第6話 さすが私のライバルだね!
十一年前
その日帝城の一室では、一人の若者が荷物の準備を進めていた。
明日より入学する事の決まっている帝国軍幼年学校へ出立する為だ。
「ウィリアム。慣例に従い、今日からお前はロックウェル男爵家六男、ウィリアム・ロックウェルとなる」
準備に気を取られていたのだろう、気がつくと彼の父親、オルフェインが後ろに立っておりウィリアムへ声をかけた。
アルグレン皇室は昔から軍学校に関係者が進学する際には下級貴族の名前を使うことが慣例となっていた。
これは教官達や学友からの
この時、彼の母親譲りの見事な銀髪は黒色に染められており、毎日ウィリアムに会っている者は騙せないまでも、ひと目で今の彼と昔のウィリアム・アルグレンを重ね合わせられる者はそういないだろう。
「はい。父上。皇族の名前を出す事は厳禁、と承知しております」
そう返事を返すウィリアムは十二歳の少年らしい可愛らしい顔つきだが、その目には年齢には似つかわしく無い“陰”があった。
側にいたセシリアも心配そうに声をかける。
「ウィリアム……体に気をつけるのよ」
「……ありがとうございます。皇后陛下もお体にはお気をつけ下さい」
ウィリアムを抱きしめようと一歩前に出たセシリアに対して、ウィリアムは一歩下がりそれを拒絶する。
それがとても悲しくて、途端にセシリアの顔が曇ってしまう。
「……申し訳ありません。皇后陛下のお体に障ってはいけませんので」
この時、セシリアのお腹は大きく膨らんでおり、その中には未来の家族の命、後にソフィアと名付けられる娘の命が宿っていた。
流石に失礼な事をした実感があったのだろう。
配慮した様子を装うと、準備した荷物を持ち、足早に部屋を逃げるように出ていく。
「それでは行って参ります」
部屋を出ていった末の皇子を見送るオルフェインはセシリアの肩をギュッと抱きしめた。
「まだ母親の死からそれほど経っておらんのだ。今はそっとしてやれ」
「分かっております! ……分かっておりますが、あの娘の! ニーナの一人息子を慰めることすらできない自分の不甲斐なさが、悔しいのです」
そう言いながら
ウィリアム・アルグレン
アルグレン帝国第六皇子として誕生した彼は幼少期からその才能を発揮した。
付けられた家庭教師は彼を一度教えたことは二度と忘れず、一聞いただけで十を知る天才であると評した。
武術の師匠からは、彼が十歳の時に「もう教えることは無い」とお墨付きを貰い、しかし、その才に驕らない謙虚な性格である事を褒められた。
更に見た目の秀麗さも加わり、毎日のように婚約の話が持ち込まれ、ひっきりなしにお茶会の招待状が届けられた。
しかし、十一歳の時。
自分の母親が亡くなったことに絶望し、貴族世界から隔離された軍学校への進学を希望するようになった。
彼がこの春から入学する帝国軍幼年学校は、ジュニアスクール卒業後に進学ができる、将来の士官候補生を育成する為の二年制の教育機関であった。
貴族はもちろんの事だが優秀な人材を獲得する為に、この帝国では珍しく貴族が通う学校ではあるが、一般市民の子女にも門戸を開いていた。
その分、開け放たれた門は非常に狭く、合格率は脅威の一%を切っており、入学が許された時点で相当なエリートとして内外から注目を浴びる。
大貴族なら裏口入学をするという選択肢もあるが、慣例に従い下級貴族の肩書きになったウィリアムは通常の方法で受験し、見事自身の実力によってその栄光を手にしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
入学してからも過酷な日々が続いた。
何しろ学習量が半端ではない。
これでもかと知識を詰め込まれ、生徒の中には既にノイローゼになり、早々にリタイアを考える者も現れ始める。
そのような中でも、ウィリアムは生来の理解力の高さと勤勉な性格で知識を吸収していき、類稀な運動神経で実技でも周囲を圧倒した。
入学して一ヶ月もするとウィリアムの学力や運動神経は他の学生達にも知れ渡り、各所で彼の事を「天才」、「神童」と持て
また、黒真珠のような黒髪に鋭利な目つき、そして整いすぎた顔立ちから数少ない女生徒からも日に日に熱い視線が注がれるようになる。
二ヶ月目が過ぎる頃にはクラスメイトはウィリアムの事を「別格」として憧れと畏れの視線だけを彼に送るようになる。
そしてこの日、入学から三ヶ月後に行われた中間試験の結果発表日を迎えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「な……に……」
学校開設時からの伝統として、試験結果は上位十名の名前が広間に貼り出される事になっていた。
ウィリアムは中間試験の結果に手応えを感じており、自分が主席である事は少しも疑っていなかった。
だが結果は
第一位 四九八点アルマ・カーマイン
第二位 四九六点ウィリアム・ロックウェル
第三位 四八五点イーロン・マクスウェル
まさかの次席。
わずかニ点差でウィリアムは主席を逃した。
「やったぁー! いっちばん、いっちばん、いっちばんだぁー!」
声がした方を見ると一人の小柄な女生徒が小躍りしていた。
肩まで伸ばした亜麻色の髪を後ろでまとめ、頭頂部からはぴょこんと一房の髪の毛が飛び出している。
ヘラヘラ笑いながら謎の舞踊を披露している彼女が今回の試験でトップを取ったアルマとかいう女なのだろう。
「誰だ? ……アルマ・カーマイン?」
「一般入学の子よ。平民の癖に生意気ね」
「ロックウェル君が次席なんて大番狂わせだな」
ウィリアムの周りからもヒソヒソとそのような声が聞こえてくる。
ウィリアムもカーマインなどという名字は貴族の世界で聞いたことがなかった。
貴族階級ではなく、一般市民からの入学生だとその時に知った。
そのような周りからの声とアルマのアホな子の見た目にウィリアムの中でどす黒い感情が溢れ出してくる。
そして、気がつくと怒鳴り声を上げて、アルマの胸ぐらを掴んでしまっていた。
「君が首席だと!? 一体どんな汚い手を使ったぁ!」
「な、なにをぉ! このきれいなお手てを使っただけだ!」
自分よりも背の高い男に胸ぐらを掴まれて少し動揺した女は、しかし自分の手をバッと広げると日に焼けた手をウィリアムに見せてくる。
その女の突飛な行動にウィリアムは呆気に取られて、そのまま何も言えなくなってしまった。
その後、駆けつけた教官にウィリアムはこっぴどく怒られたことは言うまでもない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後、終業後に課題を終わらせたウィリアムはいつものように鍛錬場で自分の体をいじめ抜いていた。
時刻は日付が変わる直前。
就寝時間はとっくに過ぎており、教官に見つかれば怒られる事は間違いないのだが、日付が変わらない程度の鍛錬や自習であれは見逃される事を彼は知っていた。
体中から滝のように流れている汗をタオルで拭い、制服に着替えた彼は自身の部屋に帰るべく足を向けた。
その時、普段は別段気にしないはずの遠くの校舎の二階の一部屋から光が漏れている光景がウィリアムの目に飛び込んできた。
「あれは……自習室、か?」
ちょっとした興味本位でその自習室へと足を運んだ彼の目に飛び込んできたのは、一心不乱にノートに向かいペンを走らせている、体の小さい亜麻色の髪の毛の少女だった。
ウイリアムが入ってきたことすら気づかずに参考書をめくってはノートに書き込んでいる。
アルマ・カーマイン
数日前に広場でヘラヘラした顔で謎の踊りを披露していた彼女は、今は全く正反対の鬼気迫る顔つきをしていた。
「カーマインさん、こんな時間に何をしているのですか?」
自習室の扉をコンコンとノックすると、ウィリアムは声をかける。
「っ!?……えーと、確かモップフェル、君?」
ビクッと肩を飛び上がらせたアルマは恐る恐る振り向くとウィリアムを視界に捉え、自分に声をかけてきたのが教官では無かった事に安堵した。
しかし、突然の同級生の登場にソワソワした様子で彼の名前を言った。
「――ロックウェルだ」
「あぁ、そうだった。ロックウェル君だったね。ごめんなさい」
ウィリアムはその言葉に耐えられないほどの怒りを感じた。
一位からしたら自分など名前すら覚える価値は無い存在なのか、と。
「もう就寝時間は過ぎているのに何をしているのですか?」
「あ……うぅ……ちょっと授業の復習を……」
明らかに動揺しているアルマにウィリアムは意地悪な言い方で詰め寄る。
「少し待っていて下さい。教官に報告して来ますから」
その瞬間アルマは泣きそうな顔でウィリアムに懇願した。
「あー! ダメダメ! 待って待って! お願い、見逃して!」
自習室から出ていこうとするウィリアムに慌てて駆け寄ってその腕を握ると、しゅんとした様子でアルマは言葉を続ける。
「私のわがままでこの学校に入学したんだけど、うちのおとーちゃんのお給料じゃ授業料の支払いが厳しくて……でもでも! 試験で上位三位に入ったら授業料免除になるっていうから、それでつい……」
その話を聞いたウィリアムは何も言えなくなった。
皇族のウィリアムからしたら授業料など微々たるものであり、そのような端金が払えないなど完全に想像ができなかったからだ。
「おかーちゃんも南京錠作りの内職始めたって言ってて、家族に負担かけたくなくて、ごめんなさい」
頭では理解していたが、貴族と一般市民の差をこの時、彼は初めて実感することとなった。
一般市民の少女が身を削る思いで勉学に励む姿に、自分の少し子供じみた意地悪に酷く後味の悪い思いに苛まれる。
「……ん? でもロックウェル君もこんな時間に何をしていたの?」
今度はウィリアムがバツの悪そうな顔をすると動きを止めた。
その様子にアルマは彼に近づきクンクンとその鼻を鳴らす。
「……もしかして修練場で何かしてた?」
ウィリアムが汗まみれになっている事に気づいた彼女は、ハハーンと顎に手を当ててドヤ顔をする。
「さすが私のライバルだね!」
「え……ライバル?」
予想外の言葉にウィリアムが怪訝そうな顔でアルマを向くと、アルマも「えっ!?」と間抜けな顔をする。
「あれ? この前の中間試験で私が一位でロックウェル君が二位だったから、この関係ってライバルって言うんじゃないかな?」
名前を間違えていた癖にアルマはウィリアムを中間試験で自分のすぐ下まで迫っていた生徒とキチンと認識していたことに少し驚く。
ウィリアムのそのような驚きに気づかないままアルマは、はて、漫画の中なら確かライバルって言ってたよな~、と首をコテンと傾けて更に続ける
「私、この前の試験めっちゃ頑張ったのに僅差だった事が結構悔しくてね。……でも、そっか。ロックウェル君もそうやって頑張ってるんだね。これはライバルとしては負けてられないね!」
その言葉にウィリアムは不意に昔の思い出が脳裏にフラッシュバックし、動きを止める。
『ウィリアムは本当に頑張り屋さんなのね』
今は亡き母親がよくウィリアムへと言ってくれていた言葉。
唖然として動きを止めたウィリアムをよそに、アルマは腕を組んでうんうん頷きながら続ける。
「僕は何でもできますぅ~、みたいな涼しい顔してるけど、そうやって私が油断した隙に努力で差をつけようとするなんて、さすが私のライバルだね!」
『さすがウィリアムだな』
『さすがねウィリアム』
『やはりウィリアム皇子は天才ですな』
『……ウィリアム殿下は僕達とは違う人間なんだ』
「あ……あぁ」
いつの間にかウィリアムの口からは嗚咽が漏れていた。
『またウィリアム皇子か。無理だよ、あの方は天才なんだから』
『端から勝負にもなりませんね。ウィリアム皇子は天才なのだから』
『凄い! ウィリアム殿下は天才ですね』
『凄いわ! ウィリアム様は天才ですわ』
違う。
自分は天才なんかじゃない。
一を聞いて、それを忘れないように何度も復習した。
一を聞いて十を知ろうと何度も書庫で調べ物をした。
周りの子供達や大人達はその結果を褒め讃えたが、誰もその過程を見てくれることは無かった。
「あああああぁぁぁぁぁぁ! あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
それを止めようと手で顔を覆ったがその涙は止まることがない。
足からも力が抜け、その場にへたり込むとウィリアムは子供のように泣きじゃくった。
『何でもそつなくこなすウィリアム様は素敵ね』
『ウィリアム様は本当の貴公子だわ』
『ウィリアム殿下の礼儀作法は完璧だ、素晴らしい』
『ウィリアム皇子にはもう何も教える事はありませんな』
違う。
皇族としての立ち居振る舞いを完璧にこなせるように血を吐く思いで習得した。
皆が望む完璧な皇族を演じられるように、毎晩遅くまで眠い目をこすりながら何度も何度も何度も何度も何度も練習をした。
『ウィリアム殿下が参加しないものは無いか?』
『うわっ、ウィリアム皇子か……ちくしょう。……棄権します』
『まぁ。ウィリアム様が来られるのでしたら息子は欠席させますわ』
『彼を見たら子供達が自信を失ってしまうよ』
違う。
違う。
違う。
違う。
何度も違うと言いたかった。
その度に周りは勝手にウィリアムを別格として扱い、そして誰も彼に近づこうとしなかった。
誰も彼のように努力しようとはせず勝手に彼を遠ざけていた。
「――ックウェル君! ロックウェル君!!」
泣きじゃくっていたウィリアムの頭に何かが覆いかぶさる。
それはとても柔らかくて、とてもいい匂いがした。
「大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫」
そしてウィリアムの背中を小さな手が優しく撫でる。
その手を振り払おうと体を揺さぶるウィリアムを、しかしその優しい手はしっかりと彼を捕まえていた。
「じっとしてて。そのまま、そのまま」
頭の上から聞こえてくる優しい声が安心感を与えてくれる。
泣きじゃくっていたウィリアムは涙は止まらないが次第に落ち着いてくる。
「おかーちゃんがね。私が泣いているといっつもこうしてくれたんだ。でね、『どした~? アルマ~』ってお話を聞いてくれるの」
撫でていた手はいつの間にか、赤子をあやす様にポンポンと彼の背中を軽く叩くように変わる。
「ほれほれ。言ってみ言ってみ。私が全部聞いてあげるから」
その言葉に堰を切ったかのようにウィリアムの弱音が口から溢れてきた。
「うぅ、僕は天才なんかじゃ、ひっく、ない」
「うん」
「僕は、僕はぁ、グズ、みんながぎだい、期待ずるがらぁ、ああぁぁぁ、頑張ったんだ」
「うん」
「母上が、いづもがんばっでうぐ、うぐ、がんばっでるねッで」
「うん」
「だがら、あぁぁ、ぼぐは、ぼぐはぁ、がんばっでぎだんだぁぁぁぁ、あああぁぁぁぁ」
「うん」
「でも、みんな、ぼぐがぢがうんだっで。同じ人間じゃないんだっで……」
ポンポン背中を叩いていたアルマは手を止めると、彼の最後の言葉を聞いた後に、腕に力を入れてぎゅうぅっとウイリアムを抱きしめて自分の口を彼の黒髪に埋め込んで言った。
「ロックウェル君は頑張り屋さんなんだね」
『ウィリアムは本当に頑張り屋さんなのね』
アルマから響くように聞こえた言葉にウィリアムは思い出した。
先程からウィリアムが感じてた柔らかくてとてもいい匂いの思い出に。
それは大好きだった母親の柔らかさ。大好きだった母親の匂い。
大好きだった母親に包まれている感じがした。
それがとても懐かしく、心地よくウィリアムのささくれだった精神を癒してくれている。
「おとーちゃんとおかーちゃんがね、言ってたの。『何かが出来る人はそれを一生懸命頑張ってきた人』なんだって」
自分が出来るようになった事を自慢する度に母親が力いっぱい抱きしめてくれた。
頑張ったね、頑張ったねと幼いウィリアムを力いっぱい抱きしめてくれた。
「分かるよ。私だっていっぱい頑張ってきたんだもん。だから、ロックウェル君がどれだけ一生懸命頑張って来たか、私には分かるよ」
周りの人間は遠ざかっていった。
勝手に諦めて、悲観して、言い訳をするようにウィリアムを同じ人間じゃないと決めつけて遠ざかっていった。
進んでいく道の途中で立ち止まり、彼から遠ざかっていった。
「ぎみは……君は、グズッ、いなく、なら、ない?」
「にひっ、いなくならないよ。私はロックウェル君のライバルだからね。ライバルらしく一緒に競い合ったりしてさ。それはとっても楽しみだねっ!」
頭の上から甘い声が聞こえてきた。
初めて同年代で自分より上に立った少女が言ってくれた言葉。
「ロックウェル君。私がいるよ。君をライバルだと思ってる私が、ここにいるよ」
それは甘美な恋のささやきや情熱的な愛の言葉より、遥かにウィリアムの心を甘く甘く
ウィリアムの目に深く刻まれていた陰が、自然と溶けて消えて無くなっていく。
そして。
そこでウィリアムの記憶は途絶えた。
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