Q4.魂とはなんですか?

「…………瀬名」


 自らの父親を手にかけた後、祈るように項垂れながらぴくりともしなくなった灯里に、さんざん迷った末に周防は声をかけた。


「僕は死霊術師だ。死人を生き返すことは出来ないし、ゾンビに感染した人を治してやることも出来ない。……だが、そこにある魂を、人にも見えるようにすることはできる」

「……どういうこと?」

「つまり簡単に説明すれば……ご両親の幽霊と」

「お願い!」


 周防が皆まで言う前に、灯里は彼の手を握りしめ、必死な表情で見つめる。


「場合によっては後悔することになるかもしれない。それでもか?」

「それでも……どんな形でもいい。もう一度だけ、会いたい」


 周防はしばしの逡巡の後、灯里の両親の死体に向き直って手をかざした。そして、彼にだけ見える霊魂に指先で触れる。


「……お父さん、お母さん……!」


 そして、可視化された霊魂に抱きつこうとする灯里を押し留めた。


「触れることはできない。見えているだけだ」


 彼女にそう告げ、次の作業に移る。視覚の次は聴覚だ。


『ああ……ごめんなさい、逃げて……いや、怖い、死にたくない……でも、殺したくない……! ゾンビになんてなりたくない、お父さん、灯里……お願い』

『葵、ごめん……葵を、妻を、殺してしまった。ああ、俺も死なないと。死ぬ時間がない。方法がない。首を吊る場所も時間もない。お願いだ灯里、どこかに避難していてくれ、帰ってこないでくれ……どうか』


 錯乱した声と、後悔が滲んだ声。母親と父親の言葉と声が錯綜し──けれど。


『無事でいて……』


 最期のその願いだけは、ぴったりと重なった。


「わたしは……わたしは、無事だよ!」

「無駄だ。幽霊には……死者には、生者の声は聞こえない。なぜなら、彼らにはもはや肉体が存在しないからだ」


 灯里も死者ではある。しかし彼女は『生ける屍』であり、死してなお自らの肉体を維持しているという特殊なケースだ。生きていると同時に死んでいる。


「耳がないから音を聞くことはできない。口がないから言葉を発することができない。肉体がないからその姿を見ることはできない。この姿は、声は、僕の魔術で肩代わりしているだけだ」


 脳もないから思考することもない。彼らが口にしているのは、死ぬ前……ゾンビになる前に残った思考の切れ端。残留思念とでも言うべきものだ。


「そんな……」


 だが周防の前世では、それを受け入れられるものは少なかった。目の前で確かに動き、喋り、存在しているかのように見えるものが、既に終わったものであると思える人間は少ないのだ。


「どうにか……どうにか、ならないの? せめて……この姿を留めておくとか」


 灯里が乞うたのは、前世で死者の姿を見せられた遺族とまったく同じものだった。


「無理だ」


 故に彼は、出来得る限り無慈悲にそう断じる。遺族がほんの少しの希望も抱いてしまわないように。叶わない願いを見てしまわないように。


「死体の方だけを人形みたいに動かすことならできるが」


 酷薄で邪悪な死霊術師を、恨んで憎んで、少しでも悲しみを紛らわせられるように。


「そんなこと……ッ!」


 案の定、灯里は怒りの表情で周防を睨みつける。嫌というほど味わってきた、見慣れた視線。

 だがそれは、何故か唐突に霧散した。


「……なんで」

「どうした?」

「なんで、あんたがそんな顔してるのよ……」

「顔?」


 周防は自分の顔に触れる。表情はいつもと変わらないはずだ。灯里のように、感情をわかりやすく表に出すような真似はしていない。彼は、死霊術師なのだから。


「……もしかして、さ」


 少し悩むような沈黙の後、ぽつりと灯里は尋ねる。


「こうなってるって事、わかってた?」

「可能性は高いと思っていた」


 映画やゲームだとゾンビは人を食うイメージがあるが、実際にそんなところを目にしたことがないし、ここまでの道中食べ残しのようなものも見当たらなかった。

 綺麗すぎるのだ。

 人をゾンビ化させている菌だかウイルスだかにとって、感染とはつまり繁殖だ。だから人を襲って噛みつかせる。しかし死ぬまで攻撃することはない。死体は発症も感染もしないからだ。


「じゃあ、どうせ死んでるっていうのは嘘だったんだ」

「……ああ」


 厳密には嘘ではない。感染している以上、人としての人格は失われてしまうのだから、周防にとってそれは死と大差なかった。だが、灯里に今のような思いをさせないための方便であったのは確かだ。


「ばか」


 灯里は深くため息をつくと、周防の額を指でぴんと弾いた。


「周防くんは後悔するって言ってたけど……わたしはしてないよ。お父さんの最後を見れて、最後の声を聞けて、良かったと思う。だから……」


 まだ気持ちの整理がついたわけではないのだろう。


「ありがと」


 それでもぎこちなく笑顔を作り、灯里はそういった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る