第7話 森と、植物のアンドロイド

 螺旋階段を下りて、第三階層の扉を開けると、むせかえるような甘い香り。甘いがその奥に苦みと酸味がある。総合して考えればいい香りかもしれない。


 たくさんの木が見える。熊がいた階層の森よりもさらに広大で綺麗だ。


 私とアンドロイドは第三階層の扉を完全に閉じると、さらに階段を下りる。


 靴が土を踏む。柔らかい土は歩く度に靴を汚す。足元には土に這うような蔓と苔がある。土の匂いにも葉の匂いにも、水の匂いが含まれている気がする。


 木々のてっぺんの枝葉の隙間から冠のように光が差し込むが、それでも薄暗い森だ。


「客か。懐かしい」


遠くからだが、澄んだ声が耳に届く。


 第三階層の守護者だ。上半身は人間の女性に近いが肌が緑色に近い。下半身は何本もの蔓になっている。肘から下は枝で、たくさんの葉がある。


「久しぶりだな」


アンドロイドの挨拶に、彼女はにこやかに目を細めた。


「人間が絶滅したらしいな。この子が最期の子か?」


「ああ。そうだ」


「最期の個体だから自由を求めて下りてきたの」


「それは賢明かもしれないな」


この守護者は塔を下りる事に寛容みたいだ。今まで出会った彼らと違う。


「第二階層に下りたいの。道を開けてくれる?」


この守護者ならきっと分かってくれると思った私は少し焦り気味にお願いした。それでもいい返事をくれるだろうと思っていた。


 しかし守護者は首を傾げ、何かを考えた後に私たちを見た。


「下りるのは構わないが、その前に手伝ってくれないか?」


びっくりする私に守護者は穏やかな顔を向けた。


「大したことじゃない。木を切るのを手伝ってくれ」


手伝いを求められた事は驚きだがその内容は突飛な事ではない。


 アンドロイドにどうするか目線で問うと、大丈夫だろう、引き受けようと目線の返事が来た。


 頷いた私たちを守護者が案内した。


 木が生い茂り過ぎて森に光が入りにくくなっている。


「最大まで育ったこの木がいつまでもいれば次が育たない」


そう言って、守護者は彼女の腰から下の無数の蔓のうち、二本を伸ばして大木の幹に巻きつけた。


 ぐっと力を込めるとみしっと蔓が木を締め、傷を付ける。大木が軋む音を立てた。


 しばらくそのまま、私とアンドロイドはじっとそれを見ていた。邪魔をしないように呼吸さえ静かにしていた。


「やはり駄目か」


ふいに守護者の蔓が木から離れて彼女の体に戻った。大して困った顔はしていないがそれでも何か、問題があるみたいだ。


「どういうことか教えてくれないか?」


アンドロイドが植物の守護者に問うと、彼女は一本の蔓を伸ばして頭上の枝葉をどかしてその先を指さした。


「あれは二酸化炭素の通路だ」


ただの換気扇のような見た目だ。


「この木があと数年育てばあれにぶつかって破壊してしまうだろう」


「あなたはここの守護者なのに、どうしてあの木を止められないんだ?」


「私は三千年で経年劣化したが、森は変わらないからだ」


植物の守護者は再び蔓を動かし、反対方向の換気扇を指した。


「各階層で呼吸により発生した二酸化炭素は全てここに集められてきた」


私はそれこそ息を飲んだ。全く知らなかった。


「ドームの二酸化炭素も?」


「そうだ」


アンドロイドが珍しく目を丸くした。


「ドームに植物があったんだが、ここの森からドームまで空調の中を種子が飛んでいく事は可能か?」


森の守護者も少しだけ驚いた顔をした。


「可能だと思う。でも、驚いたな」


三人で森を見上げた。


「森の成長は私の力を超えていた。今までは何とか森を維持してきたが、体にガタが出始めていてね」


植物の守護者が私達に茶色く変色した三本の蔓を見せた。


「私も光合成ができるが、森には叶わずに、いつもぎりぎりのところだった」


守護者の笑みは謙虚で、彼女は自身より森を上だと思っているのが伝わってくる。

 今まで出会った彼らとは明らかに違う。


「あれを切れば、森の寿命は伸びそうか? そしてあなたの寿命も」


いつになくアンドロイドは優しい顔をしている。植物の守護者に素直に協力したいと思っているのだろう。私も同じ気持ちだ。


「ああ。少しだけど、伸びるよ」


私とアンドロイドは目を合わせ、頷き合った。


 私達は植物の守護者の案内で小屋に来た。そこにチェーンソーと薬剤がある。


「危ない道具だから十分に気を付けて」


私だってチェーンソーを使えると言ったのに心配性なアンドロイドはチェーンソーを譲ってくれない。

 仕方ないから私は薬剤係となった。私が薬剤を撒いて大木を弱らせ、二人のアンドロイドが一斉に蔓とチェーンソーで切る。


「行くぞ」


なんとなく生まれた三人の連帯感に心地よさを感じつつ、作業の始まりだ。しっかりやらねば。


「他のにかけないように気を付けて」


「分かってるって!」


白くてさらさらした薬剤を大木にだけかける。私は手袋にマスクにゴーグルというしっかりした装備なので大丈夫だ。

さらりとかけた時はなんともないが、一時間くらい経つと粉をかけた部分だけが変色する。かなり強い薬剤みたいだ。


 すかさず、植物の守護者がぎしぎしと大木を締め上げると、僅かに幹が削れた。そこをとらえてアンドロイドがチェーンソーのスイッチを入れる。


 チェーンソーが怖い音を立てて幹から跳ね返り、アンドロイドの防具にぶつかった。


「ちょっと!」


彼女が怪我をしたらどうしようと、血の気が引いた私と違い、アンドロイドは落ち着いてスイッチを切り、事なきを得た。植物の守護者が呆れた顔をする。


「キックバックに気を付けてって言っただろ」


「次は大丈夫さ」


アンドロイド同士の会話とは思えない人間らしさである。


 次は見事に決めたアンドロイドのおかげで、大木に大きな亀裂が入った。そこにまた、薬剤を振りかける。薬剤をかけては削り、そしてまた薬剤をかける。

 その流れを繰り返して大木の半分に切り込みを入れることができた。


 大木を切り始めてから一日経っていた。


「休憩しようか」


アンドロイド達に体の疲れはないだろうが、人間の私を気遣ってくれるのが嬉しい。

 重い防具を脱ぐと、森林と同じ色のような空気が身に染みる。


「空気がおいしいって、生まれて初めて思った」


私の言葉に植物の守護者が嬉しそうにした。


「生き物には分かるのだな」


感動したように彼女は輝く微笑みを見せた。


「アンドロイドには分からない?」


「ああ」


森を愛しているのに、森林の空気の感覚が分からないのは彼女がここ以外を知らないからなのか、それともアンドロイドだからなのか。

「私たちアンドロイドには分からないんだ」


私の考えを読み取ったみたいに植物の守護者が言った。


「お前が羨ましいよ。言葉を持つ生き物と一緒に暮らせたのだから」


 人間と暮らしたことは羨ましいことだろうか。私にはそうは思えない。


 素直な羨望にアンドロイドは穏やかな顔をする。


「確かに、嫌な事も多かったがいい事も多かった」


アンドロイドが人間全体を語る時はいつも憂鬱そうな顔をしていたから、他のアンドロイドにはそのように語るのかと驚いた。

私の驚いた顔に、アンドロイドが安心させるような笑みを浮かべた。


「最期のこの子はリリーって言うんだ」


植物の守護者が目を丸くする。


「百合の花から名付けたのか?」


「違う。『解放』という言葉からだ」


「え? そうだったの?」


初耳に大声を出した私にアンドロイドがこくりと小さく頷く。


「今まで言ってなかったじゃない」


「恥ずかしいから言わなかっただけだ」


「言ってくれてもよかったのに」


二人で言いあっていると、その姿に植物の守護者が笑っている。木々と、蔦と苔で覆われた土の緑の世界。そこに下半身が蔓でできている緑のアンドロイド。彼女は守護者でも支配者でもなく、ここの世界を構成する一つのようで美しい。


「さあ、続けようか」


私たちは作業を再開した。


 大木の幹に完全に亀裂が入ると二人のアンドロイドが私を抱えて避難する。轟音を立てて緑の森に茶色の幹が転がる。周辺の細い木と蔦も巻き添えになった。広大な森にぽっかりと空洞ができたみたいだ。


「これで日光が入るようになった」


薄暗い森に刺すような眩しい光が入ると、神秘よりも命の輝きを感じさせる森になった。


「小さい植物が育つようになり、森が生まれ変わる」


日に照らされた守護者の蔓も、心なしか色鮮やかになっている。彼女は人工太陽を愛しむように全身で浴びる。


「ありがとう。お前達の事を覚えておくよ」


蔓を長く伸ばして換気扇の裏側に這わせて守護者がスイッチを押すと、下への入口が開いた。


 蔓を手のように振って彼女は私達を見送った。階段を下りる度に森の匂いが遠ざかっていく。完全に森と離れる前に言いたくて、私はアンドロイドを振り返る。


「塔を下りる旅に出てよかったね」


「ああ。よかった」


二人共同じことを思っていた嬉しさを笑顔で共有して、私達は進む。

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