Q8.一体どうやって勝ったんですか?

「狭い所、階段のあるところに誘い込むんだ。少なくとも段差を登るのは君の方が上手い」

「わかったっ!」


 階段を一息に駆け上がる灯里の背にしがみつきながら、周防は後ろを追ってくるヒグマを振り返った。やはりあの巨体、しかもゾンビ化した脳では階段を登るのはなかなか難儀するらしい。しかしそれでも元々の速度自体が人の足とは段違いだ。


 周防は周囲の自衛官やゾンビの死骸を操りヒグマにまとわりつかせつつ、銃を手にしている死骸に引き金を引かせる。運良く打てる状態にあった銃の何丁かが発砲音を立て、ヒグマの身体がわずかに揺れた。


「全然効いてなくない!?」

「そもそもほとんど外れてる。僕だって銃なんか撃ったことはないんだ。ましてや死体を操って当てるなんて神業できるわけないだろう。牽制程度に考えてくれ」


 複数の死骸を操るというのは高等技術だ。手を使わずに操り人形を動かすようなもので、繊細な動きは殆どできない。それも一体、二体ならまだしも、十数体に渡って別々に動かすというのは異常とさえ言っていい。だが残念なことに、その難易度を理解してくれる人間はこの世界にはいなかった。


「それで、時間を稼ぎながら駐屯地を逃げ回って、どうするんだ?」

「それなんだけど、戦車とか、無いかなって!」

「この駐屯地に戦車はない。機甲科が存在しないからだ。そもそも存在していたとして、素人の僕たちに戦車を操作して砲を命中させることができるとは思えないが。他には?」


 周防が尋ねると、灯里は押し黙った。


「……瀬名。君、まさか」

「うるさいなあ! わたしにそんな簡単に上手い作戦なんて思いつくわけ無いでしょ!?」


 彼女の言葉に、周防はそれもそうかと納得する。それまで普通に暮らしていた女子高生に、自衛隊ですら刃が立たなかった相手を倒す方法を即席で考えろというのも無茶な話だ。


「そうだな」

「喧嘩売ってる?」


 素直に首肯すると、なぜか怒られた。しかし発想そのものは悪くない。


「いいや。だが、一つ思いついた。探してほしいものがある」

「何?」

「戦車よりもいい武器だ」




「おそらくだが、このゾンビ騒動は誰か人間が悪意を持って起こしたものだと思う」


 ヒグマのゾンビから逃げ回りつつ、目当てのものを探し回る灯里に周防はそう告げた。


「一体どこのどいつよ、そんなことしでかしたのは」

「さあ。誰かも何が目的かもわからない。単に人間に滅んでほしかっただけかも知れないし、僕のような転生者が他にいたり、宇宙人だったりしても驚きはしないね」

「……とにかく、つまりそいつを倒せばいいってこと!?」

「いや。そうした所でここまで感染が広がってたらどうにもならないだろう。あるいはとっくに死んでる可能性だってある。それにこの付近にいる可能性は限りなくゼロに近い」

「じゃあ、そんなの今の事態に何の関係もないじゃない」


 目の前のヒグマを倒すのには全く役に立たない情報だった。


「そうでもない。重要なのは、そいつは相当念入りかつ周到に準備を進めていたってことだ。そうでなければこんな突然世界中がゾンビで溢れるわけがないし……ゾンビに対抗しうる戦力を持った場所に、偶然ヒグマのゾンビなんかが現れるわけがない」

「ねえ、余計に悪い情報なんじゃないの、それ」


 素朴な灯里の指摘に、周防は頷く。


「しかし今の僕たちに限って言えば朗報でもある。いくら一緒にゾンビの群れが押し寄せたからって、ヒグマ一頭に自衛隊が壊滅するとは考えにくい。つまり……」


 話しながらも、周防は『そっちだ』と行き先を指示する。同時に灯里も、ツンと鼻につくような獣臭を感じた。


「ヒグマのゾンビは一体じゃない、ってことだ」


 そこには、地面に横たわり動かなくなったヒグマの死体と、その数倍の自衛官の死体が広がっていた。


「あの死体を操って戦わせるってことね?」

「ああ。だが操るのは僕じゃない」


 周防の言葉とともに、灯里の視界が明滅する。するりと全身から力が抜けるような感覚とともに視界が真っ暗に染まり──


「君だ」


 次に瞳が光を取り戻したとき、眼前には灯里を抱えた周防の姿があった。


「グオォ──!!」


 なにこれ、と声を上げようとしたが、口から漏れ出るのはくぐもった唸り声。


「君の意識をヒグマの死体に移し替えた。君の本体……魂は僕の中にあるんだから、操る肉体は必ずしも君自身のものである必要はない」

「グアっ!」


 そんなことよりわたしの身体、変な所触らないでよ! と、通じないのはわかっていながら灯里は吠える。


「変な所とは?」


 だがバッチリと通じていた。いや、言葉は通じているが意図は通じていない。正直横抱きにされている時点でかなり危ういところまで触られてしまっているのだが……


「来たぞ」


 その辺りを議論している暇はなさそうだった。追いかけてきたヒグマのゾンビと正対し、自分の身体と周防を背に庇う。同じヒグマ同士の戦いであれば、能力が倍になっているこちらの方が圧倒的に有利なはずだ。


 そんな目論見は、思いっきり突っ込んできたヒグマに跳ね飛ばされて一瞬で吹き飛んだ。


「グオゥッ!」

「いや、かかっている。だが身体強化は肉体の能力を倍にする力じゃない。ヒト一人分……より正確には、僕自身の能力を君の肉体に乗せる術だ」


 つまり、ヒグマの身体に強化してもそこまで大差はない、ということか。齧りついてくるヒグマを渾身の力で押し留めつつ、灯里は理解する。しかしそれにしたって、力が全く入らないのはどうしたことか。人間一人分とは言え強化はされているのだから、ここまで一方的に押されるのはおかしい。


「その肉体はもう死んでいる。言い換えれば、死に至るほどのダメージを受けている。筋肉がボロボロで出力が出ないんだ」

「グオォォッ!」


 駄目じゃないの! と灯里は叫んだ。


「いいや……」


 周囲に倒れ伏した自衛官の身体がムクリと起き上がり、灯里もろとも銃弾を打ち込む。


「それだけ時間を稼いでくれれば、十分だ」


 そしてそこに、たっぷりと燃料を積み込んだタンク車が突っ込んだ。


「し……」


 盛大な爆発音を立てながら炎上するタンク車と、それに巻き込まれた二頭のヒグマを眺めつつ、灯里は叫んだ。


「死ぬかと思った……!」

「もう死んでいる」


 律儀に余計なことを言ってくる周防の頭を、軽くぽこんと叩く。


「うるさい。早くおろしなさいよ」

「どこを触っていいのかわからないから、下ろすことが出来ない」

「べ……別に、ちょっとくらいなら……」


 灯里がうっかりと胡乱なことを口走ろうとしたその時、彼女の身体は乱暴に地面に落とされた。


「痛っ! なにするのよ!」

「……参ったな」


 痛覚は切っているので痛みはなかったものの、ついそう口走って灯里は文句をつける。

 だが周防はそれに取り合わず、燃えるヒグマたちの更に向こう側を見つめた。


「まさか三頭目がいるとは」


 燃え盛る炎を警戒した様子もなくのそりと歩を進める三頭目。

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