第5話 ウィリアム、アウト~
窓の外に素晴らしい庭園が広がる皇帝の私室には、庭に集まっている小鳥たちの声が聞こえていた。
昼間よりは和らいだ夕方の穏やかな日差しが差し込んだその室内は端的に言って――
空気が死んでいた。
ある者は覚悟を決めて発した言葉にどのような反応をするか固唾を飲んで見守り――
ある者は今しがた投げ掛けられた言葉の意味が分からず固まっていた。
「なにっ! ウィリアムが
その静寂を破ったオルフェインの怒号が部屋に響き渡る。
しかし残念。ものすっごい笑顔だ。
「あぁ、なんてこと……ウィルが
セシリアが机に突っ伏して悲嘆にくれる。
しかし残念。口元がニヨニヨしている。
「………兄上、何を突拍子も無いことを。ウィリアムが
コンラッドはおもむろに眼鏡を取ると、目頭を揉んで平静を装っている。
しかし残念。肩が小刻みに震えている。
「オホッ、
マクシミリアンはウンウン頷きながら満足気に笑っている。
残念。ただただ気持ち悪かった。
「
クローディアは心配そうな表情でウィリアムを労る。
しかし残念。目が虫を見るように嫌悪感で溢れている。
ちなみにその視線はデュフデュフ笑っているマクシミリアンにまで向いていた。
「クローディアお姉様、『ろりこん』とはなんですか?」
そのような中、純粋なソフィアだけは言葉の意味を測りかね、キョトンとした様子だった。
そんな純粋無垢な妹にクローディアが
「ロリコンっていうのはね、ソフィのような子供が好きな……いえ、子供に劣情を抱くどうしようも――」
と耳打ちしていると、ソフィアの顔がぱあっと輝く。
恐らく「ソフィのような子供が好きな」の所で勘違いしたのだろう。
「ウィルお兄様! お兄様が子供好きのようでしたら、私と結婚すれば万事解決なの!――ですわ!」
最後にレディぽく締めれたのは皇后の日頃の教育のおかげだろう。
「ウィリアム! てめぇ、実の妹の事をそんな目で見てやがったのか!」
「あぁ、なんてこと……ウィルが実の妹に手を出そうだなんて、いいぞもっとやれ」
またもや繰り広げられそうな茶番の気配を読み取ったウィリアムは大きく声をあげる。
「アルフレッド兄上! どうしてそのような荒唐無稽な結論に至ったか、理由を聞いても宜しいですか?」
さすがは一個艦隊の指揮官である。
敵(皇帝と皇后)の攻撃開始点を的確に読み取り、逆にこちらから強襲を与えることで見事敵の侵攻を防いでしまった。
しかし、眼の前で繰り広げられる茶番に反応することのないアルフレッドは真剣な顔のまま言葉を発する。
「ウィリアム。お前はこの前のお茶会で誰をエスコートした?」
はて?お茶会?とウィリアムは少し記憶を
確か三ヶ月前に侯爵家に嫁いだ元第二皇女の姉にお茶会で知り合いの家の娘のエスコートを頼まれたのを思い出した。
「セレスティア・ハイランド侯爵家令嬢ですが、それが何か?」
「そうだな。『九歳』のセレスティア嬢だな」
間髪入れずにアルフレッドが呟いた。
……おや?何だこの言い方は?と
「その前のお茶会は?」
「アイリーン・ウェストミンツ公爵家令嬢です」
半年前に元第一皇女の姉にお茶会で娘のエスコートをお願いされた。
「そうだな。『十歳』のアイリーン嬢だな」
やけに歳を強調してくるアルフレッドの物言いに嫌な予感がしたウィリアムの背中に冷たい汗が流れる。
「ちなみに前回のデビュタント(貴族子女の夜会デビュー)では誰をエスコートした?」
クローディアの親友の令嬢が婚約者が急遽出席できなくなったとかで困り果てており、可愛い妹に「お願いお兄様」とお願いされたのを思い出した頃にはウィリアムは顔からも汗が吹き出していた。
まずいマズイ不味い。
流れが一気に悪い方向に流れ出し、状況のコントロールは既に自身の手から離れていることを悟った。
この後アルフレッドから発せられる言葉を容易に想像出来たウィリアムは、しかし答えねばならない兄への質問に絞り出すように自身がエスコートした令嬢の名前を告げる。
「…………フィオナ・シーグラント公爵家令嬢です」
「そうだな。『十四歳』のフィオナ嬢だな」
アルフレッドからもたらされた圧倒的事実に部屋の中を沈黙が支配した。
末の妹ソフィア以外、皆が目を伏せて誰とも目線を合わせようとはしない。
ただウィリアムだけが数々の状況証拠が決して自分に味方しないことを悟り、真っ青になってガタガタ震え始める。
重苦しい沈黙が場を支配する中、セシリアが席を立ち、コツコツとウィリアムのところまでやってくる。
その口は弓なりに口端を上げ、その目は上弦の月の如く美しいカーブを描いていた。
「ウィリアム・アルグレン…………アウト〜」
セシリアに優しく肩に手を置かれると椅子から崩れ落ちそうになるウィリアムは、しかしそれでも最後の気力を振り絞り、この場の最高権力者へと反論を試みる。
「オルフェイン裁判長! 異議あり! アルフレッド皇太子は事実を曲解させるような尋問を展開しています」
なんという気概。なんという精神力。なんというタフネス。
己の身が絶体絶命に陥りようとも最後まで敢闘する精神はまさに帝国軍人の鏡と評されるに値する。
帝国男子ここにありと示した彼に対して、オルフェインは無情にも
「被告人の訴えを却下する。判決、ウィリアム被告人は年相応の真っ当な婚約者を作ること! 当裁判は閉廷しま〜す、残念でした!」
持っていたティースプーンで机をカンカンと叩くと、ベロベロバーと舌を出してバカにしたような表情でこれを一蹴した。
司法は死んだ。
ウィリアムは真っ白に崩れ落ちながら世の不条理を嘆いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
灰のように真っ白になったウィリアムを横目にオルフェインが口を開く。
「と、まぁ、茶番はここまでとして、アルフレッドよ。お前にしては詰めが甘いのではないか」
ウィリアムから視線を外したアルフレッドがオルフェインに向き直る。
「全てが状況証拠ばかりで言葉一つ、心象一つで変わるものばかりだ」
オルフェインの指摘にアルフレッドがバツの悪そうな顔をする。
「……はい。父上のおっしゃる通りでございます」
「まぁ、家族思いのお前のことだ。先走ってしまったのは分かるが、それでは皇太子としては失格であるな」
アルフレッドの肩に手を置きながら、オルフェインが皇帝としての威厳を放ちながら言葉を続ける。
「皇帝を継ぐ者、臣下の様々な意見を広く聞き、公平に判断しなければならぬ。そこに自身の『偏見』という眼鏡をかけてしまっては、いつか取り返しのつかない過ちを犯す事になるぞ」
「……はい。肝に銘じておきます」
うむ、と大きく頷くと次にオルフェインは皆を見渡して大きな声で言い放った。
「実は私はウィリアムが
天上から一筋の光が差した。
打ちひしがれていたウィリアムが顔をあげ、発言をした人物を見る。
おぉ、なんと皇帝陛下の素晴らしきことか。
この時のウィリアムにはオルフェインの偉大なるその姿に神を見た気持ちだった。
この後盛大に裏切られるとも知らずに。
その時、部屋の扉が開いて老齢の男性が入ってきた。
真っ白に染まった肩口までの髪を後ろで結び、目には
口元には髪と同色のひげが整えられ、黒の燕尾服を着たその人物はピシっと背筋を伸ばして円卓の横に立った。
その手には紫色の布に包んだ物を持っており、皇室の面々に九十度のお辞儀をする。
「皇帝陛下、ウィリアム殿下付き侍従長マーカス・オルブライエン
「おう、マーカス久しいな。……それが例の?」
オルフェインの目線がマーカスの持っている紫色の布に注がれる。
「はっ、こちらが以前お話した物でございます」
円卓に進むと手に持っていた布を開き、それをオルフェインの前に置く。
縦二十cm、横十cm程の黒い板状の物体をしげしげと皆が眺める。
「マーカス! どうしてお前がそれを!」
叫び声はウィリアムからだった。
床に崩れ落ちていたウィリアムが上半身だけ起こして机の上に置かれた物を見ると、びっくりした声を上げたのだ。
「民間の携帯端末ですな。それも、まぁまぁ昔のモデルでござる」
身を乗り出して見ていたマクシミリアンがその物体の正体を見抜く。
「マーカス! マーカス! 貴様裏切ったな!」
ウィリアムが悲鳴に似た怒号を上げると机の上に置かれた携帯端末を奪い取るべく、猛然と床から立ちあがりオルフェインに向かって歩き出す。
その途端、アルフレッドが立ち上がりウィリアムの胸に抱きつくようにその歩みを止めた。
「申し訳ございません、ウィリアム様。マーカスめはウィリアム様の侍従長である前に、皇帝陛下の忠実な僕でありますので」
「絶対違う! 今すごい楽しんでるだろ! 笑いを堪えてめっちゃ鼻ピクピクしてるじゃんマーカス!」
暴れようとするウィリアムを更にコンラッドが背中から羽交い締めにし、両足をクローディアとソフィアがそれぞれ一本ずつ抱きしめる。
この間わずか二秒の出来事。
仲良し皇室一家の絶妙なチームワークが発揮された瞬間であった。
その間に携帯端末を受け取ったオルフェイン皇帝は板状の携帯端末を両手でクルクルと回している。
操作方法が分からないらしい。
「ん? どうするんだ? これ」
「兄上達、離して下さい! クローディア、ソフィア、お願いだから離して!」
そこにすかさずマクシミリアンが助け舟を出す。
「父上、その横のボタンを押すとですな――」
「や、やめろ! マーカス止めろ! マーカスこの野郎ニヤニヤ笑いやがって!」
後ろで聴こえる喧騒を無視したオルフェインが端末の横の電源ボタンを押すと、すぐさま起動し待受画面が表示される。
それを見た皇帝陛下は驚愕の表情でグワッと目を見開き
そして――――
口角を吊り上げ、にたーっとした笑みを浮かべた。
その表情を見たウィリアムは世界が終わったかのような絶望の表情で再びその場に崩れ落ち、やんごとなき一家はすぐに家長の元にササッと移動する。
「ぷーくすくす、ウィリアムの嘘つきめが」
「あらあら、まあまあ」
「ウィリアム……」
「やっぱりそうか」
「ひょほ!今日だけで拙者の中のウィリアム氏の株が爆上がりですぞぉ!」
「私は分かってるよ、ウィリアムお兄様(棒読み)」
「ウィルお兄様! ウィルお兄様! 私というものがありながら、なんなんですかこの小娘は! きぃぃぃぃー」
画面の中では野戦服を着た、亜麻色の髪を持つ小柄な少女がウィリアムを小脇に抱えて、満面の笑顔でピースサインをしていた。
身長の高いウィリアムを無理やり引き寄せた格好だからウィリアムは前かがみの体勢になっている。
そして平坦ながらも、それでも女性としての起伏を感じさせるものを押し当てられた画面の中のウィリアムは、顔を真っ赤にしながらそれでも満更でもなさそうな顔をしていた。
「違うから! その写真九年前のだから! ほら見て、私も子供でしょう!?」
キーキー怒っている末の娘以外がバッとウィリアムに振り向く。
ウィリアムにはその表情に心当たりがあった。
五年前に末の妹のソフィアが生クリームを口の横につけた状態で
「クマたんが、けーきたべちゃったの! クマたん、たべちゃめっ! なの!」
と、いつも持っているお気に入りの熊のぬいぐるみへと怒っていた時に、それを見守っていた家族がしていた妙に暖かい表情だ。
「「「「「そだねー」」」」」
図らずも同じ反応をした皇室一家は、またもや崩れ落ちたウィリアムから再び携帯端末の画面に視線を戻し、興味津々にあれこれ言い始める。
「ところでマーカス。このお嬢さんのお名前は分かっていますか?」
そのような中、ウキウキした様子でセシリアがマーカスへと問いかけた。
「はっ。こちらの方はウィリアム様の帝国軍幼年学校時のご学友で――」
一度ちらりとウィリアムの方を見たマーカスは言い放った。
「――そしてウィリアム様の
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