#3 インペリアル・エアフォース

 ヴィアゴル王国の帝国に面する国境間際の要塞群。その一つに兵士たちが動員され、続々と物資が積み込まれていた。

 戦時体制に移行しつつあるその要塞には、王国騎士のひとりがいた。騎士クラインである。


 王国にいる六人いる騎士のうちの一人である彼は、まだ二十代のバイタリティ溢れる青年だ。だが今は、その活力は感じられない。

 帝国の不穏な動きに対処するため、有事には最前線となるだろうこの要塞へと着任したクラインの顔色は暗かった。


「上の連中、マジで帝国と一戦交える気かよ。正気じゃないぜ……」


 要塞の執務室で、そうぼやく。


「閣下、思っていても口に出さないでください。士気に関わります」


 凛とした雰囲気の女性、クラインの従騎士、レミルが苦言を呈する。

 彼女はクラインが騎士に叙任される前から付き合いがあり、彼が騎士となったあとも気が置けない仲だった。


「兵の前でこんなこと言うわけないだろ。お前と二人きりの時くらい、正直でいさせてくれ」


 クラインは疲れたようにそう返した。


 かつては強国としてその名を鳴らしたヴィアゴル王国であるが、今は見る影もない。

 現在いるこの要塞も、今の今まで杜撰な管理がされており、ハリボテと言っていい有様だった。

 帝国との緊張が高まってからクラインが派遣され、急ピッチで整備を行なっている。


 こんな調子で、アマルテア最強と謳われる帝国軍を相手に、戦争などできるわけがない。


 クラインはそう思っていた。


「閣下が開戦に反対していたのは理解しています。オルレア卿でさえ反対していたのでしょう? ですが、帝国のあの一方的な要求は許されるものではありません。武力に物を言わせて、あんな……」


「お前の言うことはわかる。俺だってあんな要求、無茶苦茶だと思うぜ。帝国は最初から侵略する気満々で、あの要求を飲ませる気はないってのも、わかっちゃいるさ」


 クラインがため息混じりにそう言った。


 ある日突然、帝国が王国へと突きつけてきた要求。

 飲めなければ武力行使もやむなしとして通告されたそれは、クラインやその従騎士が言うように、到底受け入れられるものではなかった。


 一つ、双方の関税は、以後両国の協定によって決めること。

 一つ、帝国臣民は王国内で、家屋と土地を租借できること。

 一つ、帝国臣民が罪を犯した場合、帝国官憲が逮捕し、帝国の法に則り裁かれること。

 一つ、帝国軍の無期限の進駐を認めること。

 一つ、帝国が戦争状態にあるとき、いついかなる状況にあっても帝国側に立って参戦し、その指揮下に入ること。

 一つ、メリエス王女は帝国皇室に嫁ぐこと。


 これらの条文を思い返して、クラインは嘆息する。


「無期限で外国の軍が進駐するとか……。しかも戦争状態にあるときって、もうすでに列強二国を相手の大戦争をやってる真っ最中じゃねえか。あの条文を考えたやつ、絶対頭おかしいぜ」


「それだけではありません。関税自主権を失い、治外法権を認めるなど……到底納得できるものではないでしょう」


 帝国の要求は苛烈を通り越し、もはや悪辣とも呼べるものだ。従騎士も口調こそ冷静になるよう努めているが、憤りを隠しきれていない。


「オルレア卿も、最後の添え物みたいな条文でブチ切れちまってるし……。なんだよあれ、完全におちょくってるだろ」


 言いながら、筆頭騎士の怒りようを思い出して、クラインは身震いした。


 メリエス姫は王国を支配する旧家、ドライス家の直系の一人である。未婚ではあるが王位継承順位は低く、王国内での立場は強くない。婚姻外交の駒としては心許ない人物だ。

 なぜ彼女が選ばれたかといえば、この国の筆頭騎士との関係だろう。剣聖とも呼ばれる騎士オルレアは、メリエス姫を実の娘のように可愛がっているというのは有名だった。


「まあ結局、オルレア卿も現実を見て開戦は反対してくれたが、文官の連中は折れなかった。はぁ……どうしたもんかね……」


「どうするもなにも、戦うしかないでしょう。これを認めては、もう国家としての体裁を保てませんよ」


 国家の主権のため、戦うのが当然。従騎士のその言葉に、クラインは首を振った。


「国体を保てない、か。だがそれでも、帝国との戦争は避けるべきだった。どんな屈辱を味わったとしても、確実に負けるとわかっている戦争をやる理由にはならない」


 心底やるせないといった具合に、クラインはそうこぼした。


 仕える騎士のその様子に、従騎士の彼女はなんとも言えない顔をする。


「変わりましたね、閣下。以前のあなたなら、声高に徹底抗戦を主張したでしょう。たとえ、勝ち目がなかったとしても」


「こんな俺は、嫌いか?」


「いえ、そういうわけでは……。ただ、気になっただけです」


 その言葉に対し、クラインはなにを言うでもなく、ただじっと自身の従騎士の目を見つめる。従騎士もまた、無言で彼を見つめ返した。

 しばらくして、ふうと息を吐き出し、クラインが沈黙を破る。


「……お前にストレスをかけちゃ、お腹の子に悪いからな。戦争は避けたかった。まして、負け戦なんてな」


「……気が付いてたんですか」


 クラインとしても、確証のあることではなかったが、彼女が何かを隠しているらしいことはわかっていた。疑念を感じ始めたのもつい最近である。


「まだ、確かなことではないです。その可能性があるというだけで……。どうしてわかったんですか……?」


「お前との付き合いも、長いからな。こんな状況じゃなきゃ、素直に喜べたんだが。……すまんレミル、今のは父親として失言だった」


「閣下……」


 しばらく二人は沈黙し、見つめ合う。


 もう少し、早く気付いてやれれば……。無理やりにでも従騎士を解任して、国外に逃してやれたのに、俺は……。


 クラインの胸中に後悔の念が満ちる。


 彼女を逃してやるには、帝国との緊張状態が高まってからでは、遅かった。自分に負担をかけまいと黙っていたであろう彼女を責めることもできない。全ては自身の不甲斐なさが招いたことだと、クラインは思っていた。

 だがせめて、この場からは逃してやらねばならない。この要塞の態勢を整える仕事は、もう完了した。今ならばどうとでも理由をつけられるし、帝国軍がここに来るまでにはまだ余裕がある。

 当の本人からは渋られるだろうが、どうにか説得して後方に下げる。


 クラインはそう決めて、口を開いた。


「レミル、王国は負けるだろう。もうこうなれば、早いか遅いかだけだ。俺は騎士だから、この国には最後まで付き合わなきゃならん。だからお前は――」


 その言葉は、執務室の扉を乱暴に叩かれる音に中断された。

 クラインが短く「入れ」とだけ言うと青い顔をした伝令が、駆け込むように入室する。


「クライン卿! 急報です!」


「何事か」


「て、帝国軍の竜騎兵がこちらに……!」


 どうやら帝国軍の航空偵察が来たようだ。


 帝国軍の侵攻部隊が国境付近に集結しているというのは、軽騎兵による偵察ですでにわかっていた。越境すれば一日とかからず、この要塞まで到達するだろう。


 ここを攻略するための下調べ。クラインはそう思っていた。だが……。


「予想より、ずいぶんと早いな。……航空偵察に来たということは――」


「いえっ! 偵察の数ではありません! 百騎以上の大編隊です!!」



 急報を受けてすぐ、クラインは対空戦闘配置の指示を出し、自身も屋上へ上がってきていた。

 その手にはクラインの特徴的な騎士武装、柄の両端に刃が付いている両刃剣が握られている。


 空の向こうに視線をやれば、大量の黒い影が、幾何学的な陣形を構えながら、こちらへ向かってくるのが確認できた。報告のとおりの、敵竜騎兵の大編隊だ。


「本隊がまだ来てないのに、竜騎兵だけこんなに揃えてきて、連中はどういうつもりなんだ……? そもそも、帝国軍はあんなに竜騎兵を持っていたのか。いったいなんのために……?」


「わかりません。竜騎兵だけで攻撃してくるということでしょうか?」


 クラインの疑問に、従騎士がそう答えるが、彼女も疑問に思っているらしい。


 通常、竜騎兵などの航空戦力は陸上戦力の補助要員として運用されるのが基本だ。空を駆ける竜騎兵といえど、対地攻撃のため高度を下げれば、魔術による対空砲火にさらされる。竜騎兵の維持コストを考えれば、割に合わないことだ。

 おまけに、要塞を占領するには結局、陸戦隊が必要になる。


「帝国軍は馬鹿じゃない。それだけじゃないはずだ」


「とはいえ、我々にできることは敵が来るのなら対空迎撃してやることだけです」


 クラインの中で警鐘が鳴り響くが、従騎士の発言のとおりで、できることは敵が攻撃をかけてくれば対空攻撃をお見舞いすることだけだ。


 魔術兵たちが慌ただしく高台の配置へ移動していくのが見える。

 クラインがここに着任してまだ日は浅いが、守備隊にさんざん活を入れてやった甲斐もあって、その動きは淀みないものだった。


 彼らの様子を頼もしくも思うが、帝国軍の不可解な動きにどうにも不安は拭えない。


 ふと、いくつかの小編隊が先行して向かってくるのがクラインに見えた。その編隊はやや高度を下げ、要塞直上まで到達。そこでなにかをばら撒いた。


 なんだ? 投石か……?


 かなりの高度からばら撒かれたそれは、風に流されその多くは要塞外の地面に落ちていく。

 そして地面に落ちると同時、轟音を立てて爆炎が広がる。


 断続的な炸裂音が、騎士の鼓膜を震わせた。

 地面には小さなクレーターができて、黒い煙が上がっている。


 それを見て、唖然とするのも一瞬のこと。クラインは帝国軍がなぜ航空戦力のみをここに飛ばしてきたのかを察した。


「帝国軍の新兵器か!?」


 ただの爆弾ではない。竜騎兵が持ち運べるほど小型で、さらに十分な威力を持たせている。事実、命中した数発は、要塞外壁を部分的に破砕している。

 こんなものを、こちらの射程のはるか上空から一方的に落とされては、なすすべがない。


「帝国軍の新兵器と新戦術……俺たちを実験台にしてテスト運用のつもりか。連中が戦争をやりたがってたのは、これも理由かよ。舐めやがって……!」


「か、閣下……! 再び敵竜騎兵が直上に……またあの攻撃を――」


「落ち着け。そうそう命中はしない。敵が爆弾の落着地点を観測して、攻撃位置を修正するまで時間はあるはずだ」


 平静を装ってそう告げるが、クラインとて心中穏やかではない。


 目視観測で敵のおおよその数を確認し、そこに搭載されているだろう爆弾の数を瞬時に計算する。

 そこから導き出される結論は無慈悲なものだった。どう楽観的に見積もっても、この要塞は瓦礫の山と化すだろう。


 それを踏まえて、クラインは号令を発した。


「城門を全て開けろッ! 兵を要塞から出せ!」


 要塞から出たところで、これから向かってくるだろう帝国軍の本隊とは戦えない。野戦などしようものなら、皆殺しに合うだけだ。

 しかし、このまま要塞に篭っていては、なぶり殺しにされてしまう。


 ここを捨て、どうにか組織崩壊を防ぎながら後退するしかない。


「騎兵が最優先で、対空要員は最後だッ! 対空体制がなければ、敵は間違いなく高度を下げて命中率を上げてくる! 急げッ!!」



 帝国軍による空爆は断続的に続き、それが終わったのはもう夕刻に差し掛かろうかという時間だった。


「クソッたれが! さんざん好き放題やりやがって……!」


 瓦礫の山と化した要塞を前にして、クラインが毒づいた。

 そんな騎士の下へ、王国軍の武官が近づいていく。


「クライン卿」


「首尾はどうだ?」


「滞りなく。脱落は二割ほどです」


 騎士の問いかけに、武官は澱みなくそう答える。


 クライン麾下の要塞守備隊は、早々に要塞を放棄し後方へ転進中である。部隊の転進指揮は、渋る従騎士に無理やり押し付け、クライン自身はこの場に留まり殿軍を務めていた。


 部隊は敵に向けて剣を振るう前から、兵を二割も損耗し要塞まで失ってしまった。この有様では士気の低下は著しく、軍組織としての体裁を保つのもひと苦労である。

 報告に来た武官にはその苦労の跡が見られた。身にまとう鎧が、返り血に濡れている。


 敵を一人も斬り殺せないうちから、味方を斬る羽目になるとはな……。


 脱走を試みた兵を、見せしめも兼ねて処罰したことに、クラインはなんともやりきれない思いだった。

 組織崩壊を防ぐためとはいえ、気分のいいことではない。


「こちらの航空戦力は?」


「伝令用の空騎兵が一騎、使えるようにしてはありますが……」


 元からこの要塞にいた航空戦力は、グリフォンを駆る空騎兵が二騎のみ。

 運のいい一騎は、後方への伝令に回された。運の悪い方はこの場に居残りである。


「あの数が相手では、敵の勢力圏への飛行は危険です。航空偵察すら難しいでしょう」


「だろうな。敵の本隊を確認したら、残りの一騎も後方に下げよう。こうなってくれば、航空戦力は大事にしなければならんからな」


 帝国軍の空襲を防ぐ手立てがあるとすれば、こちら側も航空戦力で応戦しなければならない。

 今日一日で、空騎兵の価値は急上昇していた。だが、王国にいる空騎兵では、数も質も帝国軍のそれと比較して大いに不安がある。


「……我が方の航空戦力を結集したとして、帝国軍のあの攻撃を防ぐことは可能と思うか?」


「厳しいと言わざるを得ません。先ほどの攻撃、遠目ではありますが、爆弾を積んでいない格闘戦装備の竜騎兵の姿も確認しました。爆弾を落とす竜騎兵の護衛でしょう。グリフォン主体の空騎兵では突破は困難です。加えて、そもそもグリフォンでは、飛竜の飛行高度まで上がれません」


「はっきり言う奴だな。まったく、やれやれだ」


 クラインとてわかりきっていた問いかけだったが、あまりにバッサリと絶望的な返事をする武官に、彼は苦笑した。


「クライン卿。残り一騎の空騎兵で、早急に後方へお退きください。ここに残ったところで、もはや……」


「言うことはわかるが、それを決断するのはまだ早い。偵察に出した騎兵が帰ってきてから判断することだ」


 武官の進言はもっともなことではある。

 だがそれを、クラインは理由をつけて拒絶した。


「……案ずるな。こんな緒戦も緒戦で、死ぬ気はない。騎士の命の使いどころくらい、心得ているさ」


 なおも食い下がろうとする武官に、諭すようにクラインは言葉を重ねる。


 帝国との戦争は始まったばかりで、これからも苦しい戦いは続くだろう。そうした時勢と騎士という自らの立場を考えれば、この場に留まっているこの状況は誉められたものではない。

 だがクラインはなにがなんでも、転進部隊を安全に後方へと送りたいと考えていた。たとえその身を犠牲にしたとしても。


 その考えには、彼の個人的な心情が多分に影響している。


 我ながら、公私混同も甚だしいな。だが、俺は……。


 クラインは思う。

 たとえ王国が滅びても、自分が死んでも、彼女さえ生きていてくれるなら、と。 


「クライン卿。偵察に出していた騎兵が帰還しました」


 胸中で決意を新たにするクラインの下へ、伝令兵が報告をあげに来た。

 その顔色は、青い。


 どうやら状況は、さらに悪い方向へと向かっているらしい。


 内心を気取られぬよう平静な顔のまま、「すぐに行く」とだけ言って、クラインは歩き出した。

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