彼女たちと始まる異世界生活 ~生きることに絶望していた俺、大団円(ハッピーエンド)を目指す~

楪セツ

第一章 刃傷沙汰

第2話 死は突然に

 「……俺は何のために生きているんだろう」


 キーボードを叩いていた東鬼修一(しのぎしゅういち)は、やおら外に顔を向けた。



 暖かな陽射し。雲一つない澄みきった青空。すべてのす人を祝うかのような満開の桜。愛らしいウグイスの鳴き声。内外を隔てた網戸からは、肌をくすぐる心地良い風が入ってくる。積もっていた雪もすっかり解けて、それらは俺に春の到来を感じさせた。


 こんなことをしていても無意味なのにな。



 陽気に包まれた気候を前に、重いため息が自然と出てくる。


 陽射しが入ってくるとはいえ、電灯をつけていない四畳半の部屋は充分暗かった。薄暗い部屋にパソコンの光だけがぼうっと光っている。その画面には、縦書きの文章がずらりと並んでいて、俺はそれを一目し、回転椅子の背もたれに寄りかかった。



 ろくでもない人間がいる。俺である。

 毎日をなんとなく過ごし、惰性で生きている人間がいる。これも俺である。



 俺はゴミだ。


 ろくに学校へ行かず、遊びほうけて大学を中退。それからもネットサーフィンやニカニカ動画、ペイチューバの追っかけやアニメを観てバイトに行くだけの生活を送ってきた。怠惰で無価値でどうしようもない生活。別にネットやアニメ、バイトを批判したいのではない。何かを成し遂げるわけでもなく、淡々と時間だけを湯水のように浪費させてきたからだ。




 こんなんでいいのか?



 歯車のごとく変わらない日々に漠然とした不安を感じていたかもしれない。変化の得られない毎日に辟易としていたかもしれない。

 かといって、形容しがたいこの気持ちを解消させるために俺は行動したか? 答えは、否だった。俺は何もしなかった。まるで若さという限定的な時間が、両手から砂がこぼれ落ちていくみたいだった。


 それをただ、ジーッと眺めているだけ。


 だったのだが……。

 いつだったか、俺は小説を書き始めた。

 季節が移ろい冬を過ぎた今でも、何かに駆り立てられるようにタイピングしている。つい最近では、ライトノベル新人賞に応募したほどだ。



 新たな夢に向かって突き進む。


 小説を書く自分がいる。だから、ちゃんと生きている意味はあるのだ。

 はたから見れば、無味とは違った生活のようだが、実のところ何も変わってなどいなかった。

 人は、そう簡単に変われはしないのだ。



 ベールの内側――心の奥底では、そんな自分に満足しているだけだった。努力、という名の下に甘えていただけだった。自己を騙し、現状から目を背け、リアルから逃げ出していたに過ぎない。めくってみれば、みてくれは変わったが、中身は同じようなものだった。



 救いようのないクズ野郎、ゴミクズである。

 湯気もすっかりなくなって、冷めきったコーヒーを一口飲んだ俺は、力なく上を見上げた。

 まるで、あてもなく目的もないのに、真っ暗な砂漠を永遠に彷徨っているような……。


 生きる気力もないくせして、死ぬ勇気も起きてこない。俺はただ、母さんの言葉に生かされているだけ。言わば生きている死人。歩く屍だ。



「……母さん。本当にごめん」


 気分が鬱気味になっていたからか、ふいに奥底に蓋をしてしまい込んだ記憶がよみがえっていった。



~~


『おいっ! ふざけてんじゃねーぞ! むかつくんだよッ』


 父親が、うずくまる母さんを何度も蹴り上げた。


『ほろ酔いで気分がよかったのに、なんで俺様に文句を垂れやがった! チッ、クソが!!』


 殴られ、蹴られ、踏まれても、母さんは決してどかない。それどころか安心させようと、苦痛で顔を歪めながら優しい声を紡いだ。


『しゅー君、大丈夫だからね? 母さんが護るから。目を閉じてなさい』


 力強くあたたかい腕の合間から、その光景を俺はただただ呆然と見ていた。



 五分? 一〇分? 一時間?

 どのくらいの時間が経ったのだろう。

 わからない。



 気が付いたときには朝になっていて、見上げた母さんの顔は左半分に、大きな青あざができていた。



~~



 身を挺して庇ってくれたのだ。

 それからというもの、母さんは女手一つで俺を育ててくれた。


 ――くれた。というのはもう亡くなっているからだ。



 酒癖の悪い、アルコール中毒だった父親と離婚後、俺を引き取った母さんは、毎日毎日遅くまで働き続けた。子ども一人をシングルで育てるのは、並大抵のことではない。ほとんど休みもなく、仕事を二つ三つ掛け持ちしていた。目まぐるしい日々。そんななかでも母さんは、俺に対して笑みを絶やさなかった。



 高校に上がった俺はバイトを始めた。少しでも、母さんの負担を減らしたかったからだ。


 慎ましくも楽しい二人暮らし。

 これからもずっと続くと思っていた。



 だが、俺が大学受験を終えた頃、職場でいきなり母さんが倒れた。

 長年家事と育児、仕事に忙殺された母さんの体が無事なはずなかったのだ。病院に運ばれ、医師から告げられたのは、末期ガンだった。


 その数か月後、あれだけ元気な姿を見せてくれた母さんは、静かに息を引き取った。



「母さんは俺を産んで……」



 目を伏せた俺は、それきり口をつぐむ。

 開かれた窓から車や電車、けたたましい工事の音といった都会ならではの騒音が入ってくる。いつもなら煩わしいと思うそれも、この時ばかりは無性にありがたかった。


「もうこんな時間か。バイトに行かないと」



 俺は、パソコンの電源を落とした。テレビをつけてから、着替えやら歯磨きを済ませていく。

 ちらっと目にしたテレビには、ニュースキャスターのお姉さんが、神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。



『千羽県(せんばけん)南条市(なんじょうし)の小学五年生、高橋健太(たかはしけんた)君が行方不明となって五日です。この一年で、天照(てんしょう)で暮らしている人々の行方不明者は後を絶ちません。分かっているだけでも、その数は数百人にも上り――』



 ちゃっちゃっとすべての用意をし終えると、俺はテレビを切ってバイトに向かった。



~~


 電光掲示板に『紺屋(こんや)行き』と表示されている。


 バスの中には手をつないだ老夫婦、両親に囲まれて嬉しそうな子ども、大学サークルの新歓だろうか、見るからに青春を送っていそうなグループがいた。



 こうも幸せオーラをまき散らされちゃ、気分は落ち込むばかりだ。



『二〇七五年四月五日。夕方からは雨の予報となっています。お出かけの際は、お気をつけてください。忘れ物はありませんように。本日はご乗車ありがとうございました。次は終点の紺屋~。紺屋~』



 運転席の横に立体ホログラムが現れ、バスガイドの制服を着た小さなキャラクターが、可愛らしい声で挨拶とともにぺこりとお辞儀する。


 俺は、窓に視線を移した。


 出掛ける前と打って変わって、曇りのせいか、ひんやりしたガラスに、細身で手足が長く、無地の白Tシャツにデニムを穿いた青年が映る。目元に黒髪がかかり、少しばかり目つきが悪い男だ。



 生きていて、おもしろいのだろうか? 人生、たのしいのだろうか? 俺はなんのために生きているのだろう。



 幾度となくこぼしてきた言葉だ。

 しかし、一度たりともその続きが言えたことはない。


 終点である紺屋に到着し、バスを降りた俺はそそくさと歩き出す。


 休日とあってか、どこを見ても大量に人がいる。そしてみんながみんな、笑顔を浮かべていて楽しそうだ。それを眺めていると、マラソンをした後みたいに心臓がバクバクと鼓動し、喉が渇いてくる。

 体が熱い。息が詰りそうだ。



 やっとスクランブル交差点にたどりついて、俺は深いため息とともに、心の底に蓄積した膿のようなものを吐き出した。




「ママ~。今日はにきじゃがー?」

「ふふ。違うわ、かこちゃん。肉じゃがよ。に、く、じゃ、が」

「に、き、じゃ、が」



 俺の左から、そんな微笑ましい会話が聞こえてくる。愛嬌のある顔立ちをした幼女とその母親のようだ。


「これマジパなくね?」


 男のバカ笑いが右から聞こえてきた。

 俺がそちらに目を動かすと、ピアスに浅黒い肌、茶髪のロン毛、サングラスを襟元にぶら下げたチャラ男が、これまたケバいメイクをした女の子に小型デバイスを見せていた。チャラ男のタップで、ホログラムが宙に浮かぶ。



「なにこれ~!」

「腹立ったから、店員を土下座させたホログラ。めっちゃわろけるやろ!」

「ぎゃはは、それマジやばじゃん!」



 手を叩いて爆笑するギャルと腹を抱えているチャラ男に、俺の顔は渋くなる一方だった。


「我々はいま! 未曾有の危機に瀕しているー!! ニュースでも連日報道されてるが、行方不明者は後を絶たない! それは異世界に連れ去られてるからだ!! この天照が終焉に向かいつつあるのは、少子化対策をしてこなかった政府のせいである。今こそ鉄槌を下さなければなりません。さぁ、我らと共に立ち上がるのです!」



 次は野太いモノトーンで、スクランブル交差点へよく響く声を耳にする。

 黒ずくめのローブに、すっぽりとフードを被った人たちが、両手をそれぞれ横に広げて大仰なポーズを取っていた。最近、台頭してきた新興宗教のようだ。



 神隠しにかこつけて信者を増やそうとする魂胆。ふてぶてしいというか、貪欲だ。脈絡のない弁舌に足を止め、手を叩いている人がいた。ああはなりたくない、と思う。



 一瞥して興味を失った俺は、どこにも居場所がない俗世から切り離すように、イヤホンを耳につけて音楽を再生する。イヤホンからハイテンポの曲が流れはじめる中、再び信号に目を向けた。


 まだ赤なのか。


 蜘蛛の巣状にひび割れた小型デバイスを取り出して、暇潰しにSNSを開く。と同時に、自立型AIのナビキャラのホログラムが、俺の周りをくるくる飛び回った。彼女は、コンシェルアプリの学習する高性能AIで、俺の日常生活のサポートしてくれている。本物の人間と変わらない反応をしてくれる、と巷で話題のアプリだ。


「修一サン。バイトのお時間まで一五分デス。少し急ぎまショウ」

「了解」

「ふぁいとっ、ですヨ」

「いつもありがとう」

「いえいえ。修一サンのお役に立ててミーも嬉しいデス」


 語尾が片言のナビキャラと短いやり取りを終える。それだけでも、幸せホルモンと呼ばれる『セロトニン』が出たのか、俺の沈んでいた気分が、そこそこ晴れた。空気に溶け込むようにしてナビキャラが消え、再び音楽の音量が上がったところで、悲鳴のような声を耳にした。ほぼ同時に、車のどでかいクラクションが交差点に鳴り響く。



 いったいなん――



「……は?」




 視線を上げた俺だが、信じられない光景を目にする。

 青になったばかりのスクランブル交差点に乗用車が突っ込んでいたのだ。


 普通では考えられない異常な事態。


「きゃあああああああああ」

「うあああああああ」

「あ、あああああああ」



 プーーーーーーーーッ!



 悲鳴とクラクション音が混ざり合い、恐怖が爆発的に伝播した。群衆が手に持っていた荷物を放り出して、我先にと一目散に逃げだす。


 おいおい、うそ……だろ!


 怒声、わめき声、泣き声、クラクション音……大地を揺るがしそうな大勢の乱れた足音が、彼らをせきたてるようにこだました。信号が変わったばかりで撥ねられた人はいないものの、昼下がりの平和なひとときが、一瞬にして阿鼻叫喚に様変わりした。


 こうしている間にも、問題の乗用車はスピードを上げている。



 プーーーーーッ! プーーーーーー!



 周りの車が警告のためか、一斉にクラクションを鳴らした。

 俺も早くこの場から逃げないと。頭では分かっていた。だが……。

 あまりに突然の出来事に足が動かない。金縛りにかかったように、体が言うことをきかないのだ。


 逃げ惑う人々の合間を縫って、車は猛然とこちらに迫ってくる。まるで最初からターゲットは俺である、と示すかのように一直線に。首筋に死神の鎌が当てられたように、全身からぶわっと脂汗がふき出る。


 やばい。やばい。やばい。死にたくないッ!


「ママっっっ」

「かこちゃん!?」



 すぐ左から耳をつんざくような悲鳴。かと思うと、俺は一瞬、時が止まったような、そんな奇妙な感覚に陥った。



 車に乗っているのは、老婆だった。その深いしわが刻まれた顔は青ざめていて、アクセルとブレーキを踏み間違えたかもしれない。ようやくブレーキを踏んだのか、ここにきて車のスピードが落ちていった。


 俺の後ろにいた人たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げている。


 俺の右にいたチャラ男とギャルもまた、転げながらも駆け出している。あそこなら、車が急ハンドルを切らない限り、はねられる心配はないだろう。だが、俺のすぐ左にいた親子は別だった。俺と同じで、足がすくんで動けなかったようだ。母親は、迫る乗用車を背に我が子を守るように、幼女を強く腕に抱いていた。



 どうして、こんなに冷静に分析しているのか。これが走馬灯の一種で、時間が引き延ばされる感覚なのか。よくわからないが、母娘の姿が幼い頃の俺と重なった。


『しゅー君、母さんはね。しゅー君には誰かを護ってあげられるような。そんな素敵な人になってほしいなあ』


 頭で考えるよりも先に、体が動いていた。



 もっと早く動け、早く、早く、早く、動けッ!



「うおおおおおおりゃああああ」



 手に持っていたデバイスを投げ捨てて、俺は親子の方に両手を突き出した。

 運動不足が見てわかる、不格好な突き出し。

 世界が、コマ送りしたかのようにスローモーションになる。


「…………え?」「はえ?」



 ありったけの力によって押し出された母親は驚愕の表情を浮かべ、大粒の涙をためた幼女は茶色の瞳をまん丸にして俺の方を見上げる。


 俺は、安心させようとくしゃっとした下手くそな笑みを返した。



 ……母さん。これでほんの少しでも親孝行できたかな。


 キキキーーーーーッ! ドン!!




 減速中とはいえ、巨大な鉄塊が俺の体に接触した。瞬間、金属バットでフルスイングされたような重たい衝撃が、俺の全身を叩きのめすが、不幸中の幸いといえばいいか、痛いという感覚が訪れる前に俺の意識はぶつりと切れた。

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