第7話 英仏の凋落と日本の台頭

【1956年12月】


「我が国としては大変憂慮しております。一刻も早く、エジプトに平穏が訪れることを切に望んでおります」


 山本五十六内閣の後に成立した岸信介内閣は早速激変に襲われた。1956年にエジプト政府がスエズ運河の国有化を表明する。しかし、イギリスとフランスは地中海の派遣を握たい思惑から、エジプト政府に懲罰を下すべく、イスラエルを抱き込んでエジプト侵攻を計画したのだ。ただし、イスラエルは日本軍の監視下にあって日本在住の同胞は穏健派で対話なき軍事行動を望んでいない。現にイスラエルから日本へ移住を選ぶ者は少なくなかった。よって、イスラエルには利害が一致する英仏の呼びかけに応じる余裕がない。


 やむを得ず、イギリスとフランスは両国のみでスエズ運河の支配を共謀した。イギリス軍の空挺部隊が電撃的にシナイ半島を奇襲する。同時に強襲上陸作戦も展開されるとエジプト軍は装備の差が響いた。じりじりと後退して防戦一方に追いやられる。そして、英仏軍はエジプト軍に対し、スエズ運河から完全に撤退する通告を発した。つまり、「スエズ運河を寄越せ」で極めて強硬的である。エジプト政府は苦悩の末に徹底抗戦を示して受けて立つと返した。


 イギリス軍は攻撃を強めて空母から攻撃隊を発し空襲した。戦艦や巡洋艦も加わり砲弾の在庫処分と言わんばかりに艦砲射撃を与える。制海権も制空権を失ったエジプトは為す術が無かった。しかし。エジプトは徹底抗戦で大損害を出しつつも国際社会の動きを待つ。


 この事態に日・米・ソの三カ国が重大な懸念を表明した。アメリカは植民地主義的な侵攻を良しとしない。ソ連は南下政策を展開するべく外交的な介入を試みた。日本は世界の仲介者の立場から行動する。国際連合も英仏とエジプトの戦いを一時停戦することを決議を以て命じた。


 いくらなんでも、国際社会には歯向かえないだろう。即座に現地で停戦が結ばれて軍事衝突は落ち着いた。その後、国際連合の舞台で英仏とエジプトの言い分を聞いたが、緊急招集された国連総会は圧倒的多数で英仏撤退を議決する。しかし、英仏軍は言うことを聞かず侵攻を再開した。実は同時期にソ連がスターリン死去に伴う影響力低下に際し傀儡国への圧力を優先する。つまり、エジプトの優先順位を下げており、英仏はソ連が退いた虚を衝き一挙に制圧することを目論んだ。


 これに堪忍袋の緒が切れたのが日本である。同盟国の英仏のため過度に介入せず国連の場で撤退を促す程度に抑えてきた。しかし、制止を振り切って暴走列車と化した両国に怒りを覚える。物事には限度が存在することを行動で知らしめるため、シビリアンコントロールの三軍大臣が「これ以上の侵略的な戦闘行為が行われる場合は、我が海軍の江戸と大坂、陸軍の輸送艦を派遣する用意がある」と発表した。


 江戸と大坂は第二次世界大戦末期に完成した超弩級空母である。アングルド・デッキやカタパルトを備えた近代空母として現在も改修を繰り返し、ジェット機対応の空母として世界最強海軍の一画を担った。とてもではないが、イギリス海軍の空母が敵う相手ではない。また、陸軍兵士と機甲戦力を満載した強襲型輸送艦が訪れれば、近代装備で武装した英仏軍も無傷では済まされなかった。むしろ、殲滅されてもおかしくなかろうて。


 同盟国日本の怒りを意味する介入予告は効き目十分だった。新たな国連決議に合わせ英仏軍は撤退に同意している。まずは最新の停戦協定を結んでから英仏軍は無条件撤退を開始した。もっとも、今度はエジプト軍が暴走しないよう中立国軍の国連監視団が設置される。いわゆる、PKO活動がエジプトに展開された。


 結果的に第二次中東戦争(スエズ戦争とも呼ぶ)はエジプト側の実質的な勝利で終わる。当初の予定通りにスエズ運河の国有化は果たされ、中東における発言力を増した。しかし、イスラエルはそのままであり緊張感は変わらない。イギリスは莫大な費用を注ぎ込んだにもかかわらず、目標を達成することはできなかった上に国際的な影響力を失った。もはや、かつての偉大な英国はなく、アメリカに追従する羽目に陥る。


 ただ、フランスは素早く日本寄りに回ることでアメリカに反抗した。


 アメリカはイギリスに対して影響力を及ぼし実質的な従属国に含め入れる。特に大きな出費もすることなく、国際連合の中でも発言力を更に得ることに成功した。ただし、ソ連が中東南下政策をチラつかせ油断はできない。


 日本もアメリカ同様に国際的な発言力を増す。あくまでも、日本は独自陣営でイギリスやフランスと同視されては困る。特にエジプト政府は「日本の(外交的)介入なくして、スエズ運河は守れなかった」と称賛した。第二次世界大戦中にスエズ運河を多用した日本軍は誰よりも現地を守っている。厳しい徴発は絶対に行わないどころか、現代に通ずる人道支援に徹した。この歴史的な背景があり、エジプト政府は日本だけスエズ運河優先通行権を認めている。


 とりあえず、イギリスの凋落を理解してもらえれば十分だ。


【翌年】


 イギリスの国際的な影響力が低下した中で日本はアメリカと並んだ。もちろん、経済力や軍事力ではアメリカが世界第一位である。しかし、国際的な信用度では日本が勝った。従来のイギリスによる影響力が両国へ分割されたが、比率では日本が大きいことは明白である。日本が仲介者に徹して現地の意向を汲み取ろうとするのに対し、アメリカは「アメリカに依る平和」の抑え付けが見られた。


 旧イギリス系のカナダ、オーストラリア、ニュージーランドが日本に靡いても仕方ない。既にAPTOに友邦国の名目で加盟しているが、今回の事態を気にイギリスから脱却した。そして、軍事同盟に基づき日本製兵器の輸入を拡大する。


 オーストラリアは日本製の九式戦車改を大量購入してセンチュリオンを吐き出した。センチュリオンは素晴らしい傑作戦車だが、政府のイギリスを排する方策からやむを得ない。吐き出されたセンチュリオンは民間の商人を転々とするが、一つの国に集中していった。


 カナダは正規空母とヘリコプター軽空母の建造を日本海軍に依頼する。自国の下方にアメリカという大海軍がいても端から信頼しなかった。カナダ軍は日本製の強さを大戦から知っている。カナダは大西洋に面して冷戦に巻き込まれ、やはり、ソ連潜水艦の脅威から対潜能力向上が急務に上がった。


 ニュージーランドは大規模な兵器購入こそ見られない。ただ、コツコツと日本製装輪装甲車や銃火器を輸入してはイギリス軍の中古装備を刷新した。また、小型のコルベットやミサイル艇、警戒艇も取り入れ沿岸警備を強化している。


 冷戦の場において第三勢力が最も得をするのは当然のことだ。

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