第24話 潜入

「チョコ、ヴィジョンの調子は?」


「悪くない」


 あの後、特訓が始まった。ルルはわざとゆっくりとしたモーションでいくつかの技を繰り出す。私はそれを精確に避ける。いくらヴィジョンが見えても身体が反応しなければ、当たるからだ。当たった場合は、こう避けろと指示が入る。


 それまで途切れ途切れだったヴィジョンも集中すれば、かなりコントロールして見えるようになった。皮肉にも、Tに感謝だ。危機感。それがヴィジョンの引き金だ。


 それまで漫然としかヴィジョンが見えていなかったのは危機感、つまり死ぬ可能性にリアリティがなかったからだ。でもルルに何度か切られて、そのスイッチのようなものがオン・オフできるようになった。


 ヴィジョンが見たいと思うのではなく、死んでたまるかと願うのだ。それも即座に。いつどこから刺されてもおかしくない。そう考え続けるのは、最初苦痛だったが次第に慣れていった。


 この感覚は昔、自殺願望があった時と似ている。私はいつ死んでもおかしくないという意識。昔と違うのは、そのリアリティだ。自殺願望はただ現世を離れたいという思い、今の思いは現世を離れたくないという思い。生き延びるためには死を意識しなければならない。


 それから銃の扱いも教わった。ここなら大丈夫だろうと言って、私を後ろから抱きかかえるように銃の持ち方を教えてくれた。ルルの匂いがする。それが嬉しかった。


「肩にはある程度力を入れろ! 脱臼するぞ」

 とすぐにどやされたけど。


「銃は剣と違って、まっすぐに飛んでくる。銃口から一直線だ。だから、我々吸血鬼はその初動で避けられる。狙うなら人間を狙え」


「はい!」

 と思わず答えてから怖くなった。これで人を狙って、撃ち殺す? いやいやいや。今までならそう思ってたかもしれないけど、ルルの醸し出す雰囲気に呑まれてしまったようだった。


 夕方になると私は汗だくだった。対してルルは汗ひとつかいていない。


「少し休め、日が沈んで、病院が閉まったら出発する。準備不足は否めないが、チョコが戦士として戦えるようになるためには何年も必要だからな」


 そう言われて、私はベッドに横になろうとすると、ルルがその服を脱げと言ってきた。


「汗をかいたまま寝るのはよくない」


 そう言われて、下着以外、全て脱がされてしまった。まだ生暖かく、汗でぐしゃぐしゃになって、私の体臭が染み付いた衣服をルルはなんでもないようにシンクに貯めてあった水にぶちこんで洗い始めた。


 私はほとんど裸にされたことと、自分の汗が染み付いたものを触れられることがとても恥ずかしいことのように思えたが、ルルは気に留める様子もない。濡らしたタオルをこちらに投げてよこし、身体を拭くようにと指示される。あまりこっちを見てほしくないなぁ……とは思ったけど、仕方ない。


 身体を拭き終えて毛布を身体に巻き付けて、ベッドに横になった。ルルは服を洗い終えると、クロウにどこかへ持って行かせた。それからルル自身も服を脱いで洗い始める。黒いシャツは高級なもののようで、袖や襟にフリルがついている。


 パンツは普通のジーンズのようだったが太ももの上には革でできたベルトのようなものが巻かれていて、そこにナイフが何本も刺さっている。それらをすべて外して洗う。


 ルルの場合はブラジャーをしていないので上半身は裸だ。思わず目を逸らそうとしたが、見てしまった。体格は子どものようであったが、その皮膚は年寄りのようで、筋肉は引き締まっていてモデルのようだとうっとりしてしまう。触ってみたいなぁ……と好奇心にも似た思いを含めた眼差しを向けていると、さっと睨み返され、


「あまりジロジロ見るな」

 と怒られた。


 ルルはポンチョだけは洗わず、それにくるまって私のとなりに寝る。


「時間になったらクロウが起こしてくれるから今は寝よう」

 と言って、私たちは小さなベッドの上で姉妹のように寝た。


 ついルルに触れてしまう。お互いに裸なので、私はその度にびくついてしまったがルルは平然としている。私はそっとルルを抱きしめた。冷たい身体だった。


 ◆


 クロウが私たちの上で旋回しながら、私たちの服を上から降らせる。それで目が覚めた。日は暮れたようだ。寝たせいか、洗いたての服のせいかは分からないが、気分が冴える。


 これから起こることを想像すると、恐怖を覚えないわけではなかったが、それでもなんとかなるのではないかと思えてしまう。


「さて、問題は……」


 ルルは服を整えて、ナイフを太ももにセットしながら言う。


「どうやって忍び込むかだ」


 私も着替えながら答える。


「ルルが催眠をかけたらいいんじゃない?」


「私もそれは考えたが、相手が多かった場合、かけきれない」


 うーん……こんなところで止まってしまうとは……映画とかなら派手に登場したり、スパイみたいに闇に紛れたりするけど……もちろん軍事拠点とかではないから入ってしまえばそれはそれでいい。とはいえ救急病棟には何人かの職員がいるだろうし、救急車も来るかもしれない。そこで怪しまれるわけにはいかない。


 なんとなく着替えているルルを見ながら考える。綺麗な胸が黒いシャツに覆われていく。身体は小さく……。


「そうだ! ルル、体重は?」


「体重? 量ったことはないが……」


 ねえねえ、と私はたぶんにやにやしながら着替え終わったルルに近づいた。ルルは露骨に嫌そうな顔をしている。でも、作戦は決まった。


 秘密基地からルルのバイクに乗って病院の近くまで行く。裏口は電気がついている。たぶん奥には職員がいる。


「じゃあ行くよ!」


 とルルに声をかけると、


「あ、あぁ……」


 と若干くぐもった声を出した。


 私はルルをお姫様だっこすると、病院の入口に駆け込んだ。

「すみません! 誰かいませんか? 急に倒れちゃって」


 自動ドアを開けると、数人の職員がいた。すぐに男性の看護師がやってきて、ルルの額に手をあて、それから脈をとる。冷たさにぎょっとしたようだった。まぁそうだよね。身体は冷たいが、脈はある。


 看護師が慌てるのが手にとるようにわかった。別の看護師にもなにか伝えて、あっという間にそこにいた人たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。さすが医療関係者。感謝します。


「いなくなったか?」

 とルルが小声を出して私から降りる。


 そのまま駆け出して、非常階段を駆けるように降りた。霊安室は地下にある。ルルが止まった。非常階段と地下を繋ぐドアが閉まっているのだ。開けっ放しにしておくわけにもいかないか……ドアを開けば、敵に気づかれるかもしれない。でも開けなければ入れない。


 ルルがゆっくりとドアに手をかける。ドアと言っても二メートル四方ほどの壁のようなドアだ。防火も兼ねているのだろう。


 私もナイフを取り出して少し目を閉じる。見えた。ルルが入ってすぐ右手に自動小銃を持った男がいる。その男をルルが制圧している間に左方向から巡回してくる男に見られ、そいつが大声を出す。なんで病院のなかに武装した奴がいるんだとは言いたかったが、家族病院と名前がついているからファミリーが関わっているのだろう……。


 私はルルの背中にぴったりと張り付いて、ドアが開けられると同時に左に走った。ルルは右の男にすぐに気がつき相手が銃を構える隙すら与えずにハイキックを顔面に炸裂させた。


 私は左に向かって走り込むと男と衝突しそうになる。あまりに距離が近すぎて相手は自動小銃を構えることができない。私のナイフは相手の喉元を精確に割いた。半分はヴィジョンで見えていたが、半分は自分でやったような不思議な感覚がした。


 相手は声を出せずに喉元に手をやったが、すぐにルルが駆け寄ってきて、相手の口元を抑えながら首筋を後ろからへし折ってしまった。私はなんとなく、そいつの持っていた自動小銃をとりあげた。


 ルルは周囲を警戒している。たぶんもう何人かいるだろう……ただ流石に病院だけあって明るいのでそこは助かる。いくつかのドアがあってどこも小さな窓しかついていないので、どこが霊安室なのか分からない。それぞれのドアにプレートのようなものがあって、放射線室とかレーザー室とか書いてある。地下には電磁波や放射線などを扱う部屋が多いようだ。


 私はヴィジョンを全開にして、相手の居場所を特定しながらそっと歩く。ルルはそれについてくる。探しているうちに霊安室と書かれた部屋が見つかった。扉は他のものと比べて大きい。たぶんストレッチャーでそのまま入れるのだろう。私はそっとそのドアに手をやると、すっと開いた。

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