第6話 テシュさんはシスコン?
「ねぇ、顔色が悪いけど大丈夫なわけ?」
「……起きて一番に、テシュさんの気に障ることばかりしてすいません」
「はぁ……アンタって他の男とは違ってなんか調子狂うわね。ほら少し落ち着きなさいよ」
よほど俺の顔が酷かったのか? テシュさんは、気難しい顔のまま少し前屈みになると、俺の丸まった背中を乱暴ではあるが、さすってくれた。
ラベンダーの爽やかな森のようなフローラルな香りが、俺の鼻をくすぐる。
あたたかい。
それだけで何だか救われたような気持ちになってしまった。
それは人のぬくもりというものを、もう何年も味わっていなかったからかもしれない。
「お手数をお掛けしました。ありがとうございます」
「はっ……! あたしとしたことが……一瞬でも妹と重なるなんて」
俺から離れるなり、頭を抱えたテシュさんが畳にうなだれた。顔をほんのり赤くしたかと思うと、目をぐるぐるさせて、テンパりだした。
触れていいのか、触れちゃいけないのか……。
迷ったあげく俺はとりあえず謝ることにした。
「えっとー……、なんというか、すいません」
「謝るな。気にするな。忘れろ。いいわね?」
「は、はい」
ずいっと顔を近づけてきたテシュさんに気圧され、俺は腹話術人形のように素早く首を縦に振らされた。
シュー、シューと鬼の形相を浮かべた少女。
これは……話題を変えた方がよさそうだ。テシュさんって何が好きなのだろうか? 彼女との会話を振り返ってみるが、不機嫌または苛立ってるの二択だった。あ、でも。さっき妹と重なったとかで優しくしてくれたよな?
彼女が関心を示しそうな話題を、曖昧に投げてみることにした。
「テシュさんは妹さんのこと、大切に想っているんですね」
「…………無論よ。あたしの目に入れても痛くないくらい可愛いもの。花が開く前の蕾の今でも卒倒するほど愛愛しいのに成長してあたしと同い年の頃には……あたしは即死するかもしれないわ。いや尊死(そんし)する自信があるわね」
それは絶対に持ってはいけない自信では……? というか打って変わってすごい早口だ。
妹の話になった途端、テシュさんは明らかに饒舌だった。かったるさは消え、意気揚々としている。息継ぎなしで言い終えた姿は、まさしくオタクのそれだった。
「そんなにですか?」
「ええ! アンタなんか見た瞬間に盛りついた猫みたいになるわよ!」
「盛りついた猫……」
「まあそんなことになったら速攻でぶち殺すけどね!」
そんな晴れやかな笑顔で物騒なことを言わないでいただきたい。
「テシュさんも可愛らしいですから、妹さん推しも納得です」
「あたしなんかと比べるなんておこがましいわ! 月とスッポンよ! だってね!」
俺は俺で異世界だとか。転移だとか。受け入れたくない現実から逃れるように、彼女の話に乗った。
するとどこかぴりぴりとしていた空気が、僅かながらに緩和されていく。
そのお陰で俺の心に押し寄せた気持ちが、朝日を受けた靄みたいに、あっさり蒸発して消えていった。
なんとも単純な男なのだろうか。
テシュさんの妹話に耳を傾けながら、俺は自分のことをそんな風に思ってしまった。
「小さい頃なんて、いつもお姉、お姉ってあたしの後ろをついて回ってたのよ。それでね、エリーをいじめようとするやつをボコボコにしたら、お姉ありがと……って、ぎゅうってだきついてくれて! ああ、まこと可愛いすぎないー!?」
「ははは、なるほど。それはとっても可愛いですね。テシュさんが溺愛する理由が分かります」
「えっ? ウソ? まこと? わかってくれた?」
俺の返答に、テシュさんの同心円目が輝く。
アルトの声音が一オクターブ上がっており、尻尾があったらブンブン振っていそうだ。
さっきまでのギャップだからだろうか。そんな彼女がすごく可愛い。
「アンタって中々見る目ありそうじゃない。大抵あたしがエリーの話をし出すと、いつの間にかいなくなるんだから……。でね、エリーの可愛さといったら隻保いち。いやあの女王とも引けを取らないわ。なんていうのかしら。まさにあの子は女神の化身ね」
「テシュさんがそこまで溺愛する妹さんに、一度くらい会ってみたいものですね」
「いいわー……って駄目に決まってるでしょ。それとこれとは、話は別よ。……ん。少し話過ぎたわ。疲れたー、もう! どうしてくれるのよ」
「少し話を膨らませすぎたかもしれませんね」
「…………」
我に返ったテシュさんに、ギロッと無言で睨まれた。
おそらく、まんまと話に乗せられたことに腹を立てているのだろう。
なんとなくだが、テシュさんの人となりが分かってきた気がする。
俺はズキズキ刺さる視線から逃れるために、テシュさんとは反対の庭へと顔を向けた。起きた時は誰もいなかったはずの松の近くに、胴着姿の若い女性が立っていた。その両手には、竹刀が握られていて、気合の入った短い掛け声とともに何度も竹刀が振るわれる。
綺麗な所作だった。毎日稽古を続けているのだろう。寸分違わず同じような動作で素振りしていた。
じーーーっ。
その稽古をぼーっと眺めていた俺だが……。
じーーーーーッ。
……これ以上は無理だ。
無言の圧力に耐えかねて、俺は壊れた機械人形のようにテシュさんの方へと向き直った。
「えっと、それで全裸で倒れていた俺を、テシュさんが保護してくれたんですか?」
「そんなんで誤魔化し……って、なぁんであたしがそんな七面倒なことしなきゃいけないのよ! チッ……ご領代よ、ご領代。アンタを保護したのは」
「はぁ……? ご領代?」
「正確には少し違うんだけど。あー、説明するのだるいわね。こんなお役目、柄じゃないのに。……一度しか申さないから、耳をかっぽじってよーく聞きなさい。さっきあたしが、いきなり宙から現れた。と申したでしょ。あの時、素浪人がご領代に斬りかかった瞬間でー。うんたらかんたら」
「……テシュさん、うんたらかんたらって。いきなりどうしたんですか」
「………………はぁ」
胡坐を解くと、足を投げ出してテシュさんがぽつり、ぽつり語ってくれた。
〜〜
「フレンセンッッッ!!」
「ん? わしに何か用かな?」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
笠を被った武人の身なりをした男が、すれ違いざまに刀を抜いて襲いかかった。
ご領代――ヴェルナー家筆頭家老であるカリナ・フレンセンは目を見張ることなく、腰に差した刀に手をかけ、居合抜きを放とうとする。
刹那——
「は? え?」
男が素っ頓狂な声を上げた。
カリナが何かをした訳ではない。
男とカリナの間に全裸の青年が、ポンっと擬音が聞こえてきそうな勢いで、虚空から現れたのだ。ドサッと地面に落ちるが、青年は目を閉じたまま寝息を立てていた。
異常な事態に、至って冷静だったのはカリナだけであった。
「馬鹿者。隙だらけだ」
「はえ?」
再度、男が間の抜けた声を出したときには、その腹に刀の柄頭が刺さっていた。
「ぐっ……」
男は、短くうめいた。そして男の目は、ぐるりと回転し白目を剥いた。そのまま、地面に倒れたのだった。
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