第7話 シュテルベンの隠し子

「わかった? 間接的とはいえ、アンタはご領代の命の恩人ってわけ」


 うまく話が呑み込めない俺に、テシュさんが上を見上げて、だるそうに答えた。



「俺が……命を?」

「まぁでもあれぐらいの腕前なら、不意打ちしようが、ご領代に傷一つ付けられないだろうけどね」



 と棒読みで付け加えた。

 話を聞いて、俺は思ってしまった。



 生死を分かつ命のやり取りをしている最中、道の真ん中でフルチンの格好で気絶? している俺。



 なんて滑稽な回想なんだ。俺のせいで恰好の的となった男が気の毒だと。



「えっと、なんともお見苦しいものを……すいません」


 俺は顔を熱くし、そう言うしかなかった。

 テシュさんは、親の仇でも見るかのように俺のことを睨みつけ、



「全裸のアンタを着替えさせたの、あたしなのよ。あんなおぞましいものを。今日一日の記憶を永遠に消し去りたいわ……そもそもなんでこのあたしが、しなきゃならないのよ。これも全部ご領代のせいだわ」



 ぶつぶつ恨めし気に言って、彼女の視線が布団によって隠れた俺の下半身へと向く。かと思えば、ぶるぶると小動物のように震えだした。



「あの、テシュさん……そんなに見られると恥ずかしいんですが」

「うが……っ」

「…………」


 悪いことをしてしまった。テシュさんにトラウマを植え付けたかもしれない。




 話から察するにご領代なる人物が、テシュさんに俺の着替えを命じたっぽい。モラルが厳しい現代なら即刻裁判ものだ。出るところに出れば、昼寝をしていてもテシュさんが勝てるだろう。


 話を戻すが、真偽のほどは分からないけど、そのご領代にテシュさんは頭が上がらないかもしれない。

 文句を垂れていても、テシュさんが部屋を出て行く素振りがないからだ。

 渋々ながらも俺にこうして説明してくれている。



 とはいうものの、機嫌の悪さが出ているのか、テシュさんが投げ出した足をぶらぶらさせた。

 そして耳を赤くしたまま言う。



「あーやだやだ。だらだら話なんてするんじゃなかった。早々にアンタのこと忘れたいし、さっさと要件を話すわ。その小さな脳みそを懸命に働かせて理解しなさい。それであたしはお役御免よ。さっきの言動から思うに、ご領代が申していた通り、アンタはシュテルベンの隠し子で間違いないでしょうね。アンタぐらいの嘘、見抜けるし」

「シュテルベンの隠し子……?」

「そうよ。本来あった記憶を消去して、偽物の記憶を植え付けて、人里に捨てるっていう魔の物の仕業。何が目的は知らないけど、たまにあるのよ。それなら魔の力で虚空から現れた、って不思議じゃないし」



 魔の物、魔の力。と創作でしか耳にしなさそうな単語が、どんどん出てくる。聞きたいのはやまやまだが、そのたびに話の腰を折っては、日が暮れてしまう。なにより、増々テシュさんの機嫌が悪くなりそうだ。


 なので俺は相槌を打ってから、手短に自分の境遇を話すことにした。



「テシュさんの仰る通り、ヴェルナー領の隻保や願楽、魔の物や魔の力など生まれてこの方聞いたことがありません。ですが俺の記憶が偽物ってことは、ないと思います。こちらでは聞き馴染みないかもしれませんが、別の世界から――」

「あーはいはい。あたし、アンタにまったく興味ないの。そこらへんはどうだっていいのよ。ただの時間のムダよ」

「あっと……その」

「これでご領代に報告してアンタとはおさらばよ。清々するわ。まこと説明役なんて柄じゃないのよ。命の恩人だから丁重にもてなすように申しつけられたけど、冗談じゃないわ」

「だから……その」

「アンタは運がいいわ。曲がりなりにもご領代の命の恩人。当面の生活は、心配しなくて大丈夫じゃない? あたしの知ったことじゃないけど」



 これで話は終わり、と言わんばかりに立ち上がると、テシュさんはその場で色艶の良いくちびるを開いて呑気にあくびをした。んっ、と短い吐息をもらして体をひとのばし。

 黒のストッキングのような生地に包まれたむっちりした太ももが、ちらちら見えた。




「…………」




 俺が口を挟む余地なく、一方的に話を打ち切られた。



 いい加減。生意気。傲慢不遜。人の話を聞かない。わがまま。我が強い。だけれど、俺の背中をさすってくれた優しい一面もある少女。まぁ妹さんと重なったから、らしいが。



 振りに振り回されたが、俺は根本的に受動な人間だ。成り行きに身をゆだねると言い換えてもいい。学校やバイト、友だち付き合いにおいて、能動的な人間の方が相性がよかった。だからこうやって道を示してくれるのは、正直ありがたかった。



「ありがとうございます」



 俺の感謝の言葉に、テシュさんがぽかんと口を開けて固まった。やおら目が死んだような、冷めた視線を送ってくる。


「アンタ、あれ? 辛辣に当てられると快感を覚えるくちの人? まこと気持ちが悪いんだけど」

「待ってください、それは違いますって」

「今の言動、そうとしか思えないんだけど」

「変な勘違いしないでください。感謝したのはこうやって嫌々ながらも話に付き合ってくれたからです。テシュさんは優しい人ですね」


 目をぱちくりさせるテシュさん。やがておかしかったのか、小さく笑った。

 ただその笑みは、先ほどと違って思わず見惚れてしまいそうになる可愛らしいものだった。




「何を勘違いしてるのか、アンタの勝手だけど、アンタって相当のばーかね。ほら。ご領代のところに顔を出しに行くわよ。アンタが起きたら申しつけられてんの。悪いようにはされないわよ、たぶん」

「多分……ですか」

「あたしはカティシア。ご領代じゃないもの。まあ大丈夫よ、きっと」

「きっと……」

「もう。意外と心配性ね。そもそもアンタには最初から拒否権ないの。てか早くしてくれない? さっさと終わりにしたいんだけど」



 すぐに元の調子に戻り、テシュさんは俺から背を向けて催促する。

 俺の意思に関係なく、あれよこれよと決まっていく。


 この得も言われぬ強引さが、彼女の良いところでもあり、悪いところなのだろう。そんな気がした。



「分かりました」


 生きる気もないが、自ら命を絶つ勇気もない。この世界で生きる術を持たない俺は、頷く他なかった。



『シュテルベンの隠し子』



 頭で軽く整理してみたが、シュテルベンの隠し子の正体は、おそらく俺のように転移してきた人物な気がする。こうして噂になるぐらいだから、もしかしたら俺の世界での行方不明騒動の真相はこれかもしれない。それとも、本当に偽物の記憶を植え付けられたのだろうか?



 自分ではどうやっても確かめる手段がないので、その点でいえば、俺はシュテルベンの隠し子であるといえた。


 どちらでもいいか。

 俺は立ち上がりながら……。



 ――アンタは運がいいわ。



 どこぞと知れぬ地に全裸でほっぽり出され、誰の手も借りられず野垂れ死ぬ。訳も分からないまま、浪人に斬り殺される。それらに比べたら破格の待遇だ。


 だが……。


 果たして、そうなのだろうか。



 それは、この世界でも生きたいと考える者だけに与えられた言葉ではないか?



 そうではない俺は……。



 今のこの状況が、幸運といえるのか不幸といえるのか。俺には、判断がつかなかった。




 テシュさんの言葉がいつまでも俺の心に、どろりと粘り気のあるヘドロみたいにまとわりつくのだった。

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