第11話 本土防空体制の強化

 冷戦は激しさを増している。


 米ソは互いに高高度偵察機、長距離弾道ミサイル、原子力潜水艦など熱戦争の用意を周到にした。日本はAPTOで平穏を保ったが、迎撃思想から攻撃の兵器より、防御の兵器を充実化させることに注力する。圧倒的な海軍戦力で抑止力を有したが、冷戦では何らの保証にならかった。突如として、攻撃を仕掛けられることがあっても、一切おかしくない。


 キューバ危機に際しては表向きは静観を貫いた。しかし、実際は海軍と陸軍、空軍の全軍に対空防御を命じている。日本は敵機侵入やミサイルに備えて早くから対空ミサイルの研究を始めた。大戦中には噴龍誘導弾が開発されるが、極初期の試作に留まる。


 戦後は対空ミサイルの研究と開発を最優先に続けた。


 最初に登場したのは長射程の大型対空ミサイルである。陸軍と空軍、海軍の全軍が基地に1959年に『一九式長射程対空誘導弾』を配備した。本来は固定して運用されるが、機動力を付与するべく、国産の大型トレーラーに装備する。レーダー装置や指揮装置などは発射機と別の車両を用意し、2両で一個の『二〇式機動対空車両』が開発された。機動力があると雖も迅速な展開と撤収は難しく、専ら各地の都市や基地に固定され、修理や補給以外で動くことはなかった。


 海軍は陸軍や空軍向けと同じ製品を地上基地に配備している。ただ、海軍のため洋上にも対空ミサイル砲台を欲して当然だ。そこで、船体に発射機を埋め込む艦載型を新規開発する。主に旧式巡洋艦に装備された。巡洋艦は古くても船体は大きい。主砲を取り払って弾薬庫共々にスペースを確保できた。もちろん、最新鋭の防空艦に比べて性能は劣るが、本土や島嶼部を守る移動式の対空砲台と見れば足りている。


 長射程の対空誘導弾はいわゆる、HIMAD(高・中射程ミサイル)に該当した。まだまだ初期のため未熟な部分も多い。完全に弾道ミサイルを迎撃できるのか不安が生じると迎撃を数段階に分けた。


 長射程を第一段階とおいて、第二段階は中射程の物になる。


 中射程は射程距離の数値だけを切り取ると、概して10km程度を振り分けられた。本世では中射程と呼称するが、実物はSHORAD(短距離防空ミサイル)に該当する。一定の小型化が進められる都合で開発は難航し、最初に採用されたのは1963年になってからだ。キューバ危機が過ぎた頃に採用は遅いだろうが、技術者達が不眠不休で仕上げた努力が垣間見える。


 その努力とは小型化であり、トラックの荷台部に備えられた。中射程も長射程同様に各種装置を搭載したトラックと一組で運用される。こちらはトラックのため小さな駐屯地や前線拠点でも運用できた。また、トラックの高機動を活かし各地を転々とすることで隙を作らない。さらに、多連装発射機を用いれば弾道ミサイルを数で包み込んだ。今更ながら、これは1965年に『二五式中射程対空誘導弾』と名付けられ、第二段階での迎撃に充てられる。


 最終段階は短射程の歩兵携行も可能な近距離向けの短射程だった。


 歩兵でも携行できる点から難易度は跳ね上がる。開発を担う東芝はアメリカのジェネラル・ダイナミクス社と協同した。ダイナミクス社はFIM-43レッドアイを開発すると、東芝は日本に合わせる改良を続け、1968年に『二八式携帯対空誘導弾』とする。しかし、レッドアイも二八式も不満な点が多く残った。


 ひとまず、歩兵携行の地対空ミサイルを得る。これによって局長的な防空が整備された。歩兵が持てるだけに限らないで、装甲車や偵察車など車両からも発射できる。小型トラックの荷台に簡易改造を施し搭載した。性能はともかく、場所を選ばない汎用性に富むのが強みである。無いよりはマシという認識で低空侵入を図る敵機や戦闘ヘリコプターの迎撃に使われた。戦闘ヘリコプターはアメリカのAH-1コブラが衝撃的であり、機甲師団は対ヘリコプターの防空も意識しなければならない。


 対空戦闘はミサイルが主役になりつつあった。それでは、旧来の機関銃が廃止されそうに聞こえる。いいや、全くそんなことはあり得なかった。むしろ、ミサイルと差別化してしぶとく生き残る。


~北海道・上富良野町~


「く、栗林元帥!こんな所に来られなくても、私たちから参ります」


「いいや、私は名誉職の軍人だから、そんなに厚遇されても困るんだ。最前線で戦ってきて、どうも、自分で視察に出ないと気が済まない。そんなに畏まらなくてよい」


「し、しかし」


「それより、誘導弾の時代に移ろうと対空戦車が健在で嬉しいばかりだ。トブルク要塞で耐えていた日々を思い出す」


 上富良野町にある北方戦車師団の基地に栗林忠道陸軍元帥の姿がある。日本機甲師団の父にして皇軍の英傑に数えられた。現在は元帥に昇進している。もっとも、名誉職の精神を帯びて、最前線に出て指揮を執るようなことはなく、日本ならびに友邦国陸軍に戦車戦を教えた。


 上富良野町でも若い兵士たちに叩き込んでいる。しかし、暇があれば最新鋭の車両を見学した。チトやホイの時代から九式(改)や二一式、EBR-90装輪装甲車など近代化が著しい。これには栗林元帥は感慨深げに頷いた。70歳を超えた高齢者のため好々爺になりつつあるが、栗林元帥の鬼神の如き活躍から敬う者は絶えないだろう。


「これは…何だかったかな。年を取ると物覚えが悪くなる」


「はっ!こちらは『二二式自走高射機関砲』です。対空戦車と同質と見ていただけますと」


「そう言えば、そうか。対空戦車から呼び名が変わったな」


 二二式自走高射機関砲は既存車両の車体に専用砲塔を有した。1960年に採用された二〇式装軌装甲車を基に30mm高射機関砲を連装に束ねた砲塔を装備する。ミサイル搭載車両と異なり、レーダーを装備しておらず、光学照準により対空戦闘を行った。機甲師団に随伴できる速力と大量生産可能なコストパフォーマンスのため、レーダー連動は見送られている。


 30mm高射機関砲はエリコン社のKCB30mmをライセンス生産した。エリコン社製は20mmを導入するなど実績があり、30mmも設置型や艦載型と幅広く普及している。分間600発が連装を介して分間1200発と悪くない数値を発揮したが、いかんせん、レーダーを持たないと命中精度に難があった。


 この問題に高性能を求めた末に捜索&追尾レーダーを装備した新型が開発される。最終的に20mm対空機銃を上下連装の四連装に束ねた『二六式自走高射機関砲』が投入された。こちらは高価で生産が進まないことから、中継ぎ投手で二二式が開発されたようである。二二式は清算は低コストで整備も簡単なため、治安に軍隊を投入するアジア諸国へ輸出された。


「戦車と言うのは空の攻撃に弱い。君達の働きで勝敗を決すると言っても、過言ではない。一両でも多く戦車を残し、敵陣を突破したかと思えば、時には攻勢を受け止め、押し返すこともある。期待しているよ」


「はっ!」


 栗林元帥は時代の移り変わりを身に染みて理解している。


 懐かしいと言うべき、あのトブルク要塞の戦いを脳裏に浮かべた。


 しかし、多くの若者が散った戦いは二度と御免である。

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