信者に対して『このメッセージが送信者からの最期の言葉になるかもしれないから見逃すな』との警告の意味合いがある。
『あー……まぁ、なんて言うかな。詳細は軍事機密で言えないけど、
意味の分からないソフィアはクローディアに意味を聞こうとしたが、やはり自分も良く意味を分かっていなかったクローディアは、しかし、周りの普通では無い雰囲気を察し、人差し指を口にやると「しぃー」とソフィアにジェスチャーを送った。
『私は、別に死ぬつもりなんてこれっぽっちもないけどさ、万が一、ううん、億が一もし死んじゃったらなんていうか、うーん、ウィルには申し訳無いなってメール送っちゃいました』
その言葉で、クローディア、ソフィアはこの動画の意味を知る。
これはこの女性からウィリアムへの最期の言葉なのだ、と。
『学校のときは楽しかったね。バカみたいにウィルと張り合ってさ……ほんと、楽しかったなぁ。私のわがままとかにも、い〜っぱい付き合ってくれて、ありがとねウィル』
画面の中のアルマは構わず話続ける。
顔には本当に懐かしそうに、少し憂いのある笑顔を浮かべながら。
『私は、その――ウィルの事、なんかいいなって思ってたよ。頑張り屋さんのウィルと一緒にいると、私の方も『負けるかー』って頑張れてね。それがとっても楽しかったの」
その言葉にウィリアムはビクッと反応する。
彼女の口から出た『いいな』というのは異性としての事なのか、友達としての事なのか、それとも彼女がよく口にしていたライバルとしての事なのか。
そのことを聞いても、残念ながら記録映像の中のアルマは答えてくれる事は無いだろう。
『あの頃はウィルと一緒にいると何でもで出来そうな感じだったよ……まぁ、面食い貴族のウィルさんは? 庶民の私なんて眼中になかったと思うけどね、にしし』
しかし、次の一言で自分をきちんと異性として見てくれていた事を確信する。
それがウィリアムにはとても嬉しく感じたが、同時にこの記録映像が酷く残酷なもののように感じた。
もし先程、父親に吐き出した自分の本音をもっと早くに、学生時代にアルマに対して伝えていたら、もしかしたら……
彼が思い浮かべた情景はあったかもしれない未来だったが、現実は自分と彼女は仲の良かった友人関係というものでしかない。
手が届く程近くにいる目の前のアルマは、実際は酷く遠い。
『……私はウィルの結婚式に出て、ライバル代表スピーチとかでさ、ウィルの面白エピソード話しちゃったりしたかったけどさ。もうそれも叶わないかな。ウィル、貴族の癖に結婚遅すぎだよ。あはは、は』
楽しそうに話すアルマの顔がだんだん歪んでいき、最後は目に涙を溜める。
その様子は不安そうな小さな子供のように頼りなかった。
いつも、自信満々な顔で太陽のような笑顔だった彼女からは想像できない表情。
思わず、ウィリアムは駆け寄って彼女を抱きしめたい衝動に襲われた。
しかし、目の前の女性は機械が空中に焦点を結んだだけの虚像にすぎない。
手が届く程近くにいる目の前のアルマは、実際は酷く遠かった。
『ごめんごめん、なんかもうグダグダだね。……じゃあ、最後に――』
少し目尻を手で拭うと、あの幼年学校の卒業式で見せてくれた笑顔を顔に浮かべ、
『それじゃあねウィル。これからも元気でいてね、私の生涯のライバル』
画面に対して、その真っ直ぐな視線を向けると、小さく手を振った所で映像が終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
Record Endと表示された画面を前に部屋の中の人間は誰も言葉を発しない。
少しの間、沈黙がその場を支配していたが一人大きく息を吐いた人物がいた。
「マーカス。このアルマ・カーマインの情報をよこせ」
オルフェインの声に、すぐさま部屋にある別の
そこにアルマの上半身の映像と共に、マーカスが事前に調べていた情報が投影される。
「アルマ・カーマイン少佐は現在、南天方面 第四十九
マーカスは自身の手に小型の端末を持っていた。
そこには帝国軍のデータバンクに記録されている個人情報がリアルタイムで更新されており、スラスラと皇帝の質問に答えていき、映像内の情報も逐一更新されていく。
「未探査エリアから出現した約三万のアモス中規模集団を発見。同部隊は撤退を断念。約六時間後に襲来予定のアモスに対して迎撃任務に着くようです」
約三万のアモスの集団。
それは帝国宇宙軍にとってはそれほど脅威の数ではなかった。
必要な艦艇を揃え、綿密な作戦を整えることが出来れば十分撃退可能な勢力だった。
しかし、それが出来ない場合はその限りでは無い。
「ランクCの警戒警報が第四十九
現実、マーカスからの報告では、軍はアルマ達の後方で迎撃態勢を整えつつあった。
「……アモス達の『餌』にされるわけか」
オルフェインがポツリとこぼす。
アモスには、とある習性がある。
その習性を利用することで侵攻速度を大幅に遅らせる事が出来るのだ。
が、それは侮蔑を込めて『餌』と呼ばれていた。
「……で、どうするのだ? ウィリアム」
周りが静かな分、オルフェインの声は部屋によく響いた。
先程、父親へと勢いよく
しかし、オルフェインは皇帝として、帝国の長としての判断でウィリアムへと釘を刺す。
「言っておくが貴様の艦隊は駄目だぞ。皇帝直轄の近衛艦隊が出張っては他の方面軍に余計な刺激を与える。警戒危険度がたかだかCの段階では軍事行動は許可出来ん」
出来ればこのような事は言いたくない。
もし、自分の愛する妻達が同様の状況に置かれたらと考えると、一も二も無く飛び出していきたいという感情を理解出来るからだ。
「……それに、今から準備しても当該地域には一ヶ月はかかるだろう。とても間に合わないものを向かわせることは、出来ない」
だが、巨大な暴力装置である軍隊を動かす事は周囲へ多大な影響を与える。
自分の息子に恨まれようとも、オルフェインは皇帝としての考えを口にしたのだった。
それに対してウィリアムはつぶやいた。
「私は――」
そして、オルフェインに目線を向けると意思のこもった強い目で皇帝を見て、ハッキリと言い切った。
「――私は彼女を、『
「……なんだと?」
覚悟を決めた息子の視線に、皇帝オルフェインはそうつぶやくのであった。
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