幕間 バランとカプリス、或いは北泉茂と白川奏多

 多少の頭痛に苛まれながらもVRヘッドセットを外し、ベットから起き上がる。

 仮想世界へのフルダイブ技術が開発されてから5年。

 安全性が認められ、一般レベルに実用化されてから3年は経った今でも、体質的に合わない人間には頭痛や眩暈が起こるのだという。

 この症状は、フルダイブ酔いとでも言うべきだろうか。


 もう2ヶ月は張り替えていないカレンダーは5月を示し、2日前に食べたコンビニ弁当の容器の上には、殺風景な部屋を彩るには些か役不足な緑色のプラスチックが放置されている。

 

 ゴミ屋敷という程ではなくとも、綺麗な部屋からは程遠い。

 

 そんな中途半端に汚い部屋の持ち主の名は、北泉茂ほくせんしげる

 ネット上でのハンドルネームはバラン。

 ゲームが趣味の、どこにでもいる様な普通の会社員だ。


「はー……頭痛え。ダイブしてる最中は何も感じないのに……にしても、いい加減この辺のゴミも片付けないと。実家に居た時は、結構掃除もしてたんだが……ああ、一人暮らしが向いてないんだろうな、俺は」


 床に落ちたペットボトルを足で退けながら、机に置かれた少し古いスマホを取り、カプリス––––––––白川奏多しらかわかなたにメッセージを送る。


 ……予測できた結果だが、未読のまま時間だけが過ぎる。

 昼の12時まで寝てるなんて事は、流石の彼女でも無い……訳が無い。

 奏多の睡眠時間を甘くみてはいけない。

 4時間睡眠で普通に過ごしている時もあれば、16時間は余裕で寝ている事もある。

 

 全くもって予測できない、控えめに言って頭のおかしい生活リズムで彼女が動いている事は、長年の付き合いで嫌と言うほど思い知らされている。

 ……本当、思った以上に長い付き合いになったな。


 俺と白川奏多の出会いは、小学校時代にまで遡る。

 まあ俺の方が2歳上だったので、家こそ近かったが高校時代までは”名前はギリギリ覚えてる後輩”程度にしか認識していなかったが。


 友人と呼べる距離感になったのは、彼女が俺と同じ目的を持って廃部寸前だった茶道部に入ってきたからだ。

 ––––––––そう、サボりという崇高な目的を持って。

 気まぐれで無駄に天才肌な彼女と、自称努力家で凡人な俺。

 性格は違えど、根っこの部分は割と似たもの同士だったのだろう。

 それが、碌なものかどうかは置いておいて。


 そんなこんなで知り合って以降、気の合うゲーム仲間として仲良くやってきた。

 その距離感は同じ大学に行っても変わる事はなく、俺が先に卒業して社会人になり、引っ越して一人暮らしを始めても変わらなかった。


 今思えば、恋愛的なイベントが起きていても不思議では無い気がする。

 ……その方面で全くもって意識していなかったのは、少し不思議だ。

 当時、ゲームの事しか頭に無かったのが原因なのだろうか?

 まあ、それは今も変わらないのだが。


 * * *


 ……レイド開始が差し迫ってきたが、未だに既読が付かない。

 これ、どう考えても寝てるだろうな。


 この20分の間にあった事といえば、今年も卒業を逃したせいで奏多と学年の並んだ元先輩から死ぬ程どうでもいい雑学が送られてきた位だ。

 何が”大学は8年までしか在籍できない”だよ。

 俺にとってはただの雑学でも、お前にとっては死んでも回避したい現実だろうが。

 ”実は休学も活かせば12年間在籍できる”って付け加えても無駄だからな。頼むからその知識を活かさなくて済む様努力してくれ。


 ––––––––などと、碌でなしと不毛なやり取りをしていたせいで時間がない。

 

 寝てる奏多の前には着信音もアラームも無力。

 仕方ない。せめて、俺だけでもレイドバトルを楽しもう。


 そう思ってスマホを置こうとした瞬間、軽快なよく知らない洋楽が部屋に響き渡り、驚いてスマホを足の指の上に落とす。

 着信音を最近変えた事、自分でも忘れてた。

 ……小指が痛い。


『へいよー、生きてるかい茂!私は生きてる!』

『第一声がそれかよ……アルコール、入ってます?』

『入ってない入ってない!いやごめん、急なんだけど……今ヒマ?てか、家の中?』

『そらもう、惰眠を貪って……は無かったが。アー……アーク……例のフルダイブの奴やってたんだよ』

『マジで!?じゃあほら、今すぐ再開して!トゥルオン、もうちょっとでレイドイベントが始まるんだよね!』


 ……ああこれ、入れ違いになってたやつだ。

 それにしても、略称の癖が強すぎないか?


『……知ってるよ。てか、お前がログインしてなかったからわざわざ現実に戻って連絡したんだが……余計なお世話だったみたいだな』

『あ、知ってたんだ?そっか……』

『なんで少し残念そうなんだよ。そもそも、レイドを起こしたのは俺達のパーティーだからな、多分』

『ふーん……はい!?待って、情報量が多いんだけど?……え、私以外の人とパーティ組めたんだ?』

『突っ込むべきはそっちじゃないし、俺の事を何だと思ってるんだ!?』


 多分、奏多の脳内に礼儀や遠慮という概念は存在していない。


『ま、そんな細かい事は置いておいて!もう割と時間もやばいので、積もる話はゲーム内でしましょう!それじゃ、レイド終了後までさよならー』


 何度でも言おう。

 彼女は礼儀も遠慮も、あと節度もどこか遠くへ置いてきている。

 ……少なくとも、俺の前では。


 一方的に通話を切られたのは不服だが、言っていた事は一理ある。

 壁際に積まれている段ボール箱から2Lのペットボトルを取り出し、賞味期限ギリギリの緑茶を出しっぱなしのコップに注いで飲む。


「丁寧な暮らしとか、憧れだけはあるんだが……3日以上持った試しがないんだよな。そんな事より今はレイドだ。折角の日曜日、楽しまないと勿体無い」


 スマホを充電ケーブルに繋ぎ、VRヘッドセットを被ってベットに寝転がる。


 ––––––––頭痛が引くと共に眠る様に意識は落ち、現実から空想へとダイブする。


 

 

 

 

 


 

 

 

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