忘れられない

三鹿ショート

忘れられない

 教師と接吻をしている彼女の姿を見て、私は彼女を哀れに思った。

 何故なら、教師にとって彼女が遊びの相手に過ぎないからだ。

 教師には妻と子どもが存在し、彼女と関係を持つということは裏切り行為以外の何物でもないが、家族との約束を優先するために、彼女の誕生日を祝うことがないということを考えれば、教師が本気ではないことは明白である。

 だが、彼女は気にしていない様子だった。

「私だけを愛してくれる時間は、確かに存在しているのですから」

 それは、その場に教師の家族が存在していないためである。

 もしも家族が眼前に立っていたとすれば、教師は間違いなく、彼女を放り出すことだろう。

 今後、教師が彼女に執心するような展開が訪れる可能性は、皆無であるというわけではないが、低いことは間違いなかった。

 ゆえに、彼女と教師の逢瀬を目撃すると、私は彼女に忠告することにした。

 教師との関係を材料に脅されると考えていたのか、彼女は怯えた眼差しを私に向けていたが、

「何時の日か、きみに意識を向ける日が訪れる可能性も存在するだろうが、一度裏切った人間は、何度も裏切るのだ。早いうちに、関係を終了させた方が良いだろう」

 私は、父親が母親を何度も裏切る姿を目にしていた。

 裏切りが露見する度に父親は母親に謝罪をしていたが、謝罪をすることで無かったことになるのだと勘違いしているのか、数日後には別の女性と関係を持っていたのである。

 何度も裏切り、何度も怒鳴る両親を目にしていた私は、辟易していた。

 そんな中、彼女が夢中になっている教師にも、私は父親と同じものを感じたのだった。

 ゆえに、私は彼女に忠告をしたのである。

 しかし、彼女は口元を緩め、前述のような言葉を吐いただけで、私の行為には何の意味も無いようだった。

 同じことを再び言ったところで意味が無いことは明らかだったが、私は何度も彼女に忠告をした。

 これほどまでに一人の人間に夢中になっている人間がその相手に裏切られたときの衝撃は、想像することができないほどに大きいと考えたからだ。

 だが、彼女が私の言葉を聞き入れることはなかった。


***


 そもそも、何故彼女だったのか。

 彼女はそれほど目立つような人間ではない。

 それどころか、異性の目を引くほどの美貌の持ち主ではなく、学業成績も下から数えた方が早いほどの人間だった。

 加えて、彼女は他者との交流を苦手にしている様子であり、他者と笑顔で会話をしている姿を目にしたことは一度も無い。

 そこまで考えたところで、だからこそ、彼女が選ばれたのだと悟った。

 教え子に手を出したいという願望を抱いているが、露見しては困ると考えていたところ、孤立し、他者との交流が皆無である彼女ならば、自分たちの関係が他の人間の知るところにはならないのだと気が付いたのだろう。

 教師本人に確認したわけではないが、その妻が彼女と似たような人間であるために、私の推測はあながち間違ってはいないだろう。

 教師に対する疑念を植え付けることで、少しでも彼女の関心が薄れることを期待したのだが、彼女は笑みを浮かべた。

「そのような考えであることは、私が最も理解しています。自分がどのような人間であるのかは、自分がよく分かっていますから」

 そう言葉を吐く彼女を見て、彼女はある意味で、幸福なのかもしれないと考えた。

 自身の欠点を自覚し、それを材料にして関係を持とうとしたことに気が付いていながらも、一時とはいえ自分のことを愛してくれることが余りにも嬉しいために、目を閉じているのだ。

 教師に捨てられた際に負うであろう心の傷がどれほど深いものかを心配する必要は無かったのである。

 それから私は、彼女に忠告をすることを止めた。


***


 数年後、彼女と再会した。

 驚いたことに、彼女はその身に新たな生命を宿していた。

 まさか、くだんの教師との間の子どもなのかと問うたところ、彼女は首を横に振った。

 そのとき、一人の男性が姿を現した。

 私や彼女よりも若いその男性が相手なのかと訊ねると、彼女は顔を赤らめながら頷いた。

 あれほど熱心だった教師とどのような理由で別れたのかは不明だが、新たな男性と交際することができ、彼女の精神状態が悪化しているようにも見えなかったために、私は安堵した。

 そんな私に、彼女は男性のことを紹介してくれた。

 それを耳にしたとき、私は呆れてしまった。

 何故なら、男性は、くだんの教師の息子だったからだ。

 そんな人間と関係を持ったということを考えると、彼女は結局のところ、くだんの教師のことを完全に忘れたわけではないということになるだろう。

 しかし、偶然ということもある。

 彼女が心を奪われた相手が、偶然にもくだんの教師の息子だったという可能性も存在するではないか。

 そんなことを想像していると、彼女は私に耳打ちしてきた。

「彼との間の子どもは、あの人に似ているでしょうか。楽しみです」

 それから彼女は、笑みを浮かべて男性と共にその場を去った。

 私は、素直に彼女を祝福するべきか、悩み続けたのだった。

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忘れられない 三鹿ショート @mijikashort

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