あとがき

 令和5年5月28日

 競馬の祭典と呼ばれる東京優駿、日本ダービーが行われる。奇しくも46年前のこの日に、私は産まれた。つまり私は、今年46才になる競馬好きのおじさんです。


 ただ少しだけ、私には特異な過去があります。

 19歳〜29歳までの10年間。

 私は芸人でした。


 結婚を機に芸人を辞めてもう20年近くになります。未練などは何もないのですが、人生も半ばに差し掛かり、ふと、半生を振り返ってみました。




 私が芸人を辞めることになった理由の一つに、爆笑オンエアバトルという番組が挙げられます。

 観客が出演者を審査するネタ番組で、お笑いブームの火付け役となりました。10組中上位得点の5組がオンエア。残りの5組は悲しい音楽をバックに、僅か数秒の敗者コメントのみがオンエアされるという番組でした。

 ネタがオンエアされた芸人は、一気に知名度が上昇し、時の人気者として世間を賑わせることになりました。若手芸人の登竜門。この番組に出演するのが、当時の若手芸人達の夢であり、皆がこの舞台に憧れを持っていました。そんな中、私は運良く番組当初から出演することができ、他の芸人達から沢山の相談を受けていました。



 ここまでは順風満帆にもみえた私の芸人人生。

 ここから私の芸人人生は急転落しました。

 初出演の一回目こそオンエアを勝ち取ったものの、その後10連敗。ダンディ坂野さんと並ぶ、最多連敗記録として不名誉な経歴を刻むことになりました。


 全国放送の超人気番組で「面白くない芸人」としてのレッテルを貼られてしまいます。


 相談にのっていた後発の芸人達は次々と出世していき、いつの間にか私だけが取り残されてしまったのです。ライブシーンでもウケなくなり、卑屈になった私は舞台の上で縮こまり、何も出来なくなってしまいました。



 今、思えばダンディ坂野さんのように、それを逆手に取って笑いに換えればよかったと思います。

 ところが、当時の私は精神的にも未熟で、芸人としても未熟。そんな技量もなく、ただ卑屈になり腐ってしまいました。15年間続いたオンエアバトルの終了を待たずに、私は芸人を辞めてしまいました。



 10連敗という記録。これは誰もが簡単に達成できるものではありません。爆笑オンエアバトルは超人気番組。まず出演することすら難しいのです。出演者の順番待ち。出演できたとしても2、3連敗してしまうと出演できなくなるのが普通でした。にも関わらず、私はどれだけ落選をしても番組に呼んで貰えていました。だからこそ出来た、10連敗という不名誉な快挙。



 何故、私だけ特別だったのか?

 経緯はデビュー当時にまで遡ります。

 日本映画学校在学中、19歳で芸人として初舞台に立ち、デビュー2年目の20歳の時にNHK新人演芸大賞の決勝にノミネートされました。全国で行われる予選オーディションを勝ち抜き6組だけが立てる舞台。

 まだM-1などがない時代、全国放送で行われるお笑いのコンテストと言えば、NHK新人演芸大賞のみでした。所属していたマセキ芸能社では、ウッチャンナンチャン以来の快挙だと大変喜んで頂いたのを覚えています。そして、その時のプロデューサーさんが爆笑オンエアバトルを立ち上げたのでした。期待されていたのです。応援してくださっていたのです。


 だからどんなに落選をしても私は番組に出演させて頂くことができました。なのに、その期待に応えることができませんでした。



 人生折り返し地点で振り返ってみると、

 やっぱり、面白いことを考えるのが好きです。

 とにかく楽しい。

 この作品は、当時、応援してくださった方々を懐かしく思い届けることのできなかった感謝を込めて執筆しました。


 あがいてんな。

 と、笑って頂ければ幸いです。




※2023.4.13 にネット小説サイトで執筆し、完結した作品を改稿したものになります。

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ヤタガラスの詩 司令塔は闇属性のテイマー ─プロジェクトの謎─ @pink18

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