第3話 カーバンクルの任

国許――その人の故郷。領地


――――


【女王のお膝元である神門(ごうど)。ヴェルナー邸】


 領主の間には、着物を着た三人の女性がいた。

 美しい姿勢を保ったまま、上座で正座していた女性が、蚊の鳴くような声でつぶやいた。



「……ありえませんね」



 彼女が着ている着物は花柄で、楚々とした女性の華やかさをいっそう押しあげている。ただ今はその花がしおれてしまったように、顔には困惑と落胆が入り混じっていた。


 謀反を防ぐため、現女王が定めた領主を一年交替で神門と国許に住まわせ、その身内は人質として神門に常駐させた制度――シックザール法。


 その命令により、この夏から再び国許を離れ、神門にある自身の屋敷で暮らしていたヴェルナー家領主ヘルミーネ・ヴェルナーは、いつになく憂鬱だった。

 ただこの時ばかりは、この世で最も不幸なのは自分ではないか、と思いたくなるほどだった。



 ヘルミーネは、脇息に全体重をかけて全てをなげうちたくなる。

 ごろごろ転がってずーっと寝ていたかった。というかお勤めなど辞めて、早く自分の領地に帰って引きこもっていたかった。郷愁といえばいいか。無性に故郷が恋しくなった。


 これも全部、今しがた届いたこの書状のせいである。しかし、家臣がいる手前、そんな真似はできないし申せるわけがない。



「……はぁ~~~」



 彼女は、読んでいた書状を脇に置くと、代わりに静かに天を仰いだ。銀糸を編んだような美しい髪が、はらりと着物へ垂れる。長い睫毛が僅かに震え、それが元々、病弱なヘルミーネの儚さをより際立たせる。


 先ほどまで楽しく談笑していたヘルミーネ。それが書状に目を通した途端、顔色を変え、落ち着きがなくなった。


 その領主の尋常ではない様子に、ヘルミーネの側用人であるオクサナが、目を伏せつつ遠慮がちに尋ねる。



「ヘルミーネ様。書状にはいかがなことが書かれていたんでしょうか? 差し支えなければ、わたしたちにも教えて頂きたいのですが」

「……ええ、構いませんよ。カーバンクルの任です」



 領主の答えに、下座で正座していたオクサナの顔が引きつった。


 カーバンクルの任。

 女王の前に、この世界を治めていたのが『天子(てんし)』という人物であり、一〇年前の大戦で勝利した女王が、遠くの地に幽閉した。

 ただ天子は、民からの支持がとても厚く、度々その使者をもてなすことで、女王は天子を無下にしていない、と民に示していた。


 天子の使者の接待を任されるのが、カーバンクルの任を命じられた領主であり、今回領主であるヘルミーネ・ヴェルナーが、選定されたのであった。



「天子の使者の接待ですか。それは……、なんともわたしたちには、荷が重たい話ですね。いつかは……と思ってましたけど」

「若輩者のわたくしよりも、他の領主の中に適任者がいたでしょうに。とはいえ、女王の命令である以上、断ることはできませんし。わたくしがやるしかないのでしょうね」


 ため息交じりにつぶやいてから、ゴクッと茶を飲んだヘルミーネ。


 オクサナの隣で正座している、もう一人の側用人――モニカが、目元にあるほくろに手をやりながら、


「ヴェルナー家の他には、どこの領主がカーバンクルの任を任されたのですか?」

「この書状によるとシュピラーレ家だそうです」

「私の記憶が正しければ、シュピラーレ家も此度が初だったかと思います」

「えぇ、その通りです。ですから指南役にエルンスト・リーファース様を立てるように、と書状に記してありますね」



 ヘルミーネの口から飛び出た名前に、その場にいた側用人の二人は、一様に苦虫を嚙みつぶしたような顔をする。


 領主の間になんともいえない空気が満ちる。

 短い沈黙を破ったのは、オクサナだった。



「……リーファース様……でしょうか。えっとー……」



 その先を言うか、言わないか逡巡している彼女に代わって、モニカが耳より低めの位置で作ったツインテールの髪を、払ってから続けた。



「あの方は聡明で女王の血筋とも繋がっているお方。カーバンクルの任も幾度となく執り行い、そのすべてをつつがなく終えています。指南役にまたとない人物ですが、ただ晩年になるにつれ、悪い噂が多く――」

「ちょいと! 何申してんのモニカ、そんなんあかんよ。ヘルミーネ様の前やで? うち申さんとこうと思ったのに……」

「オクサナ。君、口調が戻っています。今はヘルミーネ様も同席してるのです」

「あっ、申し訳ございません!」

「ふふっ、構いません。それとモニカ。あまり人のことを悪く申すものではありません。それにあくまでも噂。きっとリーファース様は、悪い人ではありませんよ」



 場を和ませるため、領主は明るい口調で言った。

 モニカが頭を下げ、土下座をする。



「はっ、申し訳ございません、ヘルミーネ様。……ただ一つだけお願いの儀がございます」



 その口調は、さっきよりも真剣味に帯びていた。

 口元に手を当てて微笑していたヘルミーネは、今一度背筋をしゃんと伸ばし、彼女に続きを促した。



「ありがとうございます。リーファース様に会われる際、幾ばくかの金子を包んだ方がよろしいかと愚考致します」

「モニカ。いつもあなたの助言には助けられています。至らないわたくしを支えてくれてありがとう」

「では」

「ですが我らは武人です。わたくしは、そのような振る舞いは必要ないと思います」

「ヘルミーネ様……」

「するとしても今回の儀が無事に終わってから、改めて御礼をすればよいと思います。金子でご機嫌取りなんて、そんな卑しい真似をする必要はありませんよ」

「しかし……、いや愚見失礼致しました」

「最後の大戦から一〇年。ただでさえ疲弊しているわたくしらに、女王が定めたシックザール法で、各地の領主はどこも財政難に陥っています。それは、リーファース様も然り。等しく痛みを味わっています。戦を経験した武人のリーファース様が、他の領主から金子をたかるなんてしませんよ」



 モニカは、ヘルミーネが真面目で、何よりも武人であることに重きを置こうとしているのを、長期に渡り彼女の側用人として仕えていたため、理解しているつもりだった。だからそれ以上、彼女に進言することはしなかった。


 それよりも、主君の想いを尊重した上で行動しようと考えを改める。



「ですからモニカ、リーファース様に余計な金子を渡してはいけませんよ。媚びを売ったなどと、かえってお怒りになるかもしれませんから」

「仰せのままに」

「オクサナもですよ」

「分かりました!」

「ただそうですね……。さりとて何も持って行かないというのは、失礼に当たりますね」



 そう言うと、ヘルミーネはうーん、と可愛らしく唇を尖らせて悩む。


 手を袖に隠して考える仕草は、ヴェルナー家領主というよりかは、二十代にさしかかろうとしている年相応のうら若き少女だった。



「でしたらヘルミーネ様。我らの特産品であるグラオザームを贈ってはいかがでしょうか」


 相棒ともいえるモニカの動向を見守っていたオクサナが提案する。


 ヴェルナー家が治める領地・隻保(せきほ)は、豊富な鉱床地帯に属していて、刀や鎧型機動兵器――グラオザームの鍛造に長けていた。それは武具ならヴェルナー産、と言わしめるほどだった。


 ヘルミーネは、着物の袖から出した手を合わせて、喜んだ顔を見せる。



「それはいいですね。きっとリーファース様もお喜びになりましょう。ありがとう、オクサナ」

「もったいないお言葉」

「グラオザームの他に刀も一振り贈りましょう。わたくしたちの領地はグラオザームに限らず、刀も名産ですから」

「ヘルミーネ様、このモニカ。それはとてもよい案かと考えます」

「では早速手配の方をお願いします。わたくしは、早急にカーバンクルの任を国許にいるカリナに伝えなければなりません。書状をしたためるので、後のことは頼みましたよ」

「はいっ」

「承知致しました」



 脇に置いた書状を懐におさめると、ヘルミーネは部屋を後にした。


 畳敷きの部屋に側用人のオクサナとモニカの二人だけになる。ヘルミーネが退出してから、二人はゆっくりと面を上げた。



 眩しいくらい青々とした木々の色が、失いつつあるとはいえ、まだまだ暑い日が続く今日。朝方やった打ち水の効果なのか、開けっぱなしの襖から、生ぬるい風が入ってくる。それと一緒にヒグラシの、カナカナカナ……と。一抹の寂寥感を抱かせるような鳴き声が、彼女たちの耳朶を打つ。


 それらは、少しずつ気配を消して去っていく夏を感じさせた。

 風鈴の音色に合わせて、モニカの燃えるようなツインテールの赤髪と茶柱が揺れた。


 憂いにも似た表情のモニカがぽつりと、


「何事もなく終わってくれればいいんですが」

「ちょいとモニカ。はなから不吉なこと申さんとってや」

「グラオザームと隻保で打った刀。価値としては、包もうとしていた金子とそう大差ありません」

「大丈夫やんなあ?」

「……果たして、あの御仁に分かってもらえるかどうか」

「…………」

「ヘルミーネ様はまだまだお若い。先の大戦で先代の領主様が亡くなり、ヴェルナー家の新たな領主になられたのが一〇歳を迎える前のことです。まだ経験も浅く、どこか世を綺麗に見ていたい、という節があります。それは致し方ないことです。そして仮初めの平和の始まりによって、廃れつつある武人の心を未だに大切にしています。きっと亡くなった領主様の影を追っているんでしょう。それが悪いとは申さな――」

「なんなんモニカ。ヘルミーネ様に不満でもあるん?」

「最後まで聞いてください。逆です。その志はとても立派です。私が尊敬している部分でもあります。だからこそ、純一無雑なヘルミーネ様を私たちが全力で守らないといけません。もう戦乱の世は終わったんです。ヘルミーネ様が汚い部分を見る必要なんてないんですから」

「なにを今さら。そんなん当たり前やんっ。うちはこの世に生を受けたときから、ヘルミーネ様の忠臣しててん」

「君は、ヘルミーネ様より年上のはずです。確か……君の年はにじゅ――」

「冷静にツッコミしやんといてっ。細かいことはええやん、相変わらず、いけずやな~。うち、そんくらい忠義に篤いんやもん、ってことやで。ほんでモニカも同じやんな?」



 必死に早口で誤魔化そうとしているオクサナに、モニカはくくっとお腹を押さえて笑った。変なツボに入ってしまったようだ。

 薄目のオクサナが睨んだ。



「そないに笑わんでもええやん」

「申し訳ありません。今度何かご馳走しますから許してください」

「やりぃ。それなら許したる」



 ひとしきり笑った後、モニカは赤髪をかきあげた。



「これから忙しくなるでしょう。ヘルミーネ様のため、此度もお互い精一杯力を尽くして乗り切りましょう」

「せやね」




 二人は頷くと、互いの拳をコツンとぶつけ合った。

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