第11話 テシュさんの妹
俺がこくこく頷くと、首根っこを掴んでいた手が乱暴に離された。
カティシアさんは、右手首をぷらぷらさせながら言う。
「ふん。まあ、アンタにそんな度胸ないと思うけど。凡骨の頭で分かったんなら、きりきり歩きなさい。もうそろそろ着くわよ」
「は、はいっ」
素っ気ない言葉。さらりと流すように視線をそらし、再び歩き始めるテシュさん。
俺は、その背中を慌てて追いかける。
今の距離感。
付かず離れず。それが俺とテシュさんの関係を端的に表しているみたいだった。
カリナさんの屋敷で見た、自然で柔らかい少女の笑顔。あの時、ほんのちょっとでも打ち解けられたかと思ったけど、やはり。いや全然。そんなことはなかったみたいだ。
池のほとりを歩きながら俺は考える。
そのとき、三人のちびっ子が俺たちを追い抜いていった。その手には木の枝が握られていて、ちゃんばらごっこしてるらしい。道を行き交う人々はそんな少年たちを注意せず、それどころか懐かしむように彼らのことを眺めていた。
ざるに入った野菜を売り歩く町人。屋根に上って修理する大工。人ひとり通れる幅の裏通りを覗いてみれば、共同井戸に集まって、水くみや洗濯をしながら奥様方が、世間話に花を咲かせている。
なんというか。道すがら、どこを切り取っても生活感にあふれていた。
同じマンションに住んでいたとしても、名前や顔を知らない人がいる現代。俺が生きていた世界では、決して見られない摩訶不思議な光景であった。
こういうの。人情味? って言うんだっけか。それがあっていいな。
それから無言で歩くこと五分。
そんな空気にあてられてか。いつの間にか二人の間にあった、わだかまりのような雰囲気は霧散していた。
「なんというか、そこはかとなく平和だ」
歴史で学んだ戦国時代。陰惨で理不尽がまかり通る世界。もっと物騒で殺伐としているイメージだった。目の前の日常は、それらからかけ離れていた。いいやそもそもの話。女王や年号が願楽? の時点で俺の知っている世界ではないんだった。
「……この隻保が特別かもね」
手持ち無沙汰だったのか、それとも諦めて気持ちを切り替えたのか。俺にははかりかねるが、テシュさんが俺の独り言に反応した。
「特別、ですか?」
「そっ。ヘルミーネ様は気高い心を持つ武人なのよ。だから武芸に秀でてる人物を登用することが多いの。治安にも力を入れていて、他の領地よりも素浪人の数が少ないってわけ」
「ヘルミーネ様というのは、カリナさんが言っていた領主の」
「そ。武人は恩を恩で返す。主君に尽くす武人が立派な武人。だからー、一応命の恩人のアンタのことを、知らぬ存ぜぬしてたら切腹よ、切腹」
何気ない調子で腹を切るような仕草をする。
そこにためらいや、臆したような様子はない。今日の夜ご飯何食べる? ぐらい軽い。
「アンタの世話については、もう腹をくくったわ。腹だけにね」
「…………」
「ちょっと! せっかく会話のキャッチボールをしてやろうと茶目っ気を出してあげたのに、あけすけに無視されるとムカつくんだけど」
「あ、すいません。むかっ腹の気分ですよね」
「もういいわよ!」
道端に転がった石ころを蹴っ飛ばして少女は、ぷんすか怒る。
如実に行動に表れていて、腹に据えかねているのが分かった。ご立腹だった。
俺は彼女をなだめながら、考えていた。
『切腹』
テシュさんが口にした言葉が妙に俺の心に残ったのだ。
切腹とは、自らの腹を斬るという武人の自害方法だ。切腹に際し、即死させてその負担と苦痛を軽減させるため、介錯人が後ろから首を落とすが、それまでは『死』を受け入れて、己の意思で腹を裂いている。
方法は違えど、俺にはできなかった行為。
失礼極まりないが、テシュさんはそういうのを突き付けられても、反撃するなり逃げるなりして反故にするかと思っていた。しかし言動からみるに、テシュさんも根っこからの武人であり、心から爪の先まで心構えが浸透し、体に定着しているみたいな感じだった。
テシュさん、すいませんでした。
俺は心の中で詫びた。と同時に、彼女に敬意のようなものを抱く。それは自分には持っていない。確固たる信念と覚悟の端っこを垣間見たからだ。
なんだかんだ言って、俺のことを見捨てないのは、武人だからかもしれない。
俺は、勝手に一人で納得し完結していた。
「はぁ……疲れた。はい、着いたわよ」
いきなりテシュさんが立ち止まる。
顔を上げるとそこは、薄い一枚の長屋とは違い、しっかりした木造建築の住宅だった。
「ここがあたしとエリーが暮らしてる家よ」
「周りの家と比べて大きい家ですね」
「ふん、あたし偉いのよ。もっと敬いなさい。アンタは崇め奉るべきね。これからは朝起きたら土下座。朝餉を食べたら土下座。食器を洗ったら土下座。昼餉を食べたら土下座。洗濯したら土下座。夕餉を作る前に土下座。お風呂に入ったら土下座。寝る前に半刻(一時間)、土下座することね」
「……よく噛まずに言えますね。字面にしたらゲシュタルト崩壊しそうです」
「下種たる包茎? 突然自己紹介を始めてどうしたのよ」
「どんな自己紹介ですか……」
「いいこと? 最後に今一度申しておくわ。アンタ、ちょっとでも妙な気を起こしてみなさい。即刻、そのしけた面を泣かせるから。全裸で町を散歩させるからね。その後、四肢を切断して飼い殺しよ」
気のせいだろうか。さっきよりもペナルティが重くなっている。そしてテシュさんはいいのだろうか。全裸の男を散歩させるなど、ご近所でどんな噂が立つやら……テシュさんは、何一つ気にしなさそうだ。
「肝に銘じます」
「はあ? 声が小さいんだけど」
「はい! 肝に銘じます! 銘じさせていただきます、イエス、サー!」
軍人が、上官に口をきくときのような大きさで俺は返事をした。
会ってから数時間だというのに、すっかり上下関係ができあがってしまった。
とはいえ、無理やりテンションを上げた甲斐あって、テシュさんは満足そうに鼻から息をもらす。
「お姉、帰ってきたんですのー?」
すると騒いでいたからだろう。テシュさんが指差した家から、パタパタと音がしたかと思うと、のんびりした口調とともに戸が開けられる。
少し上向きの鼻と桃色のくちびる。潤んだ虹彩を放つ同心円の瞳。お団子にした淡い灰色の髪。細く整った眉はやわらいでいて、それは相手に淑やかな印象を持たせる。纏っている雰囲気は、まったく違うものの、どことなくテシュさんと顔つきが似ている少じ……女性だった。少女ではなく女性と判断したのは、小袖の薄い生地に収められた豊かな胸と、俺とそんなに大差ない身長だ。
テシュさんが妹と言っていたので、てっきり彼女をデフォルメした感じの……少し生意気だけれど、憎めないような幼女かと勝手に想像していたのだが……。
想像の百八十度違った体貌に、俺は口をあんぐりと開けて絶句する。驚きのあまり、目の前の女性の言葉が、脳を経由することなく右耳から左耳へ通り抜けていた俺は、アホ丸出しの質問をしてしまう。
「えっと、テシュさんのお姉さんですか?」
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