第22話 休息
朝、だろうか? この秘密基地はほぼ真っ暗で時間が分からない。時計もないしなおさらだ。でも気温とうっすらと透ける太陽光から朝だと感じられた。
「ルル?」
「起きたか」
やっぱりルルはちゃんといた。出ていってしまうのではないかと一瞬でも考えた自分が悪者のように感じられる。
「今、何時くらいかな?」
クロウが昼過ぎくらいですかね、と返してくれる。その声を聞いて頭がすーっと冴えるのを感じた。私はもともと不眠症を患っていたのだが、今の今までそんなことは忘れていた。不眠症はたしかに病だが、このような状況だと身体が自動的に反応してその症状が一時的に収まるのかもしれない。いずれにせよ、気持ちの良い目覚めだった。
あー髪、洗いたい……とぐしゃぐしゃになった髪の毛に指を突っ込んでから、ベッドから起き上がる。服も変えたいがそれは贅沢というものだろう。
「欲しがりません。勝つまでは」
私は小さくつぶやいた。
「第二次大戦の日本の標語か」
ルルはなんでもないように返した。そっか、ルルは第一次大戦も第二次大戦も経験したんだ。ルルはそれに続けて言った。
「今や戦争は経済活動だ。クラウセヴィッツの頃には戦争は政治的行為の一環だと考えていたようだが、今は違う。大人も子どもも、女も男も、みな巻き込まれ死んでいった。これは現在の経済システムが生む貧困と同じ構造だよ……つまらない話だが」
ルルの言葉は政治的な発言にも取れたが、そこには悲しみ、死んでいった人々への悲しみのようなものが詰まっている気がした。彼女は何を見て、何を感じて生きてきたのだろう。
それはともかく、と言葉を切ってルルはテーブルの上にコンビニの袋の中身を広げた。
出てきたものは食パン、マーガリンとマーマレード、コンビーフの缶詰、パックに入ったウインナーソーセージ、りんご、アルコール、タバコ、それから女性用の下着……私が買ってきたものとはだいぶ違う。遅い時間だったからあまりなかったんだ……と小さく付け加えた。
それを見ると、私のお腹が鳴った……昨日、あんなに食べたはずなのに……。
ルルはシンクの底に蓋をしてからミネラルウォーターを盛大に流し込み、そこで手を洗った。私もそれに従って、手と顔を洗う。それだけでかなりすっきりする。
私たちは二人と一羽でテーブルに座って、朝食を食べた。パンは焼いた方が美味しいし、ウインナーはボイルしたいが今は食べられるだけで充分に満足だった。下着も替えられるしね。
私はすぐに食パンの袋を開けたが、ルルはりんごを手にしてどこからともなく取り出したダガーで器用に切り分け――それはまるで職人芸だった――私に与えた。
うささんりんごだ。思わず微笑んでしまう。それを喜びと理解したのか、ルルはまたりんごを切り分ける。四分の一ほどにカットしたかと思うと、それに外皮の双方向から四十五度ずつほどナイフをいれて、ちょうどL字型の部材のようにする。残ったものにまた同じように切り込みをいれる。合計それが五セットくらいだろうか。そをずらしながら重ねるとまるで木の葉のようになった。
私はパンを片手に持ったまま、その動作を眺めていた。それを快く思ったのか、ルルはふふっと鼻をならして自慢するようにこちらに渡した。
食べると、まぁ、りんごなので味は変わらない、むしろ食べにくかったがまるでホテルに来たみたいな気持ちになった。私が少し食べにくそうにしていると、こういうのは子どもが喜ぶ、りんごが手に入ればの話だが……と言って自分はりんごを丸かじりしてから、ウイスキーを飲んでいる。
そういえば、酔わないのだろうか……それから、例のタバコを吹かし始める。タバコの煙なんて臭いだけだが、このタバコはどこかバニラの匂いがするような気がした。
ルルは私が食べ終えるのを見計らって、下着を渡した。新しい服に着替えると気分もリフレッシュする。
ルルはたばこを吹かしながら、陰鬱そうな顔をして私が着替え終わるのを待っていた。そっか。一晩考えろって言われたんだった。でもそう言われたのは昨晩で、さっき起きたばかりだ。
とはいえ、私の心は昨日から変わっていない。真犯人を突き止める。運がよければ父さんにも会えるかもしれない。動機としては充分だった……でも、そう言っても昨日と同じ言い争いになるだけだろう。ルルが危険だと言って反対するのは目に見えているし、それを言うのを決めているからこそのあの表情だろう。
外の空気が吸いたくなった。それから好奇心が湧いた。
「ね、ルル、タバコ一本くれない?」
「チョコはタバコを吸うのか?」
といぶかしげにしながらも、すでにタバコの包みに手を伸ばしている。未成年とかそういう野暮なことは言わないのがルルらしい。
「吸ったことない。ルルが吸ってるから」
と答えると、呆れたように一本よこして、それから黄銅色の四角いオイルライターを渡してくれた。
じゃあちょっと外の空気吸ってくるね、ドアを開ける時には最小限にな、というやりとりをして外に出た。日はちょうど真上に昇っていた。葉の枯れた木々がさらさらと音を立て、地面にも枯れ葉が落ちている。それを踏みしめていると、昔のことを思い出す。お姉ちゃん。
私は地面に腰を下ろしてから、ライターを改めて眺めてみる。たぶん真鍮製だったが、その輝きはとうに失われて、角の丸い部分だけがまるで鏡のように磨き上げられて光っている。ところどころ、傷や凹みがある。底面を見ると「ZIPPO」と印字されているが、それも摩耗していてうっすらとしか読めない。何年、これを使ってきたのだろう。
そこから蓋を開けて、タバコに火をつけようとしたが一苦労だった。まずライターの火がつかない。おっかなびっくり丸い部分を回すが、軽く火花がでるだけで火がつく様子すらない。なんとか勢いよく回すと、ボンと弾けるような音とともに火がついた。
それから改めてタバコをよく見てみると、どちらから吸っていいのか分からなかった。映画で見るようなタバコではなかったのだ。どちらの口にもフィルターがついていないのだ。見えるのは葉っぱだけ。仕方ないので鳥のマークがこちらに向くようにして咥えてみると、口の中に葉っぱが入ってくる。こんな吸いにくいものをルルは吸っていたのか……。
その先端に火を近づけてみたが、火がつくというよりは、炙っている感じで、ルルのようにはいかない。
ルルはどうやってタバコに火をつけていたのか思い出す。まずタバコを口に咥えてから火をつけていた。そうか、吸うんだ! と思ったけど、なんとなく怖くてそーっと吸ってみる。苦い煙が口の中に入ってくるのを感じて、吐き出す。なんだろ? って感じだ。別に美味しくないし、煙を感じるだけだ。それを幾度か繰り返したが、思ってたのとなんか違う。煙が線を描いて私の周りを漂った。
なんだか特別なことをするつもりだったんだけど、結果的にはどうすればいいのか分からなかったから地面でもみ消した。それから枯れ葉で覆われた地面に横たわる。日差しが容赦なく降り注ぎ、顔は暑いが、地面は冷たい。乾いた草の匂いがする。
もし私がここで降りると言ったら、私はこの空を、タバコを吸ったことを一生忘れないだろう。ルルとの最後の日にタバコをうまく吸えなかった記憶として。ちゃんと教わりたいなぁ……左手でライターの蓋を開け閉めしながら考える。このまま止めてしまって、家に帰ってシャワーでも浴びて……その間にルルが問題をすべて解決してくれて、それまで待って。また二人で会う? 私は前いた場所に逆戻りだ。居場所のない居場所。じゃあ私の居場所は? 今、私はどこにいる? 地面の上? ばからしい。私にもう帰る場所なんてない。いや、そうじゃない。私はZIPPOのライターの蓋をカシャンと閉じて、心に決めた。「私はルルと一緒にいたい」。
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