ミャンファ


 ある日、夏のある日だった。ユキエは盗みに入った農家でとうとう捕まった。

 ユキエを捕らえた男たちは怒鳴り、叫び、少し黙ってから、ユキエをどこかに連れて行った。ミャンファはそれを追い掛けようとしたのだけれど、ユキエを捕まえた人間に「猫は連れていけないよ」と抱きかかえられた。ユキエだけが、どこかへ連れて行かれてしまった。


 それから、ミャンファはその農家の猫になった。実のところ、ミャンファという名前は彼らに与えられたものだった。


 農家の男たちは父親と息子で、ミャンファをよく可愛がったが、ミャンファはたびたび彼らを噛んだり引っ掻いたりした。彼らが、ユキエをどこかへと連れ去ってしまったのだ。

 ミャンファが爪を立てると、彼らは「いてて、いてて」と痛がったが、なぜだか嬉しそうだった。


 彼らはユキエと違って、ミャンファによく話しかけた。おかげでミャンファは、人間の言葉を少しだけ理解できるようになった。



「あの子は、上手く海を渡れたかねえ」

 暖かな春の日、額に浮かんだ汗を拭きながら息子が言った。

「船の中で死んでいなければね」

 父親の方も、農作業の手を止めて、袖で汗を拭った。そして、足元に寄って来たミャンファの背を軽く撫でた。


「でも父さんは、日本人を憎んでいるから、あの子を殺してしまうと思ったよ」

 息子が言うと、父親は「そうだね」と空を見上げた。そして、土の上に腰を下ろして、ミャンファを抱き上げて膝に乗せた。

「そうしようかと思ったけど、でも、我慢ならなくってね」

「何が?」

「戦争に、何もかもが奪われるのが」

 ごつごつとした指が、ミャンファの頬を優しく掻いた。

「少しくらい、奪い返したかったんだよ。あんな小さな女の子を、かわいそうだと思う心くらい、戦争から奪い返したかったんだよ」

 そして父親はミャンファを膝の上からどけると、立ち上がり、また黙々と農作業に取り掛かった。息子も、草むしりを再開した。


 ミャンファには詳しいことは分からなかったけれど、あの子というのがユキエのことで、どうやらユキエは、海というものを渡っていったのだと知った。そして、この男たちが存外嫌なものではないらしいことも、同時に知った。



 それからミャンファは、彼らを噛んだり引っ掻いたりすることを、少しは遠慮するようになった。何度目かの冬の日に、父親が肺を悪くして死んだとき、ミャンファはその膝の上で彼を温めていた。


 そして、折角なので息子の方も看取ってやろうと思ったが、息子の死に目に遭う前に、ミャンファの方が、内臓を悪くして死んだのだった。

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