第三章 逃走の先
第21話 手紙
ルルは少し寝ろと言ってベッドの方を指差した。今日はもう休もう……そう思って教授のコートを脱いで、自分の上に布団のように掛けたときに違和感があった。コートの内側になにか入っている。
ベッドの上でもぞもぞとそれを取り出してみた。厚手の封筒に入っていて、すっかりしわくちゃになっていた。
「橘知世子へ」
という文字が目に入った途端、私の眠気は飛んでしまった。急いでベッドから起き上がって、そこに腰掛けたままそれを開ける。端正な字でこう書かれていた。
「ありふれた冒頭になるが、これを君が見つける頃に私はいないのだろう。もしいたとしたら、この手紙は捨てて私が直接話しているだろうし、そもそもそのコートも返してもらっている。したがって、私はいないのだろう。コートは餞別とでも思って使ってくれたらいい。それでも幾度の戦場を共にしてきたものだ。
それから手元に武器はあるだろうか。なければ私の渡したものでなくてもよいから手に入れること。君には必要だ。
近くに姫はいるだろうか。いなければ、彼女を探し出すんだ。君には彼女が必要だし、彼女にも君が必要だ。」
ここまで読んでから、急いでルルを呼んだ。ルルは最後に残っていたヨーグルトを一気にすすると、こちらに駆けてきた。
教授からの手紙だと言うと、肩を並べて読み続けた。
「ルルが見つかるとよいのだが……なにしろ彼女は今回の出来事で鍵だし、君一人で追うのは危険すぎるからだ。
今の君には情報が必要だろう。私は過去にルルの血を採取してそれをファミリーに渡した。その後、研究が続けられ血の交換をしなくとも人を吸血鬼にできる血液が完成した。つまり誰かに打てばそいつは吸血鬼になるということだ。だが、欠陥もある。
その血は人を選ぶのだ。血の交換でも生じる拒絶反応、つまりアレルギーを解消しようと努力していたのが橘博士だ。彼がそれを克服したのかどうかは分からないが、Tがまだ吸血鬼になっていないところを見ると、まだ成功していないのだろうと思われる。
つまるところ……君の父上はファミリーに追われているか、すでに捕まっているのではないかと推測している。失踪というのは奇妙だ。ファミリーがそんな大切な研究をしている人間をそうそう簡単に殺すのは考えにくい。なにかの事故でもない限り……。
事故と書いてから、私の頭の中には連続殺人鬼のことが浮かんでいる。奴は人を無差別に殺しているにもかかずしっぽもださない。おそらくファミリーが裏で糸をひいているのだろう。
もしこの事件について知りたければ、Tに直接聞くのが早いが戦闘の危険性などを考えるとルネに聞くことを推奨する。ルネは完全にファミリーの一員というわけではないからだ。それでも危険はあるだろう。だがTよりはマシだろう。それに結局、奴はルネに接触すればいずれ現れる。そのために知世子君には武器と仲間が必要だ。それから覚悟も。
もちろん、止めても構わない。それは自由だ。と書いても、無駄だろう。なにせここまで書いてしまったのだから戦えと言っているに等しい。敵は〝総合家族病院〟にいる。地下の霊安室に向かえ。
P.S.知世子君なら、私の心配をしてくれているかもしれないとうぬぼれを感じる。私なら気にすることはない。私は君が橘の娘だと知った時、命をかけるに値すると信じていたからだ。私の最期はどうだっただろうか。今から死ぬ前提は愚かだな。少しでも役に立てればと思う。いや、願わくは、この手紙が必要なくなることを」
涙が溢れた。頬を伝ったのを感じるなんてものじゃない。全身が熱くなり、涙が止まらなかった。横には口にヨーグルトをつけたルルがいるよ、と言いたかったし、コートも着てるよと伝えたかった。最期だってルネに人間じゃないって言われてたよ。私も強くなったよって伝えたかった……。
今度はルルが私をさすってくれる番だった。
「こうしてチョコに与するとは思わなかったが。なぜ私にこれを言わず、チョコを巻き込んだのか釈然としないが、これで私の目的は定まった。ここからは一人で行く」
その一言で身体が飛び跳ねるかと思った。
「待ってよ! 教授だって私の力が必要だって言ってる! 私だって真相を知りたい! 父さんも生きているかもしれないんだよ!」
私は一気にまくしたてた。
「わかっている。だがここは私を信頼してほしい。失望はさせない。弟とも決着をつけなければならない。チョコ、お前はたしかに強くなったが潮時だ。手を引け」
ルルはなかば諭すように、なかば高圧的に命令するように言った。
もちろん反発だ!
「そんなことできるわけないじゃん。ここまで来たんだよ! たくさん辛いことあったんだよ。でもここまで来たんだよ。なのにここからは手を引けなんてひどいよ。さっきルルは謝ったばっかりじゃん」
「状況が変わったんだ。理解してくれ。もう、怒ったりはしないし、したくない。チョコ、君には助けられた。すべてが終わってからまた会おう。君となら会いたいと願う」
「そんなの嫌だよ! 置いていかないでよ。私はまた一人になっちゃうよ……ルルに私は必要ないの?」
「酷なのはわかっているが、言わざるをえない。君は必要ない。むしろ足手まといだ。私たちの身体能力を知っているだろう。あのなかに飛び込めるというのか?」
「それは……でも、力になりたい……」
「わかった。なら、明日の晩まで待つ。今夜は寝ろ。嘘はつかない。一晩休んで、考えろ」
私はその言葉を素直に信じることにした。私が寝てからルルがひっそりと出ていく可能性もよぎったが、なんとなくルルはそんなことをしないような気がしたからだ。
信頼か。ルルの言葉が頭のなかで反響するのを感じながら眠りに落ちた。
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