Q9.その人のことが好きだったんですか?

「ヒグマの死骸は……」

「駄目だ。木っ端微塵になってる」


 灯里が乗り移っていた方も、追いかけてきていた方も、タンク車の爆発に巻き込まれ動かせるような状態ではなかった。


「逃げるのは……」

「無理だな」


 自衛隊もヒグマのゾンビに一斉に攻撃するために、開けた場所に呼び込んだのだろう。攻撃には向いているが、防衛には向いていなかった。死体をけしかけても横をすり抜け捕まる位置関係だ。


「瀬名。多分、全員が死んだという事は無いはずだ。なんとか自衛隊の生き残りを探して、保護を求めてくれ」

「……え?」


 突然悠長な話を始める周防に、灯里は疑問の声をあげる。生き残りを探すも何も、目の前のゾンビがそんなことを許してくれるはずがない。


「四頭目がいないといいんだが」


 そんなことを呟きながら、周防はヒグマに向かって歩いていく。そしてまるで差し出すかのように、左腕をヒグマに向かって掲げた。


「正──」

「来るな」


 反射的に駆け寄ろうとする灯里を一瞥し、周防は短く命令する。途端、灯里の脚は地面に張り付いたかのように動かなくなった。

 そして次の瞬間、差し出した腕がヒグマの口にばくんと咥えられ、ぶちりと嫌な音を立てて噛みちぎられた。


「正人っ!」

「近寄るな。大人しく見ていろ」


 脚が動かないなら腕で這ってでも向かおうとするが、周防が言葉を発する度に灯里の身体は動かなくなる。


「美味いか」


 周防の腕をごくりと咀嚼し、己の両腕を振り上げるヒグマに向かって、周防は落ち着いた様子で語りかけ。


「じゃあ返してもらう」


 失われたその腕から、無数の黒い帯のようなものが伸びて、ヒグマの全身を捉えた。


「もっとだ。そら、足掻け」


 帯から逃れるように暴れまわるヒグマの爪が周防の肌を引き裂き、腕を刎ね飛ばし、肉をえぐっていく。しかしその度に傷口からはしゅうしゅうと黒い煙が立ち込め、あっという間に修復されていく。それと反比例するかのように、ヒグマの毛がパサパサと抜け落ち、身体は萎え細くなっていく。


 周防が一方的にヒグマのゾンビを圧倒しているというのに、その光景はあまりにも不吉なものだった。何故そんな事ができるなら、最初からしなかったのか。


「……瀬名」


 その答えは、まるで干物のようにカサカサに乾き、動かなくなったヒグマを放り投げ、振り向く周防。その、炎のように真っ赤に輝く瞳が物語っているかのようだった。


「世話をかけるが、後は頼む」

「どういう、ことよ」


 先程までピクリとも動かせなかった手足が動くようになっていることに、灯里は気がついた。


「そうだな……銃がいい。そこのならまだ残っているはずだ」


 それどころか、今度は止めることが出来ない。腕と足は勝手に動いて、自衛隊員の死骸が抱くようにしていた小銃を手に取る。


「説明して!」

「奥の手を使った。今の僕はリッチと呼ばれる状態だ。生きている状態と、死んでいる状態の中間……というか、重ね合わせだな。死霊術師自身が自分をリビングデッドにすると、こうなる」


 灯里の脚が周防に近づき、彼に銃口を向ける。


「こうなると、周囲の生き物の魂を無作為に奪うようになる。これはどうしようもない。だが脳を破壊すれば殺せる。今はヒグマの命を吸って満腹だから、今すぐ殺せば君の魂は無事開放できる」

「どうして……」

「黙っていてすまない。魂を掌握している君の身体は、実は自由に言うことを聞かせられる。とは言えさっきまでその力は使ってないから、『変なこと』はしてないはずだ」

「そうじゃない!」


 灯里は全力で引き金を引こうとする指の力に抗いながら、叫んだ。


「どうして……どうして、ここまでするの? なんでわたしを助けようとするの!? わたし、あなたと話したことなんて一回もなかった。好きになってもらうような……ここまでしてもらうような事、した覚えがない!」


 周防は少しだけ困ったような表情をして答える。


「これは……別に、信じなくていいが」


 そして。


「セナ。前世で、君は僕の恋人だったんだ」


 照れてはにかむような、少し誇るような、幸せに満ちた笑みを見せて。


 パン、と。


 軽い銃声がそれを、真っ赤に塗りつぶした。


「正……人……?」


 彼の身体がどさりと倒れた瞬間、灯里の身体が自由を取り戻す。


「正人! 正人……! 嘘でしょ!?」


 倒れ伏しピクリとも動かない彼の身体から、黒い帯が立ち上りかける。しかしそれもすぐに萎びるように消えてしまった。脚が、腕が、灯里の身体中のあちこちが鈍く傷む。けれどそんなことを気にする余裕さえなく、灯里は周防の遺体に縋りついた。


 リビングデッドになったときも、父親を殺したときも流れなかった涙が、ぽろぽろと灯里の頬を伝い、周防の顔に落ちる。

 それは単に彼女の肉体が生と機能を取り戻した証であったが。


 ──けれどいつまでも、枯れることはなかった。

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