第10話 屋敷を出て見た光景
「テシュさん、本当に良かったんですか?」
俺の前を歩くテシュさんに再三尋ねる。
「あーもう。うるさい。うるさい。しょうがないじゃない! それともなぁに、アンタ。まさか文句でもあるの?」
「いえ、そういうつもりではなくて……金子もこの世界の知識もない俺としては、願ったり叶ったりなんですが。テシュさんがいいのかな、と思いまして」
「ふんっ。いいわけないでしょ」
テシュさんは絶賛ご機嫌斜めだった。俺と頭一・五個分以上小さな体からは、威圧感のようなものがひしひしと感じられる。
というのも、あれからご領代なる人物に会ったのだが、そこでひと悶着あったのだ。それは俺の処遇だった。
ご領代――カリナさんは、気さくで包容力のあるお姉さんという印象だった。
カリナさんは『修一と申したかな。ぬしさえ良ければ、このままこの屋敷に住むといいよ。なに、一人増えたところで困らないからね。わっちはこれでも家老なんだ。偉いんだぞ~』と。
詳しい俺の素性も聞かず、開口一番、そんなことを言ってのけた。
豪胆というか、奔放というか。
これに意見したのが、俺を連れてきたテシュさんだった。
なんでも隻保の当主であるヘルミーネ・ヴェルナーさんは、今現在この世界を治める女王の命で『神門』という、女王がいる町に一年間、出向いている最中なんだと。目的としては金子――お金を使わせて、反乱分子の活性を防止するためらしい。そもそも一〇年前の天下を決める大戦で力を使い果たし、どこの領主も女王に歯向かうだけの軍事力がないという。結果、このシックザール法でかつて失った力を蓄えることができず、その効果は絶大らしかった。
そしてそのヘルミーネさんは、カーバンクルの任についているそうだ。
女王の前に、この世界を治めていたのが『天子』という人物であり、一〇年前の大戦で勝利した女王が、遠くの地に幽閉したそうな。ただ天子は、民からの支持がとても厚かったらしく、度々その使者をもてなすことで、女王は天子を無下にしていない、と民にアピールしているみたいだった。
天子の使者の接待を任されるのが、カーバンクルの任を命じられた領主であり、今回この隻保の領主ヘルミーネさんが、選定されたようだ。
カリナさんが直々に説明してくれた。
少し逸れてしまったが、だから今この隻保は、ヘルミーネさんが戻ってくるまで、領主の次に偉い筆頭家老であるカリナさんが仕切っているそうだ。
『まぁ名ばかりの役職で、わっちは何もしてないんだけどね。親が子を待つように、大人しくいい子で留守番してるだけだよ』
カリナさんは、鈴の音を転がすような凛とした声で笑った。
領主の代わりでご領代と呼ぶらしい。
そのご領代の住む屋敷に、シュテルベンの隠し子の可能性が高いとはいえ、存在が不透明なこいつが住むのはどうなのよー、それ? とテシュさんが、茶を飲みながら他人事のように言った。
実際他人事なのだろう。俺たちそっちのけで、ずっと黒猫とじゃれていたからだ。
当然といえば、当然。むしろこの場合、カリナさんの方がおかしいと言える。
そういった経緯から、カリナさんの屋敷は却下された。
ただ正論を述べたテシュさんが災難を被った。過去に戻れるならテシュさんは、一言も発さず、黙って茶請けを食べていたか、黒猫と遊んでいたに違いない。それか、さっさとカリナさんに俺を渡しておさらばしたはずだ。
なぜなら、代案としてカリナさんが『命の恩人を無下にはできないよ。ならカティ。ここの生活に慣れるまで、おぬしの家で面倒を見てやってはどうかな。これも何かの縁でしょ?』とのたまったからだ。即座に『は!? 天地がひっくり返ってもありえないわ、そんなことっ! なんでこのあたしが、こんなぱっとしない男なんかを! むりむりむりよ』カリナさんに嚙みついたのはいうまでもない。
右も左も分からない俺は、二人の話し合いにうんともすんとも言わなかった。やがて話はまとまり、俺はテシュさんの家へ厄介になることとなった。というより、テシュさんはご領代に言葉巧みに丸め込まれていた。
この時点でテシュさんの機嫌は、かなり悪かったのだが、どうやらカリナさんは人のことをからかうのが好きなたちのようで、
『結構早く折れたね。……ふっふっふっ。これはついにカティにも春が来たかな。ほほう、ぬしはこのような男が好みなのかー』
そんなはずないのだが、ブチっという音が聞こえた気がした。
テシュさんは、怒りで顔を真っ赤にし、からから笑うカリナさんに掴みかかろうとしていた。というか掴みかかって半分暴れていた。
不機嫌は、カリナさんの屋敷を出ても継続中だった。俺も俺でいきなり女の子と寝食をともにする、という展開についていけず、何度もテシュさんに確認を取ってしまった。それもまた、ゴーゴーと燃えている火に油を注ぐ結果となってしまったみたいだ。
それなんてギャルゲ? 的な展開だが、身をもって体験している側としては、そんな感想は持てなかった。なぜなら、初対面のときよりも邪険に扱われているからだ。
まるで蛇に見込まれた蛙の気持ちだ。
短くも濃かった回想から戻り、気分を紛らわそうと俺は、辺りに視線をやった。
本当に別の世界に来てしまったんだな……。
半信半疑だったのだが、外に出た瞬間、それは確信に変わった。整備されたコンクリートの道路はどこにもない。マンションやデパートも。
たくさんの人が歩いて固まったのだろう。歩いた程度では砂煙が立たない砂道だった。左右には、木造建築の長屋がずらっと並んでいて、遠くを見上げれば立派な城がそびえ立つ。行き交う人々は皆、俺と同じような小袖に草履を履いて、中には腰に大小を差している人もいた。テシュさんと同じく、この人も武人なのだろうか?
なんというか、学生の時に遠足で行った戦国時代の町並みを再現したテーマパークのようだった。そう思ったのも、いまいち実感が湧いていなかったからだ。だが若い男の髷――ちょんまげを横目で盗み見たが、カツラとかではなく本物だった。
辺りを見渡していた俺を、テシュさんが顔だけ振り向いて、思いっきり肩を落とす。
「なんであたしがこんな面倒なことを……あーもう! 最低最悪。あたしがどんな悪行を重ねたって申すのよ。いい子いい子してたのに、この仕打ちは散々だわ! てか、アンタもご領代に何か申せばよかったじゃない! なのに黙って成行きを見守っちゃって。アンタのことなのよ!? チッ……どっかの馬の骨だか知らないガキの世話だなんてっ! 暇つぶしにって、ご領代のところに顔なんて見せにいくんじゃなかったわ」
時限爆弾が爆発したように激しく。機関銃をぶっ放したようにまくし立てる。
散々な言われようだった。
ただ彼女が言っていることは的を射ていた。
反論もできずどう反応してよいか。俺がうやむやにさせるような苦笑いを浮かべると、彼女が真正面に立ち塞がり、キッと鋭い相貌で睨みつけてきた。突如、俺の首根っこを掴んでグイっと引き寄せた。
体格差からバランスを崩し、俺は前につんのめりそうになる。
少女とは思えない、すごい力だ。
「テシュさん、すいません。煮え切らない態度の俺が悪かったですから、どうか落ち着いてください。近い。近いですって」
やけにギラついた茶色の同心円目に、死んだ魚のような目をした、冴えない男の顔が映った。
彼女との距離は五センチもない。
突然の急接近に俺は、息が詰まり、角膜が縮小し、鼓動が高まった。自分のパーソナルスペースにあっけなく入ってきた彼女に、恐怖やら不快やら興奮やらが綯い交ぜとなる。興奮? そう、俺は性的興奮を覚えていた。こんな状況だというのに、まったくもって浅ましい男である。息を吸うだけで、彼女の湿った甘い吐息と合わせて、少女の肢体ながら漂う女性の芳香が嗅覚を支配し――
「うっさいわね! これだけは申しておくわ。アンタ、あたしの妹に手を出してみなさい。四肢を斬り落として、飼い殺しにするから。簡単には殺さないわ。この世に生を受けたことをたっぷりと後悔させてあげる。そのことを心臓に杭でも打って、深く刻み込んでおきなさい。わかったかな? かな?」
「……ひぃ」
色情を一刀両断。
俺は短い悲鳴を上げた。何が、とは言わないが縮み上がった。
鬼気迫る顔。目が冗談を言っていなかった。ハイライトを消した、人を虫けらか何かだと思っている目をしていた。
なんて目だ。とても人間を見る目ではない。
キュッと心臓を鷲掴みされたような気分にさせられた。
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