第8話 微生物の守護者

 第二階層は暗い。


 ここに仕舞われた生物とは何だろう。頂上が人間、その下が哺乳類、鳥類、爬虫類、虫類、魚類、植物。なんとなく、下りる程に原始的な生物になるみたいだ。知能がある程上を与えられたのには何か意図があるのだろうか。


 いつの間にか、音もなく目の前に何かがいた。息を飲む私の肩にアンドロイドの手が置かれる。目の前の何かがぱっと発光して私たちに姿を現した。


 男性型で、頭は人間に近いが肘から先が透明だ。


 よく見ると完全な透明ではなく細胞の壁などが見える。膝から下も同様だが、足は何股にも分かれてはくっつきを繰り返している不定形だ。


 人の頭を持ちながら体の末端がぐにぐに蠢く細胞そのものという不気味な姿だが、それは案外穏やかだった。


「いらっしゃい。よく来たね」


森の守護者と同様に友好的だが、謙虚で思慮深かった彼女とはまた違う。彼は気さくににこりと笑うと異形の手足の形を変えて、人間の手足の形を模した透明な細胞にした。


「どうだい。あんたに似ているか?」


「うん。形はね」


「形だけさ」


くすりと笑うと、彼はすたすたと歩き出し、こちらを振り返っておいでと促す。そして二階層全体の照明を点けた。他の階層と比べるとまだ薄暗いが、問題なく散策できる明るさになった。


「人間が絶滅したのかい?」


「正確には私が最期だよ」


「そうかい」


彼が指さす先に、長椅子があった。三人で座っても余裕があるサイズだ。


「俺は普段は常に眠っているのさ。やる事がないからね」


三人とも座ると男はアンドロイドを見て、にやりとした。


「相変わらずお美しい」


「変わらないからな」


美しいと褒めているが、どこかからかうようでもある。からかいだとアンドロイドも思っているようで、適当にあしらった。


「その服はなんだ?」


アンドロイドは知能を持つ守護者達に三千年の人類の文化を舐められないようにするためにジャケットにデザイン性を持たせて刺繍までした。ついに服に言及されてアンドロイドはどこか得意そうだ。


「機能性はもちろん、文化的な要素も取り入れたんだよ」


「お揃いかい?」


彼がデザインをきちんと見ているかどうか怪しい。お揃いという事しか見ていないかもしれない。


「わざわざ同じ服を作ったなんて、きみたちは面白いね」


馬鹿にしているのか、素直に言っているのか極めて曖昧なラインを滑る声。


 彼の真意を図れないうちに、彼が指さす先の照明が明るさを増した。


 ひ、とつい息をのんだ。


 透明な板の向こうに、這いまわる小さな生物がたくさんある。目や口どころか体を構成するものが一切なくたった一つの細胞だけである。


「こいつらは微生物だ。この階層はそれらがしまわれている」


これらがどこを見ているのか、見えているのか、分からない。


「こいつらは全て同じだぜ? わざわざ同じを作り出す必要は無い。命そのものの姿さ」


彼は私達を馬鹿にしているのではなく、微生物を愛しているみたいだった。


「あんたたちはここを出ていくのか?」


ふいにまっすぐなまなざしを向けた守護者に私達は迷いなく頷いた。その姿に彼は何も言わずにいたが、再び微生物を指した。


「こいつらは分裂と成長を繰り返す。一部が死ぬ事はあるが全て繋がっているから、永遠の命と言えるかもしれない」


「永遠ってことは、青人類が滅びた後もこの生き物が生きているって事かな」


「おそらくそうだろうな」


私が滅んだ後も、青人類が滅んだ後も。私が死んだ後にアンドロイドを独りにしたくないという旅の本来の目的は、ひょっとしたらここでも果たせるのだろうか。


「あなたは永遠を生きるの?」


驚く事に彼は頷いた。そして彼はアンドロイドに興味を持ったようだった。


「人類の守護者のあんたは食べなければならない?」


「いや、必須ではない」


「眠らなければならない?」


「必須ではない」


「じゃああんたも永遠に生きるのか?」


「分からない」


アンドロイドは少し顔を背けた。


「生まれた時と今では私のプログラムは大きく違っている。人間に書き換えられた時もあったけどほとんど自分で書き換えた。どれほど生きるかは分からない」


アンドロイドは少し俯き加減だったがふっと笑ったように見えた。


「でもリリーを最期まで見守る事はできる。だから何の問題もない」


微生物の守護者に言い切るとアンドロイドは晴れた笑顔で私の手を握った。


「ずっと一緒だから」


本当は私の心は晴れないがそれを知られたくないから笑顔を取り繕った。


 私が死んだ後にアンドロイドに独りになって欲しくないと言ってもいいのか迷っている。


 ふと、守護者から視線を感じて気のせいかと思ったが、振り向いてみるとやはり彼が私を見ている。


「なあ」


私を見ていたかと思えば彼はまたアンドロイドに声をかける。


「あんた、ここで暮らさないか」


びっくりした私に守護者が気を利かせたような笑顔を見せる。私が思っている事が分かったらしい。アンドロイドの方はいきなり何を、ともの凄く驚いて声を失っている。


「人間に求愛された事はないのか?」


「ある……けど……」


「え? 初めて聞いたんだけど! 教えてよ!」


「うるさいうるさい、もう」


アンドロイドがソファから立ち上がって微生物の住む器の方へ逃げて行ってしまった。その隙に守護者が私に秘密を話すからと言ってこそっと身を寄せた。


「青人類もいずれは絶滅するぞ」


「どうして知ってるの?」


「彼らに作られた時からそう分かっていた。もともと命に限りがある生物で、しかもそれほど強くない」


「アンドロイドはあまり青人類の事を知らないみたいだったけど、あなたは知ってるの?」


「当たり前だが塔は下から作る。守護者も下の配置の物から作られた。人類の守護者である彼女は最後に作られた上に、すぐにほぼ完成した塔に入れられたから物を知らないだろう」


彼は何かを迷ったようだった。


「きみも彼女もここで暮らしてもいい。どうせ食料生成機も持ってきているんだろ? 俺は知的生命体ではないから塔から出たい気持ちを理解してやれない。でも、塔を下りたい気持ちが分からないから言っているのではない。ここで暮らす事を検討した方がいい」


彼の声に少し暗さが混じる事に不安を感じさせられる。


「きみがいなくなった後も人類の守護者と共にきみの事を話す。人類の守護者が機能停止するまで付き合う。どうせ俺は永遠に眠っているからそのくらいできる」


「どうしてそこまで?」


「一階層の事は俺も知らないが、一体何が眠っていると思う? 俺達が命の原点だというのに、さらにその下にあるものは何か?」


「正直に言うと分からない」


「そうだろう?」


「でも……」


「それでも行くのか?」


すぐに頷けなかったが、後ろから早足で駆けてきたアンドロイドが私の背をぽんと押した。


「今更何を迷っているんだ。行くって言ったのはリリーだろ」


そうだけど、と言いかけたが言葉に詰まった。


 私の様子を見て守護者が励ますように笑ったかと思うと左腕の細胞をぱっと変化させ、まるで花のような形にした。


 なんだこれ、というように眉をひそめたアンドロイドに花を渡した。ぱちっと細胞が途切れたから綺麗な花の形が残った。


「ここに残りなよ。人間で言うところの婚姻の関係の模倣を」


「嫌です」


振るのは分かっていたけど本当に容赦ない。


 花を返すとぱっと消えて守護者の腕に混ざって戻った。守護者は気にしていないようで笑っている。


「仕方ない。でも、これを持って行くといい」


 守護者が再び形を変えて、盾のような板状の物を二つ作って、私達に一つずつくれた。上半身を覆うことができる大きさだ。


「あんた達の事を永遠に覚えているよ」


手を振って私達は微生物の階層を出た。


 螺旋階段を下りながらよくわからない板状の盾が何なのか二人で話した。


「何かから身を守るんだろうけど、何から?」

脆くはないが細胞でできた物なのでそこまで強そうでもない。いくつもの細胞壁が綺麗に並んでいる。


「何だろうな。でも、あいつも私と同様にそれなりにプログラムを変えたみたいだな。分裂を利用して何かを作るなんて」


「永遠の命はやっぱり退屈なのかなあ?」


「どうだろう。あいつは割と平気そうだったよな」


「そうだよね。ねえ、自分で自由にプログラムを変えてきたんでしょ? 普通の人工知能にはできないの?」


「私達は『俯瞰型人工知能』だから、普通の人工知能よりも自分のプログラムを自分で見渡して過不足が無いか判断する力に長けてる……らしい」


「なんで急に弱気になったの?」


自信満々に語ると思いきや、急にしおらしくなるのが面白くて笑ってしまった。


「だって、他の人工知能の事をよく知らないからさ」


「確かに。そっか」


知らない事ばかりだねと二人で笑う。


「青人類ってどんな感じなんだろうね。いい人達なのか正直不安だけどさ」


「いい人達ではないだろうけど、当時の奴らはいないからな。子孫同士、穏やかに話し合えればいいんだけどな」


少し俯いた拍子にぼろぼろになった靴を見た。脚の疲れも何もかも無視してきたが、青人類に会ったら色々な物を見たい。


「大丈夫。リリーの事は私が守るから」


私の手を握るアンドロイドはいつも優しい。頼りになる。ぎゅっと握り返して私達はずっと一緒だと頷いた。

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