最終話 三千年生きてきて良かった

 螺旋階段が終わり、扉を開けると真っ暗な空間だった。


 微生物の階層も暗かったが、ここはもっと暗く、音もせず匂いもない。

 アンドロイドがすぐ隣にいる事しか分からない。ぎゅっと細胞壁の盾を握りしめた。


 急にサイレンが鳴り響く。低音から這いのぼるように高音に変わる気持ち悪い音が繰り返し流れて、アンドロイドに支えて貰って初めて震えていると気付いた。


 ばちっと階層に照明が点く。人工太陽ではなくライトだ。


 ここの守護者が現れた。女性型だが長い髪は結ばれておらず、ぼさぼさで胸や背に流れている。服もいつから着替えていないのか分からない汚れようだ。


 長く艶の無い前髪の奥の目がアンドロイドに似ている。信じたくないが顔立ちまで似ている。それに気付いたようでアンドロイドも警戒を強めている。


 守護者が何かを喋ろうとした途端、ブザーのようなうるさい音が響いた。守護者の口が一切動かないのにエラーです、エラーです、と声がする。


 気味が悪いが、おそらくこれと話す事はできないから通り過ぎるしかない。ここを乗り越えれば外に出られるのだから逃げるように走ろうかと考えたが、守護者が急に歩き出してこちらに来た。

 私を庇うように立ち塞がってくれたアンドロイドはホルスターの銃を握る。


「死にたくなければお前のリボンをよこせ」


急にまともに話した守護者の声はやはりアンドロイドにそっくりだった。


「ふざけるな。やるわけないだろ」


 すると守護者が手をあげた。

 その拍子にぱりっとガラスが割れるような音がした。音は背後の上の方からした。

 振り向くと壁に張り巡らされているガラスの一部が割れたようだ。それ以外に異常は見当たらない。


 急に激しい吐き気に襲われ、私は蹲った。ここまでの痛みは生まれて初めてだ。


「リリー? どうしたんだ!」


床に崩れる私を抱きしめる優しいアンドロイドに、守護者が気味悪く見下してくる。


「ここはウイルスがたくさんいる。ドームにいたそいつに一切の抵抗力はない」


アンドロイドは守護者を睨まず、懇願する。


「頼む。リリーを助けてくれ」


「お前のリボンをよこせ」


金のリボンはアンドロイドのプログラムのバックアップだ。渡してはいけないのに。


 アンドロイドはあっさり髪を解いてリボンを渡した。金のリボンに魚の守護者に付けられた青いパッチも一緒にくっついて取れた。


 それを受け取った守護者はすぐに自分の髪に巻き付けた。アンドロイドは綺麗にリボンになるよう結んでいたのに守護者は醜くかた結びにした。


「リリーを助けろ!」


「そいつの体しかそいつを助けられないよ! 諦めな!」


 ウイルスとは本で読んだことがある。生物ではない。生物の細胞内に入って初めて増殖する事が出来る。つまり私の細胞内で増える。どうにかしてウイルスを殺せないだろうか。


 倒れた拍子に転がった細胞壁の盾を見て、やはり彼が言った通りここは危ない所だったのだと思い知る。だけど負けたくない。こんな奴に殺されたくない。どうにかして立ち上がりたくて細胞壁の盾を支えにした。


 ぼろっと細胞壁の盾が崩れて跡形もなく消え去った。びっくりしてよろけたが、私の吐き気までなくなっている。


 ウイルスの守護者が恨めしそうに舌打ちした。


「あいつめ!」


ウイルスの守護者は地団太を踏むほど悔しがっている。細胞内でウイルスが増えるのなら、盾の細胞がウイルスをおびき寄せて細胞ごと壊したのだろうか? 細胞にそのような事ができるかは分からないが、彼にならできるのかもしれない。


「まあいいや! 直接殺せばいいんだ!」


ウイルスの守護者がアンドロイドに向けて光線銃を撃つ。拳銃より速い光にアンドロイドは防戦一方で逃げ回る。


 守護者がアンドロイドに集中している隙を狙って私が撃とうとしても、すぐに気づかれる。壁のウイルスケースを破壊されれば私が危ない。光線銃は速すぎる。


 守護者がウイルスケースに銃を向ける。死にたくないし負けたくないが、先が見えない。


 銃から発射された光が駆け抜けたが、力強い何かに阻まれ、ケースは破壊されなかった。


「助けに来た!」


森の階層の守護者だ。植物の蔓を茨に変えている。茨で光線銃を防いでくれたのだ。


「俺もいるぞ」


微生物の守護者もいる。細胞をぱっとちぎっていくつもの防壁を作る。


 二人とも優しくしてくれたけど、まさか塔を下りてきてくれるなんて思っていなかった。私とアンドロイドを助けに来てくれるなんて。役目を無視してまで……。


 ウイルスの守護者が歯ぎしりする。


「お前らまで! 何故だ!」


暴れて乱射する光線を茨が防ぎ、漏れだすウイルスを細胞内に取り込んで細胞ごと壊す。


 その間私とアンドロイドはずっとウイルスの守護者を狙い、何度も撃ったが当たらない。三百年前の銃だから弾は無限にあるが、一発二発当てたところであれを破壊できない。


 茨の一本が千切れて地に落ちた。ウイルスのケースは半分ほど破壊された。植物の守護者は何本も茨を作り直しているが、これ以上再生できるだろうか。微生物の守護者も分裂の速度が落ちてきた。


 だがウイルスの守護者はちっとも動きを止めず、むしろ足がより速く、乱射もより多くなっている。


 私達は前方だけを守ればいいように螺旋階段の近くで身を寄せ合い、茨の盾の影で膠着している。


 アンドロイドが私を軽く抱きしめ、幼い頃以来に頭を撫でた。


「どうしたの?」


「大丈夫。リリーは元気でな」


まるでアンドロイドが死んでしまうような言葉だ。


「リボンを取り戻す」


アンドロイドにどうしてそんなこというのと聞きたいが、彼女は二人の守護者を向いて私に背を向けてしまった。


「どういうこと?」


「おそらく、あいつは私のプログラムを得た。私だってあのパッチをプロテクトしてたけど、完全には防げなかったみたいだ。そしてあいつは私のプログラムを書き換えて動いている」


アンドロイドが何を言おうとしているのか、分からないのに漠然と怖い。


「あいつが書き換えた私のプログラムを再び私が取り込む。少なくともあいつと同じくらい動けるようになる」


私以上に二人はその意味を理解していた。


「そんなことをしたらあなたは」


それ以上を言わず、植物の守護者は黙ってしまった。


 三人が私を見た。それでもう、どういう事か分かってしまった。


「アンドロイドは死んじゃうの?」


アンドロイドは何も言わない。


「死んで欲しくない」


「リリーが生きられるならいいんだ」


「そうじゃないの」


アンドロイドは私の無事だけを祈ってくれていた。

 私は彼女に何も伝えることができなかった。怖かったのだ。こんな事を言ってもいいか分からなかった。だけどもう、全てを言うしかないのだ。


「私が死んだ後にアンドロイドが誰かと一緒にいられたらいいなって、ずっと思っていたの」


その願いがもう叶わないどころか、この願いこそがアンドロイドを殺す事になってしまったのだ。

 私のせいだ。

 泣くのをこらえたかったけど駄目で、こんなところで肩が震える程に涙が出る。


 アンドロイドは何も言わず、私を抱きしめたままだった。アンドロイドの頬に涙の跡があった。


 アンドロイドの銃で残りのウイルスケースをわざと破壊し、それを細胞に取り込んで破壊する。


 今までと違う行動にウイルスの守護者は戸惑ったがすぐに攻撃してくる。細胞壁の壁の中に隠していた茨でリボンを絡めとる。ウイルスの守護者はその意図に気づいたようだが、笑うだけだった。どうせ無理だと思っているようだった。


 最後に振り返り、微笑んで、アンドロイドは私に背を向けた。左右対称に結ばれたリボンが照明を反射して輝く。


 ウイルスの守護者のように速く走り、アンドロイドは守護者に拮抗する。ウイルスの守護者が光線銃を撃つ、その一瞬前にアンドロイドが銃を連射した。全ての動きが、アンドロイドの方が一瞬速かった。


 ウイルスの守護者が倒れ、アンドロイドが表情無くそれにとどめを刺して破壊した。


 再び轟音のアラームが聞こえたが、それは塔内ではなく外の大地から聞こえてきた。


 これを青人類が聞いているのか。


「リリー」


アンドロイドは右脚が崩れてしまい、左腕も落ちた。


「ごめんなさい」


「リリーと会えて良かった」


右手が私の頬を撫で、そして崩れた。


「三千年生きてきて良かった」


がしゃっと落ちて床に崩れたアンドロイドはまるで作り物になってしまった。抱き上げてももう駄目みたいだ。


 外の大地から未知の生物の声がした。


「帰ろう」


植物の守護者も微生物の守護者も私を受け入れてくれる。


 だけど私は二人に手を振って別れた。


 大地に出た感想は『乾いた土ばかり』という大した事ないものだった。

 だが本物の風が砂を巻き上げ私の髪も撫でた。

 武器を持たない青人類の私に向ける瞳の意図は。

 大地を踏んで彼らに歩む。

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生物の塔を下りて行く 左原伊純 @sahara-izumi

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