第4話 もはや戦後ではない

~前書き~

 今回はセリフが極薄なので、苦手な方はブラウザバックを推奨します。


~本編~


【1951年】


 第二次米内光政内閣の山本五十六内務大臣は定例会見の場でこのように述べた。


「我々日本はもはや戦後ではありません。これからは新世界であります」


 終戦から約7年が経過した日本は世界でも類を見ない驚異的な速度で経済成長を続けた。後に高度経済成長期と呼ばれる時代の幕開けであり、経済指標はどれもこれも見たことが無い数値を叩き出す。


 日本の経済成長は「解体された」と噂される『総合戦略研究所』が大枠を定めた。これに第一次及び第二次米内光政内閣が細かな修正を入れ込んでいる。つまり、国の統制によるケインズ的な手腕が大きいのだ。


 終戦直後こそ一時的な物不足と食料不足で不況に陥りかけている。速やかに国内向けを潤沢に回し、かつアメリカから一定の支援を受けることで持ち直した。それからはイギリス、フランスなど第二次世界大戦で傷つき、復興を目指すヨーロッパから莫大な物資が求められる。アメリカのトルーマン・ドクトリンと並び、日本政府は「米内のカンフル剤」と呼ばれるヨーロッパ復興支援策を発表した。官民一体となってヨーロッパの同胞を助けるという大義で工業はフル稼働する。


 爆発的な勢いで工業の輸出が伸びていくが、輸出に際して日本は統一規格の「JIS」を整えた。従来の職人気質でハンドメイドな旧来を脱却して、徹底的な合理化により、常に一定を確保することで日本製の高品質を支える。


 日本と中華民国の各地で輸出拡大に伴って工場が建設された。日中を中心にアジアは「世界の工場」と呼ばれることになるが、せっかく製品を生産しても運ぶ手段を確保しなければ意味がない。


 したがって、米内内閣は壮大な計画を打ち出した。


「ここに国土改造計画を発表します」


 国土改造計画は文字通りの日本の国土を改造する計画である。世界恐慌時に整備した道路や鉄道路を整備し直し、諸外国を倣った高速道路を日本中に張り巡らした。人と物の動きをより一層に加速化させる。なお、裏の目的として炭鉱従事者や元軍人など職を失った者を救済した。結局のところ、ニューディール政策の再来だろう。


 世界の燃料が石炭から石油へ移り太平洋沿岸には石油コンビナートが建設された。石油は中華民国の油田と中東開発油田から引っ張り、安定的な供給を確保して経済成長が急激に止まらない対策を整える。そして、将来的に工場生産が萎んで都市丸ごとが廃れることを危惧し、途中で生産を軍需向けに切り替える仕組みを用意した。兵器の生産は官営から徐々に民間企業へ移行し、外国への兵器輸出を促進する意味が込められる。


 もっとも、急な開発は環境破壊と公害問題を噴出させた。政府は改造を進めつつも古き良き日本を可能な限り守ると調査を怠らない。同時に企業に対し安全対策の義務を課す法律の制定を急いで成立させた。


 これらを踏まえて、第一に行われたのが鉄道路の整理である。仮に高速道路が張り巡らされても、安くて大量に運べる鉄道輸送は馬鹿にならなかった。四輪自動車を求め易くなった現在も長距離を移動する手段は鉄道で民衆の足となる。ただし、将来はモータリゼーションの波で大変革が予想された。


 やたら滅多に整理すれば良いということではない。国土改造計画は官民問わず官僚から大学教授、学生、民間研究所、外国の有識者と幅広く招集して意見を募った。さらには、アジアと太平洋の守護者を自称する大国のため、軍の輸送も考えると史実日本とはかけ離れたことになろう。


 そんな鉄道の整理は1953年に第一弾が登場した。


【1953年】


 第二次米内内閣の提示した国土改造計画は山本五十六内閣に継承される。米内光政氏は高齢に伴う健康の不安から、山本五十六内務大臣を後継者に指名した。そして、議会の指名を経て山本五十六内閣が発足する。山本内閣の性質は米内内閣の引継ぎが強く、独自路線は見えないのが難点で国土改造計画も修正を図った。


 総理大臣に元海軍が続き「軍政治」と批判の声は少なからず聞かれる。しかし、精強な大日本帝国海軍連合艦隊司令長官を務めた、山本五十六氏のリーダーシップに期待する声の方が強い。国民の支持も厚くあって無事に内閣総理大臣に就任した。批判の声に耳を傾けて、各大臣は普通選挙を経た議員から選出して軍要素を排している。彼自身も陸海空の三軍どれかに偏重や贔屓をせず公正にして公平を徹した。


 さて、山本総理は国土改造計画で計画された国鉄の記念すべき大一番列車に乗り込む。東京駅には多くの民衆が詰めかけたが使命感に溢れた警察官と屈強な護衛に軍人に阻まれた。物々しい厳重な警備体制に包まれながら山本総理が乗ったのは、都市間連絡を担う国鉄特急『こだま』である。


「本日は記念列車のため速達便ですが、本来は東京から大阪まで6時間50分かけて走行いたします」


「貨車時代から、どれだけ短縮できたのか」


「はい、約40分の短縮となりました。数値だけでは期待外れかもしれません。しかし、電車とすることで速達性だけでなく、運行本数の増加が見込めて一層の輸送力増強がなります」


「なるほど、よく頑張ってくれた。これからも頼む」


 国土改造計画で鉄道の電化が進められた。従来の蒸気機関車に代わり電気機関車が登場している。しかし、大都市間を結ぶ長距離列車は客車から電車への移行が開始された。新技術の登場により電車が機関車に対して圧倒的な優位に立ち、速達性に加えて運行本数を増加させることが可能である。今後の需要の増大に対し柔軟に対応できるのが強みだった。


 電車の一番槍となったのが東京と大阪を結ぶ特急『こだま』であり、両都市間は弾丸列車建設計画が存在する。これは完成には10年以上を要するため、中継ぎとして都市間を結ぶ高速列車が必要だ。東海道線の全線電化に伴い開発された新型電車を投入し約7時間で移動する。随分な強行軍だが日帰りで東京と大阪を往復することも可能になった。


(時代の移り変わりは激動だ。海軍ばかり注視するわけにはいかないことを思い知らされる。海軍都市を結ぶ線路は確立してもらいたいが、陸軍からケチが入ることも考えると、無駄と言いたくなる線路を敷くことになる。国民が自動車を持つようになれば不要になりかねない)


 鉄道の話が続いたが自動車も飛躍している。戦中は四輪自動車は高嶺の花で中々手を出し辛かった。庶民は専ら二輪車か三輪車を保有する。しかし、戦後になると陸軍から軍用車が民間に移り、庶民でも持てる「国民自動車」構想が提示された。最近になると、小型自動車の軽自動車が登場する。庶民の車が普及しては鉄道の需要が減って特に地方で寂れることが予想された。


 せっかく、建設しておいて廃止するのは勿体無い。無駄な出費を防ぐためにも慎重を重ねた。ただし、地方と雖も海軍や陸軍の拠点が設置されたり、小さな工業地帯が建設されたり、等々の理由で貨物輸送に限定することはあり得る。台風や地震の災害で不通となった路線の輸送を補うため、バイパス路線の名目で必要最小限を維持することも考えられた。


「こだま第一号発車します」


 緊張気味の車掌のアナウンスと共に記念列車が滑らかに走り出す。


 こだま号の発車はもはや戦後でなく新世界である日本の出発に重なった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る