第20話 家に帰ろう

秘密基地に着いた頃には太陽は山陰に身を沈めるところだった。


この国でもっとも大きな山陰に隠れる様子は、まるで世界から光が失われるようかのようだった。


なんと言って帰ったらいいのだろう。「ただいま!」と言うわけにはいかない。だってルルは怒ってたから……でも、今日あったことを話したらもっと怒られそうな気もした。たぶんルルは……。


そんなことを考えているうちに秘密基地まで来てしまった。クロウは相変わらず黙っている。どうしたらいいかなんて分からないよね。もうどうにでもなれと思ってドアを開けてみた。


ルルは椅子に座っている。私はなにも言えない。


「すまなかった」


口火を切ったのはルルだった。赦してくれ。ルルの顔は陰鬱で、今にも泣き出しそうだった。


私こそ……と思ったが、その言葉が出てこない。


「チョコの怒りは最もだ。私を助けようとしたのだから」


ルルの目許が光った気がした。慌ててルルがそれを拭った。


「私こそ……ごめん。約束を……」


その瞬間にルルはタックルでもしてくるようにこちらに駆けてきて私に抱きついた。すまなかった。すまなかった。ゆるして……ゆるして……彼女は泣きじゃくっていた。私は戸惑う。私こそという言葉にもはや意味はない気がした。


「私は怖かったんだ。チョコを死なせたくなかったんだ。出ていってから考えた。これでよかったって。何度も自分に言い聞かせた。これからの道はもっと危険だ。チョコを巻き込むのは誤っている。これでよかったんだ。って何度も何度も思った。でも、それでも、私は……」


私はただルルの背中を軽くリズムを刻みながらさすった。その涙に震える身体は小さく痩せていて、子どもそのものだった。


「ごめん。ルル」


それはルルとの約束を破ったから出てきた言葉ではない気がした。この涙に震える少女を独りで置き去りにしたことへの言葉。ルルは完璧で強くて、独りで戦える。そんなふうに思ってた。


でもルルだって、何年生きてたって孤独に震えていたんだ。吸血鬼は一〇〇年もそれ以上も生きているという先入観がどこかにあったのかもしれない。けれど、ルルが前に話してくれたようにそれは彼女にとって呪いであり、重圧だったのだ。その時、どうしてルルが私のリストカットを嫌がったのかわかった気がした。


「ルル。いいニュースといいニュース。二つあるけどどっちから聞きたい?」


私はわざと明るい口調で言う。


「同じじゃないか」


ルルも笑ったように言い返す。


「じゃー少し複雑な方のいいニュースから」


私は抱えてきた人工血液を見せた。ルルはそれがなにかすぐさま理解したようだった。


「待って。質問はなし。先に答えるとこれは私の戦利品。Tからもらってきた」


そうか……とルルは複雑な顔をしてから、危ない橋を渡ったなと言った。私は人工血液のパックを渡した。


ルルがそれに牙を立てる瞬間にクロウが口をはさむ。


「姐さん! それはちよこさんが言ったとおりTからのものでさぁ……毒って可能性もありやす」


それは心配ないと言いながらパックに牙を突き刺して吸い出しながら言う。


「これでも奴とは長い付き合いだ。殺すなら確実に私が死ぬところを、それも絶望に打ちひしがれて死ぬところを見たいと思うような奴だ。だから毒は入れない」


安心できない理由だったがあっという間にルルはそれを美味そうに飲み干した。


「生きた心地がする。チョコ、改めて礼を言おう。もう一つは?」


と立て続けに質問する。


「食べ物です!」


私は床に放り投げていったコンビニの袋を拾い上げて中身をテーブルに広げた。

メロンパンにサンドウィッチ、スモークチキンにおにぎり。スポーツドリンクにお茶、ミネラルウォーターとカロリーメイト。それからウイスキーとタバコ。買いすぎちゃったかなと思ったが、ルルの目は輝いていた。主にウイスキーに……。


いいのか? と言いながらすでに手はウイスキーに伸びている。私が笑ったのを許可と受け取ったのか、ウイスキーの小瓶を一瞬で開けて口にしながら、器用にタバコのフィルムを剥がして、中箱を引っ張り出し銀紙を破ってタバコを器用に取り出した。


今度はそれを口で咥えてからライターで火をつけて、煙を吐き出す。


「よく、ピースってわかったな」

と言いながら、その顔は晴れやかだった。


「それにしても、チョコはよくその格好で買い物なんてできたな……私は催眠をかけられるからどうとでもなるが……」


ルルはメロンパンにむしゃぶりつきながらもぞもぞと言う。私は少し誇らしい気持ちになった。少しは大人になったのかもね。そう思いながらミネラルウォーターとカロリーメイトに手を伸ばした。お腹は空いていたが、これくらいしか食べる気がしなかったのだ。


それに対して、ルルは……メロンパンのあとサンドウィッチにむしゃぶりついている。つい微笑がこぼれたのをルルは感じたのか、鋭く睨んできた。いや、別に可愛いとか思ってないから……と言おうと思ったがやめた。だって、可愛かったから。


教授の気持ちが少しわかった。人がなにかを喜んで食べている姿というのは、微笑ましい。


買ってきたものをほとんど食べ終えてから、ルルはシュークリームを最後に食べて、


タバコを吹かした。

私はゆっくりと話しを切り出す。


「今日ね、Tと会ってきた」

ルルは無言で続きを促す。


「Tはルルが私のお姉ちゃんを殺したって最初は言ってた。でも私は違うんじゃないかと思ってる……」


「信頼か……それはチョコの美徳だ。だが、もう少し人を疑ってもいいかもしれないな」


どきり、と心臓が音を立てた。


「どういうこと?」

まさかとは思ったが、聞いてしまった。ルルは少し逡巡しているようにタバコの煙を天井方向に吐き出している。


「これは本来、話すつもりがなかったことだ……」

ルルは言葉の一つ一つを区切るようにゆっくりとした口調で語り始めた。


「だが、もはや隠す必要もない。チョコの姉上を最終的に殺したのは私だ」


え、どういうこと? と喉まで出掛かってから飲み込み、代わりの言葉を慎重に選んだ。


「最終的に?」


「あの時……」

そう言いながらルルは少し遠い目をした。


「私がチョコの家に入った時、姉上には息があった。辛うじてだったが……そして、吸血鬼になりかけていた。彼女もそのことを、そしてその先のことまで見えているようだった。殺して欲しいと頼まれた。私には彼女が〝吸血鬼〟という生き方を理解していたように思えた」


再度の沈黙が訪れる。クロウも静かに聞いている。


「血にまみれてとても言葉など発せない様子だったが『思った通りの可愛らしい吸血鬼さんね』と言われたよ。その時はなんのことが分からなかったが、たぶん彼女にもチョコと同じ未来視の能力があったのだろう……それから『チョコを助けて欲しい』と言われた……私がうなずくと彼女は笑った」


その笑顔は簡単に想像がついた。慈愛に満ちた笑顔。母が死に、父がいなくなってからずっと私を励ましてくれた笑顔。どんなに苦しくても私に見せてくれた笑顔……。


「私が殺した。すまない」


ルルは今にも泣き出しそうな顔をしている。私はどうしたらいいのか分からなくなった。お姉ちゃんを殺した犯人がずっと一緒にいたなんて……でも不思議と怒りは湧いてこなかった。むしろ前々から受け入れているような不思議な感覚だった。私の沈黙をルルは怒りと取ったのか、少し語気を強めてから言葉を吐き出した。


「私には選択肢があった。彼女を吸血鬼にすれば彼女はまだ生きていられた。だがその生は人間とは別種のものだ……私は彼女を吸血鬼という生き方に引きずり込めなかったんだ……すまない。赦してほしい。私の弱さだ……エゴだ……」


最後の方はもう聞き取れないほど弱々しい声だった。


私にはかける言葉がなかった。ルルは〝吸血鬼〟という生き方を嫌っている。それはたぶん私が人生に絶望したように、生を嫌ったように……。


もし私が同じ立場に立たされたらたぶんルルと同じ選択肢を選んだだろう……。自分と同じ苦しみを与えることはできない。そして相手もそれを望んでいない。


「それは……」

と私は声を出したが、ただ声を出したに過ぎなかった。続ける言葉が出てこないのだ。でもルルは私の言葉を待っている。それがひしひしと感じられた。


「それは……」

私は同じ言葉を繰り返した。

「仕方なかったと思う。ルルは正しい選択をしたと思う」


「すまない」

ルルはただ謝るだけだ。


「気にしないって言えば嘘になる……お姉ちゃんがたとえ吸血鬼になったとしても、いてほしかった。ルルには残酷な言い方だとは思うけど。でもあの日、お姉ちゃんは少し変だった。いつもは怒らないし、いつもは言わないことを言われた。負担だって……」


その時の光景がありありと思い出される。あれは唐突だった。ゆえに自殺に思い至ったわけだけど……。


「たぶんだけど、お姉ちゃん、分かってたんだと思う。ルルの言う通り、お姉ちゃんも私ほどではないにせよ未来が見えるって言ってたから……だから全部、お姉ちゃんが選んだんだよ。ルルは謝る必要はないよ。むしろ巻き込んじゃったのは私たちの方だったんだよ……」


私は一気に言葉を放った。

「すまない」


ルルは同じ言葉を口にした。そう言えば、ずっとそうだった。会った後も、その後もルルはこの言葉をよく口にしていた。むしろ今の話で辻褄が合う。彼女はずっと私に対して後ろめたさを持っていたのだ。愚鈍な自分に腹が立った。


もう隠し事をする必要はないな、とルルは独り言のように言ってからこう続けた。

「あの時、部屋に入った途端に私の血の臭いがしたんだ。だからルネも私の仕業だと言ったのだろう。だが、それに関しては思い当たる節がある。あれは何年前だったか、随分と前にヘルシングに捕まりかけたことがあってな。その時、血を抜かれた。あれは研究用だろう」


「ルルの血がなにかしらの過程を経て、使われた」


「培養したのか、なんなのかは分からない。だが犯人は私の血を使っている」


「だからルルは犯人を探していた……」

私はルルの言葉を補う。


「そうだ」

ルルは簡潔に答えてからまたタバコに火をつける。


「第三者の登場というわけだ。そしてたぶんファミリーに関係している……加えて、一年前から頻発している吸血鬼による連続殺人」


教授も探していたやつだ。だとしたらなぜ私の姉は襲われたのだろう……ただの通り魔? なんとなくその回答には違和感があった。


「実のところ、なんとなくだが私は誰が姉上を襲ったのか心当たりがある……」

私にはさっぱり分からなかった。


「しかし問題が二つある。一つは当然だが誰か? ということ。そしてそいつがどこにいるか? ということだ」

ルルはそう言いつつも、ある程度の見当がついているようだった。


「それって?」

私は当然ながら聞いた。


「まだ確証が持てない。だが確かめるべき相手は二人いる。ルネ、そしてT」

たしかにTはなにか知っているようだった。ならTとまた会わないといけないのだろうか……けど、どうやって?


「私はルネから当たるつもりだ。最初からそうしていればよかったのだが……あいつとは少なからぬ因縁があってな……」


ルルは険しい顔をした……そう、ルネはルルの弟だと言っていた。


「弟さん」

私はぽつりと言葉を置くように発した。


「そう。あまり会いたくない相手だ……かといって、初めからTに当たってもなにも出ないだろう……たぶん弟はなにか知っている……あの夜、あのタイミングで現れたのも奇妙だ」

ルネさんって……と私はなぜか〝さん〟づけをしてしまった。


「これはあくまで私の印象だけど、どこかちぐはぐな感じがした……」


「ちぐはぐ?」


ルルは首をかしげるようにしながら、繰り返した。


「奴は……」

そうだな……とルルは小さく言葉を切ってから話し始めた。


「ルネ、いや弟は飢えているんだ。少し長い話になる。聞いてくれるか?」

そう言って、ルルは残っていたウイスキーを全部飲み干した。それを見て、私も喉の渇きを感じて、お茶を手にする。私の無言を肯定ととったのかルルはゆっくりと思い出すように話し始めた。


「私が吸血鬼になったのは第一次世界大戦のさなかだった。そこで死に損なった私は父に血を分けてもらい、吸血鬼になった。父もまた孤独だったのだろう。何年も生き長らえ、多くの人々の死を目の当たりにしてきたのだから、家族のようなものが欲しかったのだろう……」


ルルは自分のポンチョのようなコートの端を軽く握った。


「私も最初は恩人のように感じ、また家族のように感じた。父との関係は……良好だった。だが、父は私が孤独だと思ったのだろう。姉弟を増やした。それがルネだ。奴もまた戦争の犠牲者だ。終戦して、世界は徐々に回復していった。それに合わせるように私たち家族もまた安定していった。だが、安定は危機感から人を遠ざけ、生死とは別のベクトルに意識が向かう。私の場合は成長だった」


そう言ってルルは自分の白髪を軽く撫でた。


「身長も体格も変化しない。他の友人はどんどん大人になったが、私だけは子どものままだった。そして、それが不自然だと周囲から言われ始めると、別の土地に移り住んだ。私たち家族はまるで時間の漂流者だよ」


そう言ってからルルは自嘲気味に笑った。だがその視線の先ははるか遠い過去を見ているようだった。


「それに嫌気が差したのは弟も同様だった。ある晩、私たちは父の元を離れた。最初は旅行のような気分だった。しかし、旅をしているうちに私たち姉弟は吸血鬼のなかでも特殊だということに気がつかされた。父は正統な純血者、つまりドラキュラ伯の血筋の継承者だった。ある土地では恐れられ、ある土地では崇拝された」


皮肉なものだ……ルルはそう言ってタバコに手を伸ばしたが、なぜか途中で止めた。

「父から逃げたつもりだったのだが、逆にその存在の大きさを私たちは思い知らされた。そして父は自分が純血者であり、その血を最初に注いだのが私だと世界中に吹聴した。純血は最初の者つまり私にしか引き継がれない。それからルネは私と距離を取るようになった。劣等感のようなものがあったのかもしれない……そこにファミリーがやってきた。彼らは巧みに弟をたぶらかし、私を捕らえ殺せば純血者になれると持ちかけた。以来、私は逃亡の身だよ」


そう言い終えて、今度はタバコを手にしてルルはそれを吹かした。

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