第2話 私、今汗臭いから!
『全
駆逐艦ヨーク
宇宙の海に横たわっていた全長四八〇mの巨艦は帝国宇宙軍より駆逐艦の称号を賜っていた。
遠い昔に人類の母星、地球の海に浮かんでいた戦闘艦の中で、最大と言われていた空母という艦種が三百mくらいだったのに対して、宇宙の海に浮かぶ艦艇はどれもが大きかった。
艦艇の大きさを大雑把に分けると小型艦<駆逐艦<巡洋艦<戦艦≦空母の順になるが、現代では駆逐艦と呼ばれる艦のサイズでも三百m以上ある。
そして、その駆逐艦でも
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
艦内の気密確認のモニターにグリーンランプが点ったことを確認したアルマがコックピットを開くと、艦内の格納庫への扉が開き整備士達が各騎体へと集まってくる。
その様子を見ながらコックピットから出たアルマは、縁に立つとおもむろに自分のヘルメットに手をかけてそれを脱いだ。
女性としてはやや短い亜麻色の髪の毛と少女のような幼さを残した整った顔が出てくると、彼女は大きく一つため息を吐いた。
戦闘後の熱気で火照った顔は少し赤く、汗が滲んでいるのか前髪のいくつかがおでこに張り付き、それをうっとおしそうに払う。
すぐに寄ってきた老整備士から飲料入りのパックを貰うと、それを飲みながら言葉を交わしていく。
各種数値から必要な整備の有無や戦闘補助AIの調整、次の出撃時の装備オプションを短く話していくと老整備士は直ぐに騎体から離れて整備を開始してくれる。
格納庫には大勢の人員で溢れていたが、それが組織的に動いていく様子はまるで大きな一つの生物のように見える。
それがアルマには頼もしく見えた。
そして、コックピットの縁を軽く蹴り、彼女は空中にその身を投げ出した。
惑星上やスペースコロ二ーの中であれば自殺行為であるが、現在の艦内は無重力に設定されている。
重力の影響で下に落ちることはなく、蹴り出した力も軽かったので彼女の体は騎体から少し離れるとその場で静止した。
そうしてから体をひねると自分の
XIKU-25C
闇色に塗装された機械仕掛けの巨兵。
直線が多用されている構成は質実剛健の名を体に表しているように重厚感があるが、不思議とスマートさを持った自分の
部下達が多く使用している騎体IKU-21の強化型として製造された本騎は、残念ながら次期主力騎の選定から漏れてしまった。
どういう経路で流れて来たか分からないが、テスト用に試作された少数の騎体は全て帝都にある製造メーカーで保管されているはずだが、その内の一騎が現在ではアルマの愛機としてこの艦隊に配属されていた。
現在帝国軍の正式採用騎であるFE-35からは四世代ほど古い騎体ではあるが、整備性や継戦能力の高さでアルマは結構気に入って使っている。
なにより大ベストセラー騎として名高いIKU-21は予備部品のストックも多く、それを多く共用できる本騎は辺境の貧乏部隊にとっては渡りに船な存在であった。
「アルマ隊長ぉ~」
しばらく自分の騎体をぼけーと見ていたアルマの耳に、どこからか少し涙声の女性の声が聞こえてきた。
おっとりとした、少し間延びしたような女性の声が。
「ニルス整備士長!」
「はいぃぃ、アルマ隊長ぉ、よくぞご無事でぇ~」
体を器用に捻ってアルマが声のした方を向くと、濃緑色をした整備士のツナギを着た女性、ニルスが泣き顔でアルマへ向かって飛んできていた。
ニルス・バークレイ整備士長
若干二十四歳で駆逐艦ヨークの整備班を取り仕切るメカニックの主。
アルマに対して少々――いや、過剰なスキンシップが非常に多いのが悩みの種だが、整備に関しては頼れる人物である。
先程の戦闘を心配してくれていたのだろう。
彼女はアルマの騎体の担当ではなかったが、こうしてアルマへと声をかけたのだ。
そんなニルスの心遣いが嬉しくてアルマの顔が少しほころぶ。
「ひゃあぁぁ、あれ? あれ? と、止まれないですぅぅぅぅぅ!」
ただし、ニルスが途中でバランスを崩し、グルグルと回りだしてしまったのを見てアルマの笑顔は凍りついた。
「うわっ、危ない」
「はわわわ…………うげえっ」
そして、アルマが無慈悲に間一髪で避けた結果、ニルスは
「えーっと……大丈夫?」
「あぅぅ、アルマ隊長、ひどいですぅ。受け止めてくださぃ」
ぶつけた所をさすりながら自分に向き直ったニルスを見て、アルマは無茶言うな、と思った。
茶色の長い髪の毛を三つ編みでまとめているこの整備長は、少しズレてしまった黒縁の大きいメガネを両手でクイッと上げると立ち上がった。
するとアルマの頭は、ちょうどニルスの胸くらいの高さになる。
ニルスの身長は一八〇cmに届こうかというくらいの、女性としては非常に高い身長である。
彼女の胸くらいの背丈であるアルマがニルスを受け止めるのは中々酷な話であるだろう。
「アルマ隊長、ご無事でよかったですぅ! 私、心配で心配で!」
少しの間、自分のおでこをさすっていたニルスは、両手を広げるとアルマの頭をギュッと抱きしめてくる。
「ニルス整備士長! 落ち、落ち着いて! 苦しい! それに! 私! 今、汗臭いから!」
ニルス整備士長の胸部装甲は、それはそれは凶悪なもので抱きしめられたアルマは完全にその胸部へと埋没してしまう。
フガフガともがくアルマは、自分の鼻腔に漂ってくるニルスの甘い香りにクラクラする。
アルマが目線だけ見上げると
「すぅ、はぁ、アルマ隊長の汗のかおり……ハァハァ」
と恍惚の表情で呟いているニルスに、これは当分離してもらえないことを理解する。
アルマは大きく息を吸うと、その小さな手で拳を作り、ニルスのお腹に向けて無慈悲に放つ。
「ぐぼぉっ!」
またしても乙女が出してはいけない声を出したニルスは、その場で悶絶してアルマを解放する。
やっと新鮮な空気を吸うことが出来たアルマは幼児のように丸まったニルスを見る。
ちょっとやりすぎたかなぁ、反省していると
「あぅあぅ、今日もアルマ隊長の愛が痛いですぅ」
顔を紅潮させ、鼻息を荒くしている様子見てアルマは安心した。
よし。次はもっと力を込めてぶん殴ってやろう、と。
「アルマ隊長」
「隊長ちゃーん」
そうこうしていると更に二人の人物がアルマに近づいてきた。
整備士の濃緑色の服とは違った、白色の体にピタッと張り付いた宇宙服のようなもの、パイロットスーツを二人は着ていた。
一人はニ十代後半の男性。
背はそこまで高くないが角張った顔に盛り上がった大胸筋、ツルツルのスキンヘッドが異様な存在感を放っている。
先程アルマに助け舟を出してくれた副長ゲイズ・ミラー中尉だった。
もう一人は二十歳を超えたくらいのヒョロっとした金髪の男性だった。
女性の庇護欲を誘うようなタレ目に、女性に愛をささやく飲み屋さんにいそうな整った顔立ちをしている。
ただし彼はモヒカンと呼ばれる、どこぞの世紀末な髪型でその全てを台無しにしているが。
「ゲイズ副長に……パトリック曹長、どうしました?」
アルマの前で止まったゲイズ副長はサッと綺麗な敬礼をすると口を開く。
「帰還したパイロット達は既に自室へと帰りましたので、そのご報告にと思いまして」
チラッと横を見ると、パトリックと呼ばれた金髪モヒカン男も得意げに敬礼をしてた。
「馬鹿リックはたまたま一緒になっただけなんで、俺にもなんでこいつがいるのかわかりませんな」
ガクッと崩れた金髪モヒカン男はゲイズへと非難の視線を向ける。
「うわ、副長酷い! 俺っちパトリックっすよ」
うん、知ってる。
それとみんなパトリックが馬鹿だということも知っている。
するとパトリックは顔を赤らめてモジモジしながらアルマをチラチラと見る。
その姿はなんというか非常に――ウザかった。
「いやぁ、もしかしたら人生最後になるかもしんねぇっすから、隊長ちゃんを誘って俺っちのお部屋でしっぽりと、ぶひゅっ!」
その時、アルマの足元でうずくまっていたニルスが勢いよく立ち上がった。
そして、ちょうどその頭がパトリックの顔面にクリーンヒットする。
恐らく狙ってやったのだろう、「ゴチン」と音がしてパトリックが仰け反ると、スっとアルマとの間にニルスが入り、パトリックとの間に壁のように立ち塞がる。
アルマからはその背中しか見えなかったが、鼻を押えて少しの間呻いていたパトリックはニルスの方を見ると、その顔を徐々に青ざめ始めた。
横にいたゲイズもニルスの方を目を見開いて見ていて、額に汗が浮かばせている。
そしてニルスの手にはいつの間にか使い古した、ゴツゴツしたレンチが握られていた。
「ま、待つっす! 最後まで話聞いて欲しいっすよ!!」
パトリックは両手を体の前に持ってくるとブンブンと振ると慌てたように弁明を続ける。
その様子にニルスは大きくレンチを振り、「パシッッ」と逆の手で受け止めクイッと顎を上げる。
恐らく『続けろ』という意味だろう。
「そう思って、隊長ちゃんのとこまで来たっすけど、その途中でニルスちゃんが隊長ちゃんに抱きついているの見て、俺っち思ったっす!」
徐々にいつもの調子が戻ってきたパトリックは、さも名案を思い浮かべましたというようなドヤ顔でベラベラとしゃべり続ける。
「やっぱり最後はおっぱいの大きな娘がいいな!って」
この瞬間、アルマは自分の胸を見下ろした。
そこにはなだらかな丘が広がっている。
悲しくなってしまった。
この瞬間、横にいたゲイズは額に手を当てた。
どうしようもねぇなコイツ、と言った表情をしている。
この瞬間、ニルスの方からはピキっという音がした。
そんな雰囲気を感じ取っていないのか、パトリックの暴走はさらに突き進んでいく。
「ニルス嬢、これから俺っちの部屋でどうっすか?俺っち自慢のフランクフルトでヒィヒィ言わせるっすよ!」
自分に酔っているパトリックは左手を胸に当て、右手をニルスへと差し出す。
さっきまで顔を青ざめていた小物臭い人物はもうそこにはいなかった。
まるで舞台上の俳優のように堂々と、その整った顔に微笑みを浮かべて、しかし、女性に対して最低な言葉を放つ。
「……は? 死ねよ」
その答えはニルスのドス黒い、低い声で返ってきた。
「テメェのちっちぇ
先程「ですぅ」とか言ってた人が出してるとは信じられは無い程の低い声。
アルマからはやはり背中しか見えなかったが、ニルスの背中からは何かゆらゆらとしたものが出ていた。
「出してみろよ、ご自慢のチョリソーをよ! 出した瞬間、電磁カッターで切り離して、テメェのくっさい口の中に突っ込んでやるよ! セルフ
ニルスはレンチを持っていない手でパトリックの頭を持つと、その手に力を込めてギリギリと締め上げる。
パトリックは「ヒィッ」と短く叫び声を上げて手足をジタバタと暴れさせるが、ニルスの手の中からは逃れられなかった。
「――てか、テメェは戦闘後でも余裕そうだな? あぁ?」
すると整備士達に向かって大声を張り上げる。
「野郎ども喜べ! 帝国宇宙軍の誇るチョリソー
その瞬間、作業で忙しなく手を動かしていた整備士達の動きがピタッと止まった。
そして、全員の顔がパトリックに向かってグリンっと向く。
「おお! ありがてぇ」
「いいぞ整備士長! そいつこっちに連れてきてくだせぇ!」
「さぁ、出撃まで七時間。おじさん達と楽しい楽しい整備しようぜ!」
目が血走っている整備士達は口角を上げ、嬉しそうに両手をパトリックに向かって伸ばした。
まるで悪鬼ひしめく地獄の光景だった。
「という訳でぇ、アルマ隊長。このお馬鹿さんをちょお〜っとお借りしますねぇ?」
ニルスは振り返ると、にへらと柔らかい笑顔をアルマへと向けた。
その表情にアルマは「あ、はい」と間抜けな答えしか返せない。
そして、可愛い声で「えいやっ」とパトリックを振り上げると、整備士達が固まっている場所に向かって、それを放り投げる。
「ああぁぁぁ」と遠ざかっていくパトリックは、両手を上げているガチムチ整備士のオッサン達に捕獲されると担ぎ上げられてどこかへ運ばれていってしまった。
「それとアルマ隊長。あんまりお馬鹿さんの言うことは気にしないで下さぃ」
その光景を満足そうに見ていたニルスは「よいしょっと」と小さく呟くと、体をよじってアルマの方へと体ごと向く。
その時にぶるん、と大きく揺れた女性の象徴を見たアルマはまた少し悲しくなってしまい、目からはハイライトが消えていた。
そんなアルマの肩に優しく手を置くと、まるで聖母のような笑みをニルスは浮かべる。
「そのぺったんこなお胸はぁ、サラサラとした綺麗な髪の毛とぉ、ハァハァ、お人形さんみたいなクリックリなおめめ、フヒュヒュ、おめめと合っていてぇ、アルマ隊長は最高ですぅ」
さっきまで聖母の笑みを浮かべていたニルスは、徐々に顔を真っ赤にさせていき、だらしなく緩んだ口からはヨダレを垂らしながらアルマに迫る。
「身長もちっちゃくてぇ、今すぐにでもベッドにつ、つ、つ、連れ込み、み、みたいぃぃぃぃ! イひ、イヒヒヒ、イヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
ニルスの狂気じみた笑みと発言に目からハイライトが消えたままのアルマがドン引きしていると
「ニルス整備士長、その辺で勘弁してください。アルマ隊長が怖がってますんで」
頼れる副長がニルスの暴走を止めてくれた。
今の今まで空気のように皆に忘れられていたこの男が、優しくニルスの肩を掴んで押しとどめる。
ニルスは一瞬、チっと小さく舌打ちをした後に小さく「コホン」と咳払いをすると、ゲイズ副長の手を押し返して、ふわっと後ろへと跳んだ。
「申し訳ありませんでしたぁ、アルマ隊長。私もお仕事に戻りますのでぇ、出撃までゆっくりとお休み下さぃ」
段々と遠ざかっていくニルスは途中で何かを思い出して口を開く。
「それと先程、艦長より
それを言うと、アルマに小さく手を振ったニルスは整備士達の方に向かっていき、整備士達へなにやら指示を出し始めた。
「さっきの戦闘より疲れましたなぁ」
ニルスが去った後、ボソッとゲイズ副長がつぶやく。
ははは、ほんとうに。と応えるアルマの目はいまだに光沢が戻っていなかった。
「では、俺もカミさんにメッセージを送りますんでこれで失礼します。……あ、それで」
ゲイズ副長の聞きたいことを察したアルマは先回りして彼の問いに答える。
「パイロット達は出撃の二時間前にブリーフィングルームへ集めてください。――もちろんパトリック曹長も含めて」
目から光沢が消えていたとしても、流石は一部隊の長である。
ゲイズ副長が問おうとしたことの的を射ていたのだろう。
彼女の言葉に満足そうに頷くと、ゲイズ副長はそのゴツイ体には似合わない綺麗な敬礼をしてアルマから離れていった。
「はっ! それでは今度こそ失礼します」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ピッという電子音の後、部屋の鍵が解除される音がアルマの耳に届いた。
次いでドアが横にスライドし、部屋に人が来たことを検知したセンサーが光を灯す。
そこはアルマが駆逐艦ヨークで割りあてられていた将校用の個人部屋だった。
部屋と言っても四畳程の室内にベッドとテーブル、小さなロッカーが押し込まれており、横にある扉の先にはトイレが併設された小さなシャワールームがある程度だった。
部屋に入っていったアルマはベッドに突っ込みたい衝動をどうにか我慢すると、着ていた服を無造作に脱ぎ捨ててシャワールームへと向かう。
手早くシャワーを浴びて身体を拭くと軍支給の白色の簡素なショーツとタンクトップ型のブラを着け、ペタペタと裸足のまま部屋の中に戻ってくる。
そして備え付けの椅子に座ると机の上にある通信機を立ち上げた。
帝国通信協会のロゴの後に、普段見慣れている通常の通信帯表示の上に赤字で
生還率が極端に低い作戦前で、ある程度時間的余裕がある場合は、指揮官の判断で一般の兵士でも使える事がある。
これは家族や知り合いへの最期のメッセージを送る、いわゆる遺書を残す為だ。
アルマが最初に送ったのは両親宛てだった。
しかし、それはすぐに数分で書き終わった。
あまり良い事ではないが、軍の現場に配属されて五年。
アルマは何度か遺書を書く機会に恵まれていた。
最初こそはあーでもない、こーでもないと悩みに悩んで作っていた遺書だったが、今ではほぼ定型文が確立されていた。
そうして両親へのメッセージを書き終えたアルマは通信機の電源を切り、そのまま天井を見上げる。
一般的な男性の帝国軍人が座ることを想定して作られた椅子の上で、床まで届かない両足をお行儀悪くぶらぶらさせながら少し考えると、今度は自身の携帯端末を取り出しメールを書き始めた。
そして椅子の上でモゾモゾしながら前髪を整えると端末のカメラを起動し、何かを話し始める。
それから五分後。
どこかへとメッセージを送信したアルマは、今度こそ念願のベッドへ飛び込むと、枕元のアラームを二時間にセットし、布団をかぶり目を瞑った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アルマの可愛らしい寝息が聞こえて来た頃。
部屋の自動照明がゆっくりと電気を消していく中、携帯端末の画面が暗闇の中に浮かび上がる。
画面には最後に送信したメッセージが表示されており、その件名にはこう書かれていた
『我が生涯のライバルへ』
と。
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