第8話 精進料理

【神門。ヴェルナー邸】


「オクサナ。リーファース様は、まことにおもてなしの料理に精進料理をお出しになるよう申していたのですか?」



 ヘルミーネが腕を組んで眉をひそめる。

 本日、来訪する天子の使者のおもてなしの料理についてだった。

 そんな彼女に、オクサナはしかつめらしい顔で返事した。



「はっ。一言一句そう申されておりました。わたしも疑問に思い、こちらからも問い合わせてみましたが間違いはないかと。リーファース様の家来の方が、しかと精進料理、と申していました」

「……そうですか」

「いかがなさいますか、ヘルミーネ様」



 オクサナの問いに、領主は黙り込んだ。

 それも無理ないことだった。


 精進料理とは、肉や魚を使わず野菜を中心とした料理のことで、主に死者を弔った日に食される料理だからだ。


 ヘルミーネの心情を言葉にしたのは、オクサナの隣に正座していた側用人のモニカだった。モニカは、華奢な丸みを持った顎に手をやりながら、


「天子の使者は長旅でお疲れでしょう。そして今日の天候は、雲一つありません。そんな日に精進料理をお出しになるのは、些かおかしいかと思います」

「……モニカもそう思いますか」

「ヘルミーネ様。リーファース様のことですが」



 モニカがそう言かけたとき、やにわにヘルミーネが心臓をおさえだした。そのまま、鎖骨が透けて見える体が丸まった。白髪の合間から苦悶の表情が見え隠れし、陶器然とした色白の肌から、だらだらと脂汗がにじみ始める。



「ヘルミーネ様っ!?」

「大丈夫ですか!? ヘルミーネ様!」



 オクサナとモニカが同時に彼女の元へと駆け寄った。



「……ええ。心配ありません」



 即座に寄った家臣二人を、手で制したヘルミーネは、早くなった呼吸を落ち着かせようと深く息を吸う。すぐに収まったが、ただでさえ白い肌は幽霊のように青白くなっていた。



「モニカが申そうとしたのは、リーファース様のわたくしに対しての誹謗ですね?」

「…………さようでございます」

「ヘルミーネ様っ。うちは許せまへん! リーファース様に会わはった際の無礼な振る舞いだけでも、はらわたが煮えくり返る想いやねん。せやのにあの日以来、ところかまわずヘルミーネ様のことを悪しざまに申しとるなんて……ッ」



 胸のあたりで切り揃えたウェーブがかった茶髪を乱して、オクサナが烈火のごとく顔を赤くした。


 あの日とは……ヘルミーネが、初めてエルンストの屋敷を訪ねた日である。その次の日から、エルンストは場所を問わず、彼女の悪口を周囲に言い散らしていた。


 やれ礼節を弁えていない無骨者だの、やれ田舎娘がままごとでしている古臭い武人だの、『武人』を大切にしている彼女からすれば聞くに堪えない内容だった。そしてその話は、相手のヘルミーネの耳にまで届いていた。というより、そうなるように仕向けられていたような。そんな意図が見え隠れしていたのだ。



 正座をし直した側用人の二人に、ヘルミーネは弱弱しい笑みを見せた。



「わたくしの代わりに怒ってくれてありがとう、オクサナ。ですが、わたくしは大丈夫ですよ。カーバンクルの任が終わる少しの間だけ、我慢すればよいだけですから。モニカ、オクサナ。決して早まったことをしてはいけませんよ」



 オクサナは、それ以上口を開けなかった。主君の想いを踏みにじることなど、オクサナにはできなかったのだ。


 ヘルミーネとしては、波を荒立てたくないのが本音であった。



 リーファース様はどうしてここまで……。わたくしの武人としての心持ちが、間違っていたんでしょうか……いいえ。それは違いますね。これをなくしてしまうのは、亡くなった父上、ひいては先祖様に顔向けができませんね。


 長く伸びた銀髪を撫でつけながら、ヘルミーネはやんわりと首を振る。やおら顔を引き締めた。

 モニカは、手のひらをぎゅっと握った。それを主君に悟られまいと、袖にしまって隠し通す。一度息を整えてから、


「ヘルミーネ様。料理の件でございますが」

「ええ、分かっています。普通の料理も用意して、どちらでもお出しできるようにしておきましょう」

「ご配慮、ありがとうございます」


 そうして天子の使者のおもてなしに、ヴェルナー家は、精進料理と普通の料理の二通りの料理を用意することに決まった。




 数時間後、ヴェルナー邸の前に煌びやかな駕籠が一台到着する。すだれから出てきたのは、仮面をつけた身なりのいい老人だった。老人と評したのは、脂がまったくない出涸らしのような乾燥した肌である。年のわりに足腰はしっかりしており、ズカズカと屋敷内に入ってくるなり、乱暴に草履を脱ぎ捨てた。



「指南役のエルンスト・リーファースが参った。ヴェルナー殿、使者様にお出しするおもてなしの料理はできあがったであろうか?」


 その仮面の男は、エルンスト・リーファース本人だった。

 台風のようなすさまじい闖入者の登場に、家臣の一人がヘルミーネの私室の障子戸を、慌てて叩く。



「お休みところ申し訳ございませ!!! 今しがたエルンスト・リーファース様が、お見えになりませて……っ!」

「ふへ? なんで…!? コホン…………今日お会いする約束は、してないはずですが。……分かりました。ただいま参ります」



 早々に支度を整え、駆け足でエルンストの前に出てきたヘルミーネは、一瞬だけぎょっとする。言わずもがな、御仁の顔に付けられた仮面である。ただすぐさま取り繕うと、真面目くさった顔つきで、



「先日は失礼いたしました、リーファース様。まさか屋敷までお越しくださるとは。これはかたじけない」

「いやなにヴェルナー殿の顔に泥を塗るようなことがあっては、気の毒と思いましてな。重い腰をわざわざ上げてこちらに参った次第。して、本日お出しする料理はいずこに?」



 ヘルミーネの前でも仮面を外そうとしないエルンスト。

 その常識のない振る舞いに。並びにヴェルナー家に対して舐め腐った態度に。ヘルミーネの後ろに控えていたオクサナの小さな八重歯が剥き出る。



「……控えなさい」



 モニカが、そんな彼女のことを軽く肘で小突いた。ふぁさり、オクサナのゆるいウェーブのかかった茶髪が揺れるが、彼女たちの動作をエルンストが、気にしたような素振りはなかった。



「こちらです。リーファース様。足元にお気をつけください」

「心遣い感謝する。にしてもこの屋敷、ヴェルナー殿にお似合いですな。さっぱりとしていて随分と心地がよい」



 ヘルミーネとエルンストは、そんな会話をしながら奥の部屋へと歩いていく。



「……さようでございますか。某はあまり物に頓着がないゆえ、リーファース様からしてみれば、こざっぱりとしているかもしれませぬ」



 ヘルミーネは澄ました顔で躱していた。


「「…………」」


 側用人の二人が、領主らを深いお辞儀で見送る。


 エルンストが長い廊下の角を曲がったところで、顔を上げたオクサナが小声で、



「モニカ、めちゃめちゃ助かってん。あまりに腹が立ったから飛びかかろうかと思ったわ。馬乗りになって、あの仮面をひっぺ返して鉄拳をお見舞いしたくなったわ」

「感謝は不要です。その気持ちは痛いほど分かるけれど、それだけはしないでください。ヘルミーネ様の努力が水の泡になります」

「さすがのうちもそんくらい弁えとるで。比喩やん、比喩。うちよりもヘルミーネ様の方が辛いはずやもん」

「……無駄話はこれくらいにして、私たちも参りましょう」

「せやね」



 二人もまた、ヘルミーネとエルンストの後を追った。

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