第五章 親友
あの日から、麗香は一週間ほど連続で学校を休んでいた。
最初はどこかほっとしていた陽菜だったが、流石に心配になってきたのでメールをした。しかしそれにもなかなか既読はつかない。
いつもはすぐ返信くれるのになぁ。
麗香に送った「大丈夫?」という文字が誰にも読まれず寂しそうに並んでいる。
「西条さーん!こっち手伝って!」
バイト先の店長に呼ばれ、「今行きます!」と返事をし、スマホの電源を切った。
シフトが終わり、家までの帰り道。時刻は八時半を過ぎていた。外はもう暗くなっていた。
「疲れた…」
帰るのが案外遅くなってしまった。陽菜は疲れに肩を落としていると、前方の外灯の下に見知った影が通り過ぎた。
「…麗香?」
間違いない。あのシルエットは麗香だ。
こんな時間に何してるんだろう。
陽菜は追いかけることにした。
しかし曲がり角で麗香を見失ってしまう。
「麗香…どこなの…」
外灯も少なく、いくら探しても見つからないので諦めて帰ろうとしたときだった。
「誰か探してる?」
陽菜は驚いた。いつの間にか背後に麗香がいた。尾行に気づかれていたのだ。陽菜は腕を掴まれた。
「何?その顔」
きっと怖えた顔をしていたのだろう。陽菜は腕を振りほどこうとするが、あまりの力の強さに離せない。
「…着いてきて」
そしてポケットから何か取り出すと、それを陽菜の腰に当てた。
「騒いだら刺すから」
ナイフだった。
陽菜は恐怖で声も出せず、そのまま引きずられるようにして麗香の後ろに続いた。
連れて来られたのは、陽菜たちの通う高校だった。この時間なので、職員室の明かりも消えている。校舎には誰もいないだろう。
「離してよ!麗香!」
冷静さを取り戻し、麗香に抗議する陽菜だったが、その腕が離されることはなかった。
麗香は学校の後ろに回り込み、裏口のドアから校舎の中に入る。裏口のドアの警備が緩いことは有名だった。忘れ物をした生徒がよくこのドアから侵入するらしい。
夜の学校は不気味だった。もう何回も歩いている廊下も階段も、夜になると普段より長く感じられた。
麗香に連れてこられたのは一年B組の教室だった。陽菜のクラスだ。そこでようやく陽菜の腕を離した。
「ねえ、麗香、一体どういうつもりなの?こんな所に連れてきて。学校にも来ないし」
麗香に掴まれていた場所がズキズキと痛む。
「…私は麗香じゃない。麗香の親友のアミ」
麗香の姿をしたアミと名乗る少女は静かに言う。
「何言ってるの?しっかりしてよ、麗香」
麗香は陽菜にナイフを向けた。
「わたしはアミ。麗香じゃないって言ってるでしょ!」
「…麗香はどこなの?麗香は無事なの?」
麗香はため息をついた。
「目の前にいるわたしのことは無視して麗香のことばっかり。ひどい。まあ、そういう人なんだろうけど」
麗香は陽菜に近づく。
「そんなに麗香が大事?」
陽菜は恐る恐る頷いた。
麗香は獲物を捕らえて満足した猫のように歯を見せてにやりと笑った。
「だったら、ちゃんと見てないとダメじゃない」
ちゃんと見てないのが悪いんだよ。
カフェでの麗香の発言がフラッシュバックする。
声にならない叫びをあげようとしたそのときだった。
「西条さん!」
命を救われた思いだった。
教室に入ってきたのは、翔だった。
「ーノ瀬く…」
麗香は、翔に助けを求めようとする陽菜の腰に左手でナイフを当て、右手で陽菜の口を塞いで物陰に身を隠した。
不幸なことに、翔は陽菜たちに気づいていない。
「…どこ行ったんだ?」
教室を見渡しても陽菜の姿が見当たらないからか、翔はベランダに出た。
「麗香のこと、助けたい?」
その様子を見ながら、小さな声で麗香が尋ねる。陽菜は必死に頷いた。
「じゃあ、あの男を突き落として」
「…そんなことしたらーノ瀬くんが」
「麗香がどうなってもいいの?」
それはダメに決まっている。陽菜は必死に首を振った。
「じゃあやって」
麗香は冷ややかに言い放った。
「わたしは特等席でちゃんと見とくから」
そう言うと、麗香もベランダに出た。手すりに肘をかけ、余裕を浮かべた笑みで陽菜がこれからすることを待っている。
翔は麗香に気づいてない。
一緒に登下校する麗香。カフェで美味しそうにスイーツを食べる麗香。テストで悪い点数を取って落ち込む麗香。いつも笑っていた麗香。大切な、親友の麗香。
様々な麗香の姿が走馬灯のように蘇る。
わたしには、麗香しかいない。
気づいたときには、陽菜はベランダに向かって走っていた。
しかし、その進行方向にいるのは翔ではない。
陽菜は、麗香に向かって走っていた。
麗香は、驚いたような顔をしていた。
そして、麗香と一緒に、
落ちた。
「────陽菜!」
翔が遠くで陽菜を呼ぶのが聞こえた。
身体がふわっと浮く感覚に包まれる。
次の瞬間、全身に大きな衝撃が伝わった。
陽菜の意識が、次第に遠のいていく。
最初に彼女を見かけたのは、放課後によく立ち寄る学校近くの小さな本屋だった。
子供っぽい顔立ちからは想像できないような時節見せるその妖艶な表情に、気づいたときには目が離せなくなっていた。彼女は不思議なオーラを纏っていた。本を読むその姿に、いつの間にか惹かれていた。
どうにかして話したかったが、何か話すようなきっかけがなかった。
だから、彼女が本棚の上の方の漫画を取ろうとしていたときは良いチャンスだと思った。
気づいたら、漫画を彼女に手渡していた。
そこからなぜか映画の話題になり、DVDを貸し借りするような仲までになれたのは後から考えると奇跡だと思う。
話してみると、意外と無口で、それなのに映画の話になると饒舌になるのは分かりやすくて可愛らしかった。
彼女のことが、気になっていた。
ようやく仲良くなれた頃にいきなり避けられたこともあった。何か嫌われるようなことしたのかと落ち込んだが、彼女の発言から来留海のせいだと分かり、そのときは来留海に強く言ってしまった。あのときの来留海の悲しそうな表情が忘れられない。その日以来、何もしてこなくなった。
そのすぐあとに来留海は入院した。彼女のことで強く当たってしまった罪悪感があったので、お見舞いに行った。そういえば、「誰かに背中を押されて突き落とされた」と言っていた。
彼女からは、麗香という友達の相談もされた。後から分かったことだけど、隣のクラスに嶋崎麗香という生徒はいなかった。
次の日に提出しなきゃいけないプリントを取りに学校に戻ったとき、裏口のドアに彼女を見かけた。追いかけたのに彼女は教室にも、ベランダにもいなかった。見間違いだと思い教室に戻ろうとしたとき、なぜかベランダに向かって一人突っ走る彼女がいた。
このままじゃ落ちる。そう思ったときには遅かった。
気づいたら彼女の名前を叫んでいた。
そのとき、初めて彼女を名前で呼んだ。
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