#27 決戦準備
ビルケナウ市の帝国軍司令部。その会議室に、キミヒコはいた。隣にはホワイトが控えている。
そこでキミヒコは一つの文書を読んでいた。文書のタイトルは、「対ヴィアゴル王国諜報活動に係る第十八次中間報告書」となっている。その表書きには「極秘」の文字が大きく書かれていた。
黙ってそれを読みふけるキミヒコを、侵攻軍の幕僚たちが緊張した面持ちで見つめている。
「……この資料に書かれていることは、事実なので? ジョークにしては、笑えませんが」
読み終えた資料をテーブルに向けて無造作に放り投げて、キミヒコが言う。
「残念ながら、事実と認めざるを得ない」
キミヒコの不作法を咎めることはなく、ウォーターマンがそう言った。
「この、戦略級アーティファクト『星の涙』というのは、起動するのが確定しているのですか?」
信じたくない状況に、声が震えないように注意を払いながら、キミヒコはウォーターマンに問いかけた。
「このまま放置すれば、そうなるな」
「その場合の被害は?」
「過去の事例に鑑みれば、隕石は帝国本土ではなく、我々侵攻軍に向けて落下するだろう。かつてのような隕石がここに落下するなら、このビルケナウ市は更地になる」
「……本当にやりますかね? 王国の土地も、タダでは済みませんが」
「やるだろう。逆の立場なら、私でもやる」
努めて冷静な態度を装いながら質問を重ねるキミヒコに、ウォーターマンもただ淡々と答えていく。
「今回の場合、落ちてくる隕石は一つではない可能性が大きい。我が軍は、広域に展開しているからな。各部隊に向けて、比較的に小さい隕石が複数、広い範囲に降り注ぐことになる。小さいといっても、威力は十分だ。アーティファクトが起動すれば、我が軍は壊滅する」
そう言って、ウォーターマンはひとまずの説明を終えた。
キミヒコは左目を覆う眼帯をいじりながら、黙って考え事をしている。残された右目の瞳には、冷酷な色が見え隠れしていた。
基本的に結んだ契約には従順なキミヒコではあるが、それは身の安全が保証されている場合に限った話だ。命が脅かされるとなれば、契約を破棄して逃亡することに躊躇はない。そのためならば、ある程度の殺人さえ致し方ないと考えている。
「妙なことは考えない方がいいぞ、キミヒコ殿」
良からぬことをを考えているキミヒコに、ウォーターマンは釘を刺した。
「このアーティファクトは資料にあるとおり、生贄にした人間の恨みを吸って起動する。恨みの対象に向けて、隕石が降ってくるというわけだな」
「それが、どうしたというのですか?」
「察しのいい君なら、わかっているはずだ。君の人形は目立つからな。恨みを向ける対象としてわかりやすい。仮に君がここを離れたとして、隕石から逃れられる保証はない。君がどこにいようと、その頭上に隕石が降ってくるというわけだ」
逃げ場はない。ウォーターマンはそう言っている。キミヒコもその可能性を考えてはいたが、認めたくない事柄だった。
資料に書かれていた存在。戦略級アーティファクト『星の涙』は、生贄を起動条件としたアーティファクトだ。
その生贄も、どんな人間でも良いというわけではない。ある条件の人間を何人、さらに違う条件の人間を何人、といった具合に細かい条件が指定されている。
帝国軍も全ての条件は把握できていない。必要なプロセスは三つあり、それぞれ異なる生贄が必要らしい。判明しているのはこのうちの二つだけだ。
現状でわかっている要項のひとつは、攻撃目標に対して強い敵意を持っている人間の生贄が数百人。正確な数は不明だが、あるいは千人以上が必要となるらしい。
もうひとつは、アーティファクトの所有権を持つ人間の生贄。こちらで必要なのは一人だけ。
後者の生贄は、おそらく国王自身なのだろう。このアーティファクトの所有権には、血筋が絡んでくるらしい。
キミヒコにとって厄介なのは、前者の生贄だ。この生贄たちは、隕石攻撃の指向性に関与するとのことだ。生贄の人間たちの負の感情。それの向く先が、隕石の落着する場所となる。
キミヒコは今まで、ホワイトをさんざんに暴れさせてきた。国家武力の象徴たる、騎士を二人も屠ったため、市民たちからの認知度は悪い意味で高い。ともすれば、司令官であるウォーターマンよりも。
この状況ではウォーターマンが言うとおり、あそこだここだではなくキミヒコ個人に向かって隕石が落下してくる可能性は十分に考えられた。
おまけに、この生贄の調達は現在の王国では簡単なのだ。帝国軍がビルケナウ市を焼いたことで、大量の避難民が王都に押し寄せているらしい。彼らは帝国に、より正確に言うのであれば、キミヒコを含む侵攻軍に対して深い恨みを抱いているだろう。
さすがに自ら命を捨てる選択をするものは多くはないだろうが、それは問題にならない。馬鹿正直に生贄にするなど言わずに、適当に言いくるめてしまえばいい。
実際、現在の王都ではそのようなことが大々的に行われているらしい。帝国軍の情報部が、その活動を簡単に察知できるほどに。
アーティファクトの前で首をはねるのか、アーティファクトに生命力のようなものを吸わせるのかは不明だが、本人の意思は関係なく生贄にすることができるということだ。
あまりに非人道的ではあるが、敵も必死だ。どんなことでもやるだろう。
「……状況は理解したかね?」
口を真一文字に結び、右目を閉じ、左目を眼帯の上からせわしなく弄り回すキミヒコに、ウォーターマンが告げる。
その言葉を無視して、眼帯をガリガリと掻きむしりながらキミヒコは黙考を続けた。
今しがたのウォーターマンからの説明。見せてもらった機密資料の内容。そして、帝国軍とはもう一蓮托生だというラミーの言葉。
それらが、キミヒコの頭の中をぐるぐると巡り続ける。
そうしてしばらくしてから、その右目が開かれた。ワナワナと全身を震わせながら、その口も開かれていく。
「……こ、この…………この、クソカスどもがぁ!!」
唐突に、キミヒコが吠えた。
このところ色々ありすぎて溜まっていたストレスが、とうとう爆発した。
「この無能ッ! ゲロカス! テメーらが無差別爆撃なんて無茶苦茶やるからこんなことになったんだろうが! 責任とってさっさとなんとかしやがれこのドブカスども!!」
ひとしきり怒鳴り散らし、ゼエゼエと肩で息をする。
普段から立場を弁える男であったキミヒコの激昂ぶりに、周囲の幕僚たちは唖然としている。ウォーターマンを除いて。
彼はキミヒコの様子に眉一つ動かさずに、副官に手で合図をする。それを受けた副官の男は、キミヒコの下まで歩いていき、葉巻を差し出した。
キミヒコはそれを黙って受け取り、咥える。副官の男はそのまま火を着けようとするが、それを手で制してホワイトに目配せをした。
主人の意を受けて、人形はその懐からマッチを取り出し、キミヒコが咥えている葉巻に火をつける。
「落ち着いたかね?」
ぼんやりと煙をふかしているキミヒコに、ウォーターマンが言う。
「…………失礼。取り乱しました」
「結構。それで、どうかね? 君がここに呼ばれた理由は、もう見当がついているだろう」
キミヒコが落ち着くのを待ってからの提案。具体的な話を聞くまでもなく内容はわかる。敵のアーティファクトの起動阻止に、ホワイトを投入したいという話だろう。
「一応言っておくが、ビルケナウ市を落とした段階では、『星の涙』の起動条件やその指向性については情報がなかった」
「それはそうでしょう。わざわざ王国の連中に、上質な生贄を提供することはありませんものね」
提案に対して即答はしないキミヒコに、ウォーターマンが補足の説明を入れる。
先のキミヒコの激昂の一因。ビルケナウ市への無差別爆撃が、敵に有利に働いたことへの弁明だ。
「市民にこの情報を暴露して妨害工作をするのは? 生贄を集められなければ、それで事は済みます」
「すでにやっている。王国軍が生贄を集めていることは、王都で噂になっている。だがすでに、王城から上空に向けての発光が観測されている。アーティファクトの儀式に伴う発光だろう。すでに必要な生贄は集められ、儀式が進行中であると見るべきだ。直接乗り込んで破壊する他ない」
「今後の軍の動きは? どうするつもりなんです?」
「総力を挙げての決戦を強行する。行動可能な戦力を全て投入し、後のことは考えない。……すでに必要な戦力を王都周辺に展開中だ」
「航空爆撃で目標を破壊するのは?」
「王城は破壊できるだろうが、アーティファクトを確実に破壊できる保証はない。下手に爆撃をすれば、瓦礫の下に埋もれたまま発動してしまう可能性もある」
「……攻撃目標は、敵首都です。攻撃に際して制限などは?」
「ない。無制限だ。あらゆる攻撃を許可する。全ての障害を現場判断で排除しても良い」
「王族……ドライス家の人間は?」
「保護する必要はない。障害になるのなら殺害も許可する。族滅しても構わない」
「参謀本部の承諾はあるので?」
「すでに全権が私に委任されている。つまり、責任は全て私が取る。君は気兼ねなく、全力を尽くしてくれればいい」
矢継ぎ早に質問を浴びせるキミヒコに、ウォーターマンもまた淡々と答えていく。すでに幕僚たちにも説明済みのことなのだろう。その答えにはまるで淀みがない。
ウォーターマンは敵の首都に攻撃をかけるのに、まったく遠慮はないようだった。首都ともなれば、どのように制圧するかで戦後の占領政策に大きな影響を及ぼすはずである。
どうやら、戦後のことなど考えている余裕はないらしい。
「……いいでしょう。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。やらなければ、私に……いえ、我々に未来はない」
キミヒコの言葉に、ウォーターマンは満足げに頷く。他の幕僚たちもホッと息をついている。
アーティファクトを破壊するのであれば、敵の中枢へ強襲をかける必要がある。危険極まりない作戦だ。暗黒騎士たちも投入されるのだろうが、ホワイトの戦闘能力もかなり当てにされていたらしい。
その後、急造の王都強襲作戦の詳細をキミヒコは説明された。
作戦開始まで、まだ余裕はある。それまで、キミヒコは部屋で気を休めることとした。
◇
司令部での話が終わり、キミヒコは部屋に戻っていた。
「やだやだやだ! 死ぬのやだ! 隕石やだぁ! ホワイト! ホワイトッ!!」
「そんなに叫ばずとも、貴方のホワイトはここにいますよ」
部屋に戻るなりキミヒコは喚き散らし、ホワイトに縋り付いている。
幕僚たちの前では腹を括ったかのような雰囲気を装っていたキミヒコだったが、その実まったく覚悟などできていない。逃げることもできない現在の状況に悲観に暮れている。
「た、助けてくれ……頼りになるのはお前だけだ。俺にはお前しかいない」
「何も心配することはありません。私が全ての障害を排除いたします。我らの敵は皆殺しです」
口から出る苛烈な言葉とは裏腹に、ホワイトは慈愛に満ちた仕草でキミヒコをあやす。
人形の顔には微笑が浮かび、その腕は優しく主人の頭を抱きとめ、その手で撫でまわしている。
そんなホワイトの胸元に顔を埋めて、キミヒコはされるがままに身を任せていた。
「うわ、ダッサ……」
部屋の入り口から、声がした。
キミヒコが顔をそちらに向ければ、そこにはミルヒが立っている。その顔は、若干引きつっているように見えた。
無言のまま、ホワイトの手を優しく払いのけてキミヒコは立ち上がった。そのまま、軽く身だしなみを整えてから、懐から葉巻を取り出し咥える。人形は主人の指示を待つことなく、マッチでそれに火をつけた。
先程までの醜態などなかったかのように、優雅に一服したのちに、キミヒコは口を開いた。
「いつから見てた?」
「よしよしをしてもらってるあたりから」
ミルヒの答えに、キミヒコは処置なしといった具合に肩をすくめる。
「……やれやれ。俺とミルヒの仲とはいえ、淑女としてノックくらいはしてほしいものだな」
「したよ。返事がないし叫び声が聞こえるしで、何かあったのかと思って入ったんだよ」
「ふっ……見苦しいところを見せたな。忘れてくれ」
「本当に見苦しかったよ……。心配して損した」
心底呆れたという感じでミルヒが呟く。
「キミヒコさん、ちょっと大丈夫? さっきも司令部で怒ったり急に冷静になったりしたって聞いたよ。情緒不安定すぎじゃない?」
「どの口が言うんだよ!? お前が言うなッ!」
躁鬱が激しすぎる女にそんなことを言われて、思わずキミヒコは声を荒げた。
「はぁ……いや、もうこの話は置いておこう。何か用事か?」
「そりゃあ、この後の強襲作戦の打ち合わせだよ。その自動人形は、私の飛竜で連れてくことになってるからね」
ミルヒの言葉に、キミヒコは目を細めた。
航空隊による空挺降下で、暗黒騎士たちと共に王城へ突入すると聞いてはいたが、ミルヒが直々に連れていってくれるとは思っていなかった。
「ほぉ……。いつもの、あの無駄な封印は諦めたのか」
「ああ、あれ、やっぱり無意味だったんだね……。ま、あの封印も竜騎兵たちの嘆願で渋々やってただけで、今回はそんな余裕ないんでしょうよ」
ホワイトのいつもの空輸方法。ガチガチに拘束したうえで魔術封印を施し、複数の竜騎兵で運ぶいつものやり方は、今回はしないようだった。ホワイトを恐れる竜騎兵たちの要望により、普段は無意味ながらもああしていたのだが、そんな余裕はないということだ。
だが、そうなると気になることもある。
「……ミルヒは大丈夫なのか?」
「まあ、ちょっと、あれだけど……我慢する。我慢できないほどじゃないし」
ミルヒの言葉をそのまま真に受けるのなら、ホワイトの運搬に問題はない。だが、そうであるのなら、別の意味で大丈夫ではない。彼女の人間性は、いったいどこまで壊れているのだろうか。
キミヒコはミルヒの実力は信頼しているが、その人格にまで全幅の信頼を寄せているわけではない。表面上、仲良くしてはいるが、自らの生命線であるホワイトを預けることに、不安がないではなかった。
そうした不安を、キミヒコは理性で押さえつける。そんなことを言っていられる状況ではないからだ。
そんなキミヒコの様子を、ミルヒは胡乱げに見つめている。
「……なんだよ?」
「いや、別に? ただ……」
ミルヒにその視線の理由を問うが、彼女は答えなかった。
「まあ、いい。ホワイトのことはよろしく頼むぞ」
「任せて、と言いたいけど、キミヒコさんがその人形によく言っておいてよ。飛行中に、あまりその糸でこっちを刺激しないでってね。……キミヒコさんがついてきてくれると安心なんだけど?」
「絶対、やだ。むしろ俺がいたら邪魔だろうが。ここで果報を待ってるから、頑張ってくれよな」
今回に限らずホワイトの空輸作戦の際には、毎回キミヒコもついてきてくれと言われる。そして毎回断るのがお約束だ。飛竜の背に乗ってついていくだけとはいえ、寒いし危ないしでとても行きたいとは思えない。
キミヒコがいないと、ホワイトの魔力糸はさらにおぞましくなるらしいのだが、そんなことは知ったことではない。
そんなキミヒコに、ミルヒは「怖がりだなぁ」などと楽しそうに言ってくる。その顔に危険な任務に対しての恐れは感じられない。
「なあ、ミルヒは怖くないのか? 今までと違って、結構危険な作戦だが。死ぬかもしれないとか、考えないわけ?」
「死ぬかもしれないから、面白いんじゃないの」
キミヒコの質問に、彼女は笑ってそう答えた。
「隕石にビビってた奴の発言とは思えんな」
「いや、隕石でわけもわからず死ぬのと、戦場の殺し合いで死ぬのじゃ全然違うでしょ。ふふっ、楽しみだなぁ……」
ミルヒの調子に、キミヒコはため息をついた。
やはり、ミルヒはもう、まともな感性をしていない。キミヒコはそう思う。
最初、彼女に会った時。彼女がまだ騎士ハインケルであった頃は、こんな人間ではなかった。
騎士の心構えや竜騎兵のプライドとして、戦いを望む姿勢は以前の彼女にもあった。だがそれは、こんなに歪んだものではない。殺し殺されを望むような、そんな常軌を逸した性質のものではなかった。
過酷な戦争が、彼女を変えてしまった。
「……やれやれ。やっぱ、戦争ってのはクソだな」
「その戦争を商売にしてるくせに、勝手だね」
「そうとも。俺は勝手なんだ。この作戦が終わったら、もう足抜けさせてもらうよ。こんなことを続けていたら、頭がおかしくなる」
お前みたいにな。続くはずのその言葉を、キミヒコは口には出さなかった。
彼女はそれを察したのだろうが、軽く笑って流すだけだ。その笑みは、今までのような狂気を滲ませたものではなく、どこか寂しげなものだった。
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